13.雨に花束
『勝手に外に出たら駄目だよ、エア!』
焦るトキを連れて、エアはパーティーの間にこっそり王城から抜け出してこの林で休憩していた。
『いいんだよ。誰も気づかないから。それよりトキ!踊ろう』
にやりと笑ってトキの手を取ったエアは、まだ伸び切らない身長の彼を持ち上げてくるくると回った。
『うわあ!っあはは!』
トキも楽しくなって王城から漏れ聞こえる音楽に合わせてめちゃくちゃに回った。そうかと思えば、穏やかな曲ではトキがエアに本物のワルツを披露して驚かせる。
『トキ、踊れるの?!』
『俺を何だと思ってるの。踊れるし』
『私は踊れないよ〜……』
しどろもどろ踊るエアに今度はトキが笑ってから、また二人でくるくると回った。
**
林の中から振り返って眺めた王城は、夜会の最中だ。
外壁も魔法でライトアップされた城は、闇夜に対抗するかのようによく目立つ。
アレストカインは目を移して林の中を見つめた。濡れた葉に付着した雨粒が、王城の灯りに薄く照らされて優しく光る。
この林で、アレストカインはエアと二人でよくパーティーを抜け出して遊んでいた。魔法を使ったときもあったし、ただ座って話していただけのときもあった。
彼女は自然が好きだった。だからエアの家も郊外の林の中にあったのだ。
再び訪れたこの場所は、16年前と何も変わっていない。エアとの思い出がある場所には、今日まで足を踏み入れる勇気が出なかった。
林の中には小さな湖がある。アレストカインはそこに向かって進んだ。
雨に濡れて顔にへばりつく髪をかきあげる。湖が見えてきたところで、彼は足を止めた。
湖のそばの、大きく迫り出した岩に目が止まる。
その岩の上には、人が座っていた。
こんな雨の夜に、夜会を抜け出す人間など彼は自分だけだと思っていたが、先客がいたようだ。
人に会いたくないから人気のない場所に来たのに、誰かがいるのでは意味がない。
アレストカインはため息を吐いて踵を返そうとしたが、なぜか後ろ髪を引かれる思いがして、最後にと何気なくその人物を振り返った。
「お兄さん、サボり?」
「うわっ」
不意に至近距離からかけられた声に、アレストカインは驚いた。
そこに立っていたのは、異国の装いをした少女である。
「お城はまだけたたましい明るさだよ。綺麗な服なのに、こんな雨の中抜け出して出歩くなんて、さてはものすごい人嫌いか雨が大好きかの二択で……しょ……」
目を丸くしているアレストカインに一方的に話しかける少女は、城に向けていた目をアレストカインに向ける。その途端、薄く浮かべていた微笑を消し、目を見開いた。
「と…………」
何か言いかけた言葉で固まる少女に、アレストカインは怪訝な顔をした。
「きみは誰だ」
少女はアレストカインの問いも聞こえていないふうで、時を止めたように微動だにしない。
どうすべきかわからず彼が困惑していると、不意に少女の腕がゆっくりと上がり、アレストカインの頬を撫でた。
「泣いてた?」
アレストカインは、ばっと勢いよく少女から飛び退いて、片腕で少女に触れられていた方の頬を隠した。
「だったら何」
初対面の人間が泣いていようがいまいが、どうでもいいではないか。
頬に添えられていた少女の手は行き場を無くしたように彷徨ったあと、力なくおろされた。
手のひらから溢れたものを、つかみとれなかったように。
「はあ……。きみは誰だ。警備には止められなかったのか?」
アレストカインは再び問いかけた。
「あ、ああ。ごめん、つい……」
我に帰ったようすの少女は雨でびしょ濡れのままの格好で、アレストカインの前に立ち、彼を見つめた。
「私は……。アエルって呼んで。アレー公国からきたんだ。警備の人には会ってないよ」
アエルと名乗った彼女は、闇夜に馴染む褐色の肌に、月光をそのまま写したような金色の髪を持っていた。
髪は後頭部の高い位置で一つに結われ、背に流れ落ちるさまは雲間から差し込む光のようだ。服は簡素だが、胸の下ほどまでの丈の、入り組んだ異国の模様の入った羽織を身につけていた。
くっきりとした顔立ちは、愛らしさを残しながらもどこか大人びていて、顔の整った貴族を多く見てきたアレストカインでも大層な美人だと感じる。
「お兄さんの名前は?」
「……サルファー」
少女の名前も聞いたのだし、名乗るくらいはしようと、アレストカインは家名を告げた。
「え?」
トルクネリア王国では王族の次に名の知れた、最早知らない人はいない家名だ。
「サルファー?本当に?」
しかしアエルと名乗ったこの少女は異国の人間で、トルクネリア王国の貴族の名前など知るはずもないだろう。
だというのに、彼女は『サルファー』の名を聞いた瞬間にアレストカインから一歩距離をとり、顔を強張らせた。
「どうかしたか」
「………。グリマティオは、あなたの血縁?」
「!」
アレストカインの無言の驚きを、アエルは肯定と受け取った。
「………赦さない」
アエルが睨む。
心臓を鷲掴みにされたようだ。アレストカインは硬直した。
アエルの瞳にあるのは、氷よりも冷たい光。
(父を追放した俺を、憎んでいるのか?)
考えられる可能性としては、それが妥当なところだろう。
アエルはそれだけを告げて、アレストカインに背を向け、林の中へと走り去っていった。
取り残されたアレストカインは、その場で呆然と小さくなっていく背中を見送る。
(異国の少女が、なぜあの男を知っている?)
異国──それもアレー公国と、グリマティオがつながっていた形跡はなかった。
アエルとグリマティオとの関係性がわからない。しかし彼女の瞳にあった憎しみは、確かなものだ。
──鏡に写った自分の瞳と、そっくりであったから。
アレストカインは少女に撫でられた頬に手を添え、アエルの言葉を思い出す。
『泣いてた?』
頬を濡らす水は、雨粒だ。
(泣いてなどいないよ)
雨は小降りとなり、月が顔を覗かせる。
(憎まれるって、こんな気持ちなんだ)
トキがずっと抱いている感情。
父に、王に、王子に、王妃に、そして己に。
弾劾の逆恨みによる暗殺未遂や皮肉は幾度も経験した。
しかし他者からの憎しみを、面と向かって言葉にされた経験は初めてであった。
(エアを殺したことで俺を憎む人なんて、いなかったから)
アレストカインは目元を覆った。
『よく似合ってるよ』
『お待たせ!』
『ありがとう』
『トキと、ずっと一緒に暮らしたかった』
『トキ、大好きだよ』
──私の人生で、トキと過ごせた時間が一番の宝物
一度も思い出せなかったあの日の優しい記憶が、エアの笑顔ともにありありと蘇る。
忘れたくなかった。
忘れてしまいたかった。
責めて、赦さないで欲しかった。
赦しなどいらないから、生きていてほしかった。
『赦さない』
アエルの言葉はエアのために紡いだものではない。しかしこれは、彼がずっと待ち焦がれていた言葉だ。
ずっと、誰かに、責めて欲しかった。心から、裁かれることを望んでいた。
そうされることが、エアが存在した確かな証である気がして。
「ありがとう………」
アレストカインの頬を、新たな水が一筋、伝う。
雨はすでに止んでいた。
【第一部終了】
書き上げたら続きを置きます。
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