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「あ、おい、エリアス。俺まだそのページ、読み終わってない」


 テオが、聖書のページを捲ろうとしていた僕の手を掴んだ。慌てて元のページを開いた。


 ノアの方舟は最後の展開に入っていた。


 フィンが笑った。


「エリアスも大変だな。兄は自分を犠牲にしてでも弟を守らなければいけないという使命があるが、弟は弟で、兄を立てなければその恩恵が受けられない」


 僕はフィンを睨んだ。一歳年上の少年は片目を瞑ってみせ、「……そういえば」と続けた。


「ミアはまだ診療室にいるのかな」

「ミア?」


 ミアは、この孤児院に住む女性たちの中で最も魅力的――と、僕が思っている――少女だ。

 生まれつき体が弱いらしく、この図書室の真下にある診療室の中に吸い込まれるようにして入っていくのを、しょっちゅう目にしていた。


「クライン先生の名前を聞いて思い出した。あいつ、朝からずっと診療室に籠りっぱなしだ。体調がものすごく悪いとか、そんなのじゃないといいけど……」


 急にちらちらと図書室の扉を見始めたフィンの様子に、僕とテオは顔を見合わせ、笑いを堪えた。

 フィンがミアに特別な感情を抱いていることは、この孤児院で過ごす子どもたちにとって最早常識だ。ミアの方も満更ではないことも、また然りだった。


「そんなに気になってるんなら、様子を見にいってやれよ。ミアも喜ぶと思うけどな」


 笑みを含んだテオの言葉に、僕も頷いた。


「そうだよ。体調が悪いときは、人恋しくなるって聞いたことがある。ミアもそうなってるかもよ」

「ああ、そうだよな……いや」


 一度頷いたフィンだが、何かに呼ばれるようにして不自然に体の向きを変えた。


「俺が様子を見に行く必要はない。もう来た」


 扉が開いた。

 魚の骨のように華奢な少女が入ってきた。少女は僕たちを見て、笑んだ。


「やっぱりここにいた」

「ミア」


 やはり、なんと美しい少女だろう。彼女を見たとき、僕はいつもそう思う。


「何をしているの」


 フィンの言っていた通り、体調が優れないのだろう。肌がほんの少し青白いが、あまりにも細い体と相まって、かえって病的な美しさを際立たせていた。

 髪と同じ蜂蜜色に染まった睫毛はカールがかかり、目元に影を落していた。頬はこけていた。

 瞳だけが恐ろしいほどに澄んでいた。


「テオとエリアスは読書。俺は本に興味はないから、特に何も。ミアは?」

「私、お気に入りの本があって。また見たかったの。それに皆がここにいるような気がしたから」


 可愛いとは少し違う、と思う。見て癒されるような少女ではないのだ、ミアは。寧ろ逆だ。背筋が伸びる、とでも言おうか。

 ミアが部屋に入ってきた瞬間、空気が張り詰めたように感じる。空気と己の境界がはっきりしたように思えるのだ。

 それはミアの、年齢にそぐわないほどの凄絶な美しさがそうさせるのだが、理由を理解しようとせずにミアを気味悪がる奴らは少なくない。


 凄絶な美人。そんな言葉が似合う十歳の少女など、一体どこにいようか。


 フィンの足元に座ったミアは、一冊の分厚い本を持っていた。


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