第六十四週 気まずい空気を愛してしまった!(金曜日)
金曜日の午後。天気はくもり……。
わたしは制服のまま、透明の壁で囲われた屋内公園に入った。
今は八月末だけど……春休みのとき、自分の脚本を批判されたがっていた水戸目くんといろいろ話したことを思い出すね……っ!
焦げ茶のベンチに座り、ひじを曲げてテーブルに両腕を置く。
今はわたししかいない。
ブランコやすべり台が静かにたたずんでいる。
そんな屋内公園に、だれよりも整ったかたちの耳を持つクラスメイトの男の子が入ってきたよ。
私服の飯吉庚くん……!
「うわ、こんしまちゃん」
「こんにちは……飯吉くん」
「……さよならっ」
飯吉くんは慌ててきびすを返した。
でもわたしは立ち上がって飯吉くんに追いすがる……っ!
「カバディカバディ……」
「は……?」
「しまった」
「いやカバディは別にいいよ」
「いいんだ……」
「それよりボクに用なの?」
だれもいない公園を見回す飯吉くん。
「鵜狩と付き合ってるこんしまちゃんと二人きりとかメチャクチャ気まずいんだけど」
「気にしなくていいよ……将来わたしはカウンセラーになって、いろんな人と二人きりになるから……。適切な距離感はわきまえてるつもり……。それに飯吉くんは、透明な壁の外からわたしがいるのも見てたよね……? つまり最初からわたしに用があって屋内公園に入ったけれど、直前になって『やっぱやめよ』と思ったということ……」
「……そうだよ。だから話さない」
「うん、それでいいんだよ」
「いいの? じゃ、なんでカバディしたわけ」
「脊髄反射で……」
「なんてツッコめばいいんだか」
それから飯吉くんは透明な壁の向こうにショートボブの女の子を見た。
わたしたちのクラスメイトである委文知砂さんだ……っ!
飯吉くんはわたしと二人きりでいるのに耐えられなくなったようで、委文さんを手招きした。
制服姿の委文さんも屋内公園の地面を踏む。
「なに? 飯吉くん」
「あ、いや……委文。彼氏持ちのこんしまちゃんと二人でいるのがなんか嫌で」
「私と一緒だともっと気まずくなると思うんだけど。実際、私は飯吉くんもこんしまちゃんも無視するところだったし」
「別にいいよ」
「変なの」
というわけで、委文さんと飯吉くんとわたしは公園のテーブルを囲んでベンチに座った。
しばらく沈黙が流れる。
委文さんが口をひらく。
「……つまらないこと言っていい?」
「いいよ」
「言って……」
「ハッキリ言って、私は飯吉くんのこともこんしまちゃんのことも友達と思っていない」
「それはボクもだよ」
「わたしもそう……」
「意外だね。飯吉くんはともかく、こんしまちゃんは『わたしは友達と思っている』とか言うかと思ってたんだけど、安心した。もし私のことを友達呼ばわりしてたら、すぐに去ろうと考えてたのに」
ほおづえをついて、委文さんがまばたきする。
「……なんか、こういうこと、立合先生以外に話す気はなかったんだけど」
静かにたたずむ遊具のほうに視線をやって言葉を継ぐ。
「私は、気まずい空気が好き。友達同士のワアキャアした輝かしい青春とか、怖すぎてヘドが出る」
「気まずい空気もおいしいの、分かるよ……」
「……こんしまちゃん。青春まっさかりのあなたがディスられてるって思わないの?」
「思わないよ……なにをどう思うかは人それぞれなんだから。委文さんの思いも、大切なものだよ……」
「じゃあ、気まずい空気がおいしいのはなんで。説明してみて」
「受け入れられてる感じがするから……かな」
「逆じゃないの? 微妙に拒絶されているから気まずい空気になるって考えたらさ」
「微妙じゃない空気をだれかと共有するのはラクだよ……でも、それって……たとえば最初から『友達』とか、そういう前提があるからだよね……。だけどそういう前提を取っ払ったら……なんか、居心地の悪い空気になる。こういうとき、気まずい空気なんてやだ……っ! って思われたら追い払われちゃうわけで……」
なんか言語化が難しいけど、飯吉くんの視線も感じながらがんばってみる。
「けれど気まずい空気を呼吸して、それでも相手が自分を追い払わなかったら、それがなによりうれしいの……。だってその重苦しい空気が漂っているにもかかわらず……相手が自分と同じ空気を吸っていいんだってみとめてくれたってことだから。たとえば友達同士なら一緒にいても居心地がいいのは当たり前……わたしはそういう空気も好き。でも、友達じゃない人同士のあいだに漂っている気まずい空気も好き……! 都合が悪いからってわたしがその場から追い出されなかった証拠が……気まずい空気の正体だもん……。だから、気まずい空気もおいしい……ッ!」
「……なんか、普通に感心した。私もまったく同じ意見だわ。友達同士の空気が好きってこと以外」
「ありがとう委文さん……」
「いや説明を要求したの私だし、こっちこそありがと。でもますます意外。こんしまちゃんって、わりとそっち方面のことも考えられるんだ」
「あっち方面もこっち方面も任せて……」
「どっち方面?」
「……しまった。そう言われると言葉に詰まっちゃう……」
「まあ、そういうもんじゃないの委文」
自分の耳たぶをむにむにさわる飯吉くん……っ!
「ボクとしては、こんしまちゃんがわりとネガティブな感情も理解してるのはむしろ意外でもなんでもないことだと思うけど」
「へえー……どういうことかな」
委文さんがきれいな所作で髪をなでた。
飯吉くんはわたしの顔色をうかがったあと、委文さんに視線を向けなおして続けたよ。
「たとえばヘラヘラしてるヤツがこの場にいたとするじゃん?」
「うん」
「その人にはなんの悩みもないように見える。言動も明るい」
もしかして矢良さんのことを考えているのかな……。
「はたからその人を見た人は『あ~、あの人、人生で苦労したことないんだろうなあ』とか『きっと頭のなかはカラッポなんだろうなあ』とか『世界のことなんてなんにも分かってないんだろうなあ』とか思うよね」
「まあ、パッと見た印象はそんな感じじゃないの」
「でも実際は、その人は頭がカラッポだからなんの悩みもかかえていないように見える……というわけじゃない。むしろそういう人こそ、人一倍悩んで、いろんなことを知ろうとして、いろんなことに打ちのめされて、たくさん傷ついた人間じゃないかと思うんだ」
「結果、心が壊れたってこと?」
「違うよ。傷だらけだからこそ、その傷を隠して明るく生きようとしているわけ。でも世間さまは、そういう人間を『バカ』とか『なにも考えていない』とか『偽善者』とか言って罵倒するわけだよね。その明るさや元気が、だれよりも暗い場所を経験したからこそ絞り出されているものだとも知らないで」
「そう……飯吉くんって、けっこうまじめなんだね。友達じゃないけど、そういうところは嫌いじゃないかも」
ここで、委文さんが水筒を出してかたむけた。
わたしも水筒で、飯吉くんはペットボトルで水分を確保する……!
息を吸って、委文さんがわたしを見る。
「こんしまちゃんも、暗いところを知ってるの?」
「暗いというか……わたし、小学校の途中の時期までけっこう転ぶ子だったから。……もちろんネガティブなところもあるよ」
「助けてくれた人もいたんだよね」
「鵜狩くんが……わたしをずっとささえてくれたんだ」
「ふーん」
委文さんがちょっと言葉を切ってから、また口をひらいた。
「……こんしまちゃんって、恋愛についてどう考えてる?」
「そ、それは……分かんない……っ」
「ここだけの話だけど、私……立合先生のことが好きかもしんないんだよね」
そう委文さんが言った瞬間、飯吉くんがむせた。
もちろん、わたしも驚いちゃったけど……。
小さく笑う委文さん。
「まあ普段からいろいろ愚痴を聞いてもらってたからね。私、カウンセラーをまったく信用してないけれど、立合先生にはなんか話せたんだよ。意識したのは一年生の節分のとき。後ろ向きに投げた大豆ボールを私によこしてくれた瞬間。二人とも、覚えてないでしょ」
「ボクが学校サボんなかった日だよね、そんなことあったっけ」
「わたしは覚えてるよ……久慈さんが提案して、加布里さんがブーケトスって言ってたやつだよね」
「え、こんしまちゃん覚えてるんだ。先生は、あれを意図的に私に投げたみたいでさ、そのときは心で悪態をついたけど、すごくうれしかった。まあでも……私が気持ちを伝えたりしたら先生迷惑だろうから、少なくとも卒業まではなにもしない。その前に結婚したら、諦める」
「立合先生はボクもけっこうお世話になってるから分かるけど、いい人だもんね」
「いい人……ねえ。そういうことよりも、私が同じ空気を吸いたくて、あの人にも同じ空気を吸ってほしいって感覚かな」
「分かる……!」
わたしはあいづちを打った。わたしも鵜狩くんと同じ空気を吸いたいし、鵜狩くんにもその空気を呼吸していてほしいから。
委文さんは屋内公園の透明な壁に目をやった。
「恋愛は、優れている人と劣っている人を選別する作業じゃない。これは友達についても言えるんだろうけど、いわゆる伴侶を探すとき……その人が素晴らしい人かどうか採点して『この人にはそばにいる価値がある』とか『この人にはそんな価値がない』とか考えるのがどうしても嫌だ。そういう話をしてるんじゃないのに。友達づくりとか恋人づくりが、人間としての優劣をつける場になっているのにどうしても吐き気を覚える。選ばれなかった人とかフラれた人をさげすんで、あいつには人間的な価値がなかったんだとさげすむ行為が本当に無理。友達や恋人にならなかったのは相手が無価値だからじゃなくて、たまたま同じ空気を吸い続けることができなかっただけ。だれかのそばにいる人間が優れているのでも劣っているのでもない。一人でいる人間が劣っているのでも優れているのでもない」
静かに肩をすくめる。
「どう? つまらない話でしょ。こういう話を、立合先生は聞いてくれるわけ」
「いや、いい……話なんじゃないの」
飯吉くんが慎重に言葉を継ぐ。
「確かに恋愛っていうのは、もっとも価値のある人間を見つける作業じゃないよ」
「そうだね……なんか委文さんの言葉を聞いて、ちょっとスッキリしたかも」
わたしの好きな鵜狩くんも、本当に素敵だと思う。
けれどそれは、鵜狩くん以外の人が無価値とかそういうことじゃない。
まわりの人よりも優れているかどうかとか、そういうことは好きになった決め手じゃない。
きっとわたし自身が、鵜狩くんと同じ空気のなかにだれよりも長くいたいと思っているだけなんだ。
「ありがとう……委文さん」
「お礼を言われることはしてないって」
「あの……きょう語ってくれたこと、日記に書いてもいいかな」
「え、それは構わないけど」
「感謝……っ! 飯吉くんも……いいかな?」
「あ、みくりに頼まれてるヤツね。いいよ、勝手にすれば」
「飯吉くんにも感謝……」
「……ちょっと、こんしまちゃん」
左右に目を泳がせる飯吉くん。
「もともとボク、聞こうと思ってたことがあるんだけど」
「この屋内公園に入ってわたしに話そうとしてたことだね……」
「そう」
前のめりになって呼吸を整える。
「……こんしまちゃんって、みくりが長期入院に入ってからも……どうして暗くなったりしてないの? 別に薄情だとか言ってるんじゃなくて、なんか……根拠があるのかなって」
「矢良さんと約束したから……。待ってるあいだも……楽しく、前向きにみんなと過ごすって。遠慮して悲しい気分で居続けることは……しないって」
「みくりが、そう言ったんだ」
「私には分からない世界」
委文さんがゆっくり立ち上がる。
「こんしまちゃん。これも日記に書きつけておいて。持論だけど……青春は、暗いものであるべきなんだよ。だって明るいだけの青春を過ごしたら、年をとったときに『あのころと比べて今はみじめだ』と思うようになるだろうから。でも青春に暗さがあれば、年をとっても『あのころよりも、ずっといい』と考えてどんどん年をとるのが楽しくなるでしょ。だから青春とか思い出は、明るくなくてもいいんだよ。ほどよく暗さがあるほうが、きっと生きる糧になる」
「うん……刻みつけるよ」
「だけどごめんね。先生からの受け売りも混じってる」
そして屋内公園に子どもたちがやって来たところで、委文さんも飯吉くんも去っていった。
二人は友達じゃない。でも――。
同じクラスになれて、同じ空気を吸えてよかったと心の底から思うんだ。
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☆今週のしまったカウント:二回(累計二百六十六回)
次回「第六十五週 髪型で感情を表現してしまった!(火曜日)」に続く!(九月四日(金)十九時から二十三時五十九分のあいだに更新)
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それにしても空気感って大事ですよね~。




