Ep.31 ミルフレティア・クーハの独白
第一章エピローグのようなものです。
――初めは、ただただ憎たらしかった。
『ミル、この前話した子だけど……ミルのところに配属させることになったよ~』
メアが大怪我を負った男を助けたという話は、軍の中でも話題になっていた。
なんでもメアがその男を城へ運ぶ様子を見た隊士たちがいたようで、見るも無残な状態だったらしい。
そこまではいい。
怪我人を放っておけないのはミルフレティアとて同じだし、そんな高潔で優しいところをも尊敬している。怪我人が助けられ、順調に回復し、礼をもって去る。そんな、とりとめもない日常の一幕だったならば、ミルフレティアもさして気にしなかっただろう。
そんなミルフレティアが明確にその怪我人を認識したのは、用事があってメアの下を訪ねた時だった。
用事も片付き、軽い雑談の中で告げられた何気ない言葉。
『数日前に大怪我した男の子、知ってる?』
『えぇ……メア様が発見したって聞きました』
『そうなんだよ~、あの時はホントびっくりしちゃった。それでその子なんだけど、ウチで面倒見ることになったんだ~』
『――』
小さい口にビスケットを運びながら、何気なく呟かれた言葉。
それを聞いて、ミルフレティアの心がざわついた。
『それは――入隊試験もせずに、ということですか?』
『そだよ』
『……リーシャさんは、何も言わなかったのですか?』
『うん、リーシャも賛成だって』
馬鹿な、という思いがミルフレティアの中に広がる。
常に厳格で規律を重んじ、メア以上にメアの体裁を気にするリーシャが、そんな特例を許すとは。にわかには信じがたいが、他でもないメアが言うのなら事実なのだろう。
クローリー軍は今や、名実ともに魔界で頂点に近い位置に君臨している。
それはメアが魔帝という地位にいることもさることながら――その魔帝の中でも、時期魔神候補の一人と称されていることが大きい。
いずれ魔神になり得る存在の配下。
その事実は魔界において特別な意味を持つ。少なくとも、年々応募者が増えていくにも関わらず、その合格率は低下していくくらいには。ただでさえ厳しい入隊試験は、年を追うごとにリーシャによって厳格化されていき、今では合格率0.01%未満と言われている。
そんな難関を突破する猛者たちは、いずれも確固たる覚悟と折れない強い意志、そして弛まぬ努力の果てに”クローリー軍所属”という肩書を手にしているのだ。
当然ながらミルフレティアも、血の滲むような努力と鍛錬を経て今の立場にいる。
――私には、才能がなかったから。
ミルフレティアは、何の変哲もない村娘だった。
少しばかり人と関わるのが苦手で、内向的な少女。外で遊ぶのは好きではなかったし、当たり前だが剣なんて持ったこともなかった。
そんな少女が剣を持った理由は、唐突に訪れた。
ある日山菜を採るため、山に向かったミルフレティア。しかしその日は目当ての山菜が見当たらず、少しばかり深く潜ってしまった。そこは魔獣の群生地で、親からは絶対に立ち入るなと口を酸っぱくして言われた禁足地。
当時その意味を理解しきっていなかったミルフレティアは、軽い気持ちで足を踏み入れてしまった。
そんな少女を待っていたのは――数えるのも億劫になるほどの、魔獣の群れだった。
脚が震えた。涙が零れた。恐怖で全身が硬直し、ただただ小さな悲鳴を漏らすことしかできなかった。
小さくて無力な娘。魔獣たちの目にはミルフレティアは餌にしか見えておらず、警戒などせず殺到した。
――そんな少女を救ったのは、小さな集団だった。
雷光を瞬かせ、一瞬のうちに周囲の魔獣を狩りつくす漆黒の少女。
大きな鎌を振り回し、少女が取り逃した魔獣を的確に処理するメイド服の女性。
魔獣を結界の中に閉じ込め、その結界を圧縮することで圧死させる小柄な少女。
色とりどりの魔法を展開し、自由自在に操る老師。
そして、何より目を惹かれたのは――流れるような動きで魔獣たちを斬り刻む、漆黒の剣士だった。
ゆったりとした着流しを纏うその青年は、たった一振りの剣で誰よりも多くの魔獣を狩っていた。無駄のない動きで次々に駆逐していくその姿は、一種の舞のようで、ミルフレティアの視線を釘づけにしていた。
その日、ミルフレティアは決意した。
必ず彼らの仲間になると。必ず、あの青年のような剣士になると。
ミルフレティアの行動は速かった。
次の日には枝を持ち、脳裏に焼き付いて離れない剣士の動きを模倣した。
始めは何もかも上手くいかなかった。
すぐに息はあがるし、脚は小鹿のように震えた。初めて木剣を持った時にはその重さに耐え切れず、筋力をつけることから始めた。当然上手く振るえず、何度もその辺にぶつけたり、自分にぶつけることもあった。
少女に感化されたのか近所の少年も剣を振るい始めて、瞬く間に少女を追い抜いて強くなっていったこともあった。
自分には才能がないのだと、ありありと感じさせられた。
それでも、諦めることだけはしなかった。
あの日見た少女が魔王だと知った時は、その壁の高さに折れそうになった。
どうやっても漆黒の剣士のようにはいかず、細身の体格を活かした速度重視の剣技に切り替えた時は、苦渋の決断だった。
それでも少女は、剣を振り続けた。
雨の日も、雪の日も、嵐の日も。
風邪を引いた時も、筋肉痛で体が動かない時も、疲労でふらふらになった時も。
ミルフレティアはひたすら剣を振り続けた。
一年経って何も変わらず。
三年経って僅かに進歩したような気がして。
五年経って剣を振るうのが苦ではなくなり。
十年経ってあの日の魔獣を倒せるようになり。
二十年経って修行の旅に出て。
三十年経って《瞬速の剣士》と呼ばれるようになった。
四十年経ってメアが魔帝になったと知り。
五十年経って――ミルフレティアは、クローリー軍への挑戦を決意した。
過酷な試験だった。
それなりに剣の腕を磨いてきたと自負していたミルフレティアでさえ、ギリギリでの合格だった。全身血塗れになりながらも、掴み取った合格に人生で最大の達成感を覚えた。数十年の努力が報われたような気がして、自分の歩いてきた道は正しかったのだと思えて。
その日、ミルフレティアは初めて”努力”の価値を知った。
それからも変わらず、否、今まで以上に努力を続け、気づけば騎士大隊の隊長を任せられるまでになった。
人を導く立場になり、ミルフレティアは己に課していた”努力”を部下たちに強いた。もっとも、ミルフレティア自身は強要したつもりは一切なかったが。彼女にとって”努力”とはするのが当たり前のもので、それがメアの部下という立場を与えられ強くなることを目指す者ならなおさらだと本気で思っていた。
あまりの苛烈さに軍を去る者も多くいたが、ミルフレティアは気にしなかった。むしろその程度の覚悟で大層な目標を語っていたのかと、軽蔑すらしていた。
強くなると語る者は多くいる。
諦めないと叫ぶ者も多くいた。
魔界で一番の剣士になると、そんな夢を語った者すらいた。
しかし、それらを声高に語る者に限って、何一つ成しえなかった。
努力をせず、鍛錬をすればすぐに音を上げ、少し大怪我を負っただけで諦める。中には食らいついた者もいたが、それも最初だけ。すぐについていけなくなり、去っていった。
――本気で強くなりたいのではなかったのか。
少なくともミルフレティアは、本気で強くなりたいと思い、願い、貫き通した。
どれだけ鍛錬が辛くても、何度死にかけようと、どれだけ自分の才能のなさに打ちひしがれようと、決して諦めず。
漆黒の剣士に憧れた。
漆黒の少女に仕えたいと願った。
その夢を叶えるためなら、どんな努力でも苦ではなかった。
けれど、世間はそうではないようで。
ミルフレティアが隊長となり、多くの夢追い人を見るようになり――失望するのに時間はかからなかった。
――その程度の思いで夢を語るな。
――その程度の覚悟で強くなりたいなどと語るな。
――お前の本性を見せてみろ。どうせすぐに諦める。
どれだけミルフレティアがそう思っていても、大隊長という立場がそれを許さなかった。
『ミル、最近少しやりすぎじゃない?』
過去に類を見ない脱退者を出し、隊士たちからもやっかみを受けていた頃。
ミルフレティアの下へ訪れたメアに、そう告げられた。
『……でも、私は……』
『うん。ミルがどういう思いで厳しいトレーニングを課しているのか、ボクには分かるよ。でも、みんながみんな、君みたいに努力できるわけじゃないんだ』
『――』
その時ミルフレティアは、少なからず失意を抱いた。
ミルフレティアが努力を続けた理由、その一端を担うメアに告げられた言葉は、ともすればミルフレティアの努力を否定する意味にもなるのだから。
だが、それ以上に。
ミルフレティアの胸には、ある種納得と呼べる感情が、ストンと落ちたのを感じた。
――あぁ、そうか。やっぱり……私が、おかしかったんだ。
それは他でもないメアに言われたからこそ、すんなり受け入れられた事実。
その日以来、ミルフレティアは自身と同様の努力を他人に強いることを辞めた。
それはすなわち――他人に期待するのを辞めたということと同義でもあり。
自身の中に高く聳え立つハードルを、低く低く見積もり始めた。
『輝剣』のトレーニングは今までとは比べものにならないくらい優しくなり、隊士たちへの苛烈な態度も鳴りを潜めた。
ミルフレティアの中に新しく設けられた、最低限のハードルを超えた者は認めるようになった。
そして努力を怠る者――最低限のハードルすら越えられないような惰弱な者には、より厳しく接するようにもなった。
そうして表面上は平和が訪れ、ミルフレティアが一人で自主トレーニングをするようになって――十数年。
アルファスト・オーセインという男の入隊に、大きく心がざわついた。
偶然メアに救われたその少年は、クローリー軍への入隊を志願したとのこと。それをメアとリーシャが了承し、正式に入隊が決まったのだ。更には城内に部屋を与えられ、専属のメイドまで付けられるらしい。
途轍もない好待遇。
何の努力もせず、幸運に恵まれただけで他の隊士たちよりも優遇されている。それだけでもミルフレティアからすれば良い感情を抱けなかったというのに、
『――』
それをミルフレティアが見たのは、偶然だった。
偶然廊下を歩いていたところ、メアの声が聞こえてきた。せっかくなら挨拶でも……そう思って声のする方へ歩いていけば、そこでメアと談笑をしていたのは、一人の少年。
『白髪赤目の見覚えのない少年……』
それはアルファスト・オーセインという少年の特徴そっくりだった。
またまたメアに助けられただけの男が、メアと、親し気に会話をしている。
その事実が、ミルフレティアの腹の奥底に溜まったドス黒い感情を刺激した。
努力の価値を知った。
けれど、それは他人と共有できないものだとも知った。
だから、せめて最低限の努力をする者には敬意を示そうと、
『……そう思った矢先にこれか』
ミルフレティアのアルへの感情は、憎しみ一色に塗りつぶされた。
『丁度いい』
アルが自分と同じ部隊に配属されるというのは、今思えば丁度良かったと、ミルフレティアは僅かに口元を歪めた。
『私が――本性を曝け出してあげる』
そうして迎えたアルの初訓練は――はっきり言って、想像を遥かに超えるほど最低最悪のものだった。
『輝剣』の中で最も体力のないマッキンよりも、遥かに劣る持久力。
情けなく腰の引けた、素振りとも呼べない素振り。
己の疲労を律することもできず、ことあるごとに地面に膝をつき。
隊士たちとの打ち合いでは、誰一人にも勝つことができず。
『弱い、弱すぎる。それ以上に……情けない』
もしかしたらメアが贔屓するほどに強いのでは? そんな考えが浮かばなかったかと言えばウソになる。一見するとただの弱者に思えるが、本当の実力を隠しているのでは?
そんな疑問も、アルの醜態ぶりを見れば綺麗さっぱり吹き飛んだ。
間違いない。この男は、最低最悪の弱者だ。
もはや様子見する必要もなくなり、ミルフレティアはその男を排除することに決めた。
クローリー軍に属することも、この場にいることも、剣を持つことすら烏滸がましい。
今すぐにでも排除してやりたいと、そんな苛烈な感情が表に出過ぎたのか、思わず真剣での立ち合いを提案してしまった。
『……まぁいい。こんな弱者、手加減するのは容易』
殺さない程度に痛めつける。
そうすればこの男は情けなく逃げ去るだろう。そう確信し、ミルフレティアは立ち合いを始めた。
アルに手加減されたと理解した時には、頭が沸騰したかと思った。
惰弱で脆弱なだけではなく、己の弱さすら理解していないというのか。
努力をしていないというレベルではない。努力をするためのスタートラインにすら、この男は立っていない。
思わず力が籠り、やりすぎてしまった。殺してはいないものの、いっそ死んだ方がマシだと思えるほどの惨状。
ミルフレティアにとって意外だったのは、そんな状況においてなお、アルは降参を宣言することも、尻尾を巻いて逃げ去ることもしなかったこと。むしろアルは、ミルフレティアの剣から一瞬たりとも目を離さないとばかりに目を背けなかった。
そんな態度が、ミルフレティアの心を逆撫でした。
今更弱さを受け入れて、今更スタートラインに立って、どうするというのか。人は簡単に変わらない。ことここにいたって決意したところで、そんなものは薄っぺらい仮初の覚悟だ。
――いいよ、分かった。これからお前の性根を、ゆっくりと曝け出してあげる。
そのまやかしの覚悟が、いつまで続くのか見ものだ。
そんなことを思いながら、ミルフレティアは意識を失ったアルを見下ろした。
それからミルフレティアは、アルに過酷なトレーニングを強いた。ミルフレティアが隊長になったばかりの頃に、隊士たちに課していたかつてのトレーニングを。
歴戦の剣士でも泣いて逃げ出したような訓練に――アルは、必死に食らいついた。
傷つきはする。倒れもする。全身がボロボロになり、どれだけ限界を迎えようと、決して諦めることだけはしなかった。
――偽物だ。偽物に決まってる。
強くならなきゃいけないと、そう叫びながら全力で立ち向かう少年の真っ直ぐな瞳を見て、ミルフレティアの心がざわついた。それを吹き飛ばすように、最後の立ち合いに力を入れすぎたことは一度や二度じゃない。
それでもアルは、何度打ちのめされようと、何度打ちひしがれようと、その度に立ち上がり、剣を振るい続けた。
弱さを受け入れ、不条理を跳ねのけ、ただひたすらに強くなるために――それは、かつての自分を見ているようで、ミルフレティアは何度も何度も心がざわつくのを感じた。
それは、ある日のことだった。
胸のざわめきを振り払おうと、朝早くに練兵場に向かった時のこと。たまにこうして剣を振るミルフレティア意外には、誰も使わないような時間帯の練兵場。そこには、先客がいた。
『……』
朝練とは思えないほどに過酷なそれを、アルは一心不乱にこなしていた。
――たまたまだ。
そう思い、ミルフレティアは次の日も練兵場に足を運んだ。次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。毎日毎日通った練兵場には、必ずアルがいた。
『何で……』
ミルフレティアは知っている。
アルがミルフレティアに打ちのめされた後、毎日のように自主トレーニングをしていることを。
ミルフレティアは知っている。
例え休暇日だろうと、休まず努力を続けるアルの姿を。
ミルフレティアは知って、しまった。
日々のトレーニングに加え、毎朝欠かさず取り組む、アルの努力を。
『何で、そこまで……』
それは、ミルフレティアが溢した疑問で……かつては自分に対して向けられていた疑問だった。
なぜそこまで努力を続けるのか、なぜそこまで苛烈に打ち込むのか。理解できない、ついていけないと、ミルフレティアは何度も言われ続けた。
ミルフレティア自身は変わっていないと思っていた。変わったのはあくまで周囲に向ける感情だけで、ミルフレティアは何一つ変わっていないと。
しかし、それは間違いだった。誰にも理解されず、誰にも期待を向けなくなったミルフレティアは……知らず知らずのうちに、自分に対しても期待しなくなっていた。
『まさか……貴方に気づかされるとは、ね』
恨めしいと思っていたはずのアルの、努力の姿。
それがミルフレティアの目には、かつての自分と重なって見えるようになっていた。
他人に対する期待を止め、諦めるにつれ、無意識のうちに乖離してしまっていた自分の心と体。
期待してはいけない。
自分は他人とは違うのだ。
だから――。
そう思い、胸の内に燻る気持ちを押し殺して剣を振るい続けた。
そうしていつしか、押し殺していたはずの気持ちが、ミルフレティアの中から薄れていってしまった。まるで存在してはいけない者のように、ミルフレティアから離れていく、もう一人の自分として。
そして、気づかぬうちに自分に対する期待すら抱かなくなり、喪失感を誤魔化すように剣を振るう日々が続いていたのだ。
けれど――アルを見て、彼の努力を知って。
ミルフレティアから離反していたはずの、いつからか手放してしまったはずの気持ちが、再び戻ってくる。久しく離れていた、見失っていたもう一人の自分が重なるように。
心と体が合致し、冷え切っていたミルフレティアの心に小さな火種が燻った。
『――最後にああやって、ただ強くなるためだけに剣を振るったのって……いつだったっけ……』
アルの振るう剣を見て、ミルフレティアは自身の胸に手を添える。
『懐かしいな……私も、昔は……』
気づけば、胸のざわめきは消えていた。
『……アルファスト、貴方は私と同じなのかもしれない。この世界でたった一人の――』
――だからこそ”期待”しよう。
その努力が結実するのを。
アルファスト・オーセインという男の努力が、覚悟が、決意が――決して折れないその意志が、証明されることを。
『その時は――』
アルファストが初めて隊士に勝利したのは、それから三日後のことだった。
ということで、ようやく『再会編』終了です。
本当はここまでまとめてプロローグにしようかと思っていたんですが、流石に長すぎるやろということで『再会編』として区切りました。プロローグだけで30話使う作品って、ねぇ……?
次回から『白影編』、始まります。
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感想・誤字報告、お待ちしております。
少しでも面白い、気になると思っていただけたら登録お願いします。でも読んでくれるだけでありがたいので最悪しなくても良いです()。
嘘です、シテクダサイ。泣いて喜びます。




