正気を保つな
「異常なし、誰もいない」
踏み込んだ家はもぬけの殻で、室内は衣類や小物でしっちゃかめっちゃになっていた。
亮平は落ちていた家族写真を手に取り、それをじっと見詰めて言った。
「平壌地震に派遣された時を思い出すよ。写真に写ってた人間は皆幸せそうだった」
「そうか……何人殺した?」
「なんだって?」
平壌で略奪とか暴動が起きたんだろと、岡田は真面目な顔で返す。
「いや嘘だ、全部嘘だ。こんな風に銃を引っ提げて治安維持活動なんてした覚えはない」
「お前は長生きしないよ、だって敵に同情してんだから」
岡田はニタニタ笑いながらそう言った。
亮平は胸ぐらを掴み、岡田を睨み付ける。
「怖くないんだよ、怯えてるやつなんか」
両者の空気が最悪なものになる中、向かいの家のカーテンが、少しだけ揺れた気がした。
石原と岡田は顔を見合せ、幻覚ではないことを確認する。
「今の見たよな」
家を出て真っ直ぐに、向かいの赤い屋根が目立つ家の扉を蹴破った。
「待て!俺がやる」
岡田を押し退け、亮平が前に出る。
そのライフルじゃ長過ぎて壁に引っ掛かるぞと言うと、怒りながら9mm拳銃を抜いた。
使い古された挙げ句、何処かの馬鹿が鏡のように磨き上げ過ぎたのか、フレームの塗装が剥げ、銀ダラのように光り輝いていた。
気配を消してはいるが、屋根裏で重みのある存在が動いているのが、床板の軋みから伝わって来る。
屋根裏へ続く梯子を登り、そのぎこちない様子に微かな不安と、もどかしさを感じながら待つ。
いよいよ目線が床の位置まで到達した時、亮平は一瞬言葉を失った。
「大丈夫だ怖くないから、おい石原、英語で安心しろって……」
銃声と共に亮平の身体は、掴んでいた梯子から手を放させた。
亮平が梯子から落ちた瞬間、天井に向けて弾が切れるまで銃を乱射した。
弾痕から血が滲み、出の悪いシャワーのように滴り落ちた。
「死んでるよな?」
岡田は下から更に2発撃ち込んだ。
「今くたばった」
敵を排除したのを確認すると、後ろを振り返り、亮平の容態を確かめる。
呻きながら這いつくばり、顔を押さえている。
応急処置をするべく包帯を取り出すが、指と指の間から溢れ流れる血の量からして、手の施し様がないと良く分かった。
「どうすりゃいいんだこれ……」
圧迫止血で治まるとは思えない傷だ。
無線で1名負傷と叫ぶと、運のいいことに衛生兵が駆け付けてくれた。
傷の様子を見る為に、衛生兵が押さえている顔面から亮平の手を引き剥がすと、頬の肉がだらりと落ちた。
「出血が酷い、ヘリで運ばないと間に合わない」
大量の血で顔はダルマのように真っ赤に染まっている。
衛生兵はとっち散らかった亮平の顔に包帯を巻き付け、ヘリが着陸出来る場所まで担架で運んだ。
「大丈夫か亮平?」
「必ず戻ってこいよ!」
亮平を乗せたヘリは、後方の野戦病院へと機首を向けた。
「あいつ生きて帰るかな?」
「縁起でもないこと言うな」
「縁起や願掛けで生き残れるなら、無神論者は生まれないんだよ」
岡田は、屋根裏から死体を引きずり出し、路上に放った。
その姿で、亮平が何故撃つのを躊躇ったのか分かった。
「まだ子供じゃないか」
旧米軍は少年兵を使うことはない。
自らの意思で残ったのか、それとも逃げ遅れたのかは定かではなかったが、戦争の気色悪さがここに現れていた。
子供を信用したら駄目だ。
祖父のそんな言葉が思い浮かぶ。
あの言葉はそのままの意味と同時に、我々の奥底に根付いた常識を、信用するなという意味もあったのかもしれない。
子供は純粋であり、無力で無害だという先入観が、油断を生むのだ。
「あいつは敵が同じ人間だと気付いた。俺の父親と一緒だ」
岡田の目は、少年の死顔をずっと凝視していた。
怒り?呆れ?そんな感情が見え隠れしている。
母親についての恨み言はいつも話すが、父親について話したことは一度だけしかなかった。
岡田の父親は過去、グアテマラの平和維持活動に参加していたらしく、それが家庭不和の原因になったのだ。
親独政権と共産武装勢力の内戦が激化していた上に、それを支援する旧米も加わって手軽な地獄が完成した場所だった。
コーヒー畑に投げ棄てられた千を越える死体と、交戦規則に縛られ何も出来ない自分の無力さが、兵士達を狂わせた。
その時のトラウマで、父親はアルコール依存症に陥ってしまった。
「親父は良く俺と母親を殴ってたけど、酒でそうなってるって分かってたんだ」
父親が立派な軍人であることは、自分が一番知っている。
だが母親はそんな生活に耐えられず、当時10歳だった岡田を連れ家を出て行った。
その後、父親はアルコールの過剰摂取で中毒死した。
岡田はその事をずっと恨み、今日における母親との不仲の原因となっていた。
「お前も撃つ時は躊躇うな、亮平みたいに顔面に散弾を浴びるぞ」
「………お前は返答に困る話ばかりするな」
ラスベガス ネリス基地にて
西米軍と在米日本軍の共用飛行場であるこのネリス基地では、侵攻開始から休むことなく出撃を繰り返していた。
この日、第10航空団第401飛行隊は敵防空網を制圧すべく、砂漠の蜃気楼目掛けて飛び発った。
95式戦闘機アラワシの翼下には、4発の対レーダーミサイル(83式対電探誘導弾)と自衛用に2発の赤外線誘導ミサイルぶら下げていた。
「オオムタ1から全機へ、ヤバくなったら直ぐ逃げろ。83の値段を考える前に、自分の値段を思い出せ」
地上部隊が1週間掛けて走った道を、戦闘機ならば1時間も掛けずに到達出来る。
眼下に広がる真っ白な砂粒の砂漠は、青空にも負けぬ雄大さを秘めていた。
そして前線に近付くにつれ、撃破された車両が狼煙を上げるかのように燃え盛り、視界から消えてゆく。
空中射出された無人機は、SAM陣地を捕捉すべく防空網へ飛び込んだ。
囮として放たれたこの無人機は、ミサイルの発射を誘発させ、敵に自ら位置を露呈させることが目的だった。
だがしかし、この戦術は多様され過ぎていた。
向こうもそれを熟知してなのか、レーダー波を発しないパッシブ誘導の携帯ミサイルで無人機を撃墜したのだ。
「手口が割れてるみたいだな」
「ルアーの出来が悪いと食い付いてくれんなぁ」
僚機と一緒にボヤいていると、ろくでもないことを思い付き、直ぐに実行した。
オオムタ1は機体を上昇させ、敵SAMのレーダーにわざと捉えられた。
それを察知した敵SAM部隊は、一斉にレーダーを起動し、ミサイルを発射した。
「無茶なことしやがって、SAM来るぞ!」
「まずはレーダー装置を潰す」
敵とほぼ同時に、2発の対レーダーミサイルを発射したアラワシは、チャフを散布しながら山の影を利用し、低空へと身を隠す。
アラワシから放たれたミサイルは、マッハ3で飛翔しながらSAM陣地へ向かう。
敵は83を迎撃すべく、新たに2発のミサイルを発射する。
1発目は迎撃され、2発目は敵レーダー装置に着弾した。
僚機も続けてミサイルを発射し、別のレーダーを破壊する。
「目標破壊!目標破壊!」
速やかに、そして全力で空域から離脱を行う。
自機のレーダーには、我々を追う2つの機影が見えた。
敵の要撃機が今頃になってやってきたようだったが、追い付く前にこちらの防空網に入ると悟ったらしく、引き返して行った。
「諦めたようだな」
「さっきの敵機は何処から沸いて来たんだ?」
旧米の航空戦力は壊滅させたと思っていたが、まだ残存させていたようだ。
日本軍は今回の侵攻を、国境紛争に留めておく為に、敢えて首都や東米付近の基地は叩かずに置いた。
その生き残った部隊の再編成が完了し、集結しているようだ。
今この瞬間も、敵は反撃の時を伺いつつあった。
我々の喉笛を食い千切ろうと、穴蔵に隠れて




