さぁこっちへ来い
ヴォルゴグラード郊外にて
モスクワから約980km離れたここヴォルゴグラードは、ソ連有数の産業都市であると同時に、第2次大戦の中で最も凄惨な戦いが繰り広げられた場所でもあった。
かつてスターリングラードと呼ばれたこの都市は、ドイツ第6軍の総攻撃を受けた。
ソ連軍は辛くもこれを撃退し、独軍の攻勢作戦は失敗に終わった。
その際、パウルス大将率いる第6軍は包囲され掛けたが、撤退に成功した。
内戦初期には新露軍とソ連残党軍が激しく戦った。
当時衛星で監視していた分析官が作成した資料によると、30万人以上の死者と15万戸の家屋が焼失した。
その惨状をママエフの丘に立つ母なる祖国像が、全て見てきた。
「車両が見える、トラックが2台にダチアが4台、給水車が1台」
収集した情報によると、ヴォルゴグラード郊外の廃工場にニシス族の連中が頻繁に出入りしているとの情報を入手した。
2回ほど偵察行って情報が確かなことを確認したが、それでも不安要素が残っていた。
「あのトラック何を運んでやがるんだ?」
「さあな、何かデカいのは積んでるだろうさ」
停まっている2台のトラックのサスペンションが深く沈み込んでいるのが、スコープ越しにも確認出来る。
「お前達はここ待機、何かあれば迫撃砲で援護してくれ」
班長はナスタチウムを含む12人の部隊を引き連れ、車両が集結している工場の近くまで前進する。
隠れていた背の高い草むらから飛び出て、外壁の崩れた部分から工場内に侵入する。
「足元に注意しろ、瓦礫だらけだ」
10年前まではT14だか15だかの新型戦車を造ってたらしいが、激しい砲撃を受けて廃墟と化していた。
工場はトムとジェリーに出てくる穴空きチーズみたいに、そこかしこボコボコだった。
「クソ、床が崩れそうだ」
「別のルートからが良かったんじゃないか」
「渡れればいいんだよ、女みたいに体重ばかり気にしやがって」
その担いでるPKM機関銃を置いてきたらどうだと、愚痴をこぼすアリョーシャへ嫌味の一つを言う班長は注意深く部屋を捜索する。
2階は従業員用の居住区画になっていて、スポンジが焼けて骨組みだけになったベッドが並んでいた。
彼らにとって、余りにも唐突なことだったのだろう。
煤だらけの写真立てや私服が、まだ生活感を残したまま置いてかれていた。
外から吹き込んだ風で廊下に散らばったゴミが動く。
「今日は風が強いな……」
「待て!」
班長が突然叫ぶと、這いつくばって床に落ちてる冷凍食品の空箱を見る。
ナスタチウムも班長の後ろから箱を覗くと、箱の中から地面へとワイヤーが繋がっているのが僅かに見えた。
「ブービートラップだ、仕掛けた奴は上手いな」
不自然な配置になってはいないし、部屋に入る際に自然と蹴り飛ばしてしまうような位置に仕掛けられている。
しかし、外から吹き込む強い風でも空箱が吹き飛ばなかったことで、罠に気が付けた。
「解除する?」
「構造が見えない、ワイヤー切った途端にドカンと行くかもな」
たった一つの小さな罠だが、強い違和感を覚えた。
別に陣地周辺に地雷を敷設して防御するのは珍しいことではない。
「撤収する。向こうは俺達の襲撃に備えてる」
「それがなにさ、散々大所帯を襲っといて今更」
「言いたいことは分かるが、俺達は数が少ない。奇襲が出来なきゃ終わりだ」
「緒を掴んだ魚が暴れるからと逃がす釣り人が、成果を上げられられると?」
元々ソ連に潜伏していたCIRA職員は45人居た。
内戦が始まってから、この8年間で11人が殉職した。
その間、人員の補充は今目の前で私に食って掛かる健啖家の女ただ一人だ。
「お宅の在籍してた支部は予算も人員も潤沢だったかも知れんが、俺達は金が無いのさ」
少しでも危険と判断すれば、退くのが長生きのコツだった。
「俺の判断に反対な奴いるか?」
班長の部下達は全員目配りし、沈黙という形での肯定を選択する。
「な?」
「そーですか、そーですか、郷に入れば郷に従えってことね」
来た道を引き返そうと踵を返したその時、遠くの方で爆発が起きた。
待機していた迫撃砲部隊が攻撃を受けていることが、直感的に直ぐに分かった。
「伏せろ!」
爆発の次に聞こえて来るのは、軍用ヘリ特有の力強いエンジン音だった。
上空を旋回するMi-24の機影に震え、一斉に物陰へ隠れる。
「クソ!戦闘ヘリだと?」
こうなった以上、乗ってきた車両には戻れない。
ヘリの眼を掻い潜りながら、安全圏へ脱出する他無かった。
「こちらニコライ、お前達が居る工場に10人程向かって行ったぞ」
単独で監視を続けていたニコライから連絡が入った。
「了解、お前も早く逃げろ」
向かって来るその部隊は、恐らく我々を炙り出す為の猟犬役だろう。
突破出来ない人数ではないが、交戦すれば位置を報告されて戦闘ヘリに狩られる。
「前に進むぞ!」
進む先は罠だらけだろうが、戦闘ヘリとやり合うよりは幾分か希望があった。
手榴弾とワイヤーの単純な罠が3つ程度仕掛けてあったが、それを回避しながら慎重に前進する。
だが無煙火薬の閃光が煌めき、弾が頬を掠める音で敵と真正面にかち合うことを覚悟した。
「畜生がよ、結局前も後ろも変わらねえな。ランチャーを撃ち込め!」
AK74の下部に取り付けられた擲弾発射器で廊下奥の敵を制圧する。
激しい銃撃の応酬で壁や床を弾痕が満ち溢れる。
狭い室内で5.45mm弾の突撃銃をブッ放すと、反響してボワーンとバネが跳ねるような音になる。
自分の位置から近い部屋に身を隠し、廊下へ身を半分出しながらAKを撃った。
まるで全員が聖火でも持っているかのように、振って走って撃っていた。
「顔を出させるな、撃ち続けて牽制しろ!」
班長の指示に応じて腰だめで撃ち捲るアリョーシャのPKMは、恐ろしい速度で弾を吐き出し、それと同時に薬莢が壁に跳ね落ちる。
100発が半分に、30、20と減ってゆき、直ぐに撃ち尽くした。
PKMの弾切れを見計らって、敵から手榴弾が下投げで投擲される。
「手榴弾!」
その言葉で廊下から部屋に引っ込み、爆発が起きた。
敵は舞い上がった粉塵を切り裂くように銃撃を行い、我々を釘付けにしようと躍起になる。
アリョーシャがPKMの装填を終え、再び射撃の機会を伺う。
ナスタチウムは向かいにいるアリョーシャに手榴弾を見せ、今からこれを投げると合図する。
それに頷き了解するのを確認すると、手榴弾を放り投げ爆発と同時にPKMが敵に向けられる。
だがその瞬間、アリョーシャが横向きに倒れた。
ナスタチウムは片手でAKをぶっぱなしながら、襟首を掴み自分の方向へ引っ張り込む。
弾は首からうなじを貫通していて、あっという間に血で溢れた。
持っていたAK74Uを背中に回し、アリョーシャの下敷きになっているPKMを拾った。
リュックから弾薬箱から取り出し、弾帯を身体へ巻き付ける。
本体だけでも8kgある機関銃を弾と一緒に持ち上げるだけでも一苦労であるのに、それを感じさせない馬鹿力をナスタチウムは発揮出来ていた。
恐れなど感じはしなかった。
跳弾もお構い無しに、乱射しながら歩く姿は獣だった。
機関銃を大剣の如く振り、銃口から出る火力によって道を切り開く。
「すげぇ」
班長はナスタチウムの叫びに、フラッシュバックを起こした。
女の叫びは甲高くて恐ろしい。
殴り倒した時、悪魔でさえも怯むような音を出す。
「死ねぇ!貧乏人のろくでなし共め!死ねよ死ね!露助のクソは死ね!」
人生の鬱憤を晴らすが如く叫び続け、銃弾が壁を貫通する。
金属がぶつかる音と一緒に弾切れを起こし、長い装填時間に入る。
隣部屋からは機関銃弾に大腿骨を砕かれ、叫びに似たうめきを上げる敵の声が聞こえた。
装填を完了させ、身体全体を使って機関銃を腰の高さまで持ち上げると、槓桿を引いた。
気分が悪い、冷や汗が止まらない。
感情が不安定で力が入ってくれない。
今私が立ち上がり、この死ぬほど重いPKM機関銃を持ち上げられるのは、長年培ってきた報国精神と自分が政府職員だという責任と義務なのだ。
敵はまた撃ち返して来ている。
手榴弾が三たび投げ込まれ、爆発して破片が廊下に飾られる。
「弾が尽きそうだ!」
「いい加減このクソみたいなポジションから引っ越さねえか!」
「Cyka blyat!」
「死ねソ連のクズ共!」
「Пошёл на хуй!!!」
けたたましい銃声の中でも、互いに透き通るような罵声の嵐を浴びせた。
お返しをするためにPKMの引き金を引いて、蠢く奴らを殺さんと弾を撃ち込んだ。
撃ち続けバレルは赤く膨張し、矯声のように鉄を燃やす音が響いている。
右から左へ、左から右へと銃口をなぞった。
見つけてスプレー、見付からずともスプレー、ばら蒔いて後は祈るだけ。
そして命運ここに尽き果てる。
PKMが途端に働くのを止め、口を紡いだ。
機関部に目をやると、給弾口付近で弾薬ベルトが絡まっていた。
機関銃の弾が箱形弾倉に入っている理由が良く分かる。
敵弾がナスタチウムの腹部を貫き、後ろに仰け反りながら倒れた。
必死に意識を保とうとしたが、抗うには今日は一番辛い日だった。




