Ep.36 密談
「――どう思われますか」
至って冷静に、冷淡に放たれた問い。
それを投げられた張本人は、静かに目を伏せる。それは問いの意味が分からない……わけではない。分かったうえで、結論さえ出ている。だからこそ、それを口にするのが憚られて、口を噤んでしまったのだ。
そんな主の様子を見たもう一人の少女は、まるで主の言葉を代弁するように言ってのける。
「……冷静に考えれば、間者の類でしょうね」
「……私も同意見です」
問いかけた女性もまた少女の見解と同じ意見のようで、同意する様子を見せる。
この場にいるのは三人……そのうち二人が同じ結論に至り、残るもう一人も口を開かざるを得なかった。
「……分かってるよ。ボクも……その可能性が高いと思う」
苦々しい表情を浮かべながら、最後の一人も同意した。
あまり人を疑うことを好まない彼女をもってしても――今回ばかりは、疑わざるを得ない状況だった。
「それではメア様、どうされますか?」
「……それは、エルトちゃんをこのままウチに置いておくのか、ってこと?」
「はい、その通りです」
指示を仰ぐような言葉に少女――メア・クローリーは確かめるように聞き直す。
話題に上がるのはついこの間、アルが連れ帰ってきた一人の少女について。
アルによってエルトと名付けられたその少女は現在療養中だ。アルがエルトを抱えて帰ってきた時は、その外傷からひとまずアルメア城で休ませることを優先した。しかし症状が回復に向かっている現在、その処遇について話し合わなければならない。
「彼女をこのまま自由にさせておくのは危険かと」
「……でも、スパイだっていう証拠もないでしょ?」
「はい。ですが、客観的に見てその可能性が高いのは、メア様も同意したはずです」
「そうだけど……彼女は記憶が」
「その話はアル様からも聞きましたが……正直、疑わざるを得ないですね」
エルトを敵のスパイだと断定する女性――リーシャ・セーロスの言葉に、難色を示すメア。
しかしリーシャはそんな主の反応にも臆さず、自身の見解を述べる。
「自身の身の上を話さず、かつ同情を誘うことができる。うまくいけばそのまま取り入ることもできるかもしれない……記憶喪失とは、随分と都合のいい言い訳にしか聞こえません。少なくとも、スパイにとってこれ以上に有利に物事を進められる状況はないですね」
「リーシャ、そんな言い方……」
「彼女の怪我の状況は、ミーシャから聞きました。生憎あのバカは詳しく見ずに回復させたようですが、少なくとも記憶に障害が出るような傷はなかったと」
「……でも、ミーシャの勘違いって可能性もあるでしょ?」
「はい。その可能性は大いにあります。アレのすることなので」
「でしょう? それに、アルくんだって――」
「……アル様は、優しいですから」
エルトに以前の記憶がないことは、アルから聞いているし、エルト本人にも確認した。少なくともメアの視点では嘘をついているように見えなかったし、アルもエルトが記憶を失っていることを疑ってはいなかった。
しかし――いや、だからこそ、リーシャは警戒をせざるを得なかった。
脳裏に浮かべるのは、ややぎこちなく、しかし確かに兄妹として接するアルとエルトの姿。その様子は非常に微笑ましく、共に見ていたメアも和んでいた。
「(メア様も、アル様も、優しい……だからこそ)」
二人は完全にとは言わないまでも、エルトのことを信じ受け入れている様子だった。
だからこそ、リーシャまでもがそっち側に行くことはできなかった。リーシャとて、エルトと相対して彼女が嘘をついているようには思えなかった。アルとエルトのやり取りを見て、信じてしまいそうになった……それこそが、リーシャにとっては恐ろしかった。
こうもあっさりと、エルトのことを信じていいものか。
そもそも、これは信じているのか……信じさせられているのではないか。
リーシャはメアのことも、アルのことも信頼している。
だからこそ――二人への信頼を利用し、その信頼をエルトにも向けさせようとしているのではないか。
クローリー軍にはお人好しが多い。
それはメアの気質はもちろん、入隊試練の選考基準にも人格を含んでいることもある。
それ故に、リーシャは人一倍警戒をしなければならなかった。
メアは魔帝だ。取り入ろうとする者も、敵対する者も多い。特にここ百年と少しの間に急速に成り上がっていったメアを敵視する有力者たちは山のようにいる。
リーシャは自身の属するクローリー軍は、他の魔帝軍と比較しても引けを取らない……どころか、魔帝軍の中でもトップレベルだと自負している。メア本人はもちろん、幹部や所属する隊士たちの練度も高い。正面きっての戦いなら早々に負けることはないとも思っているし、他の勢力から見てもそうだろう。故に、メアは次期魔神候補の一人と称されているのだ。
だからこそ、突くなら力ではなく精神面。
お人好しのクローリー軍に潜り込み、籠絡していく。そういった手段を取ってくる敵の存在は、常に警戒していた。
エルトを信じようとするメアの精神性は美徳だと思うし、変わってほしくないとも思っている。
そのためにリーシャがいるのだ。疑うのはリーシャの役目で、だからこそ、メアの意見にも引くわけにはいかなかった。
そして、エルトに警戒を示す者は、この場にもう一人。
「ここ数週間のアルメアへの入場記録を精査しましたが、エルトさんらしき存在は確認できませんでした。念のため門兵たちへもエルトさんに似た外見の人を見たことがあるか聞き取りを行いましたが、該当する人物の目撃情報はなく……」
たった今述べたデータが記されているであろう用紙を持ちながら、そう告げる少女はセラ・アスタロト。
長らく秘書兼参謀の役目から遠ざかっていたセラだったが、つい先日復帰していた。何があったのかは未だに聞けていないが、彼女の中で踏ん切りがついたようで、今ではテキパキと働いている。
「もちろんそれ以前にアルメアへやってきていた可能性もありますが……住民や隊士たちにも聞き取りをしましたが、誰もエルトさんを見たことはないと。大前提、彼女がアルメアの住民でないことは……説明するまでもありませんね」
「……」
「門を通らずに入ったとしか思えません……そしてその場合、間者であろうとなかろうと、犯罪者であることは変わりません。いずれにせよ素直に受け入れるわけにはいかないかと」
セラは用紙を見ながら、淡々と告げた。
セラとて心情的にはメア寄りだ。
しかし、参謀という立場である以上、私情を挟むわけにはいかなかった。そして、集めたデータを鑑みるに、エルトが怪しいという結論を覆すことはできず。できるだけ感情を表に出さないよう、努めて冷静に発言していた。
「メア様の膝元であるアルメアに不正入場し、わざわざ一般人が通らないような裏路地で倒れる……正直、メア様の懐に潜り込むための策としか思えません」
「……でも、傷は? 放っておいたら死んじゃうかもしれないくらいの傷だったんだよ?」
「相手によってはそれくらいやりかねません。……言い方は悪いですが、恐らく捨て駒のような形で送り込んだのでしょう。上手くいけば儲けもの、程度に」
「そんなの……。じゃあ、目的は? ボクを狙って?」
「それこそ考えたらキリがありません。特定の誰かの暗殺の可能性もあれば、クローリー軍の内部情報を盗むためである可能性もあります。ただでさえもう時期”逢魔祭”が始まりますし、敵の目的を絞り込むのは現実的ではないかと」
エルトを信じたいメア。
心情的にも客観的にも否定的なリーシャ。
心情的には信じたいが、客観的には擁護できないセラ。
三人それぞれの思いが飛び交い、結論は出ずにいた。
「……じゃあ、もうしばらく様子を見るっていうのは?」
メアの提案に、二人は僅かに難色を示した。
「エルトちゃんには、極力アルくんの傍にいてもらうようにする。アルくんの傍にはミーシャちゃんがいることも多いし、いざとなれば対処はできるでしょ?」
「ですが……シャワーの際など、常に一緒にいられるわけではないのでは?」
「個室のバスルームがいくつかあったよね? しばらくはそこを使ってもらうようにする」
どうやらメアがエルトを信じる意志は固いようで、アルやミーシャと極力一緒に行動してもらうことで様子見しようと提案する。リーシャの疑問に対しても、元々はメアのために作られたバスルームを利用する形で納得させる。
「……分かりました。しばらくは監視をつける、ということで手を打ちましょう。セラ様も、それでよろしいですか?」
「はい。僕も良いと思いますよ。何かあっても、ミーシャさんなら対処は容易いでしょうし」
メアが折れないということを理解した二人は、しばし警戒するということで手を打った。拾ってきたアルが面倒を見るのは当然として、そのアルの部屋にはミーシャが入り浸っていることも二人からすれば納得する要因の一つとなった。
そうして結論が出ると、メアは唐突に言葉を発した。
向けられる先には何もなく、ただただ虚空が広がっている。
「クロロ、いる?」
「――ハイ」
瞬間、空間が収縮するように歪み、漆黒が出現する。
滲む液体のようなそれは徐々に形を成していき……外套を纏った”ヒト”に変化した。
しかし、その外見は異様の一言。
人の形を成しているだけの、ただの漆黒だった。
外套の中には何も着ていない。それどころか、人の皮膚すらもなかった。腹も、胸も、脚も、手も、顔も。そのすべてが真っ黒に染まった、ただひたすらの漆黒。
人であれば顔部にあたる部分には口などない。にもかかわらず、どこからともなく言葉を発していた。その声はまるでノイズがかかっているかのように聞き取りにくく、男の声か女の声かも分からなかった。
――否、そもそもソレに性別などは存在しなかった。
ドッペルゲンガー。
身長も体格も、何もかもを自在に変形させられる影の存在。性別という概念自体がない、ただそこにいるだけの存在。本来戦闘能力を持たないそれはしかし、クローリー軍において重要な役職に就いていた。
隠密部隊『朧』隊長、クロロ。
普段は闇に潜み、世界の影として存在しているその存在こそが、クローリー軍において隠密行為の一切を担う存在だった。
「クロロ、エルトちゃんについて調べてくれる? それと、エルトちゃんを送り込んだ可能性のある有力者についても」
メアとて、こんな指示は出したくはない。
しかしメアは魔帝で、クローリー軍の長だ。私情で仲間たちを危機に晒すのは、どうしても避けなければいけなかった。
エルトをここに留まらせることはできた。しかし、そこまで。
万が一エルトが間者である可能性も考慮して行動しなければならない。
それはいくら楽観的なメアでも理解していた。
「……承知シマシタ」
メアの指示を受け、クロロは再び時空の歪みの中に消えていった。
「……何もないといいんだけど」
メアは背もたれに体を預け、そうこぼした。
何も起こらず、平穏な生活が続いてほしいと、そう願って。
気ままに人物紹介
【クロロ】
クローリー軍の隠密部隊『朧』の大隊長。
全身真っ黒のドッペルゲンガー。これまた漆黒の外套を羽織っている。
性別はない。ノイズがかった声をしている。どこから声を発しているのかは謎。
一見恐ろしい見た目をしているが、中身は意外と愉快という噂が。
任務の時は仮面をしている。
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