信じる者は掬われる
村人が敬愛して止まないその人物は黒いメッシュ生地一枚を隔てた向こう側にいた。
蝋燭の明かりで輪郭が浮かび上がるが、その顔までは見えなかった。
女の護衛が2人付いていて、ずっと目で追われ警戒されていた。
「同郷の者に会うのは久しい」
日本語?!こいつ邦人か。
訛りはなく、標準的だが気取った喋りをしている。
別に日本語は珍しい言語でもない。
大東亜共栄圏加盟国との軍事演習でも、大抵は日本語を共通言語にしている。
このロシアでも話せる奴なんて探せば見付かるレベルには居る。
本当に同族か確かめてやろう。
そう思い、探りを入れながら質問をする。
「出身は?」
「九州の辺り、それ以上は言わない」
「ほーそれがなんでロシアの片田舎で?」
「やんごとなき事情があってのことだ。そちらはどうなんだ?随分荒っぽい連中を連れているようだが」
互いに腹の探り合いとなり、言葉を一言一句丁寧に捻り出す。
「少し前から、噂を耳にすることが多い。特に日本人について」
「モンゴル人か華人の見間違いだろう、都会の連中はアジア系の見分け方を知らん」
「どうにも日本人が何かを探しているらしいんだ。金をばら蒔いて情報を集めてる」
派手に動き過ぎた弊害がこんな場所で現れるとは思ってもみなかった。
「だが最近はそういう噂も下火になった、一時のブームだ。それで直感した」
そいつは指で輪っかを作り、憎たらしくも事実を突いてくる。
「活動資金が底を尽きかけているのではないか?」
実際、金は殆ど残っていない。
情報屋に払う分やら襲撃に必要な武器弾薬に掛かる費用は、この数ヵ月で1年分の出費に相当している。
本部から振り込まれる資金だけではとても足りない。
世界中の銀行ネットワークから切り離されているこの国では、纏まった金を送るのには苦労する。
擬装団体を作って寄付という形で金を現地の職員に送金する方法もあるが、この国では全てに監視の目がある。
価値の低いルーブルでは取り合ってくれない、現物取引しか興味のない連中も多い。
「我々が資金を提供しよう、手を組まないか?」
話が見えてきた。
こいつ俺達を勧誘しようとしているらしい。
村人のやけに馴れ馴れしい態度は、籠罠に入った鳥に餌付けして調教する前段階って訳だ。
「そういう魂胆か」
「そういう魂胆だ」
困ったことに銃が手元に無く、外も中も信者で大量に溢れている。
ノーとは言わせないといった感じだった。
「一つ教えてくれ、教祖になるってのはどんな気分なんだ?」
救済の倣わし教団、それがこの村に根を張る違和感の正体だ。
内戦の混乱に便乗して勢力を拡大した彼らの手法は、かなり単純だが効果的だった。
ソ連崩壊で物流が滞り、餓死者が出るほど逼迫した状況の中、食料や医療支援を行ったのだ。
都市部から離れた場所にある遠隔地では、彼らを支持する者達が多数居る。
国から忘れられた人間達の集まり、というのが初期の評価だった。
こういう新興宗教は乱立していて、もっと過激で脅威度が高いと連中は他にも沢山居た。
だが考えを改めざる負えないようだ。
「上の連中と話をする。それから決める」
「受け入れたフリして逃げようたってそうは行かない。私が同じ轍を踏むとは思わないことだ」
同じ轍の意味はよく判らなかったが、もう逃げられないことは確かだ。
ここから叫んで外に知らせたとしても、外に届くかは部屋の隙間具合による。
ここが2階なら窓の外へ飛び出してワンチャンスを狙えたかもしれない。
前にもやったことはあるがガラスで頭を6針縫った。
「あーばいったな、俺はどうずれば……」
「君は、君は、自分の、自分の、置かれてる、置かれてる、状況、状況、を、を理解、理解して、して」
呂律が回っていない気がする。
くそぉ、こういう時は呼吸を
意識を失った班長を担がれ、何処かへ運ばれて行った。
国家議事堂 本館3階会議室にて
「であるからして、今後はドイツ大使館の警護を強化すると共に北欧過激派のテロに充分留意すべきと思われます」
「うん、わかった。次は旧ソ……」
「私から一ついいかな?」
会議の流れに割って声を上げたのは副総理の今井だった。
インドネシアのドイツ大使館で起きた爆弾テロの話題を区切り、恐らく副総理が話したかったであろう本題を切り出す。
だが総理は顔をしかめて言葉に出す前に難色を示した。
「今井さん、またその話ですか?それは御前会議の方で結論が出たでしょう」
今井は元86式爆撃機の操縦士であり、30年間の軍歴で6回戦地へ向かい、2度の墜落を経験した。
破壊した地上目標は400を越え、最終階級は空軍中将だ。
「米大陸戦線は膠着状態、戦況常に変化する。もし西米の首都が再び危機に瀕することがあれば、限定的な核使用を行う」
「核兵器は使いません。これはもう決められたことなんですから」
この話し合い自体に何か権限がある訳ではない。
定例会議のようなもので閣僚達は事前に議論した内容を報告する。
「まぁまぁ一旦落ち着きましょう。事をそう急ぐ必要はないでしょ」
外務大臣が仲裁に入るが両者の険悪なムードは変わる筈もなかった。
旧米侵攻の可能性アリという報告を握り潰した総理を、今井は好ましく思っていない。
何度もこの話を持ち上げて来るので総理は疎ましく感じていた。
だがそれでも強く出ない理由は今井が自分よりも歳を食った大ベテランであり、党内からの信頼も厚いからだ。
「旧ソ連諸国関連に話題を戻しましょう」
お手元の資料片手に旧ソ連内で起きている事柄が述べられてゆく。
「満州と国境を接するサハ合衆国では軍備の拡張が進められており、衛星での偵察によって新たに2隻の稼働を確認しました」
ソ連崩壊以降、放置され続けていた太平洋艦隊の艦船達は蘇り炉に火を灯していた。
これまで復帰させていたミサイル挺とは違い、外洋での長期間の航行が可能な大型艦艇が現役に返り咲いたとあって軍関係者は注目していた。
そのうちの1隻が、アドミラル・ゴルシコフ級フリゲートの15番艦である「ヴァルラモヴィチ」という艦だ。
ステルス性を意識した形状と、マストに設置された4面のフェーズド・アレイアンテナが一番の特徴と言える。
艦名の由来は地元の司祭だという話だ。
もう1隻は、言わずもがな知れた艦であるキーロフ級重原子力ミサイル巡洋艦である。
10番艦でソ連崩壊前の2018年頃に造られた最後のキーロフ級だ。
「その2隻の船は核ミサイルなんか撃てちゃったりするのかい?」
総理の質問に首相補佐官がNOであると返答する。
「艦に搭載されているミサイルに核運用能力のあるP700が搭載はされていますが、サハ合衆国は核兵器を全て新露側に引き渡しています」
持っていても使えない上に金食い虫の兵器を持ち続けるよりも、元宗主国に返した方が得だと思ったのだ。
「うん、それならいいんじゃないかな。それで内戦の動きは?」
ロシア資本主義人民共和国とソ連残党の動きは、衛星と現地諜報員によってある程度把握されていた。
「新露軍はクリミア半島を包囲しつつあり、内戦終結間近であると内調は結論付けています」
「もっと詳しい情報はないのか?本当に核戦争は起きないのか?」
総理が今一番気にしているのは、追い詰められたソ連残党が核兵器を使用して限定核戦争の幕開けとなることだった。
第二次大戦中、ナチスドイツがアメリカに使用したのを最後に、実戦で使われたことはない。
もし使われた場合、あらゆる均衡が崩れ去る危険性すらあった。
日本国内には今井のような核兵器使用条項緩和化を目論む推進派が大勢居る。
例えその爆発で死んだ者が居なかったとしても、実戦で使用された事実は推進派とって充分な正統性を与える。
我々の仮想敵である国家が大量破壊兵器を使ったぞ!抑止力強化の為に核兵器使用を緩和化するのだ!といった具合だろう。
「可能性としては低いです。8年もの内戦期間中、互いに撃つ素振りすら見せていません。協定を結んでいるという情報もあります」
「はっきりしないな、そこを調べるのが諜報機関の役目ではないのかね?」
そう言って総理は会議に出席していた内閣情報調庁の長官を叱咤する。
「申し訳ございません。全力を尽くしておりますが、あの国は少々広大で」
CIRAの長官は総理の横柄横着な態度にこう言ってやりたかった。
お前らがもっと予算を寄越さないから、今こうやって現場にしわ寄せが来てるんだよこの日和見野郎め。
私が何故この地位に立つことが出来たのか、それは上司に楯突くこと無く全ての無理難題を解決してきたからだ。
内調には年間1兆7000億の予算が投じられているが、それでも足りない。
無駄遣いをしていると文民連中は批判してくるが、たった1.7兆円で二つの大陸と太平洋全域の安全が守られるなら安いぐらいだろう。
総理の考えも理解出来ないこともない。
フィリピン戦争以来、政治的力を失った軍は嘗ての地位を取り戻そうとしている。
そうした連中を押さえるが為に、波風を立てない方針を取り続けていた。
戦争は英雄を生み出す。
戦争で生まれる大抵の英雄は軍人が多い。
英雄は民衆から支持される。
民衆から支持される英雄は選挙に勝てる。
だが、軍人が政を好むようになったらどうしようもない。
「しかしわからないのがねぇ、内戦が終わったあと新ロシアはどの方向へ向くのかだろ」
経済産業大臣はロシアとの貿易の可能性を模索していた。
石油や天然ガス、木材がこれまで以上に安値で取引出来ると思っているらしい。
「確かに、ソ連と旧米は互いに協力し合っていたがもうソ連は滅んだ。あの国はこれからどこと関係を結ぶのか?」
そんな話を持ち上げるために、ここにいるのなら余程の勉強不足だ。
新ロシアは誰とも手を取り合ったりしない。
共産主義者が資本主義者に鞍替えしたからって根幹は覆らない。
奴らの孤立主義は筋金入りだ。
旧米との関係だって貿易のみで同盟だの共同体だのの、同じ枠組みに入ったことはない。
「ロシアが今後どうなろうと、ソ連時代ほどの影響力はもう持てないでしょう。オレンジがある限り」
オレンジその通称で呼ばれる物質は、熱で体積を増加させて尽きることのないエネルギーを生み出す。
計画は阻止したが、ナチスドイツはこれを利用して生体部品を製造し、人造人間さえ造り出そうとしていた。
「他人事ではありませんよ!オレンジはもう世界中に広まっているんです。石油はもう意味を持たなくなりますよ!」
持たざる者にとっては夢のような資源であるが、持っている側にとっては悪夢でしかない。
ロシアに工作員を派遣したのも、オレンジを捜索させる為だ。
資源用途のオレンジの拡散を止めるのは不可能であるが、人造人間の技術はまだ広まっていない。
開発者を抹殺したが、その意思を引き継ぐ者がまだ残っている。
全てを秘密裏に行う必要がある。
無尽蔵の資源と途絶えることのない人的資源がもたらす未来など、核を伴わない世界の終焉なのだ。
CIRA長官は閣僚達の顔を一瞥して小さな唸りを上げた。
ここに居る政治家達は良き家に生まれ、良き大学を卒業し、良き理想を持ってここに座っている。
私の使命は国民の為に、その代表者である政治家の手を汚させることなく全てを抹消することなのだ。
その為に必要なことは……
「次の予算委員会についてお話が」
とにかく金だ。




