第四十三週 さまよってしまった!(土・日曜日)
ウェーブのかかったくせ毛を持つ現在十六歳の女の子・紺島みどりは「今週のしまったちゃん」と呼ばれている。
一週間に一度は「しまった」と口にしてしまうからだ。
ゆえに略して「こんしまちゃん」……!
これはそんなこんしまちゃんの「しまった」に関わる物語である。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢
土曜日の昼下がり。天気は晴れ。
新年度を迎えたこんしまちゃんはダークグレーのトップスと赤黒いロングスカートを着た状態で町外れをさまよっていた。
靴は赤茶のローファーだ。
黒を基調としたシックなデザインの日傘をひらき、その持ち手を右手に握っている。
両側に田んぼが広がる道をしずしずと歩く。
道の右端に寄っているけれど今のところ車の通行は見当たらぬ……ッ!
ほかに人もいない。……いや、同じく右端を歩く女の子が前方に見える。
紺色のパーカー、デニムのホットパンツ、黒いタイツ、白いスニーカーという格好だ。
しかも頭頂部からは、ぴょこんとアホ毛が生えている。
そのアホ毛から彼女がクラスメイトの一人であると判断したこんしまちゃんは、ちょっと歩調を速めて後ろから声をかける……っ!
「勢さん……こんにちは」
「おや、その声は」
アホ毛の女の子――勢さんが首を左にかたむけて肩越しにこんしまちゃんを見返す。
「こんしまちゃんじゃ~ん。かもかもーん」
いったん停止し、勢いよく両手を振る勢さん。
勢さんのフルネームは「勢さくら」……ッ!
ノリと勢いで生きているゆるふわ少女だ。
きびすを返し、自分からも早歩きでこんしまちゃんのほうに向かう。
「偶然だねー。ウチ、さっきまで流石んちに遊びに行っててさー。今はその帰りついでに普段行ったことのない場所をうろついてたんよ」
「へえ……それは素敵だね……」
日傘を差したこんしまちゃんも早歩きで道を蹴る……ッ!
「わたしは散歩……あてどなく、さまよっているんだ……」
「おお~、いいじゃーん」
こんしまちゃんの目の前に来たところで勢さんが体の向きを相手に合わせる。
ついでジャンプし、やや左に移動した……!
「じゃ、こんんしまちゃん。ウチの右にどうぞ」
「イケメンムーブ、ありがとね、勢さん……」
左の車道に近いほうを歩きだした勢さんの右横にこんしまちゃんが立つ。
「そうだ……相合い日傘、する……?」
「するするー」
アホ毛をなびかせ、勢さんが声をはずませた。
こんしまちゃんは右手に握っていた日傘を左手に持ち替える……ッ!
「どうかな……? 気持ちいい……?」
「もちっ!」
日傘の影に入ったあと、勢さんが両手をすり合わせる。
「ウワサに聞いていた相合い日傘をこんしまちゃんとできるなんてウチ、幸せだわー。あんがと~」
「うれしい……だけどなんで勢さん……手をすり合わせているのかな……?」
左隣を歩く勢さんにこんしまちゃんが素朴な疑問を投げかけた。
聞かれた勢さんは、えへへと笑う。
「ありがたいものを拝むのは当然っしょ~。こんしまちゃんさまさま~」
「むむ……二重敬称とはやるね……っ」
「いや、これは『ちゃん』プラス『さま』プラス『さま』だから三重敬称なんだわ」
「しまった……」
慌てふためくこんしまちゃん……っ!
勢さんは自身の後頭部に両手を添え、言葉を引き取る。
「やっぱ、こんしまちゃんの『しまった』は落ち着くね。ウチらの学校って三年間クラス替えないし、なんか安心感あるよ」
さらに、なにか思い付いたように勢さんの両目が光を放つ……!
「てなわけで、こんしまさま。ウチが傘をお持ちしましょうかー」
「あ……じゃあ頼もうかな……」
こんしまちゃんは勢さんの右手に傘を持たせ、自分の左手を離した。
「でも『こんしまさま』とは……?」
「えっと『今週のしまったさま』略して『こんしまさま』って感じで」
これはタイトル変更の危機……!
新年度早々、「今週のしまったちゃん」は「今週のしまったさま」になる――。
……なるのか?
「正直ウチとしては、みんなのことを『さま』を付けて呼んでもいい気がするんよねー」
みんなとは、こんしまちゃんを始めとするクラスメイトのことのようだ。
「ウチ、みんなのことすごいと思ってるし。また一年間同じクラスになれると思うとありがたすぎるし、勢いで『さま』付けしちゃいそうだわ。赤金しろみさまは素直でかわいい。飯吉庚さまは正直でー、鵜狩慶輔さまはミステリアスで」
こんしまちゃんの感覚とはちょっと異なる視点で勢さんが「さま」呼びを続ける……ッ!
「加布里璃々菜さまは自分をつらぬいていてー、久慈小鮎さまは大きな哲学を持ってる。見藤幸也さまは冷静沈着でね~、紺島みどりさまは『しまった』の申し子」
五十音順にクラスメイトの名前が出てくる。
「流石星乃さまは頭がめっちゃよくて、標葉令太さまは努力家。菖蒲佳代子さまは純粋できれいな人」
「きれい……かあ。そうだよね……っ」
勢さんのアヤメに対する印象を耳にし、こんしまちゃん自身もうれしくなった。
軽くうなずき、勢さんが言葉を続ける……!
「で、束花りくさまは思慮深くて、蝶ひなぎくさまは一途。鳥松月次郎さまはスポーツ万能。中能美都風さまは人類愛にあふれていて」
普段の勢さんは基本的にクラスメイトを呼び捨てにするので最初はなんか意外だったけど……くりかえし彼女の「さま」を聞いていると、なぜか違和感がなくなってきた……っ!
「子々津絵千香さまはとっても親身で~、筈井友春さまはエネルギーに満ちてる。委文知砂さまは責任感のある人」
プライベートでは一人になりたがる一方で必要な場面ではだれとでも進んで協力する委文さんに「責任感」を見いだした勢さんの視点は、こんしまちゃんにはないものだった。
「そんで伏木守久さまは安定感抜群。穂七瀬さまは、こっちまで元気にしてくれる。間地柚季さまは野心に燃えていて、水戸目永志さまはだれよりストイックだと思うわー」
借りた日傘の持ち手をこんしまちゃんのほうに寄せつつ、勢さんはゆる~い声音で話す。
「六月一日涼芽さまは自分の進みたい方向をちゃんと見ているし~、谷高誠一さまは『やったか』の申し子」
「谷高くんも申し子なんだ……」
思わずツッコむこんしまちゃん……ッ!
対する勢さんはいたずらっぽくほほえむ。
「でねでねー、矢良みくりさまはなにごとにも一生懸命。嫁田秀さまは鋭くてー」
鋭いという表現の意味するところは不明瞭だけど、勢さんは嫁田くんのその鋭さをリスペクトしている模様……っ!
「鹿出舞さまは頼れるし、和南統人さまは誠実であろうとしているところがいいよね~」
クラスメイトの五十音順の最後は和南くんである。
こうして勢さんの「さま」シリーズはいったん終わった。
「あ、立合広夢先生さまも生徒に寄り添ってくれる感じが最高だわ~」
「勢さん……『さま』を付けたくなるほどに、みんなのいいところを見つけているんだね……」
立合先生への二重敬称を指摘することなくこんしまちゃんが微笑する。
「ただ……一人だけ忘れてるよ……」
「え、ウチ、だれかスルーしてた~?」
傘を持っていない左手で自分の頭を軽くたたく勢さん。
一方こんしまちゃんは左手を伸ばし、傘の持ち手をもう一度つかんだ。
「日傘を持っていてくれてありがとうございます……今からはわたしに任せてください……勢さくらさま」
こんしまちゃんの口が傘を手放す勢さんの右耳に近づき、ささやき声を送り込んだ。
「勢さくらさまは……なんていうか、みんなを癒やしてくれるね……」
「あー、忘れてたのはウチのことかあ」
勢さんが右横のこんしまちゃんに少し顔を寄せる。
「どもども~。やっぱこんしまちゃんはカウンセリングする姿がサマになるわー」
「カウンセリング……? そんな感じだったかな……」
「ウチね~、中二になるまでけっこうあちこち転校してたから同じメンバーと一年以上一緒なのは初めてなんだ。そんでテンション上がってたんだけど、上がりすぎちゃって人のことを『さま』呼びするとこだったよー」
ウェーブのかかったくせ毛に視線を這わせ、陽気に言葉を継ぐ。
「だからきょう、こんしまちゃんと相合い日傘できてよかったー。ここでさまさま言ってガス抜きしてなかったら二年生になってしょっぱなから『立合先生さま』とかぬかしてドン引きされてただろうねー。あっはっはー」
「ふふ……そうだったんだ……」
こんしまちゃんも釣られて笑む。
「といっても勢さん……今、流石さんと遊んでから帰る途中なんだよね……もしかして流石さんのことも……」
「お、よく分かるね。実はすでに流石を流石さまって言っちゃったんだよなー、これが。でも流石はとくに引かなかったんよ」
アホ毛を縦にゆらす勢さん……っ!
「流石いわくー、『去年の九月の学力テストで世界史を教えたときも「流石さまさま」って言ってたからとくに驚かない』ってさー」
「ああ……そういえば、そんなこともあったっけ……流石さん、本当によく覚えてるよね……」
「それな~。で、流石んちから帰る段になって、段々ウチ自身が人のことを『さま』呼ばわりしたいんだなーって自覚しちゃったんよねー」
肩を上下させ、息をつく。
「でもこの欲望は胸にしまっとくことにしたよ。ま、勢いで言っちゃったらそれはそれで別にいいけど。でも実際、同級生から『さま』付きで呼ばれたら『うわあ……』ってなるものなのかなあ」
「それについては人によって……」
穏やかで落ち着く声がこんしまちゃんの喉からほとばしる……ッ!
「さまざまなんじゃないかな……?」
「……さまだけに? こんしまちゃん、おもろ~」
「しまった……そんなつもりじゃ……でも、いっか……」
ここで道の両側の田んぼが途切れ、二人は丁字路に差しかかった。
勢さんは左に、こんしまちゃんは右に折れる。
「じゃ……勢さん、うようなら……」
「うようなら~、こんしまちゃん」
とくにこんしまちゃんの別れのあいさつにはツッコまず、勢さんは同じあいさつを返してくれた。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢
で、次の日つまり日曜日。
こんしまちゃんはまた昼下がりに日傘を差して同じ道を散歩していた……ッ!
格好もきのうとほとんど同じだ。
スカートがちょっと短くなったことくらいしか違いがない……!
左右の田んぼを見ながらトテトテ歩いていると、前方にクラスメイトの男の子を発見した。
彼は自分の右側の青い自転車を押して進んでいる。
だれよりも整ったかたちの耳が後ろから見えるけど……心なしかトボトボ歩いている感じもする。
その服装は黒っぽい靴と紺色のズボン、紫の厚手のジャケットで構成されていた。
きのうの勢さんのときと同様、こんしまちゃんは近づいて背中から声をかける。
「飯吉くん……こんにちは」
「げ、こんしまちゃん」
彼――飯吉庚くんは露骨に嫌そうにしながら顔を下げ、自分の右わき越しにこんしまちゃんを見据えた。
追いついてきた彼女に対してもいっさい愛想笑いをせず代わりに渋面を向ける……っ!
「四月早々こんしまちゃんに遭遇するなんて運が悪いなあ」
「わたしは飯吉くんと会えてうれしいな……」
「すごいメンタルだね。これ純然たる皮肉だけど」
「ふふ……飯吉くんらしくて安心する……ところで、どこか元気なさそうだけど……なにかあったの……?」
「いいよ、カウンセラー気取らなくても。ボクにとってこんしまちゃんは友達未満でしかないし――」
そのとき飯吉くんは以前、日傘をシェアさせられたときにこんしまちゃんに言われたことを思い出した。
(だけど友達じゃなくても……それ以上でなくても……一緒にいて、いろいろ話したりしてもいいと思うんだ……)
ため息を挟み、飯吉くんが自転車を見下ろす。
「ついさっき青切符食らったの」
「あ……確か今年の四月から自転車にも青切符制度が適用されるんだったっけ……」
こんしまちゃんは同情するでもなく真顔でうなずいた。
「わたし……二輪の自転車乗れないからよく分かんないけど……」
「え、こんしまちゃんって自転車苦手なの? なんか安心した。……って」
飯吉くんが自転車を押しながら左横のこんしまちゃんをジト目で見る……ッ!
「なに勝手にボクの上に日傘をかかげてんの?」
「ご……ごめんね」
こんしまちゃんは話しながら、自分の右手に持った日傘を飯吉くんに向けてかたむけていたのだ……!
傘を引っ込めようとするこんしまちゃんに、飯吉くんが呆れて言う。
「あー、もういいよ、それで。はいはい、ありがとー」
「優しいね、飯吉くん……」
「……本当にこんしまちゃんがなんなのか分からん。これでボクにいっさい気がないのが恐ろしいというか。付き合っている鵜狩との仲が悪くなったときのためにキープしとこうとか、そういうのじゃないよね?」
「それはありえない……なんならわたしと鵜狩くんとのあまあまな日常を語って……」
「勘弁して」
「うん……」
素直にこんしまちゃんは押し黙る……ッ!
――かと思ったら、別の話題を切り出した。
「飯吉くんって……なんか野望を心に秘めてる……?」
「なにそれ? やりたいことあるかって話?」
五歩進むあいだだけ沈黙したのち、飯吉くんが答える。
「ボクは小さいころから、ある職業に憧れてる」
続いて目をパチクリさせて口ごもった。
「まさかみくりからすでに聞いてるとかじゃないよね?」
「いや初耳……」
「あっそ。まあともかくボクは幼稚園のころバスで送迎されてた。そんとき毎日……運転者の後ろ姿をずっと見ていた」
飯吉くんは自転車のハンドルを凝視している。
「頼りがいのある大きな背中。たくさんの人を運ぶときの真剣な表情。キレのあるハンドルさばき。大型のバスをまるで手足のように自在に動かすその技量。乗り降りする人をあたたかく見守るその視線。……全部かっこいい」
もはやこんしまちゃんが隣にいるのも忘れているようだ。
「この世で一番かっこいいのはバスの運転手なんだよ。ボクにとってはね。思い出補正も大きいとはいえ、この気持ちは一生変わらないと思う」
ついで乾いた笑いを漏らす。
「なのに自転車で青切符を食らっているようじゃ……先が思いやられることだね」
「飯吉くん……」
こんしまちゃんは日傘をかかげたまま、相手の名前をただ呼んだ。
飯吉くんはその場で軽く地面を蹴る。
「乗り物というのは、いいものだよね。スフィンクスしかり」
「スフィンクスは乗り物だった……?」
「それは冗談だけどさ、なんか乗り物の上じゃないとボクは落ち着かないんだよね。クレーンゲームしかり」
「……乗り物、好きなんだね」
クレーンゲーム発言を追及することなく、あいづちを打つこんしまちゃん。
「やっぱりバスの運転手さんに憧れているから……?」
「まあね。でも、あと一つ明確な理由がある」
息を吸い、飯吉くんは真下を向いた。
「ボクは地球に酔っている」
ブルッと身震いし、発言の意味の説明に移る。
「これは『自分に酔う』って言うときの『酔う』じゃないからね。『船酔い』と同じ意味。つまり『地球酔い』ってこと。地球が動いていると意識したら……なんか気分自体が悪くならない? 不愉快ってわけじゃなくてさ、単純に自転と公転に巻き込まれている自分が絶えずシェイクされているって感覚かな」
「なるほど……飯吉くんはそれを感じられるから地球に酔うんだね……」
「感じられるって言い方が気になるけど……まあそう。地球もある意味では乗り物酔いを引き起こす乗り物なのかもしれない。とはいえボクは車や船、電車に乗っているときは乗り物酔いをしたことがないんだ。たぶんそれって動いているか分かりづらい地球よりも、よほど分かりやすく乗り物たちが動いているからなんだろうね。分かる? こんしまちゃん」
「分からないけど……分かりたい」
こんしまちゃんは、左のかかとで道をたたいた。
飯吉くんは真正面に目を移し、歩調を速める。
「それでいいよ、こんしまちゃんに分かってもらいたくもないし。とにかく地球酔いするボクは多くの時間を乗り物の上で生きていたい。なかでもずっと憧れているバスの運転手として死ねたら最高だと思う。これがボクのやりたいこと……もとい野望だよ」
「すごい野望だね……」
「どう捉えるかは勝手だけど、早くバスの免許をとりたいもんだね。最近は地球酔いだけじゃ済まなくなってるし」
自転車のハンドルに添えている両手をにぎにぎさせる飯吉くん……!
「たとえば自分の手を動かせることとか、こうして足で前に進むことができること自体が……すごく恐ろしいことだよね」
「自然なことじゃないの……?」
「よく考えれば自分の意思に合わせて体がそのとおりに動いてくれるってすごくない? 脳が神経を介して指令を届けているとは言うけどさあ、その前に心と脳がどこかで連結してるわけだよね。この心と脳のあいだに介在するものが分からないというか。自分のなかに未知のものがある感覚と言えばいいのかな……」
言葉を整理しきれないまま、飯吉くんが思考をそのまま口に出す。
「そんな未知のもののせいで心が体に絶えず影響を与えるとすれば、自分の体も地球と同じようにずっと動いているわけで。それを意識すると今度は『地球酔い』とは別に『自分酔い』というものが始まるんだよね。いや『自体酔い』って表現したほうが語弊がないのかもしんないけど。地球だけじゃなくて人体も乗り物の可能性があるしさ」
「すごいことを考えるんだね……」
「一種の中二病みたいなもんだよ。まあ、こんなこと言うのもこんしまちゃん相手だからでしかないし。別にこんしまちゃんから『なに言ってんのこいつ』と思われても、どうでもいいから。しかもこうして正直に話せば、めんどくさい女子とかも向こうから勝手に逃げてくれるしさ」
「いや……わたしは普通に感心してるよ……」
こんしまちゃんは飯吉くんの元カノの矢良みくりさんのことも思い出しつつ言葉を引き継ぐ。
「だけどその『自体酔い』もバスとかの乗り物に乗ったときは忘れていられるんだね……」
「先回りするじゃん。まあ地球という大きすぎる乗り物でもなく、自分の体という近すぎる乗り物でもないちょうどいい規模の乗り物こそが、世間一般で定義されているいわゆる『乗り物』なんだよね」
「自転車もその一つ……?」
「そりゃね。とはいえずっと自転車に乗っていると地球酔いも自体酔いも遠ざかってしまいそうになる。確かに積極的に酔いたいとは思わない。ただ、その本来的な酔いがあるからこそボクは人間の発明した乗り物とその運転手にますます憧れていられるわけなんだ。だから地球に酔うのも自分の体に酔うのも実は好きなのかもしれない」
それから飯吉くんは前方に見えてきた丁字路に目をやったあと、横目でこんしまちゃんの様子をうかがった。
「なんでボクのやりたいことを聞いたの?」
すぐには返答しないこんしまちゃんへと言葉を重ねる。
「普通なら、もう学校サボんなとか……留年しなくてよかったねとか……みくりとの関係はどうなっているのとか……そういうこと、話さない?」
「飯吉くんはわたしにそういうことを話してほしかったの……?」
「いいや、そういう話題になったらボクは自転車に乗ってこんしまちゃんの日傘から逃げていたよ」
黙って日傘を自分のほうに下げるこんしまちゃんに皮肉っぽい笑顔を見せる。
「とはいえこんしまちゃんがボクのことを分かっているみたいに振る舞っているのを意識したらそれはそれでなんか腹立つ」
「わたしは飯吉くんのこと……実はそんなに理解してない……」
丁字路の直前で、こんしまちゃんは歩調をゆるめた。
「だから野望を聞いたんだ……」
「ボクも結局こんしまちゃんがどういう生き物かいまだにつかめない。だってさっきから」
自転車のハンドルを左に向ける飯吉くん。
「しまったと一回も言ってないじゃん。今週のしまったちゃんのくせに」
「毎日絶対に言うわけじゃないよ……わたしは今週のしまったちゃんだから」
とくに「今週の」を強調してこんしまちゃんは返した。
「きのうすでに今週分の『しまった』はチャージ済み……」
「あっそ、じゃあね」
「またね……」
「……う、うん」
飯吉くんは自転車を押し、左に曲がった。
こんしまちゃんの視界に映っているあいだ、彼はずっと自転車に乗ることがなかった。
(飯吉庚さまは正直……)
きのう勢さんが口にしたことが脳裏によみがえる。
なんとなく、小さくなっていく飯吉くんの背中に「さま」を付けてそれを言おうかとも思った。
でもやめておく。
きっとその「さま」は彼をゆさぶり、もっと酔わせてしまうだろうから。
だからそっとひとりごつ。
「こんしまさま……なんてね」
自分で自分に「さま」を付けるとなんとも変な感じがする。
そういう意味での「さまよい」もあるいはあるのかもしれないと思いながらこんしまちゃんは飯吉くんから目を離し、帰路についた。
※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢
☆今週のしまったカウント:二回(累計百八十回)
次回「第四十四週 いろいろなものが伸び悩んでしまった!(火曜日)」に続く!(四月十日(金)午後七時ごろ更新)
いつもお読みいただきありがとうございます。評価やブクマ等も励みになっています!
それにしても四月三日に今回の第四十三週目を投稿することになったのは面白い偶然ですね~。




