Ep.37 妹のいる日常
「……これは?」
眼前にあるものが分からないのか、エルトは不思議な表情を浮かべながら眺めていた。
「これはハンバーグだよ。肉を捏ねて丸めて焼いた料理で……まぁ食ってみな。ちょ~美味いから」
「ハンバーグ……」
エルトの目の前には、ホカホカと湯気を上げるハンバーグがあった。
小さめの鉄板に盛られたそれはかなりボリューミーで、じゅうじゅうと聞いてるだけで空腹感を刺激するような音を立てている。
エルトはハンバーグの存在を知らなくとも、その音と見た目、そして立ち上る香りを吸って、ゴクリと生唾を飲み込んだ。よく聞けば、お腹からきゅ~と可愛らしい音まで鳴らしている。
「ほら、食べよう」
「うん」
隣に座るアルに促され、エルトはナイフを巧みに使ってハンバーグを切り分けた。しかしフォークは使わないようで、ナイフの先端に切り分けたハンバーグを刺し、口に運んだ。
「んむっ……!」
ハンバーグを口に放り込み、一噛みした瞬間――エルトは今までで一番大きな声を上げ、目を見開いた。
「ははは、美味いだろ?」
その初々しい反応に笑うアルの言葉は聞こえていないようで、エルトは次から次にハンバーグを口に運んでいった。まるでハムスターのようで両頬がパンパンになるまでハンバーグを詰め、もきゅもきゅと咀嚼していく。
相変わらず表情は大きく変わらず、満面の笑みとまではいかないが……それでもアルが見たこともないくらい、ご満悦な表情を浮かべていた。まるで本物のハムスターのようで、アルは微笑ましい気持ちでいっぱいになった。
そのまましばらくハンバーグを堪能し、かなりの量があったそれを平らげたエルトは、満足げな視線をアルに向けた。
「……おいしい」
「そりゃよかった。後でゴリアンヌ……この料理を作ってる人に言ってやってくれ。きっと喜ぶよ。あの人子供とか好きそうだし」
「……うん、わかった」
子供という表現に思うところがあったのか、少しばかり難しい表情を浮かべながらも頷いた。
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「――そりゃあッ!」
かなりの速度をもって放たれる袈裟斬りに対し、アルは絶妙な角度で剣を入れることで軌道を僅かにずらす。更に半歩分体を動かし、相手の攻撃を完全に避ける。
剣が空を切り、切っ先が地面に埋まる直前でどうにか勢いを殺した相手――デリーはアルの受け方を素直に称賛する。
「やるな!」
「まだまだッ!」
すかさずアルは肉薄し、デリーの顔面を捉える。
剣を肩に構え、デリーの頭を横から叩き切るように振るった。
「危ねぇ!」
瞬時に反応したデリーは上体を逸らし、その一撃をどうにか避ける。しかし木剣の刀身が鼻先を霞め、冷汗が浮かぶ。すかさず反撃を――そう思い即座に上体を起こそうとしたデリーの背筋に悪寒が走った。
「――!?」
たった今デリーの眼前を通り過ぎていった刀身が、まるで往復するように帰ってきたのだ。しかもその勢いは初撃と同等、いやそれ以上の勢いをもってデリーの鼻先を通っていった。まるで振るって戻すまでが一連の攻撃であるように流麗な動き。
もしも即座に反撃しようと上体を起こしていたら、往復する刀身に横っ面を叩かれていただろう。そのことを理解したデリーは、冷汗を浮かべながら笑った。
「本当、油断ならなくなったよなぁ! アル!」
「ハッ! 今日こそ勝ってやるよデリー!」
お互いに叫びながら、剣を打ち合わせる。
木剣ならではの鈍い打撃音を響かせながら、何度も何度も打ち合わせた。
しかし、力も体力も技術もデリーの方が上。このまま打ち合い続けていては、いずれアルの方が致命的な隙を晒して押し切られるだろう。
そう考えたアルは、次の一撃にすべてを賭けた。
「(腕の関節をしなやかに……!)」
今までの剣撃とは構え方を変えて、剛ではなく柔の一撃を意識する。
剣を脇腹に構え、まるで腕をしなやかな鞭のようにしならせながら剣を振るう。
「ッ!?」
今までの剣筋を想像しながら、アルの攻撃を防ぐつもりだったデリーは目を見開く。迫りくる一撃が先ほどまでとは桁違いの速度を伴っていることに、遅れて気づいたのだ。間に合わない……そう考えるころには、反射的に自らの剣を振るっていた。
それは、経験に裏打ちされた防衛本能。
考えるよりも早く、アルの一撃の危険性を理解したデリーの体は半ば無意識的に剣を振るい――アルの一撃を、僅かに逸らした。
「ぐっ!?」
「く……!」
しかし上手く逸らすことのできなかった剣は上に跳ね、デリーの頬を浅く切り裂く。そして僅かな血液が宙を舞う頃には……デリーは踏み込み、アルの首元に刀身を添えていた。
「……参った。俺の負けだ」
負けを悟ったアルは剣を下ろし、敗北を宣言する。
その言葉を聞き、デリーもまた剣を下ろしながら深く息を吐いた。
「ふぅーー……いやぁ、危なかったぜ。危うくまともに一撃貰うところだった。さっきも言ったが、本当油断ならなくなったよ」
「でもまだ一回も勝ててないし。今日こそ勝つつもりだったんだけどなぁ」
本気で勝つつもりだったようで、アルは悔しそうに地面にドスンと腰を下ろした。そんなアルを見ながら、デリーは豪快に笑った。
「ははは、こっちは何十年も剣士やってんだ。まだ負けてやるわけにはいかねぇなぁ」
「ちぇ」
「でも最後の一撃はマジでビビったぜ。あれを受け流せたのはあれだな、日頃隊長の剣を受けてたからだろうな。咄嗟に剣を振るうことができたんだ」
デリーはまさかアルがミルフレティア直々に《高速剣技》を教えられているとは思っていないようで、「まるで隊長の一撃みたいだったぜ。まぁ隊長に比べたら全然遅いけど」などと笑っていた。アルも誤魔化しの笑みを返しながら、自分がまだまだ《高速剣技》を身に着けられていないと実感する。
その後もしばし言葉を交わし、アルは練兵場の端に向かった。
「はい、おにぃ。おつかれ」
「ありがとう」
そう言ってアルにタオルと水を差し出すのはエルト。
アルが『輝剣』のトレーニングに参加している間、エルトは同じ練兵場内で見学をしていた。メアからの指示でアルの傍を離れるわけにもいかず、かといってトレーニングに参加させるわけにもいかず。エルトも異論はないとのことで、とりあえず見学をしてもらっていたのだ。
エルトから差し出されたタオルと水を受け取り、汗をふき取っていると……隣から野次のような言葉が飛んでくる。
「よー! 可愛い妹に労ってもらえていいなー!」
「羨ましいぞこの野郎~!」
「もっかいボコボコにしてやろうかー!」
「滅びろー!」
「うるっせぇ野郎ども! 黙って休んでろ!」
既に打ち合い訓練を終えた隊士たちの僻むような言葉を、アルはばっさり切り捨てる。ジェイドに勝って以降、『輝剣』の隊士たちはみなアルに対して分け隔てなく接するようにはなったのだが……やはり泥臭い野郎共の集まりのせいか、どうにも気安さが目立つ。
これがアルに対してだけならばいいのだが……普段汗臭い男どもで集まっているせいか、小柄で小動物チックなエルトに癒しの波動を感じ、何かと構おうとしてくるのだ。なまじエルトが無表情で嫌がる様子も見せないため、その様ははたから見ると変態に絡まれる幼女のような構図だった。
当然兄として妹を守る義務があるため、アルはエルトを野郎共から隠すように抱きかかえる。
「お前らエルトに近づくな! バカが移る」
「んだとぉ! やるかこの野郎!」
「上等だ! もう一回打ち合いだこら!」
「プッツーンきれちまったよ俺……よしお前ら! 全員でアルの野郎を分からせてやるぞ!」
「おぉ~~!!!」
「それはズルだろ!」
意気投合してアルに攻めかかろうとする隊士たちを前にして、アルの威勢は一気に削がれた。最近では一対一なら勝率も安定してきたアルだが、さすがに十数人を一気に相手にするのは勝ち目がなさすぎる。
そう思い「ぐぬぬ」と唸るアルだったが、自分の胸に抱きかかえたエルトに視線を向けると、エルトの空色の瞳と交差した。急に抱き寄せられたエルトは特に何を思っているわけでもなさそうで、平坦な表情を浮かべている――それはアルには、酷く無垢に思えて、
「よぉーし上等だコラ! 十人でも二十人でもかかってこいやぁ! エルトは俺が守る!」
エルトを守ってみせると息巻くアル。
隊士たちも乗ってくるとは思っていなかったのか、威勢のいいアルに対してどよめきが生まれる。
どちらも本気でやるつもりはない、ただのじゃれ合いにすぎないが……それでも相対する両者の間に緊張の沈黙が走る。
「……何やってんの? またバカ騒ぎして、いい加減落ち着きなよ」
両者の間に割って入ってきたのは、タオルで汗に濡れた髪を優雅に掻き上げる男、ジェイルだった。相も変わらず嫌味ったらしい表情を浮かべながらも、ジェイルはアルの隣に座り込んだ。そしてアルに向けられた流し目には、以前のような嘲るような色はなく、
「見てたよアル。デリー相手に惜しかったじゃないか。最近はデリー相手でも押せてる時間が多いし、勝つのも時間の問題じゃないか?」
まるで友人のように声をかけるジェイル。
少し前なら考えられなかった態度だが、今のアルにとっては慣れた様子だった。
アルに負けた後、ジェイルはミルフレティアにボコボコにされた。物理的にではなく、精神的に。それはもう、見ている全員が軽く引いてしまうほど、ボロカスにジェイルのことを非難したのだ。
『普段から真面目に鍛錬しないから負ける』
『いつも手を抜いているのは知っている。そのツケが回ってきた』
『自分のことをカッコいいと勘違いしてるみたいだが、今のジェイドは世界で一番ダサい』
『余裕ぶって負ける奴が一番かっこ悪い』
『才能に驕ってきた結果、自業自得』
……これでも大分オブラートに包んだ方で、実際はもっと酷い言葉をこれでもかと浴びせていた。ポキリとジェイルの心が折れる音が聞こえるくらい、いや、ボキボキボキボキとジェイルの心が複雑骨折するくらいの醜態だった。
これは後から聞いた話だが、才能に胡坐をかいて真面目にトレーニングをしないジェイルのことを、ミルフレティアは前々から嫌っていたらしい。ジェイドを更生させる良い機会……などという考えはミルフレティアにはないようで、ただただ気に入らない相手をボロカスに言っていただけのようだ。
以前似たような経験のあるアルは流石にジェイルのことは哀れに思ってしまい、何かと慰めるような言葉をかけていたら、いつの間にか友人のような関係になっていた。
ジェイルはジェイルなりにアルに敗北した事実と、ミルフレティアにかけられた心無い言葉の数々を重くとらえたようで、最近では真面目に訓練に励んでいる。キザな態度こそ変わっていないが、他人を見下すような姿勢も大きく改善されていた。
そんなジェイルの言葉に同調するように、それまでくだらない争いを繰り広げていた隊士たちも口々に言う。
「俺も見てたぜ。アル、本当に強くなったよな」
「あぁ。デリーってあれでも『輝剣』じゃあ三番目か四番目に強いだろ?」
「まぁ隊長と副隊長は別格としても、古株なだけあって相当腕は立つ方だぜ?」
「そのデリーとまぁまぁいい勝負をしてる時点で、『輝剣』でもトップレベルじゃないか?」
「嘘だろ! うかうかしてらんねぇ!」
「気づいたら俺らも負けること増えてきたしなぁ」
先ほどまでの熱量はどこへやら、隊士たちは最近のアルの成長具合を振り返りながら溢した。
ジェイルに勝利して以来、アルは他の隊士との打ち合いでも勝利を収めることが増え始めた。まだまだ全戦全勝とまではいかないが、勝率は半分を超えてきており、最初の頃の惨敗具合を考えれば目覚ましい成長だ。
そんなアルに対し、負けられないとばかりに他の隊士たちもモチベーションが向上し、最近の鍛錬は今まで以上に熱が籠っていた。これにはミルフレティアもご満悦の様子だった。
「……おにぃ、汗臭い」
ふと、自身の胸元から抗議の声が届く。
そういえばエルトを抱き寄せたままだったことを忘れていたアルは「すまん」と謝りエルトを解放した。
「……仲、いいね」
「そうかぁ? ……まぁちょっと前に比べたら喋ることも増えたけど……打ち解けてみるとバカばっかだぞ?」
「聞こえてんぞ」
「そうだー、生意気だぞー」
「うるせー」
エルトの感想を素直に認めるのも何となく癪で、悪態をついたアルに四方からヤジが飛んでくる。それらを一蹴し、アルはエルトの華奢な手を掴んで告げた。
「アイツらに何かされそうになったら言えよ? ノコノコ着いてっちゃダメだからな?」
「……うん、わかった」
まるで不審者を見るような視線で隊士たちを見ながら、アルは心配そうな声音で言う。
それは悪漢から守るため、妹を心配する兄に他ならなかった。
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「痒いところはありませんか~?」
「ん……大丈夫」
3m四方程度の空間に、アルの呑気な声が響いた。
ここはバスルーム。
共用の浴場とは違い、多くても三人程度しか入ることができない個室だ。
本来はメアが使うために城内に何部屋か設置されたものの、ほとんど使われてこなかった部屋。しかし、メアの要望で可能な限りエルトと一緒にいるように言われたアルは今までの浴場に入ることはできず、個室のシャワールームを借りていた。
言うまでもないことだが、お互い生まれたままの姿でも思うところはない。アルはエルトのことを本当の妹だと思って接しているし、体付きも幼くそういう対象としては見れなかった。当の本人もまったく恥じらいはないようで、躊躇なく裸体を晒していた。
アルは力を入れすぎないよう、絶妙な力加減を意識してエルトの頭を洗っていく。石鹸を泡立て、髪と頭皮の汚れをこそぎ取るように指を使っていった。
「んっ……」
度々気持ちよさげな声を上げるエルトが面白くて、アルは洗浄のついでにグリグリと頭皮のマッサージを行っていた。
「んじゃあ、流すから目をつむって」
「うん……」
アルの言葉に従い、きゅっと目をつむるエルト。
アルはそんなエルトに対し、出水の魔道具を使ってお湯をかけていった。エルトの白い髪に付着した泡を落とすように、丁寧に流していく。
「よし、綺麗になったな。じゃあ先に湯船に入っててくれ」
「……今日は私が洗ってあげる」
エルトの全身を洗い終わり、先に湯船に入っているよう促すアルだったが、エルトはいつものようにアルの言葉には従わなかった。
普段エルトの体はアルが洗い、アル自身の体は自分で洗っていたのだが……今日はどういう風の吹き回しか、エルトがアルの体を洗ってくれるらしい。
珍しいなとは思いつつ、特に断る理由もないため二人は場所を交換した。
「じゃあよろしく頼むよ」
「うん」
アルはエルトの前に座り、ゆったりとリラックスした。
「(そういえば誰かに体を洗って貰うのなんて久しぶりだな……)」
それこそ、メアと一緒に入浴して洗いっこをした時以来――そんなことを考えていたアルの背中に、妙に柔らかい感触が伝わる。
「(……? なんだこれ、タオルじゃない……ちょっと温かくて、すべすべしてて、変なしこりみたいな――)」
そこまで考えて、アルは驚愕と共に振り返った。
「……?」
そこには白い泡を全身に塗りたくり、アルの背中に自身の体をこすり付けるエルトの姿が。
急に振り返ったアルを見て、エルトは不思議そうな表情を浮かべている。
「どうしたの……?」
「どうしたのじゃなくて! エルト、お前何で洗ってんだ!?」
「何って……わたし?」
突然のエルトの奇行に慌てふためくアルだったが、当の本人は何が悪いのか分かっていないようで、無表情の奥に疑問符を浮かべている。
「タオルを使うんだよ! ってか俺がエルトの体を洗う時もタオル使ってるだろ!?」
「……でも、自分の体を使ったほうが肌に優しいって」
「誰がそんなこと!?」
「ミーシャ」
「あの阿呆!」
純真なエルトに余計なことを教えた阿呆を思い浮かべながら、アルは声を荒げた。
いくらエルトをそういう目で見ていないとはいえ、こうも肌を密着させて擦り付けられては意識せざるを得ない。そしてそれ以上に、何も理解していないエルトにそういう感情を抱くのは、興奮よりも罪悪感の方が大きく上回った。
「……違った?」
「……いいか、エルト。そういうのは大切な人にやるんだ。むやみやたらにやっちゃいけない」
「……おにぃは大切な人でしょ?」
「うっ……」
当たり前のことのように言ってのけるエルトの純粋さに、アルは言葉を詰まらせる。まるで自分が穢れているかのような感覚に陥り、アルはスッと目をそらして、
「……そういう大切な人じゃなくて、その……恋人とか、そういう関係の大切な人の話でな?」
「……?」
まだ幼いであろうエルトはアルの言う大切な人の違いを理解できないようで、小さく首を傾げた。
しかし、これ以上深堀りするのはアルの精神に良くないため、誤魔化すように告げる。
「とにかく、俺を洗う時はタオルを使ってくれ」
「……? うん、わかった」
エルトとしてもアルの要望を無碍にする理由もないため、素直に頷いてタオルを手に取る。そんなエルトを見て、アルは安堵するように息を吐いた。
その後は何事もなく、全身を洗ってもらったアルはエルトとともに湯船に入った。
アルの胸に頭を預けるように座るエルトは、体に染みわたるお湯加減を堪能するように息を吐いた。頬は僅かに上気し、口元は僅かに吊り上がっている。どうやらエルトも入浴を気に入ったようで、毎度ご満悦な様子を見せていた。
それからしばらく湯船に浸かり、上がった二人。
アルはエルトを膝に座らせ、送風の魔道具で髪を乾かしていた。
「ずいぶん綺麗になったよな」
「そう……?」
水気もなくなり、完全に乾いたエルトの白髪は簡単に手を梳かせるほどにサラサラで、艶を帯びていた。
「(最初は酷かったからな……)」
アルメア城にやってきた当初のエルトの髪は痛みきっており、枝のように固く、くすんだ色をしていた。それから毎日毎日端正に髪を洗ってきた結果、どうにか当初の痛みは回復し、大分マシになったのだ。
ただ髪を洗わなかっただけでは済まない傷み具合に、エルトがここにくるまでどんな生活をしていたのか……アルはあまり想像したくなかった。
「ん……どうしたの?」
気づけばアルは、エルトの髪を慈しむように撫でていた。
僅かに目を細めつつ視線を向けるエルトに、
「いいや、何でもない」
アルは気にする必要はないと、笑顔を返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「狭い」
「何言ってんだ、十分だろ」
ベッドの上に寝転がりながら不満げな表情を浮かべるミーシャに、アルはジト目を向けた。
広々としたベッドの上にはアル、エルト、ミーシャの順で並んで寝ており、いわゆる川の字になっていた。それでも寝返りを打つことができるくらいには余裕があり、相変わらずベッドの大きさに驚いていたのだが……、
「ゴロゴロできない」
「すんな」
脚をぶらぶらさせたり、ゴロゴロ転がったりと、寝転がりながら身動きを取ることが多いミーシャからすれば不満らしい。実際二回転くらいするとベッドから転がり落ちるであろう広さのため、普段のように自由を満喫することができないのが嫌なのだろう。
しかし、アルとしてはその普段の行動ですら不満なわけで、
「普段から俺にぶつかってんだよ。もう少し落ち着きを持てって」
「えー……」
隣で寝ているアルに衝突することは少なくない。寝そべっているだけならともかく、眠りについている時にぶつかられて睡眠を妨害されると怒りも湧いてくるというものだ。
「嫌なら自分の部屋に帰ればいいだろ……」
「……メンドイ」
「なら大人しくしてろ」
「……ん」
それでも自分の部屋に帰る方が面倒くさいと思ったのか、ミーシャは渋々納得したようだ。
「ほら、あの阿呆はおいといて。寝ようかエルト」
「うん……」
ベッドの中央に寝そべり、眠た気に瞼を伏せるエルト。少しばかりボーッとした様子でミーシャに視線を向けると、何を思ったのかアルの方へ体を寄せてきた。そのままアルの腕を掴み、まるで抱き枕のように抱きしめた。
「……これなら広い」
どうやら今のアルとミーシャの会話を聞いて、ミーシャのスペースを広げてあげようと思ったらしい。確かに中央にいるエルトがアルに体を寄せているため、ベッドの半分ほどのスペースが開いている。
アルがエルトの優しさに癒されているその横で、ミーシャは自分のスペースが広がったことにご満悦のようで、
「エルトは優しいな。でもあんな阿呆に気を遣わなくていいんだぞ?」
「……そう? でも、わたしもこっちのほうがいいから」
「……そうか」
そう言ってアルの腕をぎょっと抱き寄せるエルトに、アルはもう何も言えなかった。
「おやすみ、エルト」
「うん……おやすみ、おにぃ……」
呟くように言うと、エルトは小さな寝息をたてながら眠りについた。
そんなエルトの様子を見ながらアルは、
「(ウチの妹は天使だ……)」
そんなことを思いながら、意識を手放した。




