第五十週 遠くない未来を占ってしまった!(土曜日)
この世には一週間に一度は「しまった」と言ってしまう高校生・紺島みどりが存在する。
――まあこんなふうに毎回のようにこんしまちゃんを紹介することであたし・矢良みくりは自分を話の主軸から外しているんだけど、なんだかんだでこの記録もとうとう五十回目に達した。
だれに見せるわけでもない記録だ。
今のところ、こんしまちゃんにも見せていない。こんしまちゃんを中心に据えた、完全にあたしだけの日記……だった。
言葉というのはだれかに伝えるためにあると言われる。
じゃあ自分だけにしか向けられていない言葉は無意味なのかとも思う。
もっと言ってしまえば、自分が死んだあと、だれもあたしの言葉を見ることがなかったらその言葉はなんの意味もないことになってしまうのか。
いやそう思うのなら、こんしまちゃんや佳代子ちゃんに見せればいいじゃんって話なんだけどね。
なんというか、いざ見せても読んでくれるのかという不安はつきまとうわけで。
五十回目ということであらためて自分のノートをパラパラ見返して思ったのは――「長いな」ってこと。
ようは一回一回の文章が長い。
たぶんこんしまちゃんがお弁当を忘れたときの一回目が一番短くて、あとはそれなりに分量が増えている。
もっと簡潔にまとめることができなかったのかと反省してみる。
けれど長くなってしまったのは、そもそもこれを書くのが楽しかったからじゃないだろうか。
単純に、こんしまちゃんやそれぞれの口癖を持つクラスメイトが好きなんだ。
とはいえ日記自体が長かったら読み終わる前にこんしまちゃんも眠ってしまうかもしれない。
そういうわけで、これからはちょっと記録を今までよりも短くしてみる。
最近とくに脳が重いし、薄い赤や青があたしの視界のなかで踊り狂う時間も増えた。
正直、文字にふれるのは学校の勉強だけでほとんど限界なんだよなー。
お医者さんから、体や心の負担になるようなことは減らすように言われたし。
そもそもお父さんとお母さんが、もっと生きるのが楽しくなるかもしれないってことで日記を勧めてくれたのがこの記録のきっかけなわけで。
その思いに反して日記自体が負担になって病気の治療のじゃまをしたら……よくないよね。
あと文章量が多いままだと、あたしから代筆を頼まれたこんしまちゃんが必ず同じ分量で合わせようとする。それはこんしまちゃんの負担になる。
だから今のうちに文章量を減らして「長くなくていい」って伝えておかないと。
日記を長く続けるポイントは、無理をしないことなんだそうだ。気乗りしない日は、一行だけでもいいんだそうだ。
(そもそも週に一回のペースにしたのは、毎日だと途中で投げ出す可能性があったからだしね。二十一週目の記録を見返すとそう書いてある。こういうときに日記は便利だねー)
いい機会だからもっとペースを調整してみる。
この記録はもう、あたしだけのものじゃないんだ。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
土曜日の午後。
雨が降りそうで降らない曇天の下で、こんしまちゃんは町外れを散歩していた。
小道のそばにあるベンチで休んでいると、自転車が目の前でとまった。
自転車に乗っていたのは髪型がベリーショートの女の子。
こんしまちゃんのクラスメイトの久慈小鮎さんである。
レインコート姿の久慈さんはヘルメットを外し、こんしまちゃんとあいさつを交わした。
「空は素敵な雨模様ね」
あいづちを打つこんしまちゃんの右隣にきれいな所作で腰かける……ッ!
「こんしまちゃんは傘を持ってきているかしら」
「持ってきてる……」
カバンのなかからこんしまちゃんは、折りたたみ傘を出した……!
「きょうは午前に家を出たんだけど……そのときにカバンに入れたの」
「奇遇ね。わたしも午前から自転車を走らせていたところよ」
「そうなの……? といっても天気予報では午前の降水確率が三十パーセント、午後も三十パーセントだったから傘を持っていくか迷ったけど……」
「いえ、どちらも三割なら傘を持参して正解だわ」
「どうして……?」
折りたたみ傘をしまうこんしまちゃん……っ!
「五割を超えてないし微妙なところだと思うけど……」
「簡単な確率計算の問題よ。どちらも降水確率が三十パーセントの場合、午前も午後も雨が降らない確率は何パーセントかしら」
「七十パーセント?」
「違うわ。四十九パーセントよ。雨が降る確率が三割ということは、雨が降らない確率が七割ということ。つまり、午前にも午後にも雨が降らない確率は十分の七かける十分の七で百分の四十九。つまり四十九パーセント」
「しまった……言われてみれば確かに」
「午前と午後両方に雨が降る確率は九パーセント。十分の三かける十分の三で百分の九になるから。午前に雨が降って午後は降らない確率は十分の三かける十分の七で百分の二十一。つまり二十一パーセント。午前に雨が降らず午後に雨が降る確率も同じ二十一パーセント。午前と午後の降水確率が共に三割のとき、しめて五十一パーセントの確率でその日は雨に見舞われるわ。まあ午前に外出して午後に帰る場合の話だけれど」
「五割を超えるね……っ! どっちも三割だったのに不思議……」
感心してこんしまちゃんが鼻息を荒くする。
「だから久慈さんも、ばっちりレインコートを着てるんだね……」
「ええ、おもしろいわよ。確率というのは重なることで変動する」
ポケットからコインを取り出す久慈さん……!
「たとえば一回のコイントスで表が出る確率は二分の一」
「でも二回だったら……四分の三……七十五パーセントの確率で表が一回以上出ることになるんだね……」
「そうよ。二回投げてどちらも表が出ない確率は二分の一かける二分の一で四分の一。逆に言えば四分の三の確率で最低一回は表が出ることになるわ」
「とすると、三回コイントスすれば八分の七、四回で十六分の十五、五回で三十二分の三十一の確率で絶対に表が出るね……」
うれしそうにこんしまちゃんが目を輝かせる。
「あきらめずに何回もやったらいつか成功するみたいな話……っ」
「そう単純なものでもないわよ、こんしまちゃん」
久慈さんは右手でコインをはじいた。
「確かに二回投げれば七十五パーセントの確率で表が一回以上出るけれど」
左手の甲と右手の平でパシッと受けとめると、コインは裏を示していた。
「それは同時に、七十五パーセントの確率で裏が一回以上出るということでもあるわ」
「しまった」
こんしまちゃんが計算する……!
「二回コインを投げてどちらも裏が出ない確率も表と同じで二分の一かける二分の一で四分の一……だから四分の三……こっちも七十五パーセントの確率で最低一回は裏が出ることになっちゃうんだ……」
「そういうことね。試行回数を増やせば確実に表を経験するチャンスは増える。でも裏を体験する機会も同様に増えていくの。懲りずに何回もやったら失敗だって積み重なっていくよって話ね」
表を成功、裏を失敗と断定するのも早計かもしれないけれど……。
それについては、わざわざお互い口にしなかった。
ぷるぷる震えるこんしまちゃん……っ!
「六回コイントスしたら六十四分の六十三の確率で絶対に裏を引く……」
「かつ六十四分の六十三で確実に表を引くということでもあるわ」
「この事実、無視できないね……」
「ふふ、そして六十四という数字から連想したのだけど」
コインを両手の平に載せ、久慈さんが転がす。
「こんしまちゃん、『易』という占いを知ってるかしら」
「たくさんの棒をジャラジャラかき交ぜてそのうちの一本を抜くみたいなやつ……?」
「そう。本来そんな感じで占うの。でも邪道かもしれないけれどわたしはコイントスで易をやってる」
右手でコインをつまみ、その裏表を見せる。
「易の基本は『陰』と『陽』……これを三つ組み合わせて『八卦』を作るわ。陰と陽の組み合わせの数は二の三乗で八個になるから八卦というわけ。わたしはコインの裏を陰とし、表を陽としているの。コイントスを三回おこなえば八卦が得られる。さらにもう一つ八卦を重ねて『六十四卦』とする感じね」
「はっぱろくじゅうしだね……」
息をのみ、こんしまちゃんがコインを見つめた……っ!
「よかったらこれからのみんなのことを占ってほしいな……」
「クラスメイトのことかしら? よくってよ。ちょっとした『くじ』みたいなものだと思ってね」
久慈さんが再びコインをはじく。
あっという間にコイントスを三回終え、八卦を得る……!
さらに三回のコイントスを重ね、もう一個だけ八卦を作る。
結果は、裏裏表・表裏裏になった。
「つまり陰陰陽・陽陰陰の六十四卦が示されたようね。初六・六二・九三・九四・六五・上六と」
「しょ……しょり?」
「これに当てはまる卦は……えっと、『小過(䷽)』だったかしら。『小さい』が『過ぎる』と書くわ」
「もしかして悪い意味なの……?」
不安そうにするこんしまちゃん。
対する久慈さんはいきなり漢文をそらんじる……っ!
「飛鳥之の音を遺す。上がるに宜しからず、下がるに宜しく、大吉なり」
「やった、大吉……!」
「今のは易の教科書的な存在のめちゃ有名な書物『易経』の一節よ。意味は『調子に乗って高く飛びすぎたらダメ、そういうのはほどほどにして地に足をつけることも未来を切りひらくうえでは大切だよ』ってとこかしらね」
「え、すごくためになるアドバイス……久慈さん本当に占い師みたい……その『えききょー』というのも暗記してるの……?」
「基本的な部分だけよ」
ほほえみながら久慈さんは答えた……ッ!
目をキラキラさせてこんしまちゃんが久慈さんに顔を近づける。
「そ、それじゃあ、ほかにも占ってくれる……?」
「ちょうどわたしもそうしたかったところだわ」
再度コイントスを六回おこない、久慈さんが六十四卦を得る……!
今度はクラスメイトのみんなじゃなくて、こんしまちゃん個人を対象にした占いだ。
結果は、表裏表・裏裏裏だった。
「陽陰陽・陰陰陰。初九・六二・九三・六四・六五・上六。これは『明夷(䷣)』の卦のようね」
「めいい? すごいお医者さん……?」
「その名医じゃないわ。『明るい』に『征夷大将軍』の『夷』と書くの。この夷には『傷』という意味もあるわ」
「しまった。でも傷ってやっぱり悪い意味なんじゃ……っ」
「易経には『艱みて貞しきを利しとす』と書かれているの。つまり『困難に直面して悩むことがあっても、いじけないで自分のなかの正しさをつらぬけば意外となんとかなるもんさ』って意味ね」
「おお……分かりやすい」
「もちろん解釈については諸説あるけれど……あら」
ここで二人に向かって雨がざああ……っと降り始めた。
ベンチから立ち、こんしまちゃんは折りたたみ傘を広げる。レインコートの久慈さんは自転車にまたがる。
「それじゃあね、こんしまちゃん」
「またね……」
ヘルメットをかぶった久慈さんが走り去ったあと、こんしまちゃんは家に帰った。
なんとなく自分の部屋でコインをぱちーん……とはじいてみる。
それを六回くりかえし、八卦を二回すなわち六十四卦を得る。
すると表表裏・表裏表という結果になった。
「陽陽陰・陽陰陽。こ……この卦は……っ」
思わずひとりごとを漏らす……ッ!
「しまった……分かんない……」
でもなんか楽しかったので、易コイントスを何度もやってしまったこんしまちゃんであった!
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ※
☆今週のしまったカウント:四回(累計二百十五回)
次回「第五十一週 実姉と義弟(?)が出会ってしまった!(日曜日)」に続く!(五月二十九日(金)十九時から二十三時五十九分のあいだに更新)
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ちなみに本文の最後に出てきた「陽陽陰・陽陰陽」に対応する卦を「睽(䷥)」と言います。『易経』には「小事吉なり」すなわち「ちょっとした成功に期待しよう!」と書かれているっぽいですね~。




