第七十週 冷笑を冷笑してしまった!(土曜日)
土曜日、病院の外で飯吉庚くんとバッタリ会った。
そのまま黙って病院から離れていく。
公園に入ったところで飯吉くんが振り向く。
「なについてきてんの、こんしまちゃん」
「矢良さんのことが気になって……」
わたしが答えると、飯吉くんは息をついてベンチに座った。
こぶし一個ぶんの間隔を作ってわたしは隣に腰かける。
「また会えなくなっちゃったから……」
「ナチュラルに隣に座らないでくれるかな」
目を細めて雲を眺める飯吉くん。
「ボクも受付で追い返されたよ。一時期よくなったと思ったらこれだもん」
整ったかたちの耳をさわりつつ、乾いた笑いを漏らす。
「ははっ、ホントに高校卒業前に死ぬのかもね、みくり……はは」
「飯吉くん……」
「なに? そんなこと言っちゃダメとでも偉そうに言うわけ?」
「こないだの日曜日……わたしは矢良さんと文字当てしりとりをしたんだ」
わたしも上空の高い雲を目で追う。
「言葉を入力する際、ひらがな五十音が表示されたアプリ画面をタッチしていくんだけど……使用するたびその文字の色が変わるの。緑、黄色、赤、紫、灰色って感じで……。だから色は重要な情報……そして矢良さんはとどこおりなく文字当てしりとりを楽しんでくれた……」
矢良さんの話では、病気が悪化した状態だと脳が重くなって視界に薄い赤や青が加わるそうだ。
でも色を用いる文字当てしりとりを引っかからずに楽しんでいたことからして、そのとき視界は悪くなっていなかった。
少なくともつい先日わたしが会いに行ったときは本当に良好な健康状態だったと言える。
以上の説明をしなくても、飯吉くんはわたしの言わんとすることを理解したみたいだった。
「だからだいじょうぶ、すぐに回復するって言いたいの?」
「そだよ……」
「……ボクは水曜日にみくりの病室に入った。そこでみくりがボクの絵をかいてくれたんだけど、ものすごくヘタなものを渡されたよ。爆発四散した鬼だよ、あんなの」
飯吉くんがわざとらしく両手を挙げる。
「それ見てボクはなにもかもがアホらしくなった。たとえば、みくりがベッドのそばに置いているクラスメイトの寄せ書き。あれもただの紙切れじゃん」
「色紙だよ……」
「どっちにしてもなんの意味もない。そんなんで病気が治るわけない」
眉をひそめてゆっくり手を下ろす。
「あー、もう。思えばこの世は意味のないことばっかだよ。みくりは老衰で死ぬだのイラストレーターになるだの、のたまってるけど……どうせどっちもかなわない。なにからなにまでアホアホしい」
「アホアホしい……?」
「そう、みくりのことだけじゃない。前にボクはこんしまちゃんにバスの運転手に憧れてるって言ったよね。その気持ちさえくだらない気がしてきた」
確か飯吉くんはそれについて「この気持ちは一生変わらない」とも口にしていたと思う。
「地球に乗っているだけで気持ち悪い。自分という体に搭乗しているだけで酔いつぶれて嘔吐しそう」
泣いているのか笑っているのか分からない口調だった。
「あ、そういえばこんしまちゃんたちはもうすぐ修学旅行なんだよね。せいぜいみんなで観光バスに乗って楽しんできなよ。みくりは行けないし、ボクは行かないけど」
「……立合先生によると、修学旅行に行かない人は学校に顔を出すことになるみたいだよ」
「まあ、うちの高校はそうみたいだね。でも入院中なら無理だね」
飯吉くんはスマートフォンを取り出し、しばらく画面を操作する。
しばらくして口元だけで笑った。興味深いネット記事を見つけたみたい。
「新種のネコ、ティルカヨねえ。ふふっ」
「……ティルカヨのこと、笑みがこぼれるほど気に入ったんだね」
「いや、笑いは笑いでも『冷笑』だって。新種のネコが発見されたからって、『だからなに?』ってあざ笑ってるんだよ。でも心優しいこんしまちゃんは今のボクみたいな態度、許せないんでしょ」
「そんなことないよ……屋内公園で話したとき飯吉くんは……わたしがネガティブな感情も理解してるのはむしろ意外でもなんでもないって言ってたよね」
「え、ボクそんなこと言った? だけどホントどうでもいいよ」
さらに画面に指をすべらせる。
「世界ではこんなことが起こってますーとか、こんな発見がありましたーとか、わたしはこう思いますーとか、みんなアホアホしい。全部、鼻で笑いたくなるね」
そして持っていたスマートフォンを地面に向かって投げつけた。
両手で顔を押さえる。
「なんで……なんでみくりだけが苦しまなくちゃいけないの? なのにこいつら、なんにも知らないでヘラヘラと!」
「おっと……」
わたしは立ち上がり、なんとか飯吉くんのスマートフォンを地面に激突する前にキャッチした。
「はい、飯吉くん……落ちてたよ」
「落ちる前に拾ったんでしょ」
「しまった」
「……ありがとう」
目元をぬぐい、飯吉くんがスマートフォンを受け取った。
公園にいた人たちがわたしたちから離れていく。
飯吉くんはスマートフォンの電源を切った。
再び隣に座るわたしに視線を送る。
「なんのつもりなの。ボクに気があるわけでもないくせに」
「うん、飯吉くんのことはみじんもそういう目で見ていない……そしてわたしはカウンセラーのつもり……」
「きどってるんだ。くだらない」
「その調子……」
「なんて?」
「こうなったらわたしのことも、いっぱい冷笑してみてよ……スッキリすると思うよ」
「意味が分からない。そう言う人に限っていろいろ言われたときに逆ギレするもんじゃん」
「わたしはキレない……泣きもしない」
「ウソつき」
猫背になった飯吉くんが、首をひねって見上げてくる。
「だいたいカウンセラーきどるためにボクを哀れな相談者に見立てて利用してるんでしょ? みくりの病状を確認するのを目的にして文字当てしりとりとかいうのを仕掛けたりするのもそうだけど、こんしまちゃんってけっこう打算的だよね」
あくまで笑いながら続ける。
「相合い日傘を共有したりみんなに細かく声をかけたりしてクラスメイト全員に分け隔てなく接する愛されキャラを演出してるみたいだけどさ、そういうのってただの八方美人だし、ハッキリ言ってうっとうしいから。それでいて冷めてるところは冷めてるよね。返信を求めない片道年賀状がいい例だよ。あれも本当は相手に気をつかっているんじゃなくて、必要以上にみんなとつながりたくないから一線を引いてるんでしょ。だけどこんしまちゃん自身はそんなことないよーって態度で終始ヘラヘラしてる。ははっ。実際、薄っぺらでつまらない人間だよね、こんしまちゃんって」
「ナイス冷笑……」
「皮肉?」
「違うよ……冷笑してって言ったのはわたしだからね」
わたしは足をぶらぶらさせた。
「それに飯吉くんの言ったことは全部合ってる……」
「反論すらないわけ?」
「とくに……」
「やっぱ怖いんだけど、こんしまちゃん。普通今の聞いたらキレるか泣くかするでしょ」
飯吉くんが自分のひざに両ひじをつく。
「なんか悪い気がしてきたから、こんしまちゃんもボクを冷笑し返してみてよ」
「……ふふ。飯吉くん、ふふっ」
「それだけ?」
「うん……口角の持ち上がる角度がポイント」
「伝わらないって」
「しまった……」
「いや、もういいよ。なんかごめん」
うなだれて何回か背中を震わせた。
「こんしまちゃん、やっぱりボクはこんしまちゃんと友達になれそうにない」
「そう……」
「正直、ほかのみんなが言うようにこんしまちゃんのことをいい人間だとも思ってない」
「……実際そうだよ」
「みとめなくていいから。とはいえ、なんだろ」
耳をぴくりとさせたあと、少し顔を持ち上げる飯吉くん。
「まあカウンセラーは向いてるのかもね。本当のところは知らないけど」
「冷笑はどうしたの……?」
「続けてるよ。ただ、すべてを冷笑するのならあらゆるものを冷笑する自分自身を一番に冷笑しないといけないんじゃないかと思う」
右手をかざし、ひさしを作る。
片目をこちらに向けてくる。
「分かってるよ、苦しんでるのはみくりだけじゃない。みんな、なにも知らないわけでもない。ヘラヘラしているように見える人ほど悩んでいたりする。実際ボクだって、みくり以外の人間の事情とか苦しみとかを知ろうとしていない。それを棚に上げてほかのみんなをあざわらってる。下に見ている。そのうえ、もう別れたっていうのに彼氏ヅラ。おまけに義憤に駆られたフリして世の中に当たり散らしてる。その実態は、正当な理由もなく学校をサボり続けてあまつさえ寄せ書きにメッセージを書こうともしない最低なヤツなのにさ。薄っぺらでつまらないのはボクのほうだよ。本当に笑える……」
「ふふ……」
「その口角の角度」
飯吉くんもわたしと似たような表情になった。
「こんしまちゃんもボクを冷笑してくれるんだ?」
「正確には……ほかのみんなを冷笑しようとする飯吉くんに対する飯吉くん自身の冷笑そのものを冷笑してる」
「ややこしい」
「しまった……とにかく、冷笑自体も冷笑の対象になりえるわけだよね。まず、すべてに対するおおもとの冷笑がある……で、おおもとの冷笑を冷笑したあとは、その冷笑への冷笑を冷笑することになる……」
「でも冷笑への冷笑への冷笑も冷笑される? なんかわけ分かんないけど」
「うん……そうして冷笑は果てしなく連なる。冷笑の無限連鎖……!」
「終わらないね」
「といっても続くのはすべて冷笑……だから今、思い付いたんだけど……冷笑の連鎖は循環小数のように表記できるはず」
「循環小数って『0.3』みたいに数字の上に点を付けて、以降も同じ数字が続くことを示すやつだよね」
「というわけで、冷笑も『循環冷笑』としてあつかってみるよ……表記法は簡単、『冷笑』の二文字に点を付けるだけ」
スマートフォンのメモアプリをひらいて、冷笑と入力してから傍点を添える。
冷笑
「これぞ冷笑……循環冷笑……」
「その循環冷笑って発想自体が冷笑されたら?」
「それこそ、冷笑の無限連鎖にからめとられちゃうよ……」
「なにそれ」
飯吉くんは口元をほころばせた。
直後、すぐに険しい顔に変わる。
「……ボクはみくりが助かってほしいと思ってる。けれど心のどこかから、どうせ無理だよ、元カレのくせになにさまだって笑う声がする」
「人格バトルだね……」
「いや人格バトルは知らない。でもその笑う声を、ボク自身が笑い返せばいいだけのことかもしれない。いろいろつらくなって、またなにかを笑いそうになったら、その都度その冷笑自体を笑ってやればいいのかもしれない」
「だね、飯吉くん……ただ、純粋な冷笑もその人にとって大切な気持ちかもしんないから……無理に否定することはないんだと思う」
「あ、そう考えたからこんしまちゃんは自分への冷笑にも反論しなかったんだね」
「……じ、実はそうなんだよー」
「本当は『なんとなく』だったんじゃ?」
「しまった……バレた」
わたしはベンチから立ち上がる。
「じゃあね、飯吉くん……」
「はは」
「ふふ……」
「は……いいや、やめとこ。キリがない」
ひさしを作っていた右手を崩し、飯吉くんがその手を振った。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
☆今週のしまったカウント:四回(累計二百九十三回)
次回「第七十一週 未婚指輪がはやってしまった!(日曜日)」に続く!(十月十六日(金)十九時から二十三時五十九分のあいだに更新)
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それにしても冷たい笑いがあるのなら熱い笑いもあるのかもしれませんね~。




