22
僕とベンの取っ組み合いを止めたフィンだった。
一つ年上の十二歳だ。碧眼と金髪が、陽の光を浴びて透けるように輝いていた。
フィンは「よ」と手をひらひら振った。
「エリアス。腹は大丈夫か」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと青黒くなっただけだ。問題ない」
「お前、すごい勢いでベンに飛びかかっていったもんな。止めに入った俺まで殴られそうになった」
「大変だったぜ」とフィンは右頬だけを上げて笑った。
幼少期に両親から虐待を受けた際に、左頬の神経を切って動かなくなったらしい。「気持ち悪い」と避ける奴もいるが、フィンの歪な笑みは年下の子の笑顔よりもよっぽどあどけなくて、僕は好きだった。
フィンはテオにフォークの先を向けた。
「片割れのこと、もっとちゃんと見といたほうがいいぞ、テオ。普段もわんぱく坊主だが、あれはまだましだ。今日のこいつの様子を見て、つくづくと思ったよ。本気で怒ると手がつけられなくなる」
「それは俺もよく分かってる。手綱でもつけて、しっかり見張っとくよ」
「僕は動物じゃない」
フィンはからからと笑い、手早くポテトサラダを口に詰め込んだ。
皿を片付けた後は、三人揃って図書室へ向かった。
屋敷の一番東に位置する図書室は、この家の元の持ち主が収集した古今東西の本で埋まっている。子供が十人走り回ってもまだ余裕がありそうな広々とした部屋の四方を、ぐるりと本棚が囲っていた。本は天井の端まで並ぶ。一か所高い場所に窓があり、そこから射しこむ日光が床や壁を淡く照らす。
広々とした空間には誰もいなかった。
孤児院で文字を読み書きできる子は少ない。できても読めるだけ、それも一文字一文字声に出しながら読める程度だ。
文字の読み書きができなくとも、肉体労働に耐えうる屈強な肉体を持っていれば飯は食える。
僕は読みかけの本を本棚から取り出した。抱え込むようにして座る。
隣にテオが座り、僕の肩を抱いて本を覗き込んだ。
「どこまで読んだっけ」
「ノアたちが方舟に乗って、洪水から生き延びるところまで読んだ」
「そうだった。神様も中々えげつないことするよな。地上が悪に染まって、また善に戻るように指導、とかじゃなくって洪水で全部流すんだぜ。一回悪くなれば、問答無用でアウトってことだ。やり直しがきかない」
「テオ、エリアス。方舟だの、一発アウトだの、お前らはさっきから一体何の話をしているんだ」
椅子に座って足をぶらつかせているフィンに、私は本を掲げて見せた。
「旧約聖書だよ」
「旧約聖書? 何だ、それ」
テオが説明した。
「旧約聖書はキリスト教の教典だ。簡単に言うと、神様のことについて書かれている本のこと。天地創造やら、アダムとイブの楽園追放やら……まあ色々だな」
神やら救いやらを信じているわけではなかったが、聖書に書かれている物語はどれも面白かった。
美しい王妃が知恵で人々を救うエステル記。人類初の兄弟の悲劇を描くカインとアベル。イエスキリストと十二弟子による最後の晩餐。
どれも日常では決して味わえない物語だった。一話また一話と読み進めるごとに、僕は己の世界がどんどん広がっていく不思議な感覚を味わった。
テオも同じようだった。僕たちは聖書だけでなく、読書そのものに夢中になっていたのだ。




