20. 赫の乙女
船を降りた小夜が、最初に浮かべたのは疑問だった。
「……これが、王都ハルモニア?」
久しぶりのような空の下、広がる光景は穏やかな港街に見える。規模でいえば、バルカローレの方が大きく盛んだ。
「いいや、我々が行くのはあちらの方だよ」
シャルルの指差す空には、浮遊する巨大な都市があった。
飛行艇に乗り、小夜たちはハルモニアと呼ぶらしい空中都市へと連れて来られた。
蒸気と歯車の廻る都は、他の街に比べて科学がずっと発展しているように見える。
小夜はうずうずと好奇心が沸いたが、真っ直ぐに城へと向かう小型飛行船に諦めざるを得なかった。
――何がどうなっているんだ……
まず良い香りのする浴室で、侍女たちにざぶざぶ洗われる。
どうしてか白いドレスで着飾られ、現在軽い化粧を施されている最中だ。お姫様のような扱いを、小夜は人形みたいに受け容れた。混乱し過ぎて思考がショートしそうだ。
――……アリアは大丈夫かな
大人しくできているかどうか。
城に入ることを許されたのは、小夜だけだ。アリアは城下街の別の場所にいて、小夜も後で合流できるそうだが。
アインザッツという男との、あの空気を裂くような敵意。思い出すだけで身の毛がよだつ。何事もありませんようにと小夜は祈った。
――……気持ちが悪い
まあお可愛らしい。と化粧師の一人が言う。
鏡には燃えるような赫髪に薄いヴェールを被せ、鈴蘭の花冠を飾る少女の姿があった。
――……ここは気持ちが悪い
通された謁見の間で見る王の姿は、小夜が想像するよりずっと若い。三十代半ばほどのその王は、まずは強引な手段を取ったことを謝罪した。
そして語った話は、小夜がこの世界の英雄〝赫の乙女〟に選ばれた存在だという話だった。
◆
「私はついて来い、と言ったはずだが」
城下街の賑やかさからも外れ、静寂な広場には白い塔だけが空を指している。
「ありあが言うことを聞くひつようはない」
複数の騎士にほとんど連行される形で引っ張られて来たアリアは、その塔を前に足を止めた。
白い塔は、奇妙な魔力に満ちた建造物で、アリアはしっぽを逆立てた猫のように前を行く背中を見据える。
「憐れなやつだ。自分が何者かも知らずこの世界にいる分際で、よく吠えられたものだな」
冷笑を浮かべる男にアリアは目を眇める。
小夜に対しても不遜な態度だったが、アインザッツという男はことさらアリアに威圧的だ。記憶がない以上、当然彼を知る由もなく、不愉快な気持ちばかり募る。
「へえ、ありあのことを知っているんだ。それで、だからどうした。ありあがなにものかなんてかんけいない。ありあはさよと始まった。知らない話にかちはない」
アリアは強がりでもなんでもなく、本当に興味がなくて答えた。小夜と歩き、見て、考え、得てきたものでアリアは自身を形作っていく。これからも。
「アリアというのは、サヨという少女が名付けたのか」
「そうだよ」
「だからお前は憐れだという話だ」
蔑む眼差しに、アリアも蒼色を細める。黒髪が揺らめいた。
「あなたからは、すごくイヤなかんじがする。本当はさよをどうするつもりなの。さよはどこ」
アインザッツは問い掛けには応えず、首を振った。
「自分の出生は関係ないと言ったな。それがあの少女の命に関わることでもか」
「……さよの?」
答えはなく、アインザッツは踵を返し塔へ入って行く。アリアは歯噛みして、その後を追った。
壁に沿う形で続く螺旋階段は長く、靴底の鳴る音が奇妙に伸びて反響する。
やがて重々しい扉を開いた空間には、塵ひとつ物がなかった。しかし重圧に感じるほど魔力が満ちた部屋に、アリアが不快に眉根を寄せる。
「察しの通り、ここには呪いが掛けられている。入れ」
「話ならここでも聞ける。何のまじないか知らないけれど、こんなキモチワルイものに入りたくない」
「何度も言わせるな。私は入れと言ったのだ」
難なく部屋の中心へと歩いて行くアインザッツを睨んで、アリアも慎重に一歩を踏み出した。
「滅びの竜、星喰い、白紙に還す者……かつてそう呼ばれたこの世界の脅威を、再び創り出そうとした愚かな男がいた。男は竜を使役し、殺戮の限りを尽くしていった。すべては、男の好奇心を満たすためだけに」
アリアの足元から、光が溢れる。
「なあ模造品。次は赫の女神を喰い殺すのか?」
まばゆい光がいくつもの複雑な魔法陣を描き出し、捕らえたアリアを崩れさせる。
「跪け、災厄。貴様が殺した大勢の民の前に」
アインザッツは冷徹に告げ、アリアに聖剣を振り下ろした。
◆
世界が滅びようとした時、赫髪なびかせる救世主が現れた。
赫の乙女は、悪しき竜をその不思議な歌声で鎮め、その身と共に竜を封じて眠りについた。
彼女の活躍により世界は護られ、今も語り継がれながら、平和が保たれている。
これがこの星の誰もが知っている伝説。
しかし赫の乙女が、異なる世界から喚び出された存在だと知る者は多くない。
各地で領土を争っていた時代の、ある一般兵士の話だ。
ちいさな村の上空に、複雑な模様を描く光の輪が現れ、その中に人が消えたのを見たという。
まだ魔法が広く伝わっておらず、不思議な現象を解明できる者も、正確に記録できる者もいなかった。
それからさらに星の人口が増え、暮らしが発展していったある日、災厄は訪れた。滅びの竜の発生だ。
その頃には魔法を扱える者が増え、各国の軍事勢力も目覚ましい進化を遂げていたにも関わらず、荒れ狂う竜に成す術はなかった。
このままでは星が食い尽くされる。万策尽きたと思われたその時、最後の希望が、この世界に奇跡をもたらした。
空に現れた光の輪だ。ハルモニアの兵士の中に、独自に研究を続ける一族がいたのだった。
記録から異界へと続く扉だと予想され、人々がアルスから脱出するための手段として、急ぎ魔法陣の解明に取り掛かられた。
光の輪はアルスからではなく、異界から赫い髪の少女を喚びだした。
解明を終えていない、未完成の魔法陣だ。研究者たちが困惑や絶望に落ちる中、少女は自分の役割を正しく認識していた。
ついにハルモニアに竜が迫った時、少女は、竜のもとへと誰よりも速く駆け出したのだという。己の犠牲をいとわず、まさに彼女を英雄たらしめる由縁だ。
これが赫の乙女の真相と、ハルモニアの功績である。
だが、平和な時代に今、再び影が射そうとしている。新たな悪しき竜が目醒めようとしているのだ。
それを予言した魔女により、封じられていた召喚術が解かれる。
そして、奇跡は再来した。
この世界に、再び赫の乙女が舞い降りたことで。
「――つまり、私はすごく勝手な都合で勝手に呼び出されて、勝手に危険な目に遭わされる不幸な人間ってことですよね。ふざけんなって感じです」
調子が乗り、段々と熱が込もっていく王の話に、小夜はうんざりしていた。
事故や病気に気をつけて過ごしましょう。たった一言で済む内容を十分にも二十分にも嵩を増す、夏休み前の校長先生の話と大差ない。特に魔法陣の下りは、国の自慢話を聞かせされただけな気がする。傍らの大臣ではなく、王が自ら話した訳だ。
「口を慎め! 王の御前で!」
「これでもだいぶ表現を抑えました。突然家族や故郷と引き離されて、いきなり森で死に物狂いで逃げ回って、怖くて淋しくて帰りたくて気が狂いそうな思いをしたのに、世界のために死ねってなんですか。嫌ですよ」
血の気の多い近衛が声を荒げるが、小夜も握った拳をわななかせて言った。
「召喚の儀のために、何人が術の犠牲になったと思っている! 貴殿にはその責任を負う義務がある!」
「な……、にそれ」
だが近衛の言葉に小夜も勢いが削がれる。
興奮状態の近衛を制し、大臣だという男が補足した。
「召喚術はその代償の膨大さゆえに、禁忌の術なのです。我々にとっても手段を選ぶ暇はありません。国や家族のために捧げた名誉ある死です。あなたにとっても、それは同じこと。英雄となり歴史に名を刻まれるのだから」
語られる内容に、小夜の理性の糸は焼き切れた。この城の人々が気持ち悪い理由がよく分かった。
「ふざけんな! あんたたちはおかしい! 奇跡とやらのためにたくさんの人を殺すのも! 無関係な人間に責任を押し付けるのも! 自分の世界のことだろ自分たちで何とかしろ!! 私を返せ! 元の世界に返せ!!」
小夜は羽交締めされても叫び、暴れ続けた。
謁見の間から引き摺り出されながら「責任取ってほしいのは私と殺された人達の家族の方だバーーーーカ!!!!」と捨て台詞を王様に言ってやる。
早くアリアとこんな場所から出てやろう。
小夜は飛行艇に詰められながら決意する。




