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 ダニエルは静かに体を起こした。私を横目で見て、軽く微笑んだ。腕を伸ばした。


「ジャケットを取ってくれ」


 床に置いていたジャケットを私は取ってきて、渡した。

 私たちの言動は、ただの日常の一場面のようであった。


 身だしなみを整えたダニエルは、「では行こうか」と死体を肩に背負った。


「どこに行くんだ」

「ここで腹を裂くのは、あまりにも危険すぎる。早くに発見される可能性が高いし、僕がこの娘を買ったことを、他の娼婦や通行人に見られた可能性だってあるからね。場所を変えよう。この前、いい穴場を見つけたんだ。滅多に人が通らない上に、外から中を覗くことだってできない。しかも、ここから歩いて行ける距離だ。これ以上にない優良物件だよ」


 ダニエルの言った通り、目的地に着くまで私たちは誰とも会わなかった。イーストエンド内を誰一人として歩いていなかったのは勿論、スラム街を出てからも、ダニエルは誰かに誘導されるようにして狭い路地をすいすい進んでいった。


 死体という重荷を背負っている彼に、私は追いつけないほどだった。


「この辺のことをよく知っているんだな」


 私は息を切らしながら言った。ダニエルは立ち止まり、私が追いつくのを待った。


「殺した後素早く逃げないと、警察や善意の発見者という鬼が追いかけてくるからね。逃走経路は頭に叩き込んでいるさ。何時にここを通れば誰にも見られないとか、この通りは警察がよく見回りをしているとか、そういう情報もここ数年で集めた。イーストエンド周辺のことは、ロンドンの誰よりもよく知っているよ」


 どれくらい歩いたのかよく覚えていない。時間という感覚が完全に狂っていた。

 それでいながら、ダニエルの背を追っているときの私の思考は、夜の街を照らす月光のように澄んでいた。自分でも驚くほどに冷静だった。


 何かの箍が外れていたのかもしれない。何にせよ、あのときの私は異常だった。


 ダニエルが立ち止まった。

 目の前には古びたアパートが建っていた。二階建ての六部屋だ。前庭に吊るされている洗濯物がなかったら、廃墟だと勘違いしそうなほど荒廃している。


 周りに他の建物が見当たらないことも、ますますそのアパートの荒廃を強調していた。


「ここは一応貸家ということになっているが、実質大家さんの一人暮らしだ。その大家さんも、自分の娘の顔が分からないほどの耄碌ぶりときている。昼を過ぎないと起きてこないし、耳も遠いようだから、少しくらい大きな音を立てても気づかれない。その人は一回の一番右端に住んでいるから、二階の適当な部屋に入ってしまえば、外から見てもそうと分からない。最高だ」

「よくこんな場所見つけたな」

「褒めてくれるかい?」

「私は呆れているんだ」


 前庭から二階に通じる階段があった。長い間使われていないらしく、一段上がるごとに板は軋み、砂が大量に落ちた。

 私が慎重に歩みを進める中、ダニエルはさっさと二階に上がり、左から二番目の部屋の扉を開けた。


 人が何年も住んでいないのだと一目で分かる部屋だった。


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