Ep.44 影は白く染まりゆく
アルとエルトの歓迎会から数日が経ち、アルはいつも通りの日常を送っていた。
とはいえ、今日の『輝剣』の特訓はいつもとは少し違い、
「フッ――!」
短い気合の言葉とともに放たれた一撃は、とても拳の速度とは思えず――ミルフレティアの高速剣技にも匹敵するほどのスピードであった。
「ぐっ……!」
空気を切り裂く音とともに繰り出される拳撃を、アルはすんでのところで避ける。
しかし、相対する相手はアルの動きを正確に捉え、既に次のアクションを開始していた。
「避けるのに必死になりすぎるな」
「ぐふっ」
光の速さで放たれた蹴りが、アルの腹部に直撃する。
今まで食らったどの攻撃よりも重い一撃がアルの肉体に響き、アルは嗚咽を漏らしながらその場に跪いた。
「(……重いッ……ガレオンよりも……)」
ガレオンの連打よりも遥かに重い一撃に、アルは自分が戦っている相手の圧倒的な強さを感じ取る。
そして何より恐ろしいのは、そんな一撃ですら彼にとっては相当に手を抜いて放たれた一撃だということ。その証拠に、その蹴りはまるで遊んでいるかのようにゆったりとした動作で放たれていた。
彼にとっては軽く放った蹴りですら、ガレオンよりも重く、ミルフレティアよりも速い。
――間違いない。アルファストとして転生して以来戦ってきた相手の中で二番目に……あの魔神マガチカに次ぐほどの強さだ。
「流石だな……グラニス」
アルは呼吸を整えながら、自身を見下ろすその男を見た。
相も変わらず雄々しいその姿は圧巻で、眼前に立っているだけだというのに途轍もないほどの圧迫感を感じてしまう。
「フッ……まだまだ、若い連中に負けるわけにはいかんのでな」
グラニスはその端正な顔立ちに笑みを浮かべながら、未だ膝を折るアルに手を差し伸べた。
アルはその手を借りながら立ち上がり、周囲を見渡す。そこには、いつもとは違う特訓風景があった。
「情勢は……ほぼ互角か?」
「そのようだな」
アルの視線を追うようにグラニスも周囲に目を向け、同意した。
二人の視線の先には、『輝剣』と『武神の鼓』の両隊士たちが模擬戦を繰り広げていた。
基本的に一対一で、対戦相手はランダム。模擬戦が始まってしばらく経ったことで、ポツポツと勝敗がついた組が出てきた。それらを見る限り、『輝剣』と『武神の鼓』で勝率はほぼ互角。どうやら両部隊に大きな力の差はないようだ。
「おぉ……」
アルは練兵場の中でもひときわ激戦を繰り広げる両名に視線を向けた。
そこには、共に連撃を繰り広げるミルフレティアとガレオンの姿があった。
一見すると互角の打ち合いを続けているようにも見えるが、時間が経てば経つほど、ガレオンが不利になっていった。
そもそもが木剣と拳で差があるうえに、一撃の速度はミルフレティアの方が上だ。
今はガレオンも食らいついてはいるものの、ミルフレティアの連撃に対応するたびに拳が血で塗れていく。それでもどうにか連撃の隙をついて攻勢に出ようと、素早い動きでミルフレティアの周囲を駆け回るガレオンだが……ミルフレティアは冷静に立ち位置を調整し、ガレオンを近づかせない。
「……ガレオンは得意な脚技が使えてないな」
「無理もない。脚技は威力が大きい分、動作が大振りになりやすいからな……ミルフレティアの素早い攻撃を前に脚技を使うのは無謀だ」
「だからって空中に飛べばただの的、か」
「あぁ、空中からの素早い脚技乱打……それがガレオンの得意技ではあるが……ミルフレティアに攻撃の速度で劣っている以上、打ち合いになると不利だからな。逃げ場のない空中では、いいようにやられるだけだ」
そうしてグラニスと戦況を分析しながら見ていると、決着がついたようだ。
結局攻めきれなかったガレオンが敗北したようで、地面に寝転びながら荒い呼吸を繰り返している。一方のミルフレティアは軽く肩で息をしているものの、まだまだ余裕の様子。相性もあるだろうが、今のところ二人の間にも明確な実力差があるようだ。
「(けど、どっちも俺より強いのは明らかだ)」
今のアルではガレオンに勝てないし、ミルフレティアの息を乱すことすらできない。
まだまだ精進しなければ……そう気を取り直し、アルは拳を強く握った。
――そんなこんなで、今日は珍しく『輝剣』と『武神の鼓』の合同訓練を行っていた。
理由は明白で、歓迎会でのアルの意志表明だ。
あれで『武神の鼓』の隊士たちの闘志に火がついたというガレオンの言葉は事実だったようで、どうせならば合同で訓練しようという話になった。
まさかグラニスと模擬戦をすることになるとは思わなかったが、アルは圧倒的格上に対して今の自分がどれだけ通用するのか、それを計るいい機会だと意気込み……ものの見事にボロ負けした。明らかに手を抜いてもらったうえで、一撃入れることすらままならなかった。
とはいえ落ち込むことはない。グラニスが強い……それこそ、このクローリー軍の中でも最上位に位置していることなど分かっていたことだ。
「(それでこそ俺の憧れだ)」
アルは気合を入れ直すように、両頬を軽く叩いた。
「よし! もう一戦――」
「――の前に休憩みたいだな」
グラニスに促されて見れば、ミルフレティアの指示によって隊士たちは休憩に向かっている。
少々勢いを削がれた気もするが、仕方がない。アルは大人しく指示に従い、休憩のために練兵場の端に向かった。
そこには当然のように座るエルトが。
アルはいつものようにタオルと水を受け取ろうとするが、
「……? エルト?」
エルトはアルに気づいていないようで、ぼーっと地面を眺めていた。
基本的にいつもぼーっとしているエルトではあるが、訓練の際はアルを見ていたはずだが……いつもとは違う様子に、アルは首をかしげながらエルトの肩をゆすった。
「エルト、大丈夫か?」
「……? ごめん、気づかなかった」
流石に肩をゆすると気づいたようで、エルトはアルに瞳を向ける。
その表情はいつも通り平坦で、特に変わりはないように見えるが……、
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「……どうして?」
「どうしてって、俺に気づかなかったし……それに……」
アルは自分を見つめるエルトの瞳を見つめ返す。
いつもと変わらない空色の瞳……しかしアルにはそれが、どこか寂しげに見えて……、
「……ううん、大丈夫」
「……そうか?」
「うん」
エルトはアルの視線から逃げるように、顔を逸らしながら心配無用と告げた。
そんなエルトに、アルは追及しようとするが……どうしてかそんなエルトが、アルを拒絶しているようにも思えて、アルは口をつぐんだ。
「はい、これ」
「あぁ、ありがとう」
話は終わりだとばかりに、エルトはタオルと水を差し出してきた。
そうまでされてはアルとしても食い下がるわけにはいかず、大人しくタオルと水を受け取った。
それからしばらく、沈黙がその場を支配して……特訓が再開となった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あぁ~今日も疲れたぁ~」
時刻は移り夕刻。
入浴と夕食を済ませたアルたちは、自室に戻りゆったりとくつろいでいた。
アルは肩を揉みほぐしながら、軽く腕を回した。
特訓がキツいのはいつものことではあるが、今日はグラニスを筆頭に『武神の鼓』の隊士たちとも模擬戦を行った影響でいつも以上に疲労が溜まっている。
「アイツら好戦的なんだよなぁ……」
訓練に意欲的なのは『輝剣』とて同じなのだが、『武神の鼓』はなんというか……目がギラついているのだ。まるで隊士全員が野生の獣のような獰猛さを持っており、相対するだけで気力が削られる。
「まぁそれはそれでいいトレーニングになるけど」
「ねぇ、おにぃ」
「ん?」
一人でトレーニングを振り返っていると、エルトが声をかけてくる。
訓練の時こそ様子がおかしかったエルトだが、気づけばいつものエルトに戻っていた。
「まっさーじ、してあげる」
「マッサージ? そりゃありがたいけど……どうした急に?」
「なんとなく。今日はいつもより疲れてそうだから」
「そっか、ありがとな」
体の疲労を気にしていたアルを見ていたからか、エルトがマッサージを提案してくる。もちろん可愛い妹の提案を無碍にする理由はなく、アルはありがたくお願いする。
ベッドにうつ伏せに寝転がり、その上にエルトが乗ってくる。アルの腰あたりに小さなお尻の感触を感じるも、アルは気づかないふりをした。
「……どう?」
「おぉ、気持ちいよ」
エルトの小さな手ではそんなに強くないかな……などと考えていたが、意外にもアルの背中を押すエルトの手は、かなり力が込められていた。その小さな手からは考えられないような力強さで、アルの体を適確にほぐしていく。
「んっ、んっ……」
小さな声を漏らしながら力を籠めるエルトに、アルは思わず笑みをこぼす。
それだけ見れば微笑ましい光景だが、しかしエルトはかなりの力をもって揉みほぐす。アルの背中、肩、首と順番に施術していく。
「……そういえば、今日はミーシャいないの……?」
「ん? あぁ、今日は自分の部屋にいるって」
「……そう」
「アイツに何か用事でもあったのか? ……また変なこと言われたんじゃないだろうな」
「……ううん、ただ気になっただけ」
「そうか……」
ミーシャには以前エルトに余計なことを吹き込んだという前科があるため、できるだけ近づけたくはなかったのだが、同じ部屋にいる以上難しい。もしやまたいらんことを言われたのでは、と危惧したアルだったが、どうやら杞憂だったようだ。
「んっ、んっ……」
「……」
「……」
「……」
そのまましばらくマッサージを受けているうちに、アルは眠気に襲われる。心地よい疲労とマッサージを施され、アルの体が睡眠を欲したのだろう。
エルトに悪いと思い必死に耐えるも、瞼が落ちるのを防ぐことはできず、アルは微睡に包まれ――、
「――――」
――それに反応できたのは、前世の、アルフレッドの経験があったからだろう。
メアに出会うまで、アルは流離の傭兵崩れのようなことをしていた。
野宿は当たり前。そのうえ一人でいることが多かったアルは、自然と眠っていても殺気には敏感になった。そうでなければ、あっさりと死ぬ環境だったから。
今でこそ平穏な環境に身を置いているせいでかなり鈍った感覚ではあるものの、それでも微かに残った経験が鋭い殺気を察知し――咄嗟にその場から飛び跳ねた。
そして――、
「――………………なに、してるんだ……? ……エルト」
その光景を理解するのに、アルは多くの時間を要した。
飛び退いたアルの眼前には――ナイフを突き立てる、エルトの姿があった。
ナイフが深々と突き刺さるその場所は、数秒前までアルが寝ていた場所で――エルトが何をしているのかは、明白だった。
それでもアルは、確かめるために、縋るような声音で問うた。
「……もう一度聞くぞ、エルト。お前、何して……ッ!?」
アルの問いに対する返答は、実にシンプルだった。
ベッドから引き抜いたナイフを逆手に構え、エルトはアルに肉薄した。
その身のこなしは小柄だからという理由だけでは説明がつかないほど軽やかで、アルが未だ混乱しているというのを差し引いても、一般人とは思えない動きだった。
瞬時に接近したエルトは一切の躊躇もなく、アルにナイフを振りぬいた。
「――ッ!」
アルはギリギリで避けるが、エルトは次々にナイフを繰り出す。
対するアルは未だどうしていいか分からず、
「エルト! 答えろ! お前は……!」
「……ッ!」
「くっ!? ナイフじゃなくて、言葉を……!」
必死に訴えかけるも、エルトは気に留める様子を見せず、攻撃の手を緩めることはない。
「(どうしてっ!? なんで、なんでだエルト!!)」
アルはエルトの攻撃をさばきながら、心の中で叫ぶ。
あまりに唐突なことで、アルは心の整理ができていない。
できるはずもない。
つい先ほどまで、本物の兄妹のように接していたエルトが。
アルにくっつきながら、仄かな笑みを浮かべていたエルトが。
まるで――まるで、初めて出会った時のような、空っぽな瞳を向けながら、アルを殺しにきているなんて。
アルには、信じられなかった。
もしかしたら、夢なのでは……?
本当はエルトにマッサージされてる途中で寝落ちして、夢を見ているだけなのでは?
「――ッ!?」
現実逃避するように浮かぶそんな思考は、アルの頬をかすめたナイフによって否定される。
ジリジリと訴える痛みが、頬を流れる血が、これが現実であると主張してくる。
「何で……何でだエルト……」
胸中が混乱で満たされているアルは、とにかく疑問を口にした。
なぜ、ナイフを持っているのか。
なぜ、自分を狙うのか。
なぜ、そんな空っぽな瞳をしているのか。
分からないことだらけの状況をどうにかしようと発せられた疑問に対し、ようやくエルトの口は開かれ――、
「……あまい」
静かに告げられたその言葉とともに、エルトは今まで以上の速度をもってアルに接近する。
「ッ!」
当然避けようとするアルだったが――瞬間、脚が鉛のように重くなり、その場に拘束される。
足元を見れば、そこには謎の黒い物体がアルの脚に絡みついていた。
それは床の影から伸びており、アルをその場に縫いとどめているようだった。
「まずいっ!」
気づけばナイフはアルの眼前まで迫っており、その場から動くことを諦めたアルはナイフを受け止めようと、自身の顔とナイフの間に掌を滑り込ませる。
「ぐっ!!」
しかしナイフは掌を貫き、なおもアルを襲う。
咄嗟に顔を仰け反らせるアルだったが、いつの間にか脚を拘束する影は消えており――勢いに負け、仰向けに倒れる。
「――」
当然その隙を見逃さないエルトは、アルに馬乗りになる。
即座にナイフをアルの掌から引き抜くと、掲げるように構え、アルの顔面めがけて振り下ろす。
「ぐ……!」
「……!」
アルは両手を使いエルトの手を抑えることで、どうにか耐えた。
しかし、エルトの細腕からは見た目以上の力がのしかかり、ジリジリと押される。更にはアルの左手からはとめどなく血が流れ、痛みが襲い来る。掌にはぽっかりと穴が開いており、そんな状態ではロクに力が入るわけもなく……徐々に、ナイフがアルに引き寄せられる。
「ぐ……なぁ、エルト! 答えてくれ! どうして、どうしてこんなことをするんだ!!」
「……」
「エルト!!」
アルに覆いかぶさるようにナイフを振り下ろすエルト。そのナイフの向こう側には、エルトの空色の瞳があった。
アルは必死に腕を抑えながら、エルトに問いかける。
それに対し、今まで通り無反応を貫くエルトだったが……アルの赤瞳と交錯した空色の瞳が、不意に大きく揺れた。
「……いいよ、全部、教えてあげる」
そして、固く結ばれた口が、小さく開いた。
「……わたしは、貴方の敵」
「敵……?」
「そう。クローリー軍の内情を探るために送られた、ただの刺客」
「そんな……」
エルトから告げられたその言葉に、アルの瞳は大きく見開かれた。
「嘘、だろ……?」
「嘘じゃない。初めから全部、クローリー軍に潜り込むために仕込んだこと。バレないようにアルメアに侵入して、クローリー軍の誰かに拾ってもらう、そういう筋書き」
「……」
「でも、ここまでうまくいくとは思わなかった。貴方には感謝してる。わたしを拾ってくれて、わたしを庇ってくれて、わたしを信じてくれて……貴方が図抜けたお人好しだったおかげで、わたしは簡単に任務を達成できた」
エルトの口から発せられるそのすべてに、アルは打ちのめされた。
信じられない。信じたくない。
嘘だ、嘘だと言ってくれ。
そう思うも、これらの言葉は、すべてエルト本人から告げられたもの。
今もアルを見下ろす伽藍洞の瞳が、すべて真実だと証明している。
「(伽藍洞の、瞳……)」
アルは脳裏に過った言葉を、問いかけるかどうか悩んだ。
これを聞いてしまえば、そして、アルの考える答えが返ってくれば……アルはきっと、立ち直れなくなる。
最悪の想定をし、その問いかけを喉の奥に押し込んだアルだったが……気づけば、言葉が勝手に出ていた。
「……なら、記憶喪失っていうのも、嘘、なのか……?」
「(嘘じゃないと、それは本当だと答えてくれ……そう言ってくれれば、俺は――)」
そう、祈るように、縋るようにエルトを見つめるアルだったが――返ってきた言葉は、アルを絶望の淵に叩き落とすものだった。
「――もちろん、嘘。わたしは記憶喪失なんかじゃない。むしろ、よく信じたね……都合が良すぎて、吃驚したよ」
エルトの口から突きつけられた真実に、アルは言葉を失った。
「(何だよ、それ――)」
兄妹になろうと、そう言葉を交わしたあの日を思い出し、アルは表情を歪めた。
視線の先には、未だに自身の命を奪おうと切っ先を突きつけられるナイフと、何の感情も浮かべていないエルト。その事実を拒むように、視界が滲んでゆく。
「(嬉しかったんだよ、俺は……エルト、お前を……ホントの妹みたいに思ってた……家族が、欲しかったんだ)」
あの日、今とまったく同じ伽藍洞の瞳を浮かべていた少女に対し、アルは強い親近感を抱いた。
自分と似ている少女。自分がそうなっていたかもしれない少女。そう思うと、どうしても放っておけなくて……アルは、エルトと兄妹になることを選んだ。
それはエルトの空っぽの心を埋めるためのものであったが――同時に、アルの心に空いた穴を埋めるためでもあったのだ。
当初はそのことを自覚していなかったアルだが、エルトと兄妹として過ごしていくうちに、本当に満たされていたのはアルの方だったのだと気づいた。
今まで、アルは孤独だった。
繋がりを求めていた。
家族のいないアルフレッドは、メアのことを本当の家族のように思っていた。
リーシャも、アンリも、グラニスも。数多もの思い出を重ねていくうちに、家族のように思うようになった。
けれど、その繋がりは断ち切れた。
アルフレッドがアルファストとして生まれ変わったことで、今まで積み重ねた関係性は無に帰したのだ。そして、新しい家族ができた。
それは初めてできた、正真正銘の家族で……悪くない気分だった。
母がいた。
自分に優しく、慈しむような視線を向けてくる存在。母親の作った手料理を食べるのなんて初めての経験で、アルはその味を生涯忘れることはないだろう。
父がいた。
自分に優しく、時には厳しく。父親の仕事を手伝うのなんて初めての経験で、二人で並んで斧を振るうのは嫌いじゃなかった。終わった後に褒められるのも、アルには慣れないことだった。
そんなかけがえのない繋がりは――またしても断ち切られた。
涙した。後悔した。そして憤怒した。
初めてできた血の繋がりを断ち切った、凶刃の魔神に。そして何より、二人に甘えて、その関係性に満たされ、努力を怠った自分自身に。
そしてメアたちと再会し、アルは自らの弱さと決別するため、自ら繋がりを切り捨てた。
信じてもらえるかどうかは別として、メアたちにアルの正体を告げるのは簡単だ。そうすればもう一度、昔のような関係を築くことができる。けれど、またその心地よさに甘えてしまえば、アルは一生強くなれない。
もう二度も経験した。
黒爪の獣と、凶刃の魔神。絶対的な強さの前では、大切なモノなどあっさりと消え去ってしまうことを、アルは知っていた。
だからこそ、アルは強くならなければならなかった。そうでなければ、メアの隣に立つ資格はない。メアを守ることはできない。
そう決意した――しかし、アルも人だ。
友人はできた。
仲間もできた。
かつての仲間たちと、新しい関係を築くこともできた。
けれど、アルの心にはぽっかりと穴が開いたままだった。
それは、アル本人ですら気づかない、ほんの小さな穴。仲間や友人と笑い合ったり、必死に努力を重ねたりする中で、簡単に忘れてしまうような些細なモノだ。
それでもアルは、無意識のうちにその穴を埋めようとして――エルトを求めた。
誰でもよかったわけじゃない。エルトがアルと同じ、埋められない穴を開けていた少女だったからこそ、アルは知らず知らずのうちに引き寄せられていたのだ。
実際、エルトと兄妹として過ごす日々は、アルの心の穴を埋めてくれていた。
自分にとって大切な存在。自分と同じ、かけがえのない存在。
エルトと過ごしていくうちに、アルは自分の心が満たされているのを感じた。
それは、エルトやガレオンと過ごしても、デリーたちと笑いあっても、アンリの頭を撫でても、ミルフレティアと特訓しても、メアと一緒にいても、満たされることのなかった穴で――アルはエルトを、本物の家族だと信じていた。
そして、それはエルトも同様だとも信じていた。
孤独を埋めるようにアルにぴったりと寄り添うのも。
知らない食べ物を食べて、美味しそうに頬を緩めるのも。
アルと同じ白い髪を撫でると、ほんの少し嬉しそうな表情を浮かべるのも。
アルを抱き枕にしながら、安らかに眠るのも。
アルと過ごすエルトの一挙手一投足が、空っぽだった心を満たしているのだと、そう感じていたのだ。
「(でも、全部、全部嘘だったのか……)」
今までアルに見せた表情も、とった態度も、かけた言葉も。
そのすべてが、アルを騙すための嘘だったと、エルトはそう言ったのだ。
「――」
アルの心に、エルトと出会う前よりも遥かに大きな穴が開く。
アルにとって、エルトは間違いなく家族であった。
けれど、エルトにとってアルは家族ではなかった。
それはもう、家族とは呼べないのではないか。
ことここにいたって、初めてアルは、エルトに対する感情に影が刺したのを感じた。
「(……ハッ……殺されかけたことより、嘘をつかれたことにショックを受けるなんてな……)」
殺されかけたことも、ナイフを向けられたことも、アルにとっては些細なことだった。
そんなことよりも、エルトに家族だと、兄だと思われていなかったという事実の方が、アルにとってはずっと苦痛だった。
「(殺され、かけて……)」
そこで、ふと浮かんだ疑問を、アルは溢した。
「……何で、俺を殺そうとしたんだ? さっきお前は、自分の任務は潜入して情報を得ることだって言ったよな? じゃあ、何で俺を……」
アルは自分を殺す必要性を感じず、エルトに尋ねる。
しかしその返答は、更にアルの心を締め付けるもので、
「……わたしの任務はそれだけじゃない。情報の収集、そして可能であればクローリー軍の中核メンバーを抹殺すること」
「中核……?」
「……けど、実際に見て分かった。わたしじゃ隊長格は殺せない。そこで考えた。わたしでも殺せて、中核メンバーに近い人物……その条件に丁度いいのが、貴方だった」
「……!」
そう言うエルトの瞳には、相変わらず空っぽ。
「……貴方はただの隊士でありながら、隊長格やそれに準ずる隊士たち、そしてメア・クローリーと親しげに話していた。決して無視できない関係性を築いていた。……そのくせ、実力はさして高くない」
「……」
「それに、貴方はわたしを妹と呼んで甘やかした。警戒なんてせず、いつも自然体で一緒に過ごした。当然隙だらけで、いつでも殺せると思った。だから選んだ。なのに……」
避けられた、そう続けるエルトの瞳は、アルを捉えていながらアルを見てはいなかった。
「(そう、か……エルトにとって、俺は……)」
家族だと、兄だと思われていない?
それどころではない。エルトにとって、アルは都合の良い抹殺対象でしかなかった。条件に一番合って殺しやすそうだったから抹殺対象にした。エルトがアルに抱いていた感情は、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
「……はは」
アルの口から、乾いた笑みが零れた。
それはすべてを諦めたような、すべてがどうでもよくなったような、そんな笑い声で……エルトはそれを、観念したと受け取った。
「でもいい。ホントは最初の一撃で殺すつもりだったけど……最終的に殺せば同じこと」
「……エルト」
「もう、いい? 終わらせる」
話は終わりだとばかりに、エルトは振り下ろすナイフに力を込める。
当然アルは抵抗するが、上手く力が入らない。もはや左手の感覚はないし、力を込めようにも、アルの心がそれを否定する。
そのままジリジリと押され、ついにはナイフの切っ先がアルの瞳を貫いて――その瞬間、ナイフがピタリと止まった。それまで込められていた力も、スッと抜けていく。
――まさか、俺を殺そうなんて嘘だったんじゃ。
そんな都合の良い疑問は、エルトの態度で一蹴される。
エルトはピクリと眉をひくつかせると、扉の方へと視線を向けた。
そのままジッと扉を睨み……目を伏せた。
「……残念、時間切れみたい。……今日は来ないって聞いてたのに」
「……なに、を?」
「……まぁ、いい。最低限の任務は達成した」
アルには意味の分からない言葉を吐くと、エルトは素早くアルの上から退いた。
「……エルト……」
「……じゃあ、わたしは行く……もう、二度と会うことはないと思う」
困惑するアルを余所に、エルトは窓際に寄ると、カーテンと窓を開け放った。
涼しい夜風が部屋に吹き込み、エルトの白髪を揺らす。そのまま窓枠に脚をかけ――エルトはチラリと、アルに視線を向けた。
「――」
しかし、それも一瞬。
エルトは即座に窓から自分の身を投げ出し、部屋から出ていった。
アルはそれを……見ていることしかできなかった。
立ち上がることすらできず、ただただ、地面に転がりながら。
「……エルト」
その呟きは誰にも届かず、アルは下唇を強く噛みしめた。
冷たい夜風だけが、アルの部屋を満たした。
――エルトのいない部屋は、広く閑散としているような気がした。
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感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




