Ep.19 輝剣
『――アルファストさんには、三日後より『輝剣』に所属してもらいます』
組織編成も業務の一環らしいセラが、アルの部屋に訪れ、そう告げたのは三日前のこと。
この城にやってきてから一週間が経ち、アンリの言う絶対安静期間も終わったアルは、いよいよ正式にクローリー軍の所属となった。
配属先は騎士大隊『輝剣』。
剣士であるアルにとっては、予想通りの結果だ。結局誰が隊長をしているのかまでは分からなかったが、まあここまできたらお楽しみだろう。
手早く朝食を済ませると、指定された場所――練兵場へ向かう。
今日は『輝剣』の全体訓練日らしく、今日から合流することになったアルは支給された訓練用の木剣を腰に携えている。一週間ぶりのはずだが、それでもこうして得物を腰に装備するのは随分と久しぶりな気がした。
練兵場に着き、扉の前で一呼吸置く。
思えばアルファストに生まれ変わって以降、誰かと剣を交わす機会はなかった。村では一人で鍛錬しかしてこなかったし、マガチカとの交戦は勝負にすらなっていなかった。
訓練とはいえ久々の対人戦に、アルは胸の高鳴りを感じる。たとえ才能を失おうとも、アルにとって剣とは己を証明する手段なのだ。
そして何より、メアの下に帰ってきたという実感が、沸々と湧いてくる。
クローリー軍のアルフレッドから、ただの村人のアルファストになり――今再び、クローリー軍のアルになる。
「――よし、行くか」
覚悟を決め、アルは練兵場の扉を開け放った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
練兵場に足を踏み入れた瞬間、アルへ多数の視線が突き刺さる。
ざっと50人くらいだろうか。そのほとんどが壮年で、大なり小なりその顔に皺を刻んでいる。腰には木剣を携え、がっしりとした体格を誇るその男たちは見るからに剣士の様相。それもかなりの貫録を感じさせる。
アルを捉えたその視線は、初めは疑問の色が大半だった。
見知らぬ男。見るからに若く、しかし確かに鍛えられた肉体と腰に添えられた剣は一端の剣士のそれだ。何より目立つその白い髪と赤い瞳は、現在進行形で隊士たちの間に流れるある噂の人物と合致した。
「――」
アルの正体を理解した隊士たちの視線から疑問の色が消えていき――代わりに浮かぶのは、敵意と嫌悪、そして侮蔑。
人によってその度合いや種類に差異はあれど、向けられる視線の中に好意的なものは一つもなかった。
一斉に浴びせられた悪感情の波を受け、アルはひとつ、
「(あ、これ歓迎されてないなぁ……)」
早々に立ちはだかる人間関係という高い壁に、アルは苦笑を浮かべるしかなかった。
当然ながら今日が初参加のアルは勝手がわからず、どのように訓練が開始されるのか、とりあえず待機していればいいのか、何も分からず戸惑うのみ。隊士たちに声をかけられるような雰囲気でも、ましてや輪の中に入れるわけもなく、とりあえず少し離れた場所で訓練が始まるのを待った。
アルが腰を据えたところで隊士たちの突き刺さるような視線は減ったが、それでもチラチラとこちらを伺うような視線や、流し目を送りながらひそひそと会話をする様子が見える。
流石に居心地が悪く、どうしたものかと頭を抱えていると、
「お、見ない顔だな。もしかしてお前がアルファストって奴か?」
横合いにそんな声がかけられ、アルは隊士たちから視線を逸らす。
この状況でアルに声をかけてくれることへの感謝が半分、よくもまあこんな針の筵のような状態の男に声をかけようと思ったなという感心が半分の気持ちを抱きながら、声の主を見ると、そこには一人の男が立っていた。
見たところ他の隊士たち同様壮年の男性。強いて言えば短く刈り上げられた茶髪と顔のところどころに刻まれた皺が特徴の、どこにでもいそうな中年だった。
「ああ、俺がアルファストだよ。今日から『輝剣』に配属されることになったんだ」
「やっぱりか。俺はデリー。デリー・ミックだ。なんやかんやで『輝剣』は長ぇから、なんかあれば聞いてくれ。よろしくな」
「あぁ、俺としてはよろしくしたいんだけど……」
「ん? あぁ……」
言い淀みながら隊士たちに視線を向けると、デリーは得心したように声を漏らした。
「なるほどなぁ……こりゃまた、露骨だねぇ」
中年は心当たりがあるのか、若干呆れが混ざった声音で呟いた。
一方嫌われる心当たりがないアルはその原因が知りたく、中年に問う。
「何で俺こんなに嫌われてるんだ? 今日会ったばかりだし、何かしたわけじゃないんだけど」
「あぁ。お前さんが何かしたわけじゃねぇよ。強いて言うなら……嫉妬、かな」
「嫉妬ぉ?」
ますますもって思い当たる節がなく、アルは胡乱気に繰り返した。
「あぁ。お前さんは自覚がないかもしれんが、今のお前さんの立場はかなり優遇されててな。メア様から特別扱いされてるお前さんを妬む声は、結構多い」
「……なるほど」
そこまで説明されて、アルはようやく納得がいった。
確かに隊士たちから見れば、たまたまメアに助けてもらっただけの凡人が、城内の一室を貸し与えられ専属のメイドまで付けられている、という明らかな特別待遇だ。実際にはアルのことを警戒したリーシャの監視、という名目があるのだが、そんなことを知る由のない隊士からすれば良い感情が生まれないのは理解できる。
「ついでにな、普通はかな~り厳しい選別を合格することでやっとクローリー軍に加入できるんだ。それを試験も選別もなしに、ってのはなぁ。俺は気にしねぇけど、気にする連中が出てくるのもまぁ分からないでもない」
「言われてみれば確かに」
「特に同じ配属になったここの連中は不満も一入だ」
未だにアルは実感が湧いていなかったが、今のメアの部下になるということは、魔帝の軍に入るということ。当然一朝一夕でなれるものではなく、体裁を気にするリーシャあたりならば過酷な試験を設けていても不思議ではない。
自分たちはそんな難関を突破してきたというのに、ポッと出の見知らぬ男が贔屓されて同等の地位に就くというのは、なるほど、思うところがあって当然だろう。
アルとて思わなかったわけではない。
もしも、再会したメアの隣に自分ではない別の男がいたら――。
今まで自分が築き上げてきたその場所に、見知らぬ誰かが居座るという現実は、あまりにも許容しがたい。
今回のアルの例とは少し違うかもしれないが、それでも似たシチュエーションを想像したアルは彼らの気持ちが少しは理解できた。
「(つっても納得はできないけど……)」
それでも妬まれる謂れはないので到底納得はできないが。
そもそもこれまで圧倒的な剣の才能で猛威を振るってきたアルには、ポッと出の誰かに並ばれるという経験自体ない。ゆえに、感情の問題を理解はできても納得はできないというのは、ある意味当然なのかもしれない。
やや釈然としない気持ちを抱きながらも、一旦は飲み込んだ。
「そろそろ隊長が来る頃だ。整列すんぜ」
見れば、それまで各々自由に行動していた隊士たちが綺麗に並び始めた。
アルはデリーに促され、最後尾に整列する。
それから数分経ち――練兵場の扉が開かれた。
それは、まさしく”騎士”であった。
スラッとした細い体は純白のコートに包まれ、白銀の胸当てが一層輝いている。
丁寧で綺麗な歩みに水色の長髪が靡き、薄く細められた瞳も同様に水色。その顔立ちは非常に綺麗で、凛とした美しさを誇っていた。涼し気な表情も相まって、まるで氷のようだ。
美しく、可憐で、凛とした女騎士。
そんな印象を受けた少女は、整列する隊士たちの前に悠然と歩いてきた。
「あれが『輝剣』のトップ、ミルフレティア・クーハ隊長だ」
隣に並ぶデリーが小さく呟く。
堂々とした歩みと、身にまとう風格から隊長であることは分かっていたが……それにしてもかなり若いな、とアルは思った。
彼女も魔族である以上外見はアテにはならないが、それでも何となくの指針にはなる。実際ここに集う隊士たちは明らかに彼女よりも年齢を重ねているだろう。老けにくいだけで歳をとれば老けはするのだ。
しかし、これまでアルに散々な視線を向けてきた隊士たちは、ミルフレティアが隊長であることに一切の異論を抱く様子はなく、粛々と従う様子を見せている。対するミルフレティアもそのことに何の疑問も、負い目も、気負いもせず、ただただそれが事実であるのだと、凛とした態度で示している。
これが『輝剣』。
これがミルフレティア・クーハ。
アルは自分が所属する部隊を肌で感じ、僅かに口角を上げた。
「――全員揃ったね……それじゃあ、いつも通り訓練を始める」
ミルフレティアから発せられたその声は、決して大きくはなく、むしろ平坦なものだった。それでもなお、氷のように静謐なその声音は広い練兵場において不思議と響いた。
彼女の指示を受け、隊士たちは当たり前のように動き出した。
「ぇ――」
あまりに一瞬の出来事に、思わずアルは固まってしまう。
「(俺何の説明も受けてないし、せめて自己紹介とか、そういうのあるんじゃないの……?)」
甲斐甲斐しく面倒を見てくれるだなどと甘えた考えはしていなかったが、それでもせめて簡単な説明や、紹介くらいはしてくれるものだと思っていた。
しかし当のミルフレティアはアルなど存在していないように、全くと言っていいほど視界に捉えなかった。
気づいていない――訳はない。
欠片も触れられなかったアルに対し疑問を抱いていたのはアル本人だけではなく、アルに悪感情を向ける隊士たちですら不思議そうにチラチラと様子を見ながら動いている。それははたから見れば非常に分かりやすく、隊長たるミルフレティアが気づいていないわけはなかった。
「まずは外周だ、急ぐぞ」
どうしたらいいか分からず呆然とするアルを救ってくれたのは、またもやデリーだった。
デリーは短く伝えると、アルを誘いながら隊士たちの後を追う。
未だ状況を飲み込めないアルは、半ば無意識のうちにデリーについていき、促されるまま訓練を開始した。
――そこからは、控えめに言って地獄だった。
まず行われたのは外周100周。
直径にして200m以上はある練兵場の外周は一周だけでも600m以上あり、それを100回ともなれば、ゆうに60kmを超える。明らかにウォーミングアップの距離ではない。
それでも難なく走り続ける隊士たちについていこうと、必死に脚を進めるアル。アルとて体力がないわけではないが、それでも『輝剣』の体力は常軌を逸していた。
休憩も、水分補給もない。ただひたすら走り、走り、走り続けた。
10kmを超えたあたりで、アルの全身を疲労が襲った。
20kmを超えたあたりで、息も絶え絶えに。
30kmを超えたあたりで、過呼吸になり咽せ続けた。
40kmを超えたあたりで、先頭を走るミルフレティアがクリアした。
50kmを超えたあたりで、視界が霞み、意識が薄れていった。
60kmを超えるころには、全身が震え、立つこともできず、気力だけで地面を這っていた。
やっとの思いで外周をクリアしたアルを待っていたのは、次なる地獄。
息を整える間もなく、アルが完走したのを横目で確認したミルフレティアが無慈悲に告げる。
「じゃあ、次は素振り1000回。始め」
隊士たちはすぐさま木剣を構え、素振りを開始する。
ただの素振りではない。息を吐き、集中し、鋭い踏み込みと共に剣を振り下ろす。極限まで洗練された全霊の一閃。それを、1000回。
ただ一人地面に倒れ伏すアルは、歯を食いしばりながらどうにか立ち上がり、震える手で木剣を握る。
それははたから見れば、さぞ滑稽だったろう。
脚はガタガタと震え、立っているのがやっと。上手く力の入らない腕では剣をまともに振り上げることもできず、木剣の重さに引っ張られたたらを踏む。しかし踏ん張りがきかず、脚から力が抜け倒れる。
顔面が地面に直撃し、衝撃と痛みが襲ってくる。
アルの耳に、周囲から嘲笑と侮蔑の声が届く。
「(クソッ――まだ、だ……!)」
諦めてたまるか、絶対に。
この程度、気合と根性でどうにでもなる。
アルは木剣を支えにしながら、ふらふらと立ち上がる。
ゆっくりと剣を振り上げ、踏み込みとともに下ろす。
それは見るに堪えない、醜い素振りだった。いや、素振りと言っていいのかすら怪しいところだ。千鳥足で立ち、ふらふらと覚束ない剣裁き。振りぬいた剣は勢いのまま地面に突き刺さる。
アルが一回素振りをする間に、他の隊士は5回は素振りを行っていた。
それでも、一回、また一回と。
着実に素振りをこなしていったアルが1000回に到達する頃には、3時間が経っていた。
「――ようやく終わったの。でも、貴方を待ってる間にみんな昼食を済ませてるから。貴方の昼休憩はないと思って」
剣を振ることに全身全霊だったアルは気づかなかったが、どうやら他の隊士は素振りを終え昼休憩をとっていたらしい。
膝に手を突き息も絶え絶えのアルを見下ろしながら、ミルフレティアはピシャリと言った。
重い頭を上げ、ミルフレティアの表情を拝もうと顔を上げた時にはもう、当の本人はいなかった。他の隊士たちの下へ赴き、次の指示を出していた。
「次は模擬戦。二人一組になって打ち合って。終わったらまた別の人と」
簡潔に告げられ、早々に打ち合いが始まった。
「誰か、組む人を見つけないと……」
出遅れたアルは相方を探す。
しかし、ただでさえ嫌われているうえに、明らかに一人レベルの低いアルと組んでくれる人なんて――、
「アルファストって言ったっけ? 僕とやろうよ」
そこには、不敵な笑みを浮かべる男剣士がいた。
ニヤニヤとアルを見下ろすその姿は、明らかにアルを見下している。おおかた、ちょうどいい機会だから気に入らないアルを打ちのめしてやろうと言う算段だろう。
「(上等だ……!)」
ここで断ったら他にアルと組んでくれる人なんているか分からないし、何より舐められっぱなしではいられない。
アルはその隊士の申し出を受け入れるように、剣を構えた。
「いくぞっ!」
言い放ち、アルは突貫する。
相手の男は完全にアルを舐めているようで、まともに構えていない。隙だらけの横っ腹に叩き込んでやろうと、アルは木剣を横薙ぎに振るう。
「――ふ」
アルの一撃は、いとも簡単に防がれた。
アルの木剣と男の脇腹の間に一本の剣が挟まれ、勢いが完全に停止する。
「くそっ……!」
続けて次の攻撃に移ろうとするアルだったが、軽く剣を引いた瞬間、男の体がスルリとアルの懐に入る。
「――」
やられた――アルがそう直感し、視線を懐に落とすと、ニヤリと笑みを浮かべた男が剣を構えていた。男はそのままアルの腹に剣を叩きつけ、アルは勢いに負け軽く吹き飛んだ。
「ぐっ」
背中から地面に落ち、衝撃に苦悶の声が漏れる。
そんなアルの首元に、木造の剣先が突きつけられる。
「ま、こんなもんだわな。所詮依怙贔屓で入隊した雑魚ってことだ」
アルを見下す侮蔑の表情は模擬戦の前と何一つ変わらず、アルは何一つ見返すことができなかったのだと理解した。
――それからは、ただひたすらに、己の無力を痛感する戦いだった。
アルの攻撃はことごとく防がれ、ただ攻撃されるだけの時間が続いた。
腕を打たれ、脚を弾かれ、腹を突かれ、顔を切られた。
何度も何度も何度も戦い、そのたびにアルの傷が増えるだけで、何の成果も得られなかった。
54戦54敗。
結局アルは、ただ一人にも勝つことができず、ボロ雑巾のように転がっていた。
「……はぁ。もういい。どんなものかと思えば、下の下の下。剣士として最低レベル」
仰向けに倒れるアルを見下ろすのは、冷淡に言い放つミルフレティア。その瞳は相も変わらず冷ややかに細められているが……水色の瞳の奥には、落胆と侮蔑の感情が、ありありと感じられた。もはや隠す気もないソレを向けられ、アルは全身が凍るように固まってしまう。
「もう時間の無駄。最後に私が相手をする」
そう言うと、ミルフレティアは己の腰の剣を抜いた。
向けられるそれは剣にしては刀身が細く、まるでレイピアのような直剣だった。細く鋭い切っ先がアルの眼前に置かれる。
「さあ、構えて」
この時のアルは知らなかった――本当の地獄は、ここからだということを。
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嘘です、シテクダサイ。




