12. 夜会
アレストカインは27歳となった。
エアが死んだ年齢と同じ年。
あの悪夢のような──実際にいまだに彼はあの日の出来事を夢に見る──エアを消した日から、16年が経過した。
アレストカインの奮闘により、王国の改革はなされた。そのきっかけは、紛れもなくあの夜。
トルクネリア王国全土に広がったオレンジ色の光は、「希望の光」だったのだと、皆が言う。
逆説的に考えれば、アレストカインが絶望したからこそ、この劇的な王国の改革はなされたのだ。
あれはこの国に必要な出来事だったのかもしれない。しかし、アレストカインの人生の中では、最も不要で、やり直したいと願って止まない過去だ。
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その日は、雨だった。
朝からずっと降り続く雨は夜になっても止む気配を見せず、雨足は強まるばかりだ。
晴れの日が多いこの国で、雨は貴重だ。
貴重だが、誰もが魔法を使えるこの国には魔法で生み出した水を売って生計を立てることを生業としている人々もいるため、飲み水以外で水不足に悩まされる心配はなかった。
それよりも雨が降り続けた方が問題だが、これも魔法で治水管理ができるため、災害となることはない。
この国で災害となるのは、魔塵のみだ。
アレストカインは王城で行われる夜会に出席していた。
宰相としての責任を果たすために必要な最低限の行事にしか参加しない彼が今夜の夜会に出席したのは、トルクネリア王国の7代目の王、リシェンナの即位一年目を祝うパーティーだったためである。
リシェンナとの付き合いも長い。彼女に王になることを推薦したのはアレストカインだったため、その責任ぐらいは果たさねばと、煌びやかな会場に足を運んだ。
しかし連日働き詰めで濃い隈が消えたことがないアレストカインには、シャンデリアが煌々と照らす夜会の会場は明るすぎた。
目の前がチカチカとして眩しくて仕方がない。
「あなた、また寝ていないのね」
目頭を押さえて目を瞑るアレストカインに、本日の主役であるトルクネリア王、リシェンナが話しかけた。
リシェンナはアレストカインより二つ年上で、今年29歳だ。しかし年齢を感じさせない彼女は、王としての威厳を醸しながらもいつまでも若々しく、疲れ果てて草臥れて見えるアレストカインとは全く対照的だった。
彼女の隣には厳かにも見える顔立ちをした男性が連れ添っている。
「陛下、それに殿下まで。ご配慮痛み入ります」
アレストカインは胸に手を当てて頭を下げた。
「サルファー侯。君はこの国になくてはならない存在だが、一人で抱え込みすぎる部分は改善すべきだ」
硬い表情でアレストカインを諭すその男はリシェンナの夫だ。
フレオナスト・ディ・スカイン侯爵。32歳だという彼は年齢よりも更に落ち着いていて、厳格な雰囲気を醸している。一糸の乱れもなく後ろに撫で付けられた黒髪は艶やかにシャンデリアの光を反射していた。
彼は堅物で有名だ。真面目で、面白みのない侯爵だと以前から噂されていたが、そのため不正を行わなかったのだろう。彼はアレストカインが政界の汚職を調べ上げた際にも、何一つとして悪事を働いていた証拠が出なかった。
フレオナストは政界に残り、侯爵という権力を正しく行使する。
リシェンナがそんな彼との婚約を結んだのは3年前だ。そして先日、世情が落ち着いたことをきっかけに結婚した。
アレストカインを中心にリシェンナも関わって、汚職に関わっていた人材を罷免したため、今は国内の地盤を固めることが先決だった。そんな中、スカイン家という由緒正しい家柄のフレオナストは、結婚相手に申し分ない。
政略的な結婚ではあったが、リシェンナとフレオナストは気が合うようで、いつしか彼への恋愛相談のようなものをアレストカインはリシェンナから受けていた。フレオナストの方も、リシェンナと結婚してから穏やかな顔をすることが増えたように思う。
互いに好ましい人物と結婚できたことは、素直に喜ばしいことだ。
ただ、アレストカインの胸の中には一抹の寂しさのような感覚が広がったことも、否定できない。
リシェンナだけが、記憶を失いつつも、エアの存在を口にした。
エアによる喪失を持つ同志であったリシェンナだが、彼女は現実を見据えている。
彼女は、この国の将来と自身の幸せのために、アレストカインを置いて未来へと進んだのだ。
「ご指摘の通りですが、自分がこの国のためになると思うことをしていないと、……落ち着かないのです」
それは嘘ではないが、本心でもなかった。この国のためではなく、エアへの贖罪のため。
(俺も、エアを忘れて己の幸せを求めるべきなのだろうか?)
エアならば、「そうしろ」と言っただろう。否、そう、言われた。
「今日は流石に髭を剃ったのね。いつもよりはましだわ」
クスクスと笑うリシェンナは、口元を手で軽く隠して、目を細めて笑っている。ライトグリーンの瞳は、細まった瞼に隠れて見ることができなかった。
フレオナストが穏やかになったと噂されるように、リシェンナも変わった。さっぱりとした性格と毅然とした態度に加えて、笑顔を見せることが増えた。
彼女の美しさは変わらないが、子供の頃にエアと話していたときのような、溌剌とした表情を見せようになった。きっと彼女は本来、おてんばなのだろう。子供の頃は第二王女でありながら、危険な魔塵掃討軍の現場に足を運んでいたほどだから。
そんな彼女を王へと押し上げてしまったのは、アレストカインだ。本来どこへでも行けたであろう彼女を、窮屈な場所に留めてしまった。今更ながら覚えた罪悪感がアレストカインを蝕む。
「陛下、あなたはいま、幸せですか」
「ええ。とても」
アレストカインの突然の質問に驚いたリシェンナだが、ふわりと笑って是と答える。
「リシェンナ陛下、フレオナスト殿下、この国をお頼み申し上げます」
「ええ。あなたに恥じない王いなるわ」
フレオナストとリシェンナはアレストカインと分かれて、次の相手への挨拶に向かう。複雑そうな顔をしたアレストカインを彼らが振り向くことはなかった。
(俺はこの国には、もう必要ないのだろう)
彼はなんだかいつも以上に気疲れして、煌びやかな会場に背を向け、雨の降り注ぐ暗闇へ溶けるように歩き出し、雨粒で全身が濡れることも構わず、王城の裏手にある小さな林へと向かう。
足を動かす間、エアのことを忘れて幸せになる道を探し、誰かの隣で幸せそうに笑う自分の姿を想像してみた。
アレストカインを断罪する人はいない。彼が彼自身のことを赦して、忘れて仕舞えば、彼を責める人はいない。きっと、エアでさえ、責めはしない。
エアのことを思い出すと、どうしても彼女の最期を思い出す。しかし、エアとの思い出は悲しくて苦しいものなどでは決してなかった。
一緒に笑いながら生活した。大雑把なエアに振り回されて、しかし確かに楽しかった日々。国内最高の魔法使いに魔法を教えてもらい、光栄で、一生懸命だった。
くだらないこともたくさんあったが、どれもトキにとって宝物のような思い出だ。
自分を赦すというのは、エアを忘れて生きるということではないのか。
「エア」
彼女のいないこの世界で、アレストカインはどうしても自分が幸せになれる想像ができなかった。エアでない誰かの隣にいる自分は、まやかしでしかない。
彼はようやく、自分の気持ちに名前をつけた。
長い月日の中で随分と歪んでしまったかもしれない。しかし心から、どうしようもなく。
──エアが大好きだ。
ともに過ごしたあの頃から、今もずっと。
「………会いたいよ」
心の内側から滲み、絞り出したような声音。暗い夜空を見上げて呟く彼の頬を、雨粒がしとどに濡らしていた。




