Ep.45 岐路
「――俺は、どうすれば……」
去って行くエルトの姿をただ見送ることしかできなかったアルは、ポツリとこぼした。
エルトのいなくなったこの部屋は、酷く閑散としているように感じた。
エルトが来て以来、アルが部屋で一人になることはほとんどなかった。ミーシャは気分次第だったが、エルトは必ず一緒に過ごしていたから。
アルはどうにか立ち上がるも、上手く脚に力が入らず、ふらふらとよろめく。
そのまま体が傾き、ベッドに倒れこんだ。
「……広いな、このベッド。それに……」
――寒い。
そうこぼしたアルは、ジッと自分の掌を見つめた。
無論、本当に寒いわけではない。
エルトはいつもアルにくっついて過ごしていただけに、その温もりが消え、寒いと錯覚しているだけだ。椅子にされたり、膝枕をしたり、抱き枕にされたり、手をつないだり。思えばエルトが来てから、アルは常に人の温もりに触れていたのだ。
「……でも、エルトは敵だった」
その温もりは、全て嘘だったのだ。
記憶喪失という言葉が嘘で、アルたちを騙すためのものだったように。
「……エルト」
どうにも考えがまとまらず、アルはエルトの名前を呟くことしかできなかった。
――ガチャ。
すると、不意に扉が開かれる。
動く気力すらなく、アルは視線だけ扉に向ける。するとそこには、今日はいないはずの少女――ミーシャ・セーロスがいた。
「……」
ミーシャは部屋に入るなり、力なくベッドに寝転ぶアル、散乱した家具と血潮、そして開け放たれたままの窓を順に見渡した。そして、
「……ん、そっか。遂に裏切ったんだ、エルト」
事前に分かっていたかのような気軽さで、そう告げた。
その言葉はアルにとって到底許容できるものではなく、どうにか上体を起こすと、ミーシャに問いかけた。それは無意識のうちに強い口調で、睨みつけるような視線とともに投げられたものだった。
「……何だよ、その口ぶり。まるで初めから知ってたみたいじゃないか」
「……ん? 知ってたっていうか、気づいてた」
「気づいてた?」
「……うん。っていうか見れば分かるでしょ。動きとか、視線とか、どう見ても一般人じゃなかったし。殺し屋とかそこら辺じゃない? そこから記憶がないってのも嘘だって分かったしね」
しかし、ミーシャはアルの態度を気にした様子もなく、何でもないように言った。
少なくともアルには分からなかったが、ミーシャには分かったらしい。
「じゃあ、お前は分かってて放置してたのか!? 何で!?」
「何でって……メンドいし、私に関係ないし」
「なっ!?」
そう告げるミーシャは本当に心の底から無関係と言っているようで、アルは言葉を失った。
確かに親しげに接している様子こそなかったものの、ミーシャだって曲がりなりにも共にこの部屋で過ごした関係のはずだ。それでもなお、ミーシャにとってエルトはどうでもいい存在でしかないというのか。
アルは自分の頭に血が昇るのを感じ、思わず立ち上がるが――続くミーシャの言葉に、その勢いは削がれた。
「で、どうするの? メア様に報告する? それとも放っておく? あぁ、報復しに行ってもいいんじゃない? 私はメンドいからゴメンだけど」
アルは、ミーシャが何を言っているのか理解できず、黙り込むしかなかった。
その選択肢では、まるで、
「お前は、何を……」
「……ん? だって、エルトは”敵”でしょ」
「!」
ミーシャから告げられた言葉に、アルは息を呑んだ。
そうだ、エルトは敵なのだ。アルは頭では理解していても、その意味を正確には理解していなかった。もうエルトは、妹でも、守るべき存在でもなく、敵。敵に対する行動など、排するか、警戒するか、牽制するか、放置しておくか。いずれにせよ、友好的な選択肢など、なくて当然だった。
「そう、だよな……」
アルは力なくそう溢し、ベッドに座りこんだ。
「……アルは、どうしたいの?」
「……」
その問いかけに、アルは答えられなかった。
アル自身、どうしたいのか、どう思っているのか、何も整理ができていないのだから。
「(俺は、エルトを、どうしたいんだ……?)」
そもそも、どう思っているのか。
アルは失意の中、うまく働かなかった頭を、どうにか回転させる。
恨んでいる?
憎んでいる?
怒っている?
「(いや、それは……ない)」
裏切られて、殺されかけた。
それでもなお、アルはエルトのことを恨んでも憎んでも、ましてや怒ってもいなかった。
「(それなら、失望しているのか? ショックを受けているのか?)」
それは……ある。
アルの心の中には、エルトに裏切られたことによる失望や失意が大きく存在している。だからこそ、エルトを大切に思っていた気持ちの分だけ傷つき、アルの心に穴が開いたのだ。
「(じゃあ、エルトは……敵、なのか?)」
その問いに対する答えを、アルは持っていなかった。
もちろん、客観的に見た場合、エルトは敵だ。アルを騙し、クローリー軍に潜入し、アルを殺そうとしたのだ。他でもないエルト自身が、そう言っている。
けれど、それとは別……アルの主観で見た場合、果たしてエルトを敵だと言えるのだろうか。
アルは、本当に心の底から、エルトのことを敵だと思っているのだろうか。
「(俺は、俺は……エルトのことを……)」
「……そういえば、言いたいことがあったんだった」
そこまで考えたアルの思考を断ち切るように、ミーシャが言った。
「ちょっと前に、エルトに余計なことを吹き込んだって怒られたことあったでしょ」
「……ん、あぁ、そんなこともあったけど……なに、今?」
「ん、丁度思い出したから」
「……はぁ」
どうやらミーシャの言いたいこととは想像以上にどうでも良いことだったようで、アルは思考を中断させられたことと、ミーシャの空気の読めなさに呆れたような視線を向ける。
とはいえ、ミーシャがマイペースなのは今に始まったことではないし、苦言を呈したところで何一つ改善することはないだろう。
呆れつつも先を促すと、ミーシャはやや不満気な顔を浮かべながら、
「……あれ、エルトから聞かれたから教えただけだから」
「何をだよ」
「アルが喜ぶこと、してあげたいって」
「喜ぶ、こと?」
その言葉に、アルは思わず眉根を寄せた。
意味が分からない。
昨日までならば、可愛らしいと喜んでいただろう。
けれど、エルトの本当の目的を知った今ならば、それが何の意味で行ったことなのか、アルには理解できなかった。
「(俺を懐柔するため?)」
いや、それはないだろう。
エルトは言った。アルは甘いと。アルが本気でエルトのことを妹だと思い、大切に思っていたことは、エルト本人も気づいていたはずだ。それなのに今更そんなことをしても意味などない。
「何のために、そんなこと」
「……私も、それ聞いた。だって意味わかんなかったし。騙してる相手に喜んでほしいなんてね」
「……それで?」
「えーと、確か……」
ミーシャは記憶を探るように、人差し指を額にぐりぐり押し付けながら唸った。
アルからすれば、それがどうにも焦らされているようで良い気分ではなかったが、気分を損ねられても面倒なので黙って見守った。
そして、ミーシャは思い出したようで、ヘタクソな声真似をしながら言った。
「――おにぃはわたしの知らないことをたくさん教えてくれた。空っぽだった心を満たしてくれた。だから、わたしもおにぃを満たしてあげたい。ってさ」
その言葉に、アルは目を見開いた。
「その時は意味わかんなかったけど……今も意味わかんない。何言ってんだろ。アルもそう思うでしょ」
「……」
「……アル?」
もはやアルには、ミーシャの言葉は聞こえていなかった。
今のアルには、エルトの言葉が本心かどうかも分からない。
ミーシャを騙すために、心にもないことを言っただけなのかもしれない。
それでもアルは、エルトのその想いを、偽物だとは思いたくなかった。
だってそれは、アルと同じなのだから。
「(もしかしたら、都合の良い妄想かもしれない。希望的観測にすぎないのかもしれない)」
――おにぃはわたしの知らないことをたくさん教えてくれた。空っぽだった心を満たしてくれた。だから、わたしもおにぃを満たしてあげたい。
たったそれだけの言葉だ。
ナイフを突きつけ、本気でアルを殺そうとしたエルトの姿とは、比べるまでもない小さな要因。本気で殺されかけているのに、たったそれだけの言葉を理由に信じようとするなんて、頭がおかしいと言われても否定はできない。
「(――でも、それが答えだろ?)」
そんな言葉一つでエルトを信じたいと、そう思ってしまうくらい、アルはエルトのことを大切に思っているのだ。たとえナイフを向けられようと、冷徹な瞳を向けられようと、すべてが嘘だったと告げられようと。
アルは、エルトを信じたいと、そう思っている。
「(俺が思い浮かべるのは、どっちのエルトだ――)」
エルトを思い浮かべるように、アルは目を伏せた。
そうして脳裏に浮かぶのは――アルの隣で、静かに笑みを浮かべる少女だった。
一緒にご飯を食べて、美味しいと笑いあった。
一緒にお風呂に入って、体を洗いあった。
一緒にベッドに入って、身を寄せ合った。
ナイフを持つ姿でも、冷酷な瞳を向ける姿でも、ましてや裏切者としての姿でもない。
アルの妹として、何気ない日常をアルと一緒に過ごす、たった一人の少女の姿だった。
アルにとってエルトは――たった一人の、大切な妹だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
確かに、嘘をついていたのかもしれない。
アルを騙していたのかもしれない。
エルトは本当に、アルのことを兄だと思っていなかったのかもしれない。
それでも構わない。
エルトがアルのことをどう思っているのか、そんなことは些細なことだったのだ。
大切なのはアルがどう思っているのか。
アルにとって、エルトがどういう存在なのか。
「――俺にとっては、それで十分だ。」
アルは憑き物が晴れたような表情で、静かに笑った。
「決めたよ、俺がどうしたいのか。俺はエルトを迎えに行く。兄として、妹をな」
アルは立ち上がると、ミーシャに真っ直ぐ視線を向けながら告げた。その瞳には一切の曇りがなく……先ほどまで浮かべていた失意も、失望も、淀みも、何もかもが消え去り、晴れやかに澄み渡っていた。
「エルトは言ってた。自分は第五魔王の道具だと。それがアイツにとって幸せじゃないなら、あんな……空っぽな瞳で、満たされないまま生きていくのなら、俺がアイツを連れ戻す」
「……そう」
そんなアルを見て、ミーシャは僅かに目を細めながら、小さく答えた。
それはいつも通りの無表情でありながら……アルにはどこか、驚いたような気配を感じた。しかし、それをアルが追及するよりも先にミーシャが言い放った。
「けど、本当に分かってるの? アルのやろうとしてることは、第五魔王に喧嘩を売る行為。当然、メア様にも皆にも迷惑がかかる。アルはクローリー軍の一員なんだから」
「それは――」
告げられた現実的な忠告に、アルは口ごもってしまう。
エルトを連れ戻す。それは決めたことだ。
けれど、それはあくまでアルの独断で、アルの我儘でしかない。クローリー軍にとってはエルトは間違いなく敵であり、連れ戻すなんて言語道断。
むしろそれは、政敵である第五魔王に対する敵対行為でもあり、理由もなくそんなことをすれば、メアの立場が悪くなる。魔神を目指すメアにとって、それは致命的。
アルの独断なんて言い訳は通用しない。
アルはメアの部下だ。すなわち、責任はすべてメアにいく。少なくとも、大魔総会はそう判断するだろう。少なくないペナルティをメアに課すはずだ。
「(メアに、事情を話す? いや……)」
もしかしたら、メアならば助力をしてくれるかもしれない。
不利にならない手段で、エルトを救い出してくれるかもしれない。
しかし、メアに相談すれば、確実にリーシャの耳に入る。そしてリーシャは、裏切者を許すほど甘くはない。確実にエルトを敵だと判断し、最悪の場合利敵行為として追及する可能性すらある。
「どうすれば……」
良い案が思い浮かばず、沈んだ表情で悩むアル。そんなアルに対し、ミーシャは事も無げに告げた。
「一つあるよ、簡単な方法」
「何かあるのか!?」
「ん……アルが、クローリー軍を辞めればいい」
「っ!?」
思いもよらないその提案に、アルは息を吞んだ。
「クローリー軍を辞めれば、アルは何の関係もない一般人に戻る。一般人が第五魔王の居城に攻め込んでバレても、本人が裁かれて終わるだけ。メア様に迷惑はかからない」
「それは……」
確かに、ミーシャの言うようにその方法ならば全てアルの自己責任だ。
エルトを連れ戻しに行くのも、万が一バレて殺されても、すべてアル一人の責任で終わる。
けれどそれは――メアとの約束も何もかもを放り投げるということだ。
「俺は、どうしたら――」
メアか、エルトか。
アルは今、岐路に立たされていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




