Ep.26 メアの憂鬱 / リーシャの企み
時系列的にはアルがミルフレティアとの立ち合いで死にかけ、目覚めてから一ヶ月後くらいです。
「はぁ……」
重々しいため息をつきながら、机に突っ伏すのはメア・クローリー。
この魔界において、魔帝の称号を冠する傑物。しかし今はその影もなく、だらんと脱力する彼女はどこにでもいる普通の少女に他ならなかった。
メアの傍には無数の書類が積み重なっており、見るだけで辟易するほど。
その書類の山をチラリと見たメアは、再びため息をついた。吐かれた息にあてられ、上品な万年筆がころころと転がる。
「嫌になるのも分かりますが、まだまだ終わりませんよ」
そんなメアに横から声をかけるのは、彼女の一番のメイドを自称するリーシャ。その手の中にはこれでもかというほどの書類が抱えられており、メアはそれを見てますます辟易する。
「も~ヤダ~……疲れた~」
「はいはい。ではこちらもお願いしますね」
もう耐え切れないとばかりに駄々をこねるメアだったが、リーシャは慣れたように流し、書類を机の上に置いた。ドサリと紙束とは思えないほどの音を立てるそれを見て、メアはジト目をリーシャに向けた。
「リーシャは錬金術師だったんだね。いとも簡単に机の上に書類の山を生成するなんて。凄いよ、このボクをここまで追い詰めたのは君が初めてだ!」
「バカなことを言ってないで、真面目に仕事をしてください」
「ぶー! なにさ、ちょっとくらい軽口に付き合ってくれてもいいだろう!」
ぶつくさ言いながら、メアは致し方なく万年筆を手に取った。
「だいたいボクは書類仕事がしたくて魔帝になったんじゃないのに……」
「仕方がないでしょう。魔界の統治は魔帝の仕事ですから。それが嫌なら……」
「一刻も早く魔神にならないとね!」
「……そんな動機で魔神になるのはいかがなものかと思いますけど」
そもそも魔帝や魔神という称号は、勝手に名乗るようなものではない。
『大魔総会』――魔公、魔王、魔帝、そして魔神を管理し、魔界の秩序を保っているその組織こそが、相応しいと判断した者たちに称号を与えているのだ。その称号と引き換えに要求されるのは、相応の責任と義務。メアであれば、クローリー領を統治することが仕事だ。
人間界でいうところの貴族制度に近いものはあるが、明確に違うのは完全な実力主義だということだろう。その証拠に、絶大な力を誇る魔神たちは『大魔総会』ですら御することができていない。必然的に、一部の魔神を除いて統治や政治といった面倒なことはせず自由に生きているのが現状だ。
要するに、嫌なら力で黙らせろ、という話だ。
「それにしたって多すぎない~?」
「……セラ様に休暇を与えたのはメア様ではありませんか」
「そうだけど~」
とはいえ、常日頃から書類の山を作り上げているわけではない。
本来は秘書という役目を持つセラ・アスタロトが書類仕事の大半を担い、メアの業務は重要な書類や最終確認程度に留まっている。
「だってセラ、見るからに調子悪そうだったし……」
「何かあったのは明白でしょうね」
「でもどこまで突っ込んで聞いていいかわからなかったし……とにかく今は休ませた方がいいと思って」
ここにはいない中世的な少女を思い出し、メアは心配そうな表情を浮かべる。
メアとリーシャも理由は分からないが、一時期を境に急にセラの調子が悪くなったのだ。一見すると普段通りに振る舞っているものの、ことあるごとにため息をついたり、虚空を見つめてボーッとしていることが頻繁にあった。
気を落としているというのは二人の目から見ても明らかだった。
「私もメア様の判断は正しかったと思います。それにいい機会ではありませんか。普段どれだけセラ様に頼りきりだったのか、実感するいい機会です」
「う~~」
リーシャの言葉に反論する材料が見当たらず、メア自身も自覚しているため唸るしかなかった。
「それにしたってさぁ……」
「? 他に何かあるのですか?」
「う~ん……」
どうやらメアが仕事の多さに辟易しているのは、ただやりたくないという理由だけではないようで、言い辛そうに口ごもった。
「……忙しくてあんまりアルくんと話せてないし……」
「アル様、ですか?」
メアの口から出ていた人物の名に、リーシャは僅かに目を細めた。
「確かにアル様が来たのと、セラ様が調子を崩された時期は同じくらいですからね」
「でしょ~、ちょうど忙しくなっちゃって、あんまり話せてないんだよ~……」
セラが悪いわけではないが、タイミングが悪かった。
どうやらメアがさぼり――もとい、用事があって友人の下を訪ねていた数日の間にセラが調子を崩したようで、帰ってきて状況を把握したメアが休暇を与えたのはアルが目覚めた日と同じ。それからあれよあれよと仕事が舞い込んできて、溜まっていき、結果アルに構う時間がなくなっていたのだ。
「たまに見かけるんだけど、びっくりするくらいみんなと仲良くなってるしさ~」
「そうですね。まだ二ヵ月とは思えないほどアル様は多くの人々と親交を深めています」
「……リーシャも、いつの間にか”アル様”なんて呼ぶようになってるし。ボクだけ仲良くなる時間がなくて寂しい~! ずるい~!」
思わぬところから飛び火し、リーシャはやや居心地悪そうに身じろいだ。
しかし、メアからすれば自分が業務に追われている間に、たくさんの人たちと仲良くなっていくアルに対し若干ヤキモキする感情を抱いているのは事実。
アルからすれば接しやすいだろうルストやガレオンはもちろん、デリーやアンリ、ステラ、リラ、リリアンヌ、果ては他のメイドたちまで。日を追うごとに多くの人たちと親し気に会話している様子を、ただ見ていることしかできなかったメアはあまり良い気分とは言えなかった。
「……随分と、アル様を気になさるのですね」
「え、そう?」
リーシャは以前から気になっていたことを尋ねるが、当の本人に自覚はないようで、コテンと首をかしげて見せた。
アルがこの城にやってきてからというもの、メアはかなりの頻度でアルのことを気にしていた。雑談をしていればふと名前が出てくるし、リーシャやミルフレティアにアルの様子を聞くこともしばしば。
あまり良い言い方ではないが、アルは所詮ただの一般隊士だ。怪我の様子を気にする程度ならば気にならないが、快復した後もことあるごとにアルのことを気にかけていた。これまで数多くの隊士を迎え入れてきたが、ここまでメアが一人に執着する様子を見せることはなかったはずだ。
「(私の知る限りでは、メア様とアル様に特別な接点はなかったはず。たまに廊下で会っても軽く談笑する程度だったと記憶していますが……)」
メアがアルを特別視している理由が思い当たらず、不思議に思うリーシャだったが……否、それは正しくはない。なぜならリーシャには一つだけ、思い当たる節があったのだから。
それはリーシャ自身も感じていた幻想――アルを見ていると、どうしてもいるはずのない”彼”を重ねてしまう。見た目も強さも何もかも違う。けれど名前が、態度が、話し方が、雰囲気が、そして自分たちを見る瞳が……リーシャにはどうしても、”彼”に思えて仕方がなかった。
そして、メアのアルに対する態度を見ていると……メアもまた、アルに対し”彼”を見ているのだと、そう感じていた。
「(ですがそれは――)」
メアにとっても、アルにとっても、決して良い結果にはならないだろうことをリーシャは直感していた。
もしもメアがリーシャと同様にアルに”彼”を感じているのなら、それは幻想だ。初めは仮初めの思い出に浸れて充足感を得られるかもしれないが、アルファストと”彼”は紛れもない別人。親しくなればなるほどその”差異”を感じることとなり、結果的に苦しむのはメア自身だ。
アルにしたって、そんな誰かの代わりのような扱いを受けるのは哀れであるし、挙句勝手な失望感を抱かれるなんて可哀想にもほどがある。
それに何より――リーシャはアルに”彼”を重ねたくはなかった。
詳しい事情は知らない。アルから直接聞いたわけでもない。それでもあの日、あの朝、ボロボロになるまで打ちのめされ、死の淵から帰ってきた彼は――生まれ変わったかのように、アルファストとして生きることを受け入れていた。
アルに何があって、自分を自分と受け入れられなかったのは知らないし、リーシャは気にする必要はないとも思っている。重要なのは、今のアルが、自分自身を受け入れられるようになったという事実だけ。
そんなアルを見て、リーシャは彼が強い人なのだと感じ、敬意を抱いたのだ。
「(そんな彼に、また別の誰かを重ねるなど……)」
アルの覚悟を踏みにじるようなそんな真似を、リーシャは許容できなかった。
二人が接すれば接するほど、メアが自分に別の誰かを見ているということにアルは気づくだろう。自分を受け入れ、一から努力を続けている彼に、それはあまりに酷だ。
「(ですが……)」
チラリと、リーシャはメアを見た。
一見すると何でもないように見えるメアだが、あまり良い状態とはいえなかった。
それは”彼”への依存。百年ほどの時を経てようやく落ち着いてきたところに、”彼”を思い起こさせるアルと出会ってしまった。ゆえにメアの心の深奥に押しとどめていた”彼”への依存心が、顔を出し始めているのだ。ことあるごとにアルのことを気にかけているのに、それらが無意識という事実が、メア自身ですら自覚なく不安定な状態に逆戻りしていることを示している。
「(……恨みますよ、アル。勝手に死んで、全部押し付けて……)」
アルファストと似た名前を持つ”彼”を脳裏に浮かべながら、リーシャは軽く息を吐いた。
「(……私にとってメア様が最優先。なら、考えるまでもない、ですね)」
アルのことは尊敬しているし、それなりに親しい方だとも思っている。少なくとも完璧メイドという立場上、他者とは一線を引くことも多いリーシャにとってアルほど自然体で話せる相手は両手で数えられるほどもいない。
それでもリーシャにとって最も上に掲げるべきは、メア以外にいなかった。
それでメアが笑ってくれるのならば……例え両者にとって良くない結末が待っているのだとしても、リーシャは是非もない。
「(それに――)」
リーシャは、期待もしていた。
アルならば、何かを変えてくれるのではないかと。
「(メア様は、心の奥底では未だ孤独を抱えています。あまりに大きなモノを失ってしまったがばかりに、その穴を埋められないでいるのです)」
出会ってたった二ヵ月ではあるが、リーシャはアルのことを尊敬しているし、少なからず信頼もしていた。それはあの日の覚悟もそうだし、毎朝のトレーニングを筆頭に弛まぬ努力を続けていることもそう。話していて、不思議と自然体でいられるその人柄や雰囲気もそうだ。
様々な要因が絡み合い、リーシャはアルという男がどんな人物なのかを理解していた。
今のアルならば、例えメアに自分ではない他の誰かを重ねられたとしても、潰れることはない。自分という存在を貫き通し、そして――メアすらも、変えてくれるのではないか。
そんな期待を抱かずには、いられなかった
「(……自分のことながら、信じられませんね)」
本来リーシャが出会ったばかりの他人を信じることなどないし、ましてやメアを任せることなどあるはずもない。メアを害するものすべてを排除するため、あらゆるものを警戒するのがリーシャというメイドだ。
きっと半年前の自分に言っても、信じてはもらえないだろう。
それでもリーシャは、不思議と信じずにはいられなかった。
「(あるいは私はまだ……アル様に”彼”の面影を感じているのかもしれませんね)」
かつて”彼”へ抱いていた信頼が、僅かにでもアルへの信頼に作用していないかと言われれば否とはいいきれない。
それでもリーシャがアルを信じる理由の大部分は、アル自身が証明してきたものなのは確かだ。
「それならメア様、私に一つ考えがあります」
様々な感情を整理しながら、リーシャは一つの企みを告げた。
リーシャが敵と家族以外で、様付けせずに呼ぶのはアルフレッドだけです。
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嘘です、シテクダサイ。




