Ep.56 恐怖の刷り込み
――パチパチパチパチパチパチ。
ようやく通じ合えた二人の間に、そんな不躾な音が割り込んだ。
視線の先には両の手を打ち合わせるインフェル・ノクターン。
愉快愉快とばかりに軽快に手を叩いている様子だが、その身からは溢れんばかりの怒気が感じ取れる。
「いやいや、素晴らしいものを見せてもらったよ。美しい兄妹愛というのかな」
「……大人しく待っててくれるなんて、思ったより空気が読めるんだな」
それは、精一杯の虚勢であった。
今もアルの体は殺気に充てられ震え続けている。全身が総毛立ち、全感覚が警鐘を鳴らしている。
それでもアルは、妹だけは守り通すと。
エルトを背に隠しながら、できる限り虚勢を張って相対する。
「……調子に乗るなよクソガキが」
しかしインフェル・ノクターンは思った以上に煽り耐性がなかったようだ。
アルのほんの些細な虚勢に対し、その身にまとう怒気が一層強まるのを感じる。
「”L”、貴様の考えはよく分かった……しかし、忘れたわけではあるまいな?」
インフェル・ノクターンはエルトに対して鋭い視線を向けると、スーツをまさぐって一つの物体を取り出した。見たところ掌サイズの四角形のその物体は、何かのスイッチのように見える。
「っ……」
アルがスイッチらしきものを見て眉根を寄せている横で、エルトは大きな反応を見せた。
それを見た途端、息を呑んだエルト。微かに震える両手は首元に添えられ、先ほどまで赤く染まっていたはずの顔は蒼白に変わっている。
「エルト? アレは一体……」
「私が教えてやろう。よく見ておけ」
疑問を浮かべるアルに返答を返すのはインフェル・ノクターン。彼はアルに見せびらかすようにスイッチらしきものを掲げると、カチッとボタンを押下した。
瞬間、エルトが劇的な反応を見せる。
「うぐっ、あ、がっ、あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!?!?」
アルの耳を劈く絶叫は、石造りの地下室に響き渡った。
見れば、エルトの様子は酷い有様だった。
苦悶の表情は異様な量の汗で濡らされ、大きく剥かれた目からはとめどなく涙が流れている。
「エルトッ!?」
アルは反射的にエルトの肩に手を置くが、暴れ狂うように振り回された腕によって振り払われてしまう。
そのままやり場のない激情を発散するかのようにその場でのたうち回るエルトは、またも自身の首元に両手を向けた。そこにあるのは、”L”という文字が殴り書きされた無骨な首輪。エルトは自らの首に取り付けられたソレを無理やり外そうと乱暴な動作でもがくが、一向に外れる様子はない。
それでも諦められないように、エルトは首元を掻きむしった。細い首に爪が突き立てられ、引っ搔き傷が幾重にも重なる。ドクドクと流れる血がエルトの腕を伝い、地面に滴っていく。
何度も何度も何度も何度も。
まるで痛みなど感じていないように――否、それ以上の痛みに襲われ、のたうち回っているかのように。
「エルトッ!!」
何度も自傷を重ねるエルトを見かねて、アルは無理やりにでも落ち着かせようと試みる。
「っ……!」
エルトに触れれば、先ほどと同じように振り払われる。
見た目以上に力のあるエルトの容赦ない一撃に、アルの腕にはジンと鈍い痛みが走る。
それでも力づくでエルトの腕を抑えると、今度は鋭い爪が突き立てられた。エルトの爪はそのままアルの皮膚を貫き、抉る。鋭い痛みがアルを襲った。見れば、エルトの首元のように鮮血が流れている。
しかしアルは、些細なことだとばかりに意識から除外した。
このくらいの痛みなどどうでもよいと振り払い、エルトを落ち着かせることに全力を注ぐ。
「――ッ」
そうして無理やりエルトを抑えていると、不意にエルトの体から力が抜ける。
まるで痛みが臨界点を達したかのように、プツンと意識を途切れさせたエルト。そのまま倒れそうになるエルトの体をどうにか抱え、この事象を引き起こしたであろう元凶に目を向けた。
「お前ッ! エルトに何をした!?」
「気絶してしまったか……これでは罰にならんな」
「答えろ!!」
「ふむ……」
アルの問いかけに対し、一瞬鬱陶しそうに表情を歪めるインフェル・ノクターン。
しかしすぐに笑みを浮かべると、
「首輪だよ、首輪。あの首輪は魔道具でね、このスイッチと連動しているんだ。このスイッチのボタンを押すととても面白いことが起きてな……ククク」
「何を……」
「増幅するのだよ、魔力がな」
魔力が増幅する――その言葉の意味が理解できずアルは眉根を寄せた。いや、言葉の意味自体は理解できているが、それがどうしてエルトにあのような苦痛を与えるのかが理解できなかった。
アルの表情から理解していないことを悟ったのだろう。
インフェル・ノクターンはアルを小馬鹿にするように鼻を鳴らし続けた。
「一時的にだがな。それに増幅するといっても細かい調整などができる代物ではない。この魔道具を使うと使用者の魔力は爆発的に増幅される……肉体の許容量など遥かに凌駕するほどにな」
「なっ……!」
「ようやく理解したようだな。そうだ、およそ人体に収まりきらないほどの魔力をその身に宿すことになる。風船の中に入っている空気の量を一気に増やすようなもの……しかし人体とは思ったよりも丈夫なようでな、風船のようにはじけ飛ぶことはない。はじけ飛ぶことがないが故に、あれほどの苦痛を味わうのだが」
「く……」
「許容量を越えた魔力は人体の中で暴れ狂う。その感覚はまるで……体の内側で暴風が吹き荒れていると錯覚するほどらしいな」
体の内側で暴風が吹き荒れる。そのような感覚をすぐに理解できるアルではないが、少なくとも想像を絶する苦痛であることは分かった。
痛くて辛くて苦しくて……それが体の内側で巻き起こっているとなれば手を出すこともできず、苦痛に喘ぐことしかできないだろう。エルトのように痛みに耐えかねて暴れたり、体の内側を暴こうと自身の体に爪を立てることだってあるかもしれない。
「なんでそんなものを……!」
「”躾”だよ、”躾”。きちんと私の”道具”なのだという自覚を持ってもらうためのな」
「そんなことのために……」
「おっと、馬鹿にしないでほしいな。これは私にとって重要なことなのだから。事実、”L”は従順な道具となった、はずだったのだがな」
「お前……それをエルトに使うのは初めてじゃないな……!」
インフェル・ノクターンの口ぶり、そして先ほどのスイッチを見たエルトの怯えようを思い出し、アルは怒りを込めて言い放った。対してインフェル・ノクターンはあっけらかんと肯定する。
「当然だ。ソレが来たばかりの頃は、毎日のように使っていたからな」
「毎日だと……」
「あぁ。しばらくはボロ雑巾のように転がっていたな」
「お前ぇッ!」
「滑稽だった」と嗤うインフェル・ノクターンに対し、アルは我慢ならなかった。エルトを片腕で抱え、もう片手で剣を構える。銀色の切っ先をインフェル・ノクターンに突きつけ、宣言した。
「エルトは俺の妹だ! お前の道具なんかじゃないし、こんな場所にはいさせられない! 一緒に連れて帰る!」
自分たちの主に剣を向けられたことで、周囲の兵士たちが殺気立つ。各々が携える多様な武器がアルに向けられた。
それでも構わず、アルはここに来た目的を告げた。地下室に来て初めて、インフェル・ノクターンの瞳を真っ直ぐ見据えて。
そんなアルを見つめるインフェル・ノクターンの目が、スッと細められた。
「逃げたところで意味はないぞ。その首輪は鍵がなければ外せない。力づくで外せる代物ではないからな。今は気絶しているようだが、眼を覚ませば再び苦痛に喘ぐことになるだろう。それに――」
インフェル・ノクターンはそこで一度言葉を区切り、自身の顎をさすった。僅かに顔を上げ、アルを見下すような姿勢で、
「貴様は分かっているのか? これは立派な誘拐だ。クローリー軍に所属する貴様が私の”道具”に手を出すというのであれば、それは立派な侵略行為。クローリー軍は卑怯な手段をもって喧嘩をふっかけてきたことになるな?」
「……」
「あの小娘は無謀にも魔神を目指しているのだろう? ならばこれは不利になるぞ。他の魔王の拠点に忍び込み誘拐を働くなど、大魔総会が黙っていまい。最悪の場合魔王への降格もありうるかもしれんな。ましてや……この私に剣を向けようなど。貴様も、貴様の主も、どうなっても知らんぞ?」
アルがそのことを理解していると思っているのかいないのか、インフェル・ノクターンは愉快だとばかりに嗤いながら告げた。
インフェル・ノクターンの言うことは事実だ。
他の有権者の城に無断で侵入し、あまつさえ所属している隊士を一人奪い取るなど、第三者視点で見れば立派な侵略行為だ。エルトの扱いやアルの気持ちはあくまで当事者による感想に過ぎず、大魔総会がそこを汲み取ってくれるとは思えない。
このことが漏れれば、メアは間違いなく責任を追及されるだろう。インフェル・ノクターンの言うように、魔帝の称号を剥奪される可能性だってある。
――アルがクローリー軍所属だったら、の話だが。
「残念だったな」
「何がだ?」
アルは声高に告げるインフェル・ノクターンに一矢報いんとばかりに、口元を歪めて言った。
「俺はもうクローリー軍所属じゃない。辞めてきたからな。今の俺はただの流離の剣士で――ただの、この娘の兄だ」
「――」
アルから告げられた言葉が予想外のものだったのだろう。
インフェル・ノクターンはここにきて初めて、虚を突かれたような表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のこと。すぐに気を取り直したインフェル・ノクターンは、呆れたように息を吐いた。
「……そんな屁理屈が通じるとでも? 貴様がなんと言おうと、クローリー軍に所属していたのは間違いないのだ。クローリー軍が責任を逃れることはできない」
「どうかな」
「……良いだろう。そんなに死にたいのなら望み通りにしてやる」
アルの物言いがよほど気に入らなかったのか、インフェル・ノクターンは不愉快気に表情を歪めつつ、片手を上げた。
それは合図。インフェル・ノクターンが片手を上げたのと同時、周囲の兵士たちが臨戦態勢に入る。
「――殺れ」
その言葉と共に、無数の殺気がアルを襲った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ぐっ……!」
アルは苦悶の表情を浮かべながら、横薙ぎに剣を振るった。
それは兵士の腹部を切り裂き、鮮血が宙を舞った。しかしその鮮血は敵の兵士のものだけではなく、
「っ……!」
アルの肩に槍が突き刺さり、新たな血が吹き出る。
痛みに顔をしかめるアルだったが、体だけは止めることはない。というよりも、体を硬直させてしまえばその瞬間アルは終わる。故に、何とか食いしばって耐えていた。
「(ミルにボコボコにされた経験がこんなところで活きるとはなっ……!)」
伊達に毎日ボロ雑巾にされていたわけではない。
刺されて、斬られて、貫かれて。体中を血で染めてもなお、一瞬でも動きを止めようなら次撃がアルを襲うのだ。今のアルはその経験から、痛みに対する耐性だけはクローリー軍の中でもトップレベルに鍛えられていた。
「(もちろん痛い、痛いけど! 体だけは動かし続ける!)」
アルを襲うのは、武器の嵐。
長剣、短剣、槍、斧。総勢50人ほどが携える多種多様な武器が、四方八方からアルに迫りくる。
そのような数の攻撃をすべて避けられるはずもなく、アルの体には既に無数の傷が刻まれていた。一撃与える隙に、五撃は貰う。そんな圧倒的に不利な状況でまともに交戦などできるはずもなく、アルは攻撃を回避することに集中していた。
兵士たちの攻撃はミルフレティアに比べれば遅々としたもの。
一対一なら容易に回避できる。流石に数が数だけにすべてを捌き切れはしないが、それでも致命傷だけは避けながら上手く立ち回っていた。
それに、圧倒的人数差だけがアルを不利にしている要因ではない。
兵士たちの練度は、流石に魔王軍だけあって高いは高い。しかし、それでもクローリー軍に比べれば遥かに劣っている。それこそ、一人一人の実力は『輝剣』の方が圧倒的に上だ。そんな『輝剣』の隊士と互角に戦えるほどに成長しているアルならば、多少の数的不利は覆せる。
しかし……、
「ッ!」
鋭く振りぬかれた槍を見て、アルは咄嗟に体を捻った。
それは槍を避けるためではなく、むしろ自ら当たるためのもので――アルは痛みに喘ぎながらも、小脇に抱えるエルトが無事であることを確認し安堵する。
――そう、アルを圧倒的不利にさせている要因の一端は、気絶するエルトによるものだ。
もちろんエルトに責任はないし、エルトを守っているのは紛れもないアルの意志だ。エルトのせいなどとは口が裂けても言わないが、それでもエルトの存在がアルの自由を阻害しているのは事実。
いくら小柄で軽いとはいえ、一人の少女だ。
抱えながらでは動きに弊害が出るし、何よりエルトに対する攻撃をすべて庇いながら戦うことで、アルは余分にダメージを負っていた。
敵の兵士たちもそれに気づいているのか、先ほどからエルトを襲う回数が増えている。剣が、槍が、斧が、エルトを襲うたびにアルは自分の体を盾として使っていた。
当然そんなことをしていれば、アルの気が散るというもの。周囲を警戒しつつも、アルの意識の半分はエルトに割かれているのだ。警戒が疎かになって、敵の攻撃に気づくのが遅れることもしばしば。神経がすり減り、集中力も乱れている。
――それでもエルトを庇わないという選択肢は、アルの中にはない。
アルはエルトを庇いつつ、チラリとインフェル・ノクターンへと視線を向けた。
腕を組みつつ優雅にこちらの様子を窺っているインフェル・ノクターンは、先ほどから一向に手を出してこない。あくまで部下たちにアルの相手をさせている。
「(自分は高みの見物ってことか……)」
あまりにも舐められていることに多少思うところはあったものの、アルとしてはありがたいというのも本音だ。この状況でインフェル・ノクターンまで参戦されたら、アルに勝ち目はない。瞬く間にエルトと二人、殺されるのが目に見えている。
「(とはいえ、このままじゃジリ貧だ)」
どうにか致命傷は避けているが、既にアルの全身には大小無数の傷が刻まれている。それこそ、あの地獄の特訓を乗り越えていなければとっくに気を失っていただろう。そう思えるほどに凄惨な傷の数々。アルの全身は真っ赤に染まり、動くたびに体中が痛みを訴えている。
アルの体は既に限界を迎える寸前なのだ。このまま交戦し続けていては近いうちに戦えなくなることは間違いない。
それ以前に、無数の攻撃を避けながら相手を全滅させることも不可能なのだが。
「(つまり、俺のとるべき選択肢は一つ――ここから逃げる)」
とはいえ、アルが使った階段は使えない。
地下室の床……もとい、今アルがいる部屋の天井は崩落しており、昇ることは困難だ。跳躍すれば届かないことはないが、そのためには大きな隙を晒すことになる。満身創痍の状態では届くか怪しいうえに、例え万全でもエルトを抱えた状態で跳べるかと言われれば……怪しいところだ。
残るはインフェル・ノクターンたちが使った階段だが……それはインフェル・ノクターンの背後にあり、容易に通してくれるとは思えない。あの階段を使うためには、インフェル・ノクターンを越えなければならないのだ。
「(どうする……どうすれば……)」
アルが全力で頭を回転させている最中にも、徐々に傷が増えていく。
「っ……!」
突如、アルの全身から力が抜ける。
意識も一瞬途切れ、脳内を空白が支配した。
「(くそ……血を流しすぎたか……)」
幸いにも一瞬の出来事だったようで、手足に力を入れなおす。どうにかエルトを落とすことと、自身が倒れることは防いだが――それは、明確な隙となった。
「うぉぉおおおおお!!」
「しまっ――!?」
たたらを踏んだアルを見て、好機と踏んだのは全身鎧の大男。
その手に抱える大斧を横腹に構え、思い切り振りぬいた。乱戦の中では思うように大斧を振るえなかった鬱憤を晴らすように、大振りの一撃を放つ。横に倒された大斧の刃はアルの横腹に吸い込まれ――、
「――」
アルの体は弾丸のように吹き飛んだ。
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嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




