22. 災厄
残酷な描写有り
小夜は割れたスマートフォンをひと撫でして、学生鞄に仕舞った。鞄は置いて行く。邪魔になってしまうから。
腰にホルスターのベルトを回す。決意を改めるように、しっかりと留める。
今必要なのはアリアと、アリアとこの塔から、この国から無事に逃げることだ。それから学生証とお金。旅費は大事である。ポーチにしっかりと仕舞い、シャルルの渡してくれた見取り図を再確認する。急いでくれたのだろう手描きの図と、走り書きだが形の綺麗な文字は、所々丁寧な注意書きがあった。
『アインもこの時間はさすがに仮眠室にいるようだが、見張りを付けると思う。手を打つが、気を付けて』
裏面にはハルモニアから西の田舎町にいる、牧場主を頼ると良いと書いてある。信頼できる相手だからしばらく匿ってくれるだろうと。
よし、と小夜は暗記できていることを確認して、紙を水に溶かし細かく千切った。万一落としたり失敗した際に見つかって、シャルルが疑われないように。
部屋の扉を静かに開ける。見張りはいなかった。
ぽつぽつと燈る薄明かりの廊下を、小夜は慎重に進んでいく。息を潜めて自然と呼吸が浅くなる。恐ろしくなるほどの静けさだ。見張りがいないのは、シャルルが何か細工をしてくれたのだろう。
――ここにアリアが
小夜が〝歌の訓練〟をさせられる階のひとつ下、どこか高圧的な扉に、手を掛けた。
「……、」
開いた隙間から、途端に濃密な錆鉄の匂いが流れ込む。
部屋全体を覆う魔法陣と青い塗料の中央で、黒髪を床に散らす少年が倒れていた。
その前で、今まさに少年の心臓に剣を突き立てようとする、アインザッツの姿も。
シャン、と星が翔けるような光が放たれ、剣の傍を通り抜ける。何にも触れなかった光は壁に当たって弾けた。
「……来たか。こんな夜更けに散歩とは、感心しない」
突然のことにも、アインザッツは予期していたのか冷静に小夜に向く。一方で小夜は「撃てた!」と内心で驚いていた。
「そちらこそ、こんな時間までご苦労様です。明日のためにも眠った方が良いんじゃないですか? 今すぐに」
小夜はアインザッツに銃口を向ける。声が震えそうになるのを笑顔を作って誤魔化す。
アリアを目で確認するも微動だにしない姿に、恐ろしい予測ばかりしてしまう。
「豪胆にも眠っているだけだ。いくら心臓を突こうと、頭を割ろうと、燃やして細切れにしようと易々と死んでくれない」
アインザッツは呆れたように言う。
小夜は改めて部屋の惨状に怖気が走った。おびただしく広がる青い液体、それが何であるかを理解してしまった。
「なんでそんなことができるの」
銃を握る両手が、怒りでわななく。
「これがこの世界の敵であること。理由などそれで充分だ」
アインザッツは話は終わったとばかりに小夜から視線を外した。
「アリアは、あなたに反撃しましたか」
そんなの許さないと小夜は言葉を繋ぐ。
煩わしそうにアインザッツは再び小夜を視界に入れた。
「さあ。したくとも簡単ではないだろうが」
「できたのに、しなかったのかもしれないですよね」
「そんなことを知ってどうする」
「アリアには理性も心もあるということです」
アインザッツの冷たい眼差しが、一層強くなった気がする。それでも小夜は真っ向からその瞳に挑む。
「私、実家では犬を飼っているんです」
突然の告白に、端正な顔が怪訝に歪んだ。
「赤ちゃんの頃から世話をしていますが、噛まれて怪我をしたことはないです。それはどうしてだと思いますか」
「そう躾けたからだろう」
「いいえ。賢いからです。じゃれて甘噛みすることはありますが、痛いと言えばちゃんと理解できて、そのことで叱ったことはほとんどないです。犬や猫の牙は、本気で人を噛めば殺すことも可能なのにそうしません。よほど奔放に育てない限り、噛めば傷付けてしまうと知っているんです。牙は狩りの時、食べる時に使うものだから」
小夜は言葉を紡ぎながら、アリアと過ごした時間が何度も溢れ、声が震えそうになる。
「アリアは自分に力があることを知りながら、人を傷付けたことはない。理解できる。悪い竜になんてなるもんか」
自分を射抜く眼差しに、アインザッツはしかし一切の迷いも生まれない。
「いずれ自分を喰い殺すかもしれない相手に、よく絆されたものだな。これにとって赫の女神は敵なのだから、当然その危険性は理解しているだろう?」
小夜は反論し掛けて待てよと思う。
おいしいって、そういうことなのか。寝惚けて喰われそうになったら撃ってやる。
「そもそもこれが人の姿をしているから、生物だと思っているから、そんな甘い考えを持っているに過ぎない。枷の制御によって蛹で止めているというのに。どうせ、一匹目の竜と女神の伝説しか聞かされていないのだろう」
「……どういうこと?」
「これが生物ですらない化け物で、狂人が生んだ災いだという話だ」
アインザッツは天井へ向けて、何かを放った。
四角いそれが開き、ぱらぱらと紙がめくられる。古びた本だ。
「我は鍵なり、開くは無の扉。ニェ・メミニウム」
声に応じるように本が光を抱くと、見憶えのない風景と意識が、小夜に流れ込んでくる。
夢を見ている時のあの感覚だ。
――……っだめだ、引っ張られる……!
他人の意識が混ざり合い、境界がなくなっていく。
小夜は、そうしてある男の記録を追体験することになった。
◆
「う。う、きゅぷー」
竜は知能の高い生物だと聞くが、竜の子の成長速度には驚かされる。
昨晩孵化したばかりだというのに、今朝にはもう、五歳ほどの人間と大差なくなった。顔立ちがはっきりとしてくると、随分と平均の取れた、整い過ぎるほどの作りをしている。
複数の人間の顔を重ねることで、その国の平均の顔が見えてくるという。それに伴い個々のパーツの欠点を整え、結果として美しい造形になる。
素材の顔など憶えていないが、こんなことなら記録を残しておくべきだったか。
「もーふ」
「毛布は置きなさい」
「もうふ」
容姿の成長に対して、知能はまだ赤子であるらしい。しかし一度教えたことはすぐに吸収し、言葉の理解も早い。
竜は寝床から引き摺り歩いていた毛布を見つめ、足元に放った。
「こぇ」
「皿」
「れ」
「匙」
机に朝食が並んでいくたびに竜は尋ねる。
目に映るものに何でも触れ、いちいち尋ねてくるのは煩わしいが、生態調査と思えば無駄ではない。実の我が子にもこれほど構ったことはないというのに。
「これ、はー?」
「ムカデだよ。お前の姿と似ているから、何かの役に立つかと思ってね」
瓶の中のムカデを眺めながら、竜は瓶をつついている。
殻を出た直後は姿が定まっていなかったが、生きるのに適した姿になるのか、刷り込みか、現在形態は人間で固定されたままだ。
「外に出ようか」
人里から離れたのは正解だった。王都の人間も余程の要件がないと来ることもない。
竜は見るもの全てに興味を抱いた。湖の水を手でぱしゃぱしゃと跳ねさせる。花の群生地に座り、摘んだ感触が面白いのか何本か引き千切り、そこへ飛んで来た蝶を口に含む。飽きたらまた別の興味へと向かう。
歩きながら、竜は時々振り返って私の姿を確認する。私は「これは?」と尋ねられた時に答える程度だ。
しばらくすると竜が足を止め、周囲を見渡した。獣の唸り声のようだ。ちいさな森で、狼や熊といった危険な生き物は確認していなかったが
「おーきー、の。いるー」
そう竜は答えた。
「どうやって分かった? 匂いか? 魔力を探れるのか?」
「あに、みゃ?」
試しに手の上でちいさな炎を編んで見せると、竜は蒼い目でよく観察した。
「それはどこにいる?」
続けて尋ねると、竜は森の奥を指差した。
竜の示した場所には手負の狼がおり、こちらへ唸り声を上げた。都合が良いので私はその方角へ直進した。狼は喉笛を裂くべく、その牙を向ける。
「なるほど。上出来だ」
狼は死んだ。私に牙が届く前に、狼は竜の編んだ青い炎に包まれたからだ。
見てすぐに魔法の仕組みを理解し、詠唱もなく魔力を使い熟す様は、違いなく竜種の特徴といえる。
私を庇ったということは、親の認識をしてはいるらしい。
「じょでき」
褒められたと理解して、竜は笑った。無表情ゆえに不明だったが、感情があるのか?
赤子の笑うという行為は、愛され、守られる為の防衛本能という一説もあるのだったか。
これが素材ゆえか、別の要因か。
◇
「おお、なんだ子供か」
今日は町へ連れて反応を見たかったが、数名の狩人と遭遇する。この時期、繁殖期の魔物が移動して危険だとのことだ。昨日の狼もそれだろうか。
「まったく騒々しく邪魔だなあ」
「はは、魔物が好きな奴なんざいないさ」
「お前たちのことを言ったんだけど」
現時点での記録もみておきたいので、まあ良しとしよう。
「お掃除だ。竜」
嵐は一瞬にして過ぎた。それで充分だった。
上出来だ。そう言うと、竜もまた血で濡れた顔に嬉しそうに笑みを作った。
ちいさな町から人が刈り取られるのに、三十分と掛からなかった。時に魔法で、時に腕の力だけで。竜は全てを奪っていく。
仔犬のようで実に愛らしいものである。頭を撫でてやればにこにこと嬉しそうに笑い、期待以上の成果を見せてくれるのだから。
「死んじまえこの化け物っ!!」
怯え、逃げ惑う人間の中にも、勇敢とも愚かともとれる者もいて。
年若い女は薪割り斧を振り被り、竜の左肩から腕を落とした。直後に反撃により絶命したが。
「うー……っ、ぅぅー……」
「おい、無事か?」
痛覚があるのか、竜はうずくまり、瞳からは涙を伝わせる。すぐさま傷口を診るべく私は膝を折った。
「傷を治せないのか? 竜種の再生力は非常に高いと記録がある」
無論、身を案じてのことではなかったが、竜は私を見るとしかめた眉根を僅かに緩めた。
「おかあさあん!!」
幼い娘が、女の亡骸に縋り付いて泣き始める。
私は珍しく苛立ちを覚えた。娘を自ら手に掛けるほどに。
幾年も研究され続け、それでも誰も成し得なかった〝滅びの竜〟の複製だぞ。人智の及ばない、芸術品とも呼べる物の価値も判らず、この女は安易に傷を入れたのだ。
「……」
竜は寄り添い合う母子の遺体を静かに眺めていた。今までにない反応だ。
失った左肩からは腕が形成され始めている。
「やはりお前は素晴らしいよ」
爪の先まで元通りとなった竜に、感嘆の溜め息が漏れる。この至福の瞬間はどのような名画を前にしても味わえないだろう。
だから竜も嬉しそうに笑った。
◇
「美しいなあ」
部位も定かではない肉塊も、咽せ返る程の錆鉄の臭気も気にならないほど、美しい光景だった。
肉塊が人の形を形成していき、竜となる。
斬る、突く、刻む、潰す、焼く。窒息も毒も、あらゆる方法を試したが、どれもが竜の死には至らなかった。再生を繰り返し、竜は弱っていくどころか、修復速度は上がっていく。
最初こそ流していた涙や呻きもなくなり、殺されて再生をすると「うれしい?」と喜ぶのだ。
「ああ。嬉しいとも。本当にお前はアルスの産んだ奇跡だ。素晴らしい」
頭を撫で降ろせば竜も瞳を輝かせる。
さて、この擬似的な親子関係もいつまで続くか。
自分で餌も取れないうちは、雛鳥が親鳥に逆らうことは決してない。唯一の生命線だからだ。
しかしいつかは逆転する日が来る。その時、これが反抗したら。
竜は既に、私に従う必要などない。力関係に圧倒的差があることは、とっくに気付いているだろう。
けれどいつ己を殺すかもしれない存在に、その瞬間を、待ってすらいるかもしれない。素晴らしい芸術の進化の為なら。
「たまご。出てくるのー?」
一週間と経たず、竜は日常会話の受け答えも、絵本を読むことも容易になっていた。
「そう。採集した時にはもう産む準備が整っていたらしい」
「どうして、丸いのー?」
「外敵から卵をそうして守っているんだ」
瓶の中で、ムカデは長い身体を使って卵を包み、長い脚で何十、何百かもしれない卵を抱いて守っている。
「おかあさんなの?」
竜はムカデを観察しながら呟いた。私ではなく、ムカデに尋ねているような姿だ。
「会ってみるか? 正確には母親ではないけど、お前にとってはある意味そういう存在だよ」
いつも竜が死ぬ部屋とは別の地下部屋に、私は初めて竜を連れてきた。
牢の中の女は、片隅でうずくまって微動だにしない。
「おかあさん?」
不思議そうに鉄格子に手を入れて、竜は隅から動かない女へ手を伸ばす。
「化け物」
乱れた深紅の髪の隙間から、憎悪に濁った女の眼が竜を見た。
「おまえのせいで、よくも生まれてくれたな、死ね、シネ、死んじまえ! おまえも! おまえも!! みんな死ね! 死んじまえ!! おまえなんか生まれちゃいけなかったんだよ! 早く死んでよほらあっ!!」
女は叫び、泣いて、嗤う。向けられる怨念は本日も代わり映えはない。
私の妻でもあるが、精神に異常をきたしたのでここに保持することになった。異界の人間は、アルスの生物とは異なる魔力の質を持つことは解ったが、女との間の子供にはそれが見られなかった。子供が消え、私が女を喚んだ元凶だと分かってからこうだ。
しかし、その魔力は幾度の失敗を重ねた竜の複製を産むのに、足りない要素を補った。被験体として充分な働きだろう。
竜は女の姿をしばらく見つめていたが、やがて牢から離れた。
「……どうした?」
その夜、眠りに就こうとすると、竜が寝室にやって来た。
「いっしょ、ぅー……いっしょ、」
竜は寝間着を握りながら、何かを伝えようとしていた。
「いっしょ、の、おやすみなさい?」
知識を絞り出した己の言葉に、竜は首を傾げる。
黙って様子を見ていると、竜は部屋をうろついた末、私の寝台の傍まで歩み寄った。蒼い眼を不安げに揺らす様子は、まるで人間の幼児だ。
「……一緒の? 一緒に眠りたい?」
寝台を半分空けてみると、竜は不安を取り去り、笑顔で寝具に潜り混んできた。絵本の中に、そういう話でもあったのかもしれない。
灯りを消すと、竜は身体に抱きついてくる。
「おとうさん?」
囁くように尋ねられたので、違うと否定する。
「でも私がいなければお前はいなかったから、そうとも言える」
竜は返事をしなかったが、やがて安らかな寝息が聞こえ始める。
どうやら竜は、人間の親子のような関係を求めているらしい。
言葉を教え、絵本を与えた。
知能と成長速度を記録する目的で。
よく褒め、よく頭を撫でた。
精神への影響とその経過を見るために。
幾度も殺し、多く殺させた。
滅びの竜の力を、間近で観測したいから。
総て愛情からではない。
この星の、あらゆる生物を逸脱した、もっとも至高の存在。だからこそお前の研究のために、この身を捧げてきたんじゃないか。
数々の成果を挙げ、浴びる程の称賛を得て、世界有数の偉人に認定され。そのどれも私の心を満たせなかった。
お前の存在だけが私の好奇心を満たしてくれる。そうだろう?
神が人に堕ちるなど、あってはならないんだよ。
力を示せ。
それがお前の存在意義だ。
私は竜を連れ、すぐに森を発った。
行く先々で街が崩壊し、人間は捻り潰された。
なんら変わりない。竜は私の危惧をよそに、人外らしく、人の心など持たず、命を狩るだけだ。
「いっぱい死んだよ。たくさん殺せたよ」
ただただこの怪物は、私が喜ぶことを無垢にこなした。
頭を撫でてやると無邪気にはにかみ、笑みを零した。
これには、何が善悪かは関係ない。
私が笑ってくれることをして、褒められるのが嬉しいからそうしているだけ。
良し悪しなどまったく無関心に竜を蘇らせた私と、その部分は似ているといえばそうかもしれない。
いくつかの街が滅んで、いくつかの月が変わった頃。
ついぞ私は、竜がこの星を新地にする日までは、見届けることができなかった。
ここから先は、魔法の届かない私の遺恨だ。
これを観る誰かさんよ。
私に代わり〝滅びの竜〟を目醒めさせるがいい。
◆
聖騎士たちが潜伏した街で、男は斬り伏せられる。
突然のことに、竜は男が倒れる様子をただ見つめていた。その隙に術が施され、強力な封印が竜を捕らえようとする。だが、竜の力もまた強大であった。
術を解き、縋るように男の背を揺すり、呼ぶ姿はいつかの人間の子供のようだった。
「起きて? 起きよう? まだ、夜じゃないよ。ねえ、ねえ、」
竜は男の名を知らない。
「ねえ、おとうさん」
だからそう呼ぶしかなかった。おとうさんもおかあさんも、どんな意味の言葉か教えてもらっていないまま。
くっ、と微かに、男が笑みを漏らした。
「違うよ。私は父親じゃない」
「じゃあ、なあに?」
「ただの人の道を踏み外した人外。あとはお前が決めるといい」
男はそれ以上は応えてくれなかった。
いくつもの呪縛が折り重なる中でも、竜は抗い、男の傍に居続けたが、やがてそれも終わる。
歌が聴こえた。
騎士に連れられた赫髪の女は、かつての男の妻だった。男を追っていた騎士達が、地下牢に幽閉された女を救出していたのだ。
「二度と生まれて来るな 化け物」
深い憎悪の歌は、女の命と引き換えに、竜を卵まで回帰させた。
残された竜の卵は、まじないの掛かった黒衣と魔法の枷を幾重にも掛けられ、森に封じられる。
結界を張り巡らせ、人が迷い込めば生きて帰ることのできない、死の森に。




