箱庭の地獄
人を死に至らしめる病は百幾つあるが、私を殺すのはその内のたった一つなのだ
プロボにて
プロボは、今まで散々砂漠地帯だったのを忘れたかのような場所だった。
草花も木々も生い茂り、夏場の北海道にいるかのように錯覚してしまいそうだ。
東には城塞の如く腰を構える山々、西にはユタ湖が水を張って暮らしている。
その狭間にあるこの町は、現在北と南から迫る日本軍の機械化歩兵と機甲部隊に挟まれていた。
路上には障害物が設置され、車両の行く手を阻んでいた。
「各車速度と距離感に注意せよ、止まれば狙われるぞ」
市街に入り込んだ車両は否が応にも減速させられ、速度を落としただけ敵に狙われ易くなる。
路上に放棄されたM60戦車の隣を抜け、銃火飛び散る方角へと進む。
上空のヘリから放射状に放たれた70mmロケット弾がショッピングモールの屋上へ命中し、爆発が起きる。
「あのオニヤンマ、どこ狙ってやがるんだ?アメリカ人は向こうだぞ!」
上空を飛ぶヘリに向かって野次を飛ばすと岡田は、気分が上がりっぱなしだった。
街のあちこちで砲爆撃の黒煙が上がる度に、ここが最前線であることを伝えていた。
爆発の音も、最初は寝起きの起床ラッパのように不快だったが、慣れてくるとため息を溢す余裕さえ生まれる。
ショッピングモールを通り過ぎてしばらくすると、戦闘機からの爆撃で建物は崩れ去ってしまった。
もう誰もあそこで買い物をしようとする人間は居ないだろう。
迫撃砲弾が道路へ着弾してアスファルトが捲れ巻き上がり、銃座の上に降り注いだ。
口の中に入った砂を唾と一緒に吐き捨て、ハッチを閉めろと怒鳴った。
「向こうはえらく正確に撃ってくるな」
後で分かったことだったが、敵の迫撃砲分隊は民生品のドローンを使い砲撃誘導を行っていたらしく、この砲撃で第3小隊の隊長が戦死していた。
「屋根が灰色の家から撃って来てる」
「どれだよわからん!」
疲労感からか冷静さを欠いた指示と受け答えが飛び交い、それは隣からも無線からも響いていた。
制圧射撃を加えながら命令された通り、ユタバレーの病院へ向かう。
「なんで建物ごと爆撃しないんだ?」
「ジュネーブ条約で禁止されてるからさ」
「じゃあなんで俺達が小銃構えて乗り込まなきゃならんのだ」
日本軍は旧米軍が病院を盾にする事態を想定していた。
だからこういう悪知恵が働くのだ。
「これより住民の保護を開始する!」
小隊長はそう高らかに宣言して見せた。
赤十字の腕章を付けた部隊と共に、病院内へ侵入して行く。
精密誘導爆弾による百発百中の誤爆を信じるほど、世界は馬鹿ではない。
プロパガンダの方針は大まかに二通りある。
大量の粗製濫造な嘘を流し、知能の低い馬鹿や盲目的な愛国者を対象とするやり方。
もう一つは真実を選別し、不都合な真実を覆い隠すやり方だ。
フィリピン戦争の敗因は何かと問われた時、多くの人はゲリラ戦での疲弊と言うだろう。
だが日本軍は、ほぼ全ての戦闘でゲリラよりも優位に立っていた。
掃討作戦と称した集落での虐殺、略奪の数々に加え、医療施設への無差別爆撃等が報道され始めると、世論が戦争継続への協力を拒んだ。
こうした事実はアジア近隣諸国との関係を悪化させ、反日武装勢力を増大させるに至った。
ある程度の順法精神と人道的配慮が、戦争を進める上で効果的であると理解しつつも、法の抜け穴を突くことも必要であると軍上層部は結論付けたのだ。
そして、それが今こうして現場に反映されている。
「軍服の奴を調べろ、武器弾薬、築城資材、通信機器を見付けたら速やかに確保せよ」
病院内には多くの負傷した兵士や民間人が収容されていた。
負傷者救護の為ならば、病院内へ踏み込んでも攻撃したことにならないという解釈だったらしい。
だが今自分は、小銃を構えながら病院内を移動していた。
廊下には所狭しと人間が並び、傷のない者は1人として居なかった。
「アメリカ兵は何処だ!」
医者に向けてそう叫ぶ小隊長に、負けじと言い返す医者は身振り手振りで必死に兵士は居ないと言った。
顔を真っ赤にして、胸ぐらを掴み嘘をつくなと怒り出した。
「誰かあの馬鹿隊長を止めろよ」
「やなこった、歯止めの効かない馬鹿の手綱は握れんぞ」
血染めの布が床に散乱し、あちこちからうめき声が聞こえる。
マットレスに毛布1枚の病床は、あまりにも貧相であるが寝れる床があるだけマシだった。
病院に良い思い出を持った人間は居ない。
その思い出を作っているのは我々だった。
受付で何処かに電話を掛けている看護師は、こちらを伺うように見ている。
子供を抱き締める母親は、迷彩服姿の我々に怯えていた。
憎悪を向け、今にも飛び掛かりそうな男もこの小銃の前には何も出来ずにいる。
はっきり言って、そんな顔されても困るだけだ。
命令通り動いてるだけの人間に、感情なんか向けたってどうにもならない。
もう同情だとか、悲しむなんて感情に飽き飽きしてきていた。
この病院に米兵が潜んでいようが何だろうが、やることの基本は変わらない。
「こちら12、小児科で敵歩兵と接敵」
「やっぱり居たんだ」
怪我人で出来た肉の絨毯を踏まぬように走り、小児科へ向かう。
最初は大慌てで向かっていたが、銃声や怒鳴り声も聞こえないことに気が付くと、足取りの拍子は抜けてしまった。
「ようお前ら、もう全員やっつけたぞ」
手榴弾を投げつけようとしてたところを仕留めたと得意げに話すその後ろの診察室には、迷彩服姿の死体が転がっていた。
だがその軍服に階級章は付いていなかった。
髪型も軍人にしては随分伸びている。
「なんだこりゃ、中部米の旧迷彩着てらあ」
岡田は1980年代の骨董品だと物珍しそうに見ていた。
「これ剥ぎ取って持ち帰りてぇな」
「羅生門かよ、髪の毛までむしりとってやるつもりか?」
こいつは本当に兵士だったのか?そんな疑惑が浮かんで来る。
だが否定する証拠もなければ、証明する証拠もない。
敢えて波風を立ててまで、疑惑を追及するような正義感や度胸は、持ち合わせていなかった。
ソルト・レーク・シティにて
もうすぐ戦争が始まるかも知れないから、スーツケースに荷物を詰めて今すぐ逃げろ。
そう言われて誰が信じる?
誰がそんな馬鹿を見ると考える?
私はそのうちの1人だった。
開戦の1週間前、私は日本軍が戦争の準備をしているとニュースで見た。
「見ろよ、また言ってるぞ」
バーカウンターに置かれた薄型テレビは、いつも不安を煽ることばかり話す。
「こんなのは政治家の票集めだ、12年のオンタリオ動乱の時だって結局大したことにはならなかった」
「今の時代に戦争は有り得ない」
画面の向こうで移動する戦車や飛行機が、現実でないと錯覚していた。
これは現実ではないと、信じ込もうとしていた。
ハリケーンのようなものだ。
散々引っ掻き回された後、また元通りになる。
バーで飲んだくれた次の日も、会社へ出勤し、上司のつまらない小言を聞き流しながら仕事を終えた。
帰る途中、家内からメールでバターを買ってきてくれと頼まれた。
だがマーケットは長蛇の列が出来上がっていた。
駐車場には人と車がごった返し、クラクションがなり続けていて、とてもじゃないが買い物をする気にならなかった。
「全く、そんなに買い込んだって食えやしないってのに」
蟻のようにせっせと動き、物資を積み込む彼らへ向かって、車の中でそうぼやいた。
「マーガレットの息子さん、昨日軍隊に行ったそうよ」
夕飯の時間、妻は近所の動きを逐一知らせてきた。
「本当に大丈夫かしら?」
不安がる妻と子供に大丈夫だと言いたかったが、床下に備蓄された1週間分の食料が安易な答えを封じ込めた。
次の日、ゲームをしていた8歳の息子がネットの繋がりが悪いと言い出した。
「使い過ぎなんだよ、直ぐ治るさ」
「違うよ父さん、ddos攻撃のせいだよ。友達がみんな言ってる」
街から出て行く人間がちらほら居たが、明日も仕事がある上に親戚の家に押し掛けるのも気が引けた。
家を長い間留守にしたら泥棒に入られる危険もあったし、騒ぐ方が馬鹿馬鹿しかった。
「俺は今日のうちに街から出る、お前も気をつけろよ」
親しい友人の何人かが、田舎に避難して行った。
何かが迫って来ていると感じていても、この生活を手放せない自分が居た。
避難した先での仕事は?家のローンも残っているんだぞ、子供を友達と離れ離れにさせるつもりか?
そんなことばかり考えていた。
自宅に兵士がやって来て、緊急時の対応だのなんだのを聞かされた。
戦争は本当に始まるのかと訊きたかったが、怖くなって止めた。
それは真夜中だった。
目覚ましのアラームが鳴る前に、爆発で目が覚めた。
あらゆる物事が一瞬で進んで行った。
着の身着の儘で車へ乗り込み慌てて東の方へ逃げたが、全て遅すぎた。
日本軍の爆撃機は予想以上に速く、それから落とされる爆弾は想像以上に強力だった。
爆撃から1時間も経たないうちに道路はブレーキランプで真っ赤に染まり、それは山の方まで続いていた。
東へ続く道は全て封じられていたのだ。
家に戻り、ドアに鍵を掛けてカーテンを閉めきるしかなかった。
テレビは一晩の間だけニュースを流し続けたが、巡航ミサイルが局に直撃した後は何も映らなくなった。
今は手回しラジオだけが頼りだった。
ハイテクは消え、ローテクのみが生き残った。
もう地獄しか見えないぞ
遅くなりました




