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異世界へようこそ

モスクワにて



この都市をどう表現すべきだろう。


あらゆる時代の歴史にその名前が印され、生れたての赤子若しくは余程の無知でない限り、この都市の名を知らぬ者はいない筈だ。


冷戦期にはこの都市に世界各国50発以上の核ミサイルが向けられていた。


氷が溶けた今、全面核戦争の脅威は過ぎ去り、向けられるミサイルはたったの10発程度になっているというらしい。


「………お前も革命の犠牲か」


首を落とされた10月広場のレーニン像には、無数の弾痕と青いペンキをぶっかけられていた。


その前に立つナスタチウムは、終焉というものがどう行われるかを目撃していた。


列車で移動している道すがら、様々な噂を聞いた。


その中でもモスクワの話が出ることは多かった。


見たままを口に、人から人への不正確な人伝を頼りに話す者も居た。


例えばこの首を跳ねられたレーニン像、これについて3つの噂が立っていた。


市街戦の最中、クーデター軍が放った戦車の砲弾がレーニンの頭に直撃したとか。


政治犯として収容されていた男が、バーナーを手に首を焼き落としたとか。


でも私が一番好きなやつはこの話だ。


ロシア革命の時と同じように、トップを捕まえ見せしめに処刑しようとしたが、全員死んでいたので仕方なくレーニンを独房に入れた。


「ね、真実よりも大事なのはユーモアだよ」


自分を見ているかも知れない誰かに向かってそう呟くと、歩き出した。


ここに来て違和感を感じたことがある。


それはこれまで車窓から眺めていた町の雰囲気とは、モスクワは大分違うことだ。


武骨な建物とは相反する、7色カラーのネオン装飾が本屋を煌めかせているのがその証拠だ。


アメリカの片田舎でこんな光景を見たことがある気がする。


通りを闊歩する人々は2000年代に流行ったファッションを着込み、青い方のコーラを片手にトンチキアメリカ文化を謳歌していた。


こうなった原因は現体制、ロシア資本主義人民共和国の政策にある。


共産主義という平等な貧しさからの脱却を目指す彼らは、米国を参考に資本主義体制への転換を図った。


それは文化をも巻き込んだ一大プロジェクトでもあった。


古臭いスローガンを捨て、銅像を破壊し、外から来たものは何でも取り入れた。


たった今、シボレーが走り去って行き、排気ガスの臭いを感じたのが現実である証拠だ。


驚いたのがインターネット環境が僅かながらも、繋がっていることだ。


PCは旧米の業者経由で輸入し、ネットワークの受信は自前のアンテナでやっている。


ミニシアターと名乗る違法ダウンロードされたドラマや映画を垂れ流す店があり、型落ちのプロジェクターで540pの画質の映像を食い入るように観ていることだ。


まるで亡霊の影から逃げるように通ってきた道を破壊して、ネオンとブルーライトで前を照らし続けていた。


今や共産主義の聖地は劣化アメリカに成り下がっていた。


私は共産主義と酒を無理矢理進めてくる人間が嫌いだが、それでもこの惨状には胸を打つものがあった。


いつも教室の片隅で本を読み、笑う時は口元を隠す儚げな同級生が、夏休み明けに日焼け跡を残した肌とヘソにピアスをして登校してきた時のような。


いつも家に来ていた厳格なイメージの政治家が、浮気相手と全裸徘徊お散歩プレイを週刊誌にすっぱ抜かれた時のような。


この形容し難い残念な気持ち、葬式の日に晴天の空を眺めるみたいな環境と気分の落差。


知らない土地の筈なのに、どこを向いても見知った場所だらけで気持ち悪かった。


通りから離れ、人通りの少ない裏路地へ入る。


まだ文化侵食の進んでいないイメージ通りのソ連が、広がっていることに安心した。


がしかし、ぶら下がる看板の英字を見て口元を曲げた。


「InteLnet……?」


恐らくインターネットと書きたかったのだろうが、何か入ってそうな名前になっていた。


店内で店番をしている丸眼鏡を掛けた男は、気だるげな雰囲気を漂わせていた。


「1時間で100、延長なら50づつ払え」


「815払うからまけてくれない?」


「寝言は寝て言え」


「寝ていてもいいなら、頭上に鈴蘭を置いて欲しい」


「付けられてないよな?」


秘密の言葉は上手く機能したようだ。


店主は店の戸を閉め、アパート上階へと上がる。


カビだらけの室内、そこら辺を缶バッチサイズの鼠が当たり前のように走り回っていた。


きっと大半のロシア文学は集合住宅で創られたに違いない。


こんな場所で過ごしていれば、人生の悲観から導き出された創作意欲が湧くに決まってる。


「班長、連絡員が到着しました」


扉の向こうには思った通りの人間が居た。


ソファに横になり、殆どの時間を眠りに費やす私と同じ考えの人間だ。  


「人手不足も極まれりだな」


班長と呼ばれる男は、顔に被せていた帽子を取り、ゆっくりと起き上がる。


「まさか女を寄越してくるとはな」


ソ連崩壊以降、内戦の激化により、各国の在露大使館は殆どが撤退した。


日本も例外ではなかったが唯一ソ連内に残留し、活動を続けたのがCIRAの特別行動集団である。


崩壊後の活動はソ連製通常兵器の流出に関する情報収集程度であったが、NCROが創設され核拡散防止活動が始まってからは、核兵器を追うのが仕事になっていた。


「それで?上は俺達に何をさせるつもりだ」


ここでどの程度情報を開示するかによって、今後の任務に影響を及ぼす値が変わってくるだろう。


手始めに探りを入れてみることにした。


「イワンって名前の奴を探してる」


「あぁ知ってるぞ、市内に10万人以上は同じ名前の奴が居るからな」


はぐらかしているが、私が上からどの程度の情報を与えられているか、向こうも探りを入れているようだった。


「核関連を取り扱ってるイワンだ」


「おいアレクセイ、ファイルを持ってこい」


班長は紙束を丸机に並べ、ナスタチウムに見せた。


「我々が把握している中で、ガイガーカウンターに反応するイワンは6人居る」


イワン達の顧客の中には、造る技術があっても材料がない国や、その逆の状況に置かれている連中もいた。


その為、取り扱っている商品もそれぞれ違っている。


「ここからちょっと先にウラン濃縮用の工場がある。どっかの鉱山から運ばれて来て加工されてる」


「意外と乗り気ね」


「外回りは楽しいからな、それに」


「それに?」


「こんなしみったれた部屋に居たくない」


男達は軽やかな足取りでバックを手に外へ繰り出す。


車庫に停めてあるラーダに装備を詰め込み、ドキドキ秘密の核査察体験ツアーを開始する。


「工場までの距離は?」


「直線で460kmちょっとだ」


(ちょっと?)


「また長旅だな」


ナスタチウムはサスペンション軋む車内で居眠りをした。




ウラル山脈南部付近にて



「はやくきてよ!」


子供が野原を駆ける。


「まってってば!」


先頭を走る姉の背を追い、2人の弟はその後を追う。


姉はとても速く、幾ら頑張っても追い付けなかった。


それでも、放されまいと走り続けた。


そのまま走っていると、赤色の屋根が目印の豚小屋に到着する。


兄弟全員で柵に張り付き、豚を眺めた。


樽のように大きい豚を叔父が、今から屠殺しようとしていた。


「ほら見て、あれが今日のご飯になるよ」


姉は豚を美味しいご馳走としか思っていないらしく、頭の中はテーブルに並ぶ豚料理で埋め付くされていた。


「ねぇかえろーよ」


一番下の弟は家で遊んでいる所を姉に連れ出され、少し不機嫌だった。


「おお来たか、私のかわいい孫達」


叔父がしわくちゃの手で全員を抱き締め、優しく語りかける。


「豚を見に来たのかい?」


「うん!」


豚が運ばれ、いよいよという段階に入る。


「かわいそう……」


一番下の弟がそう呟くと、叔父は優しく諭した。


「そう思うのも無理はない」


ただ食べられる為に肥らされ、子を産まされ、バラバラにされる最期が残虐ではないとは言えない。


「だがそれは人の傲慢だ」


可哀想だから保護する出来るなんていうのは、人の思い上がりだ。


人間に限らず、生物は他の生物との生存競争を生き抜くことでこの世界に現存している。


「豚の付け合わせにする芋と人参も、他の生物を殺して作った」


我々が自然の風景として無意識下にある農村は、動植物を駆逐して造り出した農作物の楽園だ。


土地を耕し、水を引いて、虫は農薬で数を減らして、電気柵と銃で獣を忌避し駆除する。


「いいかい、人間は人間に勝つために人口を増やし国家を形成した。人口を増やすには養豚場と麦畑が必要だ」


その為には、畑(武器)と家畜(人員)が必要が必要になる。


8年前だったら、こんな話を子供にする必要は無かっただろう。


ロシア人との生存競争に勝利しなければならない以上、この教育は必要なことだった。


姉と一番下の弟は話を理解出来なかったようで、首をかしげていた。


「親父、ちょっと話が……」


息子の雰囲気からして、孫の前で話せる内容でないことは確かだろう。


「お母さんを手伝いに行って来なさい」


「はーい」「わかった」「うん」


孫達を家に返し、息子と話を始める。


「朗報ではなさそうだな」


「オニー達がやられた、多分チェチェン人がやったに違いない」


銃を手にする叔父は、そうかとだけ答えた。


「運んでた武器は?」


「全部燃やされてた」


叔父はチェチェン人なら武器を奪う筈だと言い、別の勢力の仕業によるものだと考えた。


「恐らくナチスだろう」


「ヤバいんじゃないか?核兵器の事もバレたかもしれない」


「いやそれはない」


もしそれが露見しているなら、真っ先に潰しに掛かっている筈だ。


偶然我々が被害を被っただけかもしれないが、万が一ということもある。


手は打っておくに越したことはない。


「クラカヂール旅団を呼ぶ」


「連中を!?冗談じゃない!」


息子の反応は正しいものだった。


クラカヂール旅団は、元ソ連陸軍の空挺部隊員によって構成された傭兵集団であり、崩壊後の混乱期には1万人以上の数を誇っていた。


だが内戦の情勢が新露軍優位に傾くに連れ、脱退する者が増えた。


職にあぶれた軍人の受け皿として機能していたが、新露軍という正規軍が誕生した以上、そちらに入る方が良いと誰もが考えたのだ。


残ったのは犯罪者や過激思想で軍が入隊を拒否した連中ばかりだった。


悪評の絶えない奴らではあったが、その装備と戦闘技術は確かなものでMi-24を中心とする回転翼機を多数保有し、経験豊富な戦闘員が多数所属している。


「我々のニシス民族は数が少ない上に、周りが敵だらけであることは知っているだろ」


ニシス族は豚を食べる習慣がある為、イスラム教との仲が悪い。


ソ連時代には様々な戦地に派遣され、多くのイスラム教徒と戦いを繰り広げた。


ソ連からは下等で便利な民族と見下され、他民族からはソ連の手先として憎悪の対象となっている。


「我々に味方はいない。金さえ払えば動くなら、誰かに買われる前に買うまでだ」


「オヤジ……後悔することになるぜ」


「生意気言ってろ、その歳にもなってまだ若いつもりなら大間違いだぞ」


怒る息子を尻目に豚の屠殺準備に取り掛かる叔父は、孫の1人がまだそこで豚を見詰めていることに気が付いた。


「どうした?まだ帰ってなかったのか」


「うん、豚が気になって」


真ん中っ子の孫は、姉と弟に挟まれいつも苦労しているように感じる。


強気な姉に振り回されながら、気弱な弟の面倒を見るというのは大変だろう。


叔父は屠殺用の銃を渡し、撃ってみろと言う。


「え、でも」


「いいかい、お姉ちゃんはお前より年上だが女の子だ。そして弟はお前よりも弱い」


一番の頼りはお前だと叔父は人生観に基づく価値観を孫に教える。


「お前が皆を守るんだ、そして守る為には敵を殺さなければならない」


叔父は命を奪うという意味を、ここではっきりと覚えさせようとしていた。


豚の急所へ屠殺銃を近付け、引き金に指を掛けさせる。


「これやったら、僕は強くなれるの?」


「ああ、なるとも」


小さな手は銃を支え、その指は引き金を強く引いた。

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