21. 歌う塔
流血表現、残酷な描写有り
「不死身など有り得ないと思ったが……なるほど本当に虫のようにしぶとい」
心の底から辟易した表情で、アインザッツは呟く。
物のない、幾重にも連なる幾何学模様だけが薄く光っていた部屋は、今や壁も床も青い液体で染まっていた。
その液体の中に仰向けに倒れたアリアは、目を閉じたまま微動だにしない。
「忌々しい」
アインザッツは研ぎ澄まされた輝きをもつ聖剣を振り下ろした。アリアの右腕は切断され、また新たな液体が飛沫を上げ床を汚す。
「いつまでするの、これ」
アリアは薄く目を開き、飽きたとばかりに退屈そうに言う。
「お前が死んでくれたら今すぐ終わる」
切っ先が持ち上げられ、追撃の気配がする剣が鋭く止まる。
「我は鍵なり、開くは風の扉。ゼア・アッジリール」
剣を止めたアリアの左腕が、床に叩きつけるように伏した。
「ゼア・ノッシェンド」
続けてアインザッツは魔法を紡ぐ。
アリアの身体が軋み始め、様々な骨の折れていく不協和音が部屋に響く。
ごぷっ、とアリアの口から青い血液が吐き出された。重圧の負荷にはさすがに中身も潰れる。
「破損した箇所の再生速度は変わらない……魔力によるものではないのか」
分析するように呟いて、アインザッツはアリアを見下ろす。右腕は既に肘近くまで再生されていた。アリアは青く濡れた口角を上げる。
「おれのジッケンは楽しい?」
「お前をこの手で殺す瞬間は楽しかろうな」
「やってみなよ。できるならね」
くすくすと笑みを零して、アリアは切断された右腕から魔法を編み出した。
「ッ……」
瞬時にその場を離れた判断はさすがと言えよう。
アインザッツが居た場所で、線香花火のような弱い炎がぱちぱち爆ぜた。遊んでいるのか衰弱しているのかまでは定かでないが。
「いろいろ教えてくれたお礼に、おれも教えてあげる。切りはなした部分は、ここのフウインは受けないみたいだよ」
「それはご親切なことだ」
微笑むアリアに、アインザッツも憐れむように、ごく薄く笑みを浮かべる。
右腕は自在に操れるらしく、宙を泳ぐみたいに浮かび、ひらひらと手を振ってみせた。
「さよを元の世界に帰して。でないと暴れるよ。ふうじられていても、ここをこわすくらいできる」
ひたりとアインザッツを見つめ、魔法の射程距離に入れる。脅しではなかったが、アインザッツの表情に焦りといった変化はない。
「……――――」
その時、歌が響いた。
「……さよ……?」
間違いようもない少女の歌声。
まるでこの塔自体が歌っているかのように声は反響し、アリアの耳に届けた。
切断された右腕が、何かを探すように宙を掻いて、霞となっていく。
「グラス・アルシェ」
氷の刃が宙でいくつも生まれ、咎人を断罪するようにアリアを射抜いた。
「ではもうひとつ教えてもらおう」
粗末な虫の標本みたいになったアリアに、アインザッツは尋ねる。
「紛い物のお前が、そのものの力があるのか些か疑問でもある。赫の女神と何か契約でもしているのか?」
かちり、と鳴った時計は、四分の一を経過する。
「……何も。おれはただ、さよといっしょにいたいと思っただけ」
◆
わからない。
わからない。わからない。いたい。いたい。
どうして。どうして。どうして?
あのひとがいない。あのひとって?
わからない。わからないの!
ちかちかする、じりじりする、わあわあ、大きな声、出さないで。眠りたいの! わからない。やめてよ!
いたい。どうして? いたい。いたいいたいいたいよぅ!
だれか、あのひとを――――…
「……あっ……ぐぅ……ッ!」
混濁する頭を抱え、溺れたように酸素を求める。激情が追い掛けて来る。壮絶なまでに、欠けてしまった何かへの、これは。
「ハァっ……! ハア……、あ……」
瞼を開け、眩しさに何度かまばたいてから、白い世界に徐々に慣れていく。そうして、少女は自分が何者であるかを思い出す。小夜は水差しからコップを満たして、一気に飲み干した。
「今までで、一番、キツイやつだったかも……」
どうやら机に伏したまま、うっかり居眠りをしたらしい。夢見が悪い訳だ、と深く息を吐く。
――……誰の夢だったんだろう……すごく、強い怒りと……でもそれ以上に、悲しんでいた
夢の主は、ひどく絶望しているようだった。目醒めた今でも、激しく動揺した胸が苦しい。
――……それもこれも、こんな所にいるからっ
小夜はもう何度目かになる不満に地団駄を踏みそうになる。
そんな姿を見れば、誰も救世主サマとは思うまい。良いアイデアかもしれない。小夜は疲れていた。
――だいたい、歌うのが赤髪じゃないといけない理由って? 何が違うの
変な塔に連れて来られたかと思うと、お歌の訓練が始まった。
小夜の知っているメロディーは、その悪い竜を封じるものらしい。代償を払って異世界から小娘一人呼ぶよりも、メカニズムの研究の方が有意義だと小夜は思う。
「ああもう、見張りもいるしやることは歌のレッスンのみ、英雄サマって形だけ祭り上げてやることは監禁か!」
喉が痛いのに飴のひとつもくれないなんて、どうかしてるぜと小夜は憤慨する。人に歌の訓練をさせるより、人としての気遣いなどを学んでほしい。
――歌だって……竜を倒すとか、戦うことに利用するものじゃないのに……
あの歌は本来、子守唄のはずだ。竜に優しく聴かせていた、薬師の女性の。
ではなぜ、赫の乙女はそれを歌ったのだろう。考えてみても、小夜には見当もつかない。
――アリアはちゃんと扱われているのかな……
窓もない寝具と椅子と机があるだけの部屋と、塔の上階を行き来して三日目。
小夜も大人しく囚われていたわけでなかったが、常に監視があって自由に動くことも叶わず、アリアを人質にされている以上従うしかなかった。
しかしいい加減、息が詰まりそうだ。本当に窒息死した時は関係者全員慌てるがいい、と黒い念を送る。
正直な話、小夜は自分の命が一番なにより大事であるが、アリアへの恩義は感じているし、放って置けない程度に情もある。
――アリアと合流して逃げ出したら、お城に忍び込んでやろうか。向こうからこっちに来る魔法があるなら、その逆の資料とかもあるんじゃ……
危なっかしい橋を渡る思考を、ノックの音が引き戻した。
「シャルルだけど、話せないだろうか」
「……」
小夜は躊躇った。
聖騎士の印象は地の底まで悪いし、シャルルへの猜疑心も晴れず、以前ほど明るく話せる気がしない。
「……サヨさん。少しだけでいいんだ。時間を許してほしい」
迷った末に、小夜は渋々と扉を開けた。
三日ぶりに見たシャルルは思い詰めた表情をしていて、小夜の顔を見るとすこしだけ安堵したように「ありがとう」と言った。
「まずは一連のことを謝罪させてほしい。あらゆることが性急に起こり過ぎた」
「……シャルルさんは、私たちをずっと見張っていたんですか? よく話し掛けてくれたり、親切にしてくれたことも、全部」
「……この状況となった以上は、僕が何を言っても言い訳になってしまうから。……貴女を取り巻く事柄のすべてに、心よりお詫び致します」
片膝をつき、深く項垂れるシャルルに、小夜も困惑して立たせようとする。
「取り敢えず、座りましょうか。お話は謝ることだけじゃないのでしょう?」
椅子を引いて促すと、シャルルも遠慮がちに顔を上げて、すこし疲れた表情で笑んだ。
「これも貴女の荷物だろう? ないよりはよいかと思って」
「あ……ありがとう、ございます」
マントの中に隠し持っていた、銃とホルスターを小夜が受け取ると、シャルルは椅子に腰掛けた。
「単刀直入に言うと、貴女を逃がす協力をしたいと思う」
思わず目を見開く小夜を、シャルルはいたく真面目に見つめる。
「逃がすって、そうしたいのはもちろんですが、シャルルさんの立場が大変なんじゃ、」
「バレてしまえばね。要はバレなければ問題ない。だろう?」
シャルルは笑って片目を瞑る。いつもの調子が戻って来たようで、小夜も強張った肩から力を抜いた。
「付き添うのが一番だけど難しそうだから……簡単で悪いが、この塔の見取り図を用意した。特に気をつけてほしい箇所には、赤インクで書いてあるからよく憶えて」
折り畳んだ紙を差し出されたが、小夜はそれを受け取らずシャルルを見た。
「どうしてそこまで。本当にバレてしまったら、お仕事を続けられるかもわかりませんよ、もしかしたら何かの罪にも」
小夜の言葉に、シャルルは優しく微笑んだ。
「サヨさんには、何か信仰するものはあるかい?」
「信じるもの、ですか……えっと、考えたことは、ないと思います」
「そうか。けれど、アリア君のことは信じている。そうだろう?」
異論はないので、小夜は頷く。宗教や神様に限ったことではないのであれば、家族や友人や自身のことを信じていると言える。
シャルルもその気持ちを汲むように、ゆっくりと頷き返した。
「騎士の男はみんな、赫の女神に恋をしているものさ。貴方の選ぶ道を、僕もまた信じよう」
穏やかな声に、彼の覚悟も込められていた。小夜はぐっと唇を引き結んで、紙を受け取った。
「ごめんなさい。シャルルさんのこと、疑ってしまいました」
「信用してくれてありがとう。……それより、貴女も、アリアを選択する覚悟があるかい?」
シャルルの問い掛けに、小夜は疑問を持つ。
「はい。そのつもりでいますが、どこにいるかご存知ですか?」
「うん。見取り図にも記載してある。問題は、彼がまさに貴女が封じるべき相手、滅びの竜であること」
小夜は頭が真っ白になりかけて、なんとか踏み止まった。アリアが、なんだって?
「いやいやそんなまさか」
「僕もね、未だに信じ難い」
小夜の背中にひやりとしたものが流れる。
何もしていないのに嫌でも心拍数が上がった。
「一人で逃げるにしろ、二人で逃げるにしろ、僕は協力するけれど。僕個人の意見では二人で逃げた方が道中は格段に安全だよ。なんたって彼は世界最凶の竜だからね」
「シャルルさん、騎士ですよね。救世主候補どころか世界の敵を逃がすのオススメしちゃうんですか」
つい真顔になって尋ねると、シャルルはその事なんだけど、と苦笑した。
「……アリアの首に枷があるだろう。あれは彼の力を抑えるものでね、本来の力の十分の一も出ていないはずなんだ。おそらく現在の姿も仮のもので、異形なのだと思う」
小夜はアリアの作り出したムカデを思い出した。
もしアリアの姿がそうであるなら、好きじゃないと答えた時、落ち込んで見えたのも頷ける。
――ムカデ……ムカデかああぁ……あれ? 竜要素どこだ
できれば人間姿でいてほしいと小夜は思った。
「僕が、あの子がどうしても悪い竜だと思えないのは、そこなんだ」
真顔のままだったので小夜の忙しい脳内に気付かず、シャルルは話を続ける。
「いくら封じられていると言っても、彼に抗う様子が感じられない。……拷問すら生温い、死を幾度も経験するような、惨たらしい扱いをされても、だ」
なぜか小夜の脳裏に、嬉しそうに小夜を呼ぶアリアの笑顔が過ぎった。
「彼に痛覚がないのかと思ったが、恐らく、あるんだ。僅かに眉を寄せる瞬間がある。そしてこのままでは彼を縛っている結界を、自ら解いてしまう可能性がある。本当にそれほど強い存在なんだよ、彼は」
小夜が怪我をした時、いつも痛いの?と気遣わしげに尋ねるアリア。それは生き物として、痛みを知っているということではないか。
「シャルルさん」
シャルルは驚いた。急に小夜が深く頭を下げたからだ。
「私、アリアと逃げます」
その答えを知ってたようにシャルルは笑った。
「長居してしまったね」
「いえ、……」
椅子から立ち上がり、扉へ向かおうとするシャルルだったが、歩みを止める。
「……かもめ亭を訪ねた中に、アインザッツという男がいたのを憶えているかな」
「……はい」
「あいつにも色々あってね。赫の女神と竜に、根深い因果のある家なんだ。……こんなこと、貴女に言うべきではないのだろうけど」
以前にすこしだけ、シャルルを通してアインザッツのことを見ている。
シャルルの回想する彼は、いつも怪我だらけで、厳しさの中にいて、けれど決して泣くことのない努力家で。そんなアインザッツの唯一の友達であるシャルルが、庇わずにはいられない気持ちは、小夜も理解はする。
「すまない、無駄話が過ぎた」
小夜は否定して、もう一度深くふかく頭を下げた。今顔を上げると泣いてしまいそうだった。
「ありがとう、シャルルさん」
それをシャルルは柔らかく細めた目で見つめ、頷いた。
「どうか貴女達に女神の加護があるように。元気で」
シャルルはまた会おう、とは言わなかった。
脱出が成功することを信じてくれている。もう戻ることがないように願ってくれている。
扉の奥に消えたほほ笑みに、ありがとうと呟いて、小夜は滲む視界を拭った。




