衰退とビジネスチャンス
「演説台の前に爆弾が仕掛けられていたらしい」
「誰の仕業、左かい?」
「いやぁ……反抗声明もなにも」
部屋の中では議員達が連なり、毒を喰らったかのように顔をしかめていた。
柑橘にも似た甘い香りの紅茶が酷く鼻につく。
飲み干した筈の紅茶がティーカップにしがみついて放さない。
嫌なにおいだ。
目を開くと、隣の乗客がサモワールで沸かした紅茶を飲んでいた。
盗難対策で足にくくりつけていた荷物の紐を解き、ムクリと起き上がった。
3等車は盗難があるので、こうしろとソ連担当の人間にアドバイスされた。
個室じゃなく他人と2段ベッドで寝るので少々不安だったが、そこまで問題はなかった。
サハ合衆国の経済状況はそれほどひっ迫はしておらず、貧困という病は蔓延していないようだ。
「お目覚めかい」
ウォッカで泥酔して気が良くなっているヤクート人の男は、ヘラヘラと笑っていた。
大陸横断鉄道 ウラジオストク発のズヴィズダー号は、定刻通りに線路を進んでいた。
「もう父さんったら、今から酔ってどうするの!」
若い娘が酒に酔って顔を赤くする父親に辟易しつつも、その世話をする辺り本気で怒っている訳ではないのだろう。
「いいじゃないか、どうせチタまで遠いんだから」
そう言って、ハバロフスクの駅で物売りの婆さんから買ったイクラを口に運ぶ。
昼食時なのもあり、周囲の人々は思い思いの食事を取っている。
若い娘は同じテーブルを囲んでいるからと、持参した弁当の中を取り分けてくれた。
お返しに蟹缶詰を渡し、テーブルの上が賑やかになる。
意外だったのが、多くのアメリカ産の食品が並んでいることだ。
ソ連の食文化と言えば、黒パンとシチューのイメージしかなかったが、英字パッケージの高カロリー食品が並んでいるとは思いもしなかった。
この食文化が創られた背景には、政治的な話が関わっていた。
反枢軸同盟を結んでいた旧米とソ連の間では、様々な物資が取引されていた。
その中でも旧米から頻繁に渡ってきていた物は、電化製品や趣向品等の民需的な加工品だった。
軍事優先、ぜいたくはテキだ!な禁欲主義を貫いていたソ連にとって、資本主義体制下で各企業が凌ぎを削りながら発展した物品は、まさに魅惑の品であった。
「我が国のAKライフルは世界一優れた武器であることに疑いの余地はない!が、テレビの出来には白旗を上げざるお得ない」
と、当時のソ連書記長が言ったとか言わなかったとか。
家電は良く動き長持ちする。
薬を飲めば医者に診て貰うよりも良くなる。
肉や魚は海の向こうから渡って来ているのに新鮮で腐っていなかった。
更に旧米以外にも、満州を経由して日本やドイツ製の家電が入ってきていたので、ちょっとした競争社会が出来上がってもいた。
だがこれらの物品はあくまでも上流階級しか入手出来ず、時折闇市にその欠片が流れ着く程度のものだった。
状況が変わったのは1991年のソ連食料危機である。
その年は各地で大規模な不作が続き、暴動寸前の状態であった。
そこでソ連政府は有り余っていた鋼鉄の兵器を食料に変え、旧米からの食料支援を受けた。
その中でも特にソ連人民の心を掴んだのが、冷凍食品だった。
突如発生した需要を賄うべく、食品会社の倉庫に貯蔵されていた50万食を即座に送り出した。
そしてこの凍った食品の軍団は電撃戦の如くテーブルと胃袋を占領した。
冷凍ピザや冷凍ソールズベリーステーキは、ソ連の食卓事情を大きく改善した。
手軽で平等に分配出来る冷凍食品は、スタローヴァヤ(大衆食堂)にうってつけとも言えた。
因みにソ連では電子レンジが普及していなかったので、ピザはフライパンで解凍し、ステーキは湯煎で温めた。
こうしてアメリカの食文化はソ連に革命をもたらした。
「どうぞ」
若い娘は切り分けたソールズベリーステーキを配り、パンと合わせて食べる。
食卓を囲むと自然な流れで身の上話をすることになる。
ナスタチウムは彼らが持っている大きな空のバックが気になり、何に使うのかと訊いてみる。
「これは買い出し用なの。チタまで行ってその後はモンゴル」
物価の安いモンゴルで買い物をし、ウラジオストクにある自分達の店で転売してその差額で儲けを出すのだという。
「貴女は何をしに?」
ナスタチウムはその問いに向けて、用意したカバーストーリーを展開する。
新露軍に父親が居て会いに行くというお涙頂戴なストーリーだ。
「西の方は危険だぞ、必ず後悔するぞ」
酒に酔って気分良さげだった父親も、その話に血相を変えた。
どっちの軍も滅茶苦茶にやりあってて収集が付かなくなっていたと話す。
「国が崩壊してからはもう凄かった!精神をやられた指揮官が、核ミサイルを反乱軍に撃てなんて言うから、全員で止めに行った」
核保有国で内戦なんて事態が起きても核戦争が起きなかった理由はこれだ。
撃った場所に味方が居るかも知れない。
その土地には同胞が住んでいる。
あの街で家族が待っている。
顔も知らぬ攻撃してくる外国ならいざ知らず、自分達の住む土地を破壊してまで戦うつもりは誰もなかった。
それにソ連が内側に向けて核を発射した場合、ナチスドイツは確実にそれに便乗してソ連領土へ核を撃ち込むだろう。
そうなったら、ナチスの独り勝ちだ。
だから核戦争は起きなかった。
あの崩壊の日、名も無き兵士達が世界最悪をソ連最悪に留めてくれたのだ。
このヤクート人の親父に挨拶以上のキスをしても良かったが、隣の娘に驚かれるかも知れないのでそれは止めておいた。
列車はその後、数時間掛けてチタ駅に到着した。
「それじゃあ幸運を」
そう言って、ヤクート人の親子は大きなバックを持って降りて行った。
また暇になり、再び眠ろうとするが入れ替わりで白装束の3人組が入って来た。
上から下まで真っ白の服装は、東米のKKKに良く似ていた。
こういう奇怪な格好を仮想大会以外でするような奴は、大抵が宗教絡みの連中だ。
多くの乗客は疑いの目やピエロを見る好奇な感情を向けていた。
だが少数は彼らにひれ伏し、救いを受けるかのように手を伸ばす。
ソ連崩壊以降、精神的支柱を失った人民は神にすがった。
その影響の最も足る恩恵を教授したのはロシア正教だろう。
崩壊以降、爆発的に信者数を伸ばし、再び力を付け始めた。
更にはソ連残党と敵対する新露軍に協力し、政界へも深く入り込んでいる。
兵士不足に悩んでいた新露軍は戦後の地位をロシア正教側に約束する代わりに、信者を貸して貰う契約で手を組んだ。
抑圧からの解放は自由と共に新たな宗教を生み出した。
「あの変なカッコの奴ら、一体何なんだい?」
隣のベッドの婆さんに訪ねてみると、予想外の問いが帰ってくる。
「馴れ馴れしいヤポンスキーの集まりよ」
「日本人がどうしてこんな所に?」
「さぁ?鬱陶しい以外は大したことしないから放っておいてるの」
内調の事前調査では把握されていない団体だった。
「それにしても同族がこんな場所にいるとは……」
こちらに取り込めるかも知れない。
気は進まないが白装束の連中に話し掛けてみる。
「どうも」
「あぁ、我々のメーブに興味がおありですか?」
「メーブ?」
「メーブは布教活動のことです。神聖な肉体の動きには、神聖な言葉を付与するのが我が教団の倣わしです」
「はぁ……」
話にならない。
言葉遊びだけは一丁前の連中だ。
空母のことを重航空巡洋艦とほざく赤い国と同じだ。
そのうち空母を駆逐艦だと言い張るぐらいのことは言いそうだ。
救済の倣わし教と名乗るこの新興宗教は、どうにも他の宗教とは毛色が違った。
いつか必ず来る終末に備え、物質的充実と思想的な強化をすることで、終末を生きる力を与えると。
思想的にはアメリカのプレッパーに似ていたが、どうにもそこにスピリチュアル系の考えも混じっている。
健康に良い体操があり、それを続けることで悪い気を晴らすことが出来るだとか。
教団が作っているお香を炊きながら眠れば、精神を安定させ生活苦からの解放が待っている。
嘘を信じさせるには真実と混ぜながら話すのが一番効果的だ。
毎日体操すれば運動不足な奴は体調も良くなるし、いい匂いの香を嗅げば気分が良くなる。
少し考えれば分かりそうなことではあるが、人とは盲目な生き物だ。
気に入った作品があれば作者まで掘り下げて敬愛し、自己理想を勝手に作り出すように。
自国愛に目覚め、敵と判断した存在を無条件で攻撃するかのように。
愛は信仰となり、信仰は攻撃性を発揮させる。
「それで?入ったら何かくれんの?」
関わる必要性を感じないと判断したナスタチウムは、学もやる気もない駄目人間のように振る舞い、そいつらの話を切り上げた。
あくびをしながら横になると、再び眠りに付く。
何せこんなに暇なのは久しぶりなのだからだ。
人間不思議なもので何もしていない日ほど腹が空き、疲れていない日ほど良く眠れるのだ。
「ふぅん………」
横になって気付いたが、白装束の向かいに軍服姿の男達が集団で座っていた。
旧ソ連の軍服を着込んではいるが、鎌とハンマーの記章は外され、代わりに八端十字の腕章をしていた。
恐らく彼らが教会から派遣された兵隊なのだろう。
白装束の異教徒を不穏な目で敵視し、コソコソと話し込んでいる。
無視してもよかったが、それで不味いことになった経験がある。
あれは以前、旧米で活動をしていた際のことだった。
船内で盗難騒ぎがあり、犯人が警告期間内に名乗り出なかったので、沿岸警備隊が捜査を始めた。
その時、私は多数の電子的情報を所持し運搬していた。
船が港に着く前に船舶から身を投げ出し、スクリューに捲き込まれそうになりながら逃げ出した。
つまり何が言いたいかというと、列車内で乱闘騒ぎでも起きると治安機関の不必要な介入が起きるということだ。
身分証の偽造が見破られたり、所持している違法な物品が見付かったりする可能性が高くなる。
安全装置を静かに外し、毛布の下で腹の上に這わした。
目的地まで無事に辿り着くのが理想ではあるが、そうならず困難が降りかかるのであれば、打ち払うまでだ。
そしてふと気付く。
思考が短絡的であると。
マッチョな連中に囲まれてマッチョな奴らと戦ってきた結果、自分までマッチョになってしまったようだ。
自身が女であることを時折忘れそうになる。
その度に胸を掴み、眠るフリをするのだ。




