途中下車
「こちらです」
映画やドラマで見た通りの冷たく無機質な場所が、そこに広がっていた。
緑色の床には埃一つ無く、遺体安置室の冷蔵庫は鏡のように磨かれ、頑張れば化粧だって出来そうだった。
蛍光灯の明かりが付いている筈なのに、やけに暗く感じる。
暗さの原因は光度を下げているのか、私の目が曇っているかのどちらかだろう。
母は変わり果てた父の姿を見て絶句し、足の力が抜けて放心状態に陥った。
社長令嬢の娘として煌びやかながらも政略の世界で生きてきた母にとっては、その物理的破壊を伴う比喩表現のない暴力は心を折るに十分な衝撃を与えた。
そんなものを私は見たくはなかったが、親族が目視で確認して本人であると確認しなければならない。
そうしなければ、手続きも何も進んでくれないからだ。
目の前で母親は座り込んで涙を流し、後ろには気まずそうな顔をした青制服の警察官が立っている。
この状況で「ご本人で間違いないですか?」なんて聞ける人間は早々いない。
それに今ここで顔を見なければ、もう二度とその姿を思い出すことはないだろう。
金属台の上に散らばる肉片は、白いシーツの下に先程まで隠されていた。
赤み掛かった白く太い骨が、枝葉のように割れて血の臭いが全身を突き立てる。
余りの惨たらしさに、普段はシワの一つも見逃さず作らせない学生服のスカートを握り締めていた。
木片とくすんだ色の鉄球は肌をズタズタに引き裂き、下半身を文字通り吹き飛ばした。
肉奥へめり込んだ異物が、忌々しくも歪み光っている。
その時、私の中で綺麗に丸く輝いていた順法精神だとか政治的理念だとかが、壊れそうなことに気付いた。
バラバラに崩れてしまいそうな、その何かを胸に抱き抱えたまま外へ飛び出した。
叫びだし、暴れ回りながら壁に頭を打ち付けて、そのまま死んでしまいたいような気分だった。
でもそんなことしたって、私の周りに居る大人達は哀れんでしかくれない。
叫ぶ子供は不愉快でしかなく、正論をぶつける子供は生意気なクソガキだ。
別に誰かの為にやろうって訳でもないし、この方法が間違っていることは分かっている。
安置室の前で待機していた警護官に向けて足取り強く歩いて行く。
前傾姿勢で怒り任せに歩く。
やや俯いて歩く私を誰もが横目で覗いている気がした。
護衛対象だからなのか、涙目であったからなのか。
私を見るな。
私を見て思い出せ。
お前達の組織がもっとしっかりしていれば、こんな世界を見ずに済んだ。
今日だけで一生分の警察官を見た。
その中でも一際、警察官らしくない男が1人居た。
「あの………テロリストってどうやったら殺しに行けるんですか?」
極めて純情な感情をぶつけた。
身体がふわりと浮かぶ。
そして地面に叩きつけられ、そこで目を覚ました。
「クソ!もっと気を付けて運転しろ!マシな道はなかったのか?」
助手席に座っている班長は、車の窓縁を掴みながらニコライに向かって叫んだ。
「サスペンションがイカれてやがるんだよ!」
泥と雨水で出来た凹凸を通る度にタイヤ付近からギシギシと劣化した音が響く。
トランクに寝っ転がされていることを、申し訳程度に被せられている毛布が気付かせてくれた。
ナスタチウムは腹部に走る痛みに溜め息溢す。
銃で撃たれたことは何度かある。
初めてはサンフランシスコだった。
チャイナマフィアの連中に9mm弾を撃ち込まれた。
防弾プレートに命中して致命傷は避けられたが、あの息の詰まる衝撃は今でも忘れられない。
次に撃たれたのは2年後のDLFAに潜入中の時だ。
ビラ張りの手伝いをさせられている最中、地元当局の治安部隊に見付かって銃撃を受けた。
5.56mm弾が肩を貫き、全治5ヶ月の大怪我を負った。
唯一、後ろから撃たれたのはパシフィックホテル前のデモ抗争の時だった。
逃げる途中、鎮圧部隊にビーンバック弾で背中と尻を2発撃たれた。
その後1週間は椅子に座るのも辛く、実は石原と向かい合っている間もずっと痛くて堪らなかった。
多分向こうから見たら、枯れ草みたいな顔をしているように見えた筈だ。
だからだろう。
慣れると激痛を振り払おうとしなくなり、面倒なモノとして捉えられる様になった。
「おい女、生きてるか?」
「死んでるよ」
「おいアレクセイこの車、霊柩車になっちまったぞ」
後部座席でライフルを抱えて冗談話を片耳で聞くアレクセイは、仲が良くて羨ましいですねと返した。
毛布を退かし、血染めの包帯の隙間から傷口を確認する。
太陽の位置が大きく変わっていることから、もう随分な時間が経っていることを理解した。
「あまり触るな、縫いはしたがほどけると面倒だ」
「どれくらい眠ってた?」
「丸1日ずっとだ」
班長は大変だったんだぞと笑いながら語る。
私が負傷した後、班長らはニシス族の車を奪って市街地まで駆け込んだ。
ヘリは全力で追って来たが、途中で引き換えして行った。
恐らく機械的なトラブルか警察の目がある市街地で派手な行動は取れなかったのかも知れない。
街医者に銃を突き付けて脅し治させ、直ぐにヴォルゴグラードを離れた。
「医者が言うには、あと1cmであの世行きだったらしい」
「名誉の負傷だな、勲章も金も出ねえが」
違いないと全員せせら笑った。
「ところでちょっとした問題があるんだが……」
ニコライは、そう言ってひび割れたガラスをカチカチ爪で音を立てながら指差す。
その一枚隔てた向こう側の小さな世界では、針が赤い表示に触れ掛かっていた。
「燃料がない、何処かで給油しないと」
「おいピョートル、そっちはあとどのくらい走れる?」
無線での呼び掛けに後ろからウラルの6輪トラックで付いて来ていたピョートルは、良くて50kmだと報告する。
班長が地図を広げ、鉛筆で道筋をなぞりながら幾つかの候補を言ってゆく。
ソ連の自家用車事情はお世辞にも良いものとは言えなかった。
自動車を買うにも行列に並ばなければならなかったし、軍需が優先されて民間に出回る台数は驚くほど少なかった。
状況が好転に向かったのは1992年頃だった。
1991年の食料危機でアメリカが支援したこともあって、ソ連は輸出入に関して譲歩の姿勢をみせた。
フォードやGMが大量に輸出され、アメ車ブームが到来した。
車は高級品では無くなり、ロシア人達は車で渋滞をつくるようになって、交通事故数は40倍に膨れ上がった。
そんな訳もあってか、こんな片田舎でもガソリンスタンドは探せばあるのだ。
「一番近い所だと10km先だ。近くにデカい村もあるから、ガソリンぐらいなら置いてる筈だ」
車は悪路を抜け、ひび割れだらけのアスファルトを進む。
少し進むと塗装が剥げて無地になった背の高い看板と、屋根の姿が目に写る。
「クソ、もうやってないみたいだ」
コンクリートの割れ目から伸び出した雑草がそこら辺に生い茂り、頑強に根を張っていた。
屋根の下に停車し、降りて給油機の側に近寄る。
ノズルのトリガーを引いてガソリンがあるかを確認するが、錆び付いた音が響く。
廃墟と化している以上、分かっていたことだが1滴も残っていなかった。
隣接している建物に入ると、全てが持ち去られた室内に古びたポスターだけが張り付けられていた。
自動車に笑顔を浮かべながらガソリン入れる女性が、赤と白の配色で描かれている。
その下には「未来に向かって給油中」という文言が記載されていた。
女性労働者を募集する為のポスターらしいが、このありさまを見た後では労働意欲よりもノスタルジーを感じてしまう。
「班長、もう閉店してます」
「みりゃわかるよ……この近くに村があるって話したよな?なら物々交換でもして調達出来る筈だ」
鎮痛剤や風邪薬等の医薬品、チョコや酒の趣向品を部隊内でかき集め、リュックに詰めた。
「アレクセイこの場の指揮を任せる。ニコライ!2人連れて俺と来い」
帰りに燃料缶を持って歩くことになる以上、体力が馬鹿みたいに有り余っている人員が適切だろう。
そう考えルカとピョートルを呼んで来させると準備をさせる。
「長物は置いていけ、村人を刺激したくない」
ニコライの言葉に2人は難色を示した。
「丸腰で行けってか?マジかよ」
「クワで殴られたあとに八つ裂きにされたりしてな」
ルカとピョートルの文句にニコライは銃を投げ渡して返す。
銃床を取り外したビチャズとPP2000は、かなり使い古したのか部品の一部が緩くなっていた。
「工作員ってたーのしー」
デジタル迷彩の戦闘服を脱ぎ、革のジャケットを着込んだ。
「いいね、売れない俳優みたいだ」
「ざけんなこの野郎」
準備を整えた班長、ニコライ、ルカ、ピョートルの4人は、村があるという方向へ歩き出した。
「いつも通り、定期連絡がなければ直ぐに突入します」
班長は何か言いたそうな顔をするが、それを噛み砕いてアレクセイに伝える。
「あの女もよろしく頼む、大事なお客様だしな」
いつもの皮肉目いた調子であったが、アレクセイの目には本心も混じっているように見えた。
次回は投稿まで少し空くかもしれません。気長にお待ちください




