Ep.47 同じ星空を見て
エルトを連れ戻す。
けれど、メアに迷惑もかけない。
そう決意したアルがとった方法は、やはりクローリー軍を辞めるというものだった。
どちらを選び取るとは言ったものの、現実問題として全てを丸く収める策など、容易に思い浮かぶものではない。結局はミーシャの出した案を採用し、クローリー軍を去る決断を下したのだ。
「とはいっても、メアの隣に立つのを諦めたわけじゃあない」
たとえクローリー軍を去ったとしても、修行はできる。
具体的なプランは何もないが、とにかく一人の剣士として訓練を積んで、強くなって見せる。そしていつか、土下座でも何でもしてもう一度仲間に加えてもらう。
何とも情けないうえに、そう上手くいくかもわからない杜撰な計画ではあるが、それでも構わなかった。今のアルにとっては、とにかく可能性がゼロではないということが重要なのだ。どんな方法でも、無理でなければ成し遂げられない道理はない。
「最悪俺がアルフレッドだって明かせば……」
そのためには前世と同じくらい、いやそれ以上に強くなってなければならないが、どの道自分が満足するまで強くなって初めてメアの下に戻るつもりなのだ。大した問題ではない。
それよりも何故アルフレッドだということを隠していたのか、そして黙っていなくなったのかを追及されるだろう。
「一応置手紙は残してきたけど……」
アルがクローリー軍を抜けることをメアに伝えてほしい。そうミーシャにお願いしたのだが……「なんで止めなかったのかって責められるから嫌だ」とバッサリ断られてしまった。どうやらあの部屋でのやり取りも全部なかったことにして、今日ミーシャはアルの部屋に行かなかったことにするらしい。何ともミーシャらしい。
しかしミーシャの言うことにも一理ある。
何で止めなかったのか……それは専属メイドとして、というよりは監視として確実に追及されるだろう。あまりにやる気のないミーシャの態度に忘れそうになるが、そもそもミーシャはアルの監視なのだ。当然監視対象をみすみす逃がすなど、職務怠慢として責められて然るべきだ。
「まぁ、見てなかった時に逃げられても責められるだろうけど」
どうしてアルから目を離したのか、ミーシャなら監視する手段も捕縛する手段もあったはずだ。そうメア……というよりはリーシャに責められるミーシャの姿がありありと浮かぶ。それに対し申し訳なさは特に抱かない。むしろメアに対して申し訳なく思う。
アルとしてはメアとの約束を放り出したつもりはない。必ず強くなって、どんな手段を使ってでもクローリー軍に戻るつもりだ。
しかし、メアからすればそうは思わないだろう。
――俺、強くなるよ。メアの夢の手伝いができるように……その《剣鬼》と同じくらい、いいや、それ以上に。
――だから、キミは待っててくれ。今すぐに理解してほしいとも、受け入れてほしいとも思ってない。これは間違いなく、俺の我儘だから。キミは悩まず、そのまま走り続けてくれればいい。
それだけ大層なことを言っておきながら、結局何も言わずに自分の下から去ってしまうのだ。裏切られたと恨まれても仕方がない。結局は口先だけの男だったのだと、軽蔑もされるかもしれない。
「(いや、俺が嫌われるのはどうでもいい…………やっぱよくないけど)」
それはそれとして、アルは何よりメアを傷つけるかもしれないことの方が重要だった。
メアがアルのことをどう思っていたかは分からない。もしかしたら凡人の戯言と聞き流していたのかもしれない。夢を語る子供の戯言と笑っていたのかもしれない。
けれど、もしも――ほんの少しでも、アルの言葉に対して期待を抱いてくれていたのなら。
その期待を、裏切ることになる。
「(それは……嫌だな)」
アルは悲痛な面持ちを浮かべるメアを想像して、心臓がキュッと締め付けられるような感覚に襲われた。当然だ。愛する人が悲しい顔を、それも自分のせいでそんな顔をしているのだ。良心が痛まないわけがない。
「(それでも……)」
それでもアルは、エルトを見捨てることはできなかった。
メアのことを思って心臓が痛むように。
エルトの伽藍洞の瞳を思い出すたび、アルの心は締め付けられる。
エルトを救いたいと。そんな顔をしてほしくないと、強く思ってしまう。
「(ごめんメア。いつか、また会えた時に――)」
そう心の中で言い、アルは前を向いた。
現在アルは、アルメアを出て第五魔王の領地――ノクターン領へと向かっていた。
ノクターン領はクローリー領の北側に位置しており、アルメアからは馬車を乗り継いでも三日はかかる距離だ。当然歩いていける距離ではなく、徒歩以外の移動手段を持たないアルは早々に途方に暮れたのだが……、
「ホント、運よくアーセル行きの馬車があって助かったよ……」
そう、アルは現在馬車に乗っている。
仕方なくアルメアから歩いて向かうか……そう諦めかけていた時に、幸運にもアルメアから出発するところの馬車と遭遇したのだ。藁にも縋る思いで行先を尋ねてみれば、なんとアーセルに向かうと言うではないか。これ幸いと、アルは同行させてもらえるように頼み込んだのだ。
こんな夜中に馬車が、と思うかもしれないが、そこがクローリー領の利点でもある。
クローリー領はかなり治安が良く、街道付近に野盗や魔獣は滅多にいない。ただでさえ治安維持が行われているうえに、街道はきちんと整備されており、一定間隔で灯りも設置されている。よほど道を逸れない限りは安全なのだ。
ちなみにアーセルとは、クローリー領の最北端にある街の名前だ。
ノクターン領との境界近くにある街で、そこまで行けば第五魔王インフェル・ノクターンの膝元である”賢王の館”まで徒歩圏内だ。というよりアーセルからはノクターン領へ向かう馬車は出ていないらしい。
「地理について勉強しておいてよかった……あの本を紹介してくれたルカに感謝だな」
しばらくは会えないだろうけれど。
「それにしても……自分の棲家に”賢王の館”なんて名付けるとはなぁ……」
インフェル・ノクターンは自信家なのだろうか。
ただでさえエルトを道具扱いしていることで好感度は最底だが、更に下がった気分だ。
「エルト……」
アルは馬車の荷台から、夜空を眺めた。
今日の夜空は雲一つなく、どこまでも無数の星々が広がっている。
エルトも今、星空を見ているだろうか……。
そんなことを思い、少しばかり感傷的な気分になる。
「……必ず助けるからな」
涼しい夜風に白髪を揺らされながら、アルは小さく呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……星」
エルトはどこまでも広がる星空を眺めながら、小さく溢した。
けれど、それ以上の感想は何も浮かばなかった。
綺麗だとも。
美しいとも。
壮観だとも。
何の感想も感傷も抱くことなく、ただひたすらに、星空という事実だけを理解した。
――おにぃと一緒なら、違った感想を抱くのかな。
不意に、そんなことを思った。
アルといると、エルトは知らないことを知れる。
抱いたことのない感想を抱ける。
感じたことのない感情を抱いてしまう。
――それは、何よりも心地よくて……。
「――」
エルトは小さくかぶりを振り、その思考を振り払った。
もはや、それは意味のない思考だ。
エルトはアルを裏切ったのだ。アルに刃を向け、本気で殺そうとした。初めてできた兄妹という繋がりを、エルトは自分から断ち切ったのだ。
もう、アルとエルトは兄妹でも何でもない。
もう二度と、アルの妹になることはできない。
「……」
そう思うと、エルトの心にチクリと痛みが走った。
初めから、任務だと割り切っていたのに。
初めから、嘘をついて騙そうとしていたのに。
今更どうして、こんな感情を抱くのだろうか。
こんな――後悔なんて。
「……」
けれど、エルトはほんの少し、安心もしていた。
この感情が、大きくなる前に。
もうアルなしでは、生きていけないくらいに変えられてしまう前に。
もう二度と、道具だった自分には戻れなくなってしまう前に。
戻るべき場所に、あるべき自分に戻れたことに、エルトはほっとしていた。
「……わたしは、道具。感想も、感情も、必要ない」
エルトは僅かに揺らいでいた瞳を隠すように、瞼を閉じた。
そして……再び開かれた瞳には、何の感情も宿っていなかった。
「……まずはブレイトに向かって、そこからアーセル行きの馬車に乗る。それからノクターン領に入って……迎えがいるはず」
エルトは外の景色を見ながら、今後の計画を反芻した。
エルトは現在、馬車に乗っていた。
時間的にギリギリだったが、ブレイト行きの乗合い馬車、その最終便がアルメアから出発するタイミングに間に合った。ブレイトとはアルメアとアーセルの中間地点にある街で、そこで馬車を乗り継いでアーセルに向かう計画だ。
しかし、当然ながらエルトは所持金などない無一文。
ではなぜ料金のかかる乗合馬車に乗れているのかというと――それは、エルトの能力によるものだった。
エルトはただの魔族ではない。
魔族の中でも影棲族と呼ばれる種族で、影に関する特異な能力を有しているのだ。
それは魔法とは異なり、種族特有の力。魔力などを消費することなく、自在に行使することができる。
例えば、影を実体化させ自在に操ったり。
例えば、他人の影の中に潜んだり。
主に影に関連する能力を使えるのが、影棲族の特徴だ。そしてそれは、隠密や暗殺に非常に向いており――エルトはその能力を買われ、第五魔王インフェル・ノクターンによって暗殺者として育成されたのだ。
エルトはこの能力を使い、他人の影の中に潜むことで、誰にも感知されることなくアルメアに潜入することができた。
そして今も、乗合馬車に乗車する他の客の影中に潜むことによって、乗車料を誤魔化すことに成功している。
しかし、この影中に潜る能力にも欠点がある。
一つは、影の中からでは外の状況を大まかにしか把握できないこと。
影の中に潜んでいる感覚は、分かりやすく言えば水の中にいるような感覚だ。もちろん呼吸はできるのだが、外の景色はぼやけ、音も籠って聞こえてくる。そのため外の状況を正確に把握しようと思えば、影の中から出るしかない。
そしてもう一つは、勘の鋭い者には気づかれるという点だ。
影中に潜むということは、完全に気配を断ち切れるわけではない。影を媒介にしていることから、勘の良い者が相手では気配を気取られる危険性がある。暗殺者として気配を殺すことのできるエルトであっても、それ以上の実力者から完全に隠れることは困難だ。
これらの欠点により、エルトは影の中からクローリー軍の内情を探ることを諦めたのだ。
そしてそれは正解だった。メアやリーシャ、ミーシャといった実力者はもちろん、ガレオンのような勘の良い者にも気づかれていただろう。
はっきり言って、クローリー軍の実力はエルトの想定を大きく上回っていた。
それは、ノクターン軍を軽く凌駕するほどで――、
「……それはわたしの考えることじゃない」
そこまで考えて、エルトは思考を放棄した。
勝てる勝てないはエルトの考えることではない。エルトはただ、インフェル・ノクターンに求められた情報を伝えるだけ。そこから先はインフェル・ノクターン次第だ。
「……」
エルトは最後にもう一度、星空を眺めた。
乗合馬車ということで、周囲には数人の乗客がいる。
しかし今は夜中。その全員が眠りに耽っているからこそ、エルトは今こうして、一時的に影の中から出てきているのだ。
しかし、あまり長居することは危険だ。
万が一誰かが起きたらエルトが無賃乗車していることがバレかねない。本当はこうして今外に出ていることすら危ないのだ。
「……」
それでも、何故だろうか。
エルトはどうしても、夜空を眺めたくなってしまった。
もしかしたら、アルもまた、この星空を見ているかもしれない。
アルと同じ景色を見ることができるのは――これが最後だから。
「……さよなら、おにぃ」
小さくこぼすエルトの白髪は、夜風に揺らされていた。
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