23. なりたいもの
怪我・流血表現有り
「これが今から百年前に起こされた人災」
本を包む光は弱まっていき、閉じられる。
次第に自身のものへと意識が戻っていく中で、小夜の心臓がどくり激しく脈打った。
目の奥が激しく重く、熱い。
「その後、竜は男の妻だった赫髪の異界人によって封じられたという。私は、男と異界人との間に生まれた子供の子孫だ」
アインザッツの声が揺らいで安定しない。
音を認識してはいるのに、ぐわんぐわんと頭の中を反響して、聴覚も視界も水槽越しみたいだった。
「ガルバート家の男が招いた事柄、私には竜を殺すべき義務がある」
小夜はもたげたくなる頭を正し、目の前のアインザッツを改めて捉えた。
「……責任だとか、義務だとか、ここに来てからそんな言葉ばかり聞く」
「当然のことをしているまでだ。私はそのために生まれ、戦う術と知識を磨いた。たとえそれが果たせず死んだとしても、別の者が竜を討つだろう」
この聖騎士に迷いはない。それが自分の使命として生まれ育ち、己という存在の価値。シャルルはそんな彼を、心配していた。
「これもまた、葬られる運命に過ぎなかっただけのこと」
アインザッツは表情の無い顔で、アリアを見る。
「母親の腹にも育まれず、誰にも望まれず、死ぬことのない人工物を生命とは呼ばない。これはただの化け物、この星の全ての敵だ」
銃を持つ指先に力が込もる。かりかりと歯車が起動して、光を灯した。
「その言葉、アリアにも言ったの?」
小夜は真っ直ぐに、アインザッツという男の意思を問う。
「だったら何だ。いい加減これに掛ける情など捨てろ」
「捨てない。あなたがどう考えて、どんな生き方をしようと勝手だけど、あなたの話は〝竜〟のことばかりだ」
小夜は〝竜〟がいかにして誕生し、どのような行いをしたか、その一部を見た。
竜によって喪われた生命も。直接的ではないにしても科学者を通し、幼い女の子の命を奪ったことも。恐ろしいほどに記憶が、感覚が、残っている。
「誰も攻撃しなかったその子を、竜に当て嵌めたがっているのはあなた自身」
それでも。だからこそ。
小夜は今の少年を、小夜と過ごした少年の現在を信じる。
色素の薄い、氷のような瞳が一際暗く、冷たくなる。
小夜の行動によっては、否、もうすでに。敵と認識している眼差しに、だけど小夜は恐れない。
「その子はアリア。何考えてるかわかんなくてちょっと怖いと思う時もあるし、腹立つなって時もあるけど、それがアリアだ。笑うと可愛くて一人で眠れない甘えたがりで、私が落ち込んでたら心配するみたいに優しく手を繋いでくれる、そういうアリアだから傍にいたいと思ったんだ。誰も望まなくたって私が望む! 〝アリア〟という存在を肯定する! だから絶対、ふたりで一緒に逃げてやる!!」
バチンと部屋に閃光が瞬き、雷鳴の走るような音がした。
「あ。やっぱりさよだ」
よいしょとのんびり上体を起こし、アリアは嬉しそうに、いつもみたいに笑うから、小夜はまたじわりと視界が滲む。
「寝てろ」
素早くアインザッツは剣を薙ぐ。
いくら再生するといっても、頭と心臓を離した場合、損傷が激しい場合は多少修復に時間が掛かると分かった。
「さーよ」
咄嗟にアインザッツに向けて、引き金を引きそうだった小夜をアリアが呼ぶ。
「うぇええええっ!?」
肩を切断すると思われた軌道は避けられ、代わりに差し出したアリアの右腕が切り離された。
その取れた腕は放り投げられ、小夜の両手に収まる。ぼたぼた青い血液が流れる様に肝が冷えた。
「お前っ、」
アインザッツは魔法を編もうとしたが、
「そこ危ないよ」
千切れた腕が魔法を放ち、爆風が起こる。
反射的に目を瞑った小夜が、次に瞼を持ち上げると、壁には切断面の綺麗な大穴が開いていた。星が掴めそうな実に美しい夜だ。
「頭打っちゃったかな」
アリアは立ち上がって呟く。
風に煽られたアインザッツは壁にもたれて動かない。
「死んじゃ、ったの?」
「防ご魔法が見えたから、大丈夫だと思うよ」
小夜が青褪めて尋ねるのを、けろりとアリアは答える。もげた腕はさらさらと砂のように消えて、アリアの右腕は元通りに再生されていた。
「さよも元気だね。よかった」
何事もなかったように、アリアはほっとした顔で笑った。
「うううぅ……っ! アリアぁ!」
小夜はくしゃりと顔を歪めて、アリアに飛びつくみたいに腕に包んだ。血塗れのアリアは、青い血の冷たさと、肌のぬくもりを小夜に伝えた。
アリアは笑うし、拗ねるし、あったかい。
小夜は改めて、それを生命だと思った。
「だめだよ、さよ。おれはさよを食べるらしいから、くっついたらかまれちゃうかもしれないよ」
アリアはそう言いながらも、宥めるように小夜の背に手を添えたが、すぐに抱きしめ返す形になる。甘えるように頬を擦り、紡ぐ声がやわらかい。
「食べるなおバカめ。でも、」
鼻を啜りつつ、小夜は顔を上げて、アリアの瞳に目線を合わせる。
「その時は私がセキニン持って歌ってあげるよ。あなたは自分のなりたいようになっていい」
小夜の言葉に蒼海色がまばたきをして、それから嬉しそうにほほ笑むと、額をこつんと合わせる。
「ありあはありあがいい。化け物でも、人間でも、なにものでもない、ありあがいい。あなたといっしょにいたいの さよ」
言葉を探さない素直な心に、胸に満ちていく感情に、小夜は自然とほころんだ。
だが、人の声にはっとして振り返る。これだけの騒動だ。追っ手もあるだろう。
「じゃあ、行こっか さよ」
コンビニ行こっか。くらいの軽い調子でアリアは手を繋ぐ。
「そして探そうね。いろんな楽しいことも、きれいなものも、さよの世界に帰る方法も、ふたりで探そうね」
ほほ笑むアリアは、ちょっと見ない間にほんのすこしだけ大人びたようでいて、でも煌めく碧色は楽しそうで。
「……うん!」
ここからまた新しい旅を始めよう。
笑顔で応えた小夜の手を引いて、アリアは先程開けた大穴の前に向かおうとする。
「いやちょっと待て」
窓が無いので定かでないが、とてつもなく長い階段を登ったのだ。ここは高い。すごく高い。
小夜は高い所が得意ではなかった。
「飛びおりるだけだよ? さよはぺちゃんってなりそうだから、持ってあげる」
「うー、うわー、うわー、信じるからな! ホントにだいじょ……、」
小夜はアリアを突き飛ばしていた。アリアは不死身だからなんて考えることもなく。
蒼海色の中で、火花のように赤色が咲いた。
「さよ」
氷の杭に腹を貫かれた小夜を、アリアが抱きとめる。
その背後で、魔法を放ったアインザッツ自身が驚愕していた。
「……さよは弱いのにすぐ飛び出す」
赤色が広がる小夜を抱きしめながらアリアは呟く。仕方ないでしょ、と小夜は応える。
「怪我したら、痛いもんね」
そう笑って、小夜の瞼は落ちた。
ピシッ、とアリアの首の枷に亀裂が入り、時計の指針が振り切れた瞬間、粉々に砕け散る。
溢れ出す黒い魔力の波に、塔自体も崩壊を始めてしまう。
アインザッツと辿り着いた術師たちが、その暴走を止めるべく編み出す魔法を気にも止めず、アリアは小夜を大切に抱えて塔から落下する。
その背中には、禍々しく歪な翼が生えていた。
◆
「さよ、さよ、」
夜空を切って、都から離れたほんのちっぽけな島に、アリアは小夜を寝かせる。
呼び掛けても返事はしてくれず、知っている温度より冷たかった。
腹の氷の杭を引き抜くと、また赤い血が溢れる。
即座にアリアは自身の腕を切り裂いて、青い血を注ぎ入れた。
人工といえど竜であるから、体液の治癒力はあるはずなのに、外側からだけでは思わしくない。
小夜の中に入れたムカデも修復を行ったようだが、それでも内臓の損傷に間に合っていなかった。
「だいじょうぶだから、さよ、助けるから、ぜったい助けるから」
死にたくないと小夜は言って、助けてあげるとアリアは約束したのだ。
アリアは舌を噛み切ると、小夜に口付ける。赤い血と混じって、小夜の唇から紫色が垂れた。
小夜の血の味がする。それは幸福も孤独も飢えも悦楽も哀しみも、アリアの全てを満たす味。
「――…っ、」
アリアは一旦口を離し、息を吐いて、また何匹かのムカデを小夜の修復にあたらせた。
「さよ、……さよ、」
傷口を、血を。内臓を舐める。
かぐわしい血の匂いが、アリアの鼻腔を抜ける。舌が触れるたびに味は濃く、深くなり、歓喜に震えるほどの美味だった。
小夜の匂い。小夜の味。赫の乙女の味。おいしい。おいしいおいしいおいしい!
「はあ、は、ちがうの、だめ、」
もっと欲しいと身体が渇望する。
両手で口を押さえ、歯を立てないようにしようとすると、がちがちと不恰好に鳴った。
今すぐこの柔らかい肉を喰い千切ってしまいたい。
その欲求はアリアの人の姿も徐々に奪い、すでに半身は異形へと変わりつつあった。
「さよ、さよ、ありあが化け物でごめんね、うそついてごめんね、本当は帰ってほしくないの、もっといっしょがいいの、でも、でもね、さよが生きてたらそれでいいから、わがままいわないから、いなくならないで、死んじゃやだ」
静かな夜にアリアの声は溶けていく。数多に散らばる星は、ひとつも流れていなかったけれど、それでも。
「おねがい」
アリアは牙も腕も、小夜を傷付けうるものをすべて折って、血を注ぎ、傷を舐め続けた。




