逃げて撃たれて
大陸横断鉄道 ウラジオストク行きにて
内戦終結 新ロシア軍がクリミアを制圧!
それが今朝買った日付が3日前のサハ合衆国新聞の見出しだった。
本日未明、新露軍はソ連残党最後の拠点であるセヴァストポリ海軍基地を完全なる支配下に置いた。
当初は限定核戦争の危険性を唱える声も多かったが、それも杞憂に終わったようだ。
アドミラル・クズネツォフに籠城していたソ連軍高官は最後の抵抗を試みた。
ボスポラス海峡はドイツ海軍に封鎖されており、彼ら黒海艦隊に逃げ場は無かった。
最も、黒海を出るだけの燃料は残っておらず、ソ連人を受け入れてくれる亡命先は見付からなかっただろう。
基地内へ突入する新露軍は、空母に備え付けられた対空兵器や周辺の洋上艦からの艦砲の水平射撃に晒された。
19時間に及ぶ戦闘の末、300台の戦車と100門からなる榴弾砲の集中砲火を浴びて空母は大破着底した。
新露国暫定大統領は内戦勝利を宣言した。
クレムリンで処刑されたニコラエヴィチ書記長も、これで報われるだろう。
「あの爆発は隠蔽されたか……」
新聞にはニシス族のことは何一つ書かれていなかった。
だが国内は隠し通せても、衛星には見えていた筈だ。
地震計やら大気観測機で核爆発が起きたこと自体はそのうち明らかになる。
どんなカバーストーリーで大失態を誤魔化すのか見物だ。
「疲れたなぁ」
口から自然に出てくる言葉は普段なら隠す筈の感情が漏れ出していた。
熊も人間も巣籠もりする季節のせいなのか、列車の乗客数は行きで乗った時よりも減っていた。
その為、向かいのベットには誰も居なかった。
車窓からは一面を雪で覆った世界が写し出されている。
目を焼く程の強烈な反射で視界は白くぼやけてしまう。
他の乗客が沸かして飲んでいる紅茶の臭いで気分が悪くなる。
父が暗殺された時、応接室で紅茶ばかり飲んでいたからか、その甘く柔らかな香りが嫌いになってしまった。
自分でも気付かないぐらいの激しいストレスを感じていたのだろう。
寝ている最中に奥歯を噛み割ったことすらあった。
子供の頃に産まれた憎悪は触れ過ぎて肥大化した出来物のようになる。
私なんかその最たる例だ。
誰も私がここまでやるとは思っていなかった。
「変だよなこの新聞」
通路を歩いていた男が突然、ナスタチウムの読んでいた新聞を取り上げ向かいのベットへ腰掛けて来た。
「少くとも2番目に大きなニュースが書かれていない」
そう言ってグリコリーは紙袋の中からトカレフをちらつかせた。
「良く私だと分かったね」
「あぁ、貴様のような女は初めて見るからな」
グレゴリーはシケモクになったマルボーロをポッケから取り出し咥えた。
「すげぇ女だ……私の空挺時代からの部下達を全員退けた。敵も味方も全員ぶっ殺した」
「別にわざとじゃないんだけどねぇ」
酒も煙草もやらない健康的な肉体であるが、その女の顔はストレスに晒されていた。
幾つも修羅場をくぐり抜けると、皆そういう顔になる。
「やるならさっさとやれ、それか奥さんのトコでも帰ったら?」
「女房は内戦で死んだ。そっちはどうなんだ?」
「まぁ1人居たんだけどね、そいつは自殺したから今フリーだよ」
ナスタチウムは真顔でピースをして酷い冗談を口にする。
「今ここで殺してやろうと思ったが予定変更だ。道連れになるつもりはない」
丁度ウラジオストクの駅に到着した。
それと同時に警官が雪崩れ込んで来た。
「貴様を満州の麻薬組織構成員だと密告しておいた。サハの連中に拷問されて死ね」
グレゴリーはトカレフを投げ渡して席を立つ。
弾倉を引き抜いて中を確かめると、弾は入っていなかった。
「やられたよボケ!」
ナスタチウムは車窓から身をよじって抜け出し、雪の大地に落ちた。
「逃げたぞ!回り込め!」
「生け捕りにしろ!」
足首に巻いて隠し持っていた拳銃を抜き、列車の合間を縫って走った。
駅の構内に入り、降りる乗客と乗り込む乗客の人混みに紛れた。
「どけ!そいつを捕えろ!」
誰かが自分の手を掴んだ。
顔も知らない正義感だけで私を止めようとした人間だ。
それが蛮勇であると教えてやるよ。
至近距離から拳銃を撃ち放って相手の腰を砕いた。
「銃だ!」
突然の銃声でパニックに陥り、人の波が警官達を襲った。
その隙に駅の外へ飛び出すと、通り掛かったタクシーを拾った。
「どちらまで?」
「家に帰るのさ」
血走った目で銃を向けられた運転手は車を捨てて逃げていった。
助手席から移動し、バンドルを握って急発進する。
「どうする?どうする?」
満州ルートは駄目だ。
国境は封鎖されているし、そもそも桜花じゃなきゃ越えられない。
正規ルートで北樺太まで向かって50度線を越えて日本領に向かうか。
いや、面が割れてる以上身分証は役に立たない。
ポケットの中には小銭しかない。
列車の中に荷物は置いて行ってしまった。
「漁船だ」
ウラジオストクから朝鮮半島に直行すれば、最短で辿り着ける。
それしかない。
車を漁港の方へ走らせつつ、ダッシュボードの中を手探りで物色する。
何かの書類、発煙筒、菓子の空ゴミ、どれも役に立ちそうのない。
途中、警察車両とすれ違うが気付かれる様子はなかった。
海へ近付くに連れ、どんどん磯臭いが強くなってくる。
漁港近くに車を停めて様子を伺うが、やはり日が落ちていない時間は人が多過ぎだった。
腕時計の針は5と4を指している。
もうすぐ日没だ。
引き帰して街中へ戻り、行く途中で見掛けた質屋で時計を売却した。
散々足元見られたが纏まった現金が手に入ったので、軍用品店で帽子とステンレス製のナイフとF1手榴弾を買った。
余った金で屋台で売っていたピロシキとスープ買い、貪り食った。
「あのタクシーか?」
振り返ると警官が盗難車を発見したと報告をしていた。
そそくさとその場を立ち去り、早歩きで漁港まで戻った。
公衆トイレで伸びた黒髪をナイフで切り落とし、帽子を被って目立たないように整えた。
漁港に女が居ると目立つので、なるべく男に見えるよう工夫した。
フェンスをよじ登り、港へ進入すると堂々と胸を張って歩いた。
やましいことをする人間は、怪しい動きをすると思うのが人の心理だ。
それに加え、日が落ち辺りが暗くなると顔も視認されにくくなる。
この手で何度も立ち入り禁止区画に侵入したことがある。
「さてと、どれで逃げてやろうか」
1人でも動かせる漁船を見付けなければならない。
港の端っこに停まっていた小型漁船のエンジンを掛け、もやいをナイフでぶった切った。
「おい、お前んとこの船動いてるぞ」
「畜生、船泥棒だ!」
漁師達が一斉に怒号と罵声を浴びせながら向かって来る。
急ぐ気持ちを落ち着かせながら、頼りない出力のエンジンに鞭打って離脱を図る。
5隻以上の大小様々なサイズの船が追って来た。
ぐんぐん追い付いて来るので威嚇の意味も込めて上空へ1発拳銃を放った。
だが海の男達はそんな豆鉄砲では怯まず、親の仇が如く食らい付く。
手榴弾を取り出し、先陣を突き進む一番大きな船目掛け投げる。
水柱と共に船は動きを停める。
上手いこと機関停止に持ち込めたようだ。
だが依然として怯むことなく、鬼ごっこはまだ続きそうだった。
そうこうしている内に軍へ通報されてしまい、朝鮮半島への道は閉ざされた挙げ句、ミサイル挺がゲームに参加し始めた。
2隻のミサイル挺は挟み込むように漁船へ接近し、今すぐ停船せよと無線とスピーカーを使って呼び掛けて来る。
船体へ向けて警告射撃のつもりなのか、機関銃の弾が飛んで来た。
エンジンを狙っているらしく、4~5発間隔で撃ち込んできた。
あくまでも生け捕りに拘るつもりらしい。
「これが最後の警告だ!直ちに停船せよ!」
76mm砲が此方を向き、前と後ろ両方に着弾する。
ナスタチウムは拳銃を頭に突き付けて目を瞑る。
考えうる中でも最悪の結果だったのかもしれない。
本音を言うなら、こういう手段を取りたくはなかったが、生きて捕えられることも御免だった。
「こちらは日本海軍所属の駆逐艦である!その船は亡命希望者を乗せている!直ちに離れよ」
誰かが全周波数で呼び掛けている。
水平線の向こうから救いがやって来た。
突如現れた3隻の艦艇を見てようやく諦めがついたのか、ミサイル挺は悔しそうに帰って行った。
誰かが私を助ける為に3隻も回してくれていたらしい。
私は大陸での任務を完了した。




