19. 夜明け前
微グロ(虫描写)有り
「何事ですか? こんな朝早くから……」
ディールが困惑するのも無理はなかった。
小夜たちは朝市の仕入れから戻ったばかりで、陽が昇る前の街は、まだ深い群青に包まれている。
だというのに、開店前の扉が叩かれた。不審に扉へ向かうディールの背中を、小夜も買った商品を仕舞うのも忘れて見守る。
「このような時間から訪ねるご無礼をお許しください。サヨ殿とアリア殿に、お伝えしなければならないことがありまして」
「サヨとアリアに、ですか? あの子達が何か……?」
シャルルの声だ。不思議に思った小夜が厨房を離れようとするのを、アリアが引き止める。
「アリア?」
扉を注視したアリアの表情に警戒が見てとれて、不吉な予感に胸がざわつく。
「失礼」
耳慣れない声に続いて、四名の騎士が店に無遠慮に踏み込んで来る。
その先頭に立つ青年の、鋭利な冷たさを持った眼が小夜を捉えた。
「貴方方をお連れするようにと、ハルモニア王の命によって参りました。御同行願います」
「おうって、王様……? いきなり来て、何の話ですか」
言葉に反して威圧的な態度に、小夜も眉を寄せながら、男の顔に見覚えがあると気付く。
濃茶の髪は騎士にしては長く、その奥に見える色素の薄い双眸と、くっきりとした二重がより物憂げな影を差すが、傍らの泣きぼくろがほど良い甘さを与えている。これほどの美丈夫はそうそう出会わず、簡単に忘れそうにはないのだが。
「さよに近付くな」
アリアが小夜を背に庇い、男を睨め上げる。その黒髪は既に、風もないのに揺らぎ、青い光を帯び始めていた。
いつになく殺気立つアリアを、男も憎悪に似た眼差しで見下ろす。
「アリア、落ち着いて」
「やめろアイン。争いに来たんじゃないだろう」
止めに入るシャルルに、小夜の記憶が呼び起こされた。
名は確か、アインザッツ・ガルバート。騎士になる前の彼を、小夜は夢を通して知っている。その時の夢の主がシャルルだったことも。
「重ねて非礼をお詫びします。……サヨさん、アリア君。僕達には発言の制限があって、詳しい説明が今はできない。本当に申し訳なく思う。王からの用事が済むまで、時間を貸してくれたらそれでいいんだ。……すまない……」
深く頭を下げるシャルルに、小夜も感情を一旦収める。本意ではないのは小夜も同じだ。
「……どのくらいで戻れますか。ハルモニアって、海の向こうにあると聞いていますが」
「暫くは滞在することになるとだけ。船を待たせているので、至急出発の準備を願います」
「今からですか? 無理ですよ、仕事もあるし、お世話になった人への挨拶だってしたいのに」
「騎士様、私もそれはあまりにも急ではないかと思います。詳しく言えないにしても、日を改めても」
「貴方方の知るところではないと申しているのです。王命に逆らいますか」
「あなたさっきから……っ」
「アインザッツ」
助け舟を出そうとしてくれたディールまで牽制する始末に、小夜の我慢もそろそろ限界が来そうだ。
苦々しく諌めるシャルルに、アインザッツが睨み返す。埒があかない。
「……鞄を取って来ます。すぐ戻るので」
だから小夜は大人になってやることにした。どうせこの男は、小夜達を連れて行くまで不毛なやりとりを何十回でも繰り返すのだ。それでは、世話になっているディールにまで迷惑を掛けてしまう。
「ここにいろ」
「ちょっと、子供相手にやめてください」
後に続こうとしたアリアが腕を掴まれていた。不快げにアインザッツを一瞥した蒼色が、小夜に戻る。
「さよ」
蒼は透き通るような真剣さで問い掛ける。小夜に選択を委ねる。
行きたくないなら、逃げるなら。アリアはできると訴えていた。
その蒼は海の色に似ているからだろうか。荒れ狂いそうな小夜の心を、すこし落ち着かせた。
「大丈夫だから」
アリアを残させたということは、人質のつもりだろう。アインザッツという男は、目的のためなら手段を厭わない危うさがある。
下手な刺激をしない方がいいな、と小夜は努めて、かなり努力して、やわく笑顔を作り部屋へ向かった。
身支度も満足にさせてくれないほどの要件は何だろう。会ったこともない王様の命令なんかより、入院中のカノンへの挨拶の方がよっぽど大事だというのに。
「……今までありがとう」
マイルームとなっていた従業員部屋から、護身用の銃と学生鞄だけを持つ。少ない着替えと筆記用具。小夜とアリアの荷物はこれだけで足りる。
ちいさな宿のちいさなベッドは二人分には狭く、寝辛くも安心で、あたたかかった。
ランプの灯りの中で、日本の教科書を広げ、シャーペンを走らせ、カラフルにマーカーで線を入れた時間は、寂しくもその度に帰る決意を改められた。
小夜とアリアの過ごした一カ月の痕跡は、シーツを入れ替えてしまえばもう残らない。
「ディールさん、たくさんお世話になりました。……ろくにお礼もできないままで、ごめんなさい。優しくしてくださったことも、おいしいご飯の味も忘れません。カノンさんにもどうぞよろしくお伝えください」
ディールは渋い面持ちで首を横に振った。
「サヨ。アリア。うちは宿屋で、旅人が羽を休める場所だ。もし困った時も、そうでない時も、いつでも戻っておいで。君たちと過ごした時間は長くはないけれど、それでも私たちにはとても楽しく大切な時間だった。妻もきっとおかえりと料理をはりきるし、子供の顔もまた見てあげてほしい」
ディールの大きな掌が、小夜とアリアの頭を優しく撫でた。
途端に込み上げて来るものを振り払うように、小夜は笑う。
「……はい。本当に、ありがとうございました!」
◆
小夜たちの乗せられた馬車は、バルカローレの港へと着く。
彼らの女神である、乙女の横顔が揺らめく。聖騎士の紋章、真紅の帆が張る船は、部屋を複数備えたもののようで周囲の漁船よりよほど大きい。
小夜は船に乗ることが初めてで、船酔いを心配する程度には余裕があった。もう流れに身を任せるしかない。大船に乗ってやろう。泥舟だったら化けて出てやる。
「表におりますので、何かありましたらお呼びください」
「……どうも」
用意された個室へ通され、小夜はようやく息をつく。
狭く、寝台しかない簡素な部屋だが、監視されながら過ごす想定をしていたのでマシだ。
「サイアク」
アリアはむすっとふくれて、ベッドに腰を降ろした。固い。とまた愚痴る。
アリアも別室が用意されていたようだが、小夜は同室を願った。今にも暴れそうな猛獣を抑えられるのは小夜だけだったし、一人不安に過ごすよりは気が楽だ。
「確かにサイアク」
小夜もベッドに腰掛けて、境遇に愚痴る。そして固い。顔を見合わせて苦笑し合った。
「何の用事だろうね。王様の命令って何もしていないし、そもそも一般人だし」
「力づくできいてもいいよ、そこのキシとか」
「それやったら間違いなく牢獄行くと思うんだよね……ここ、海だし。逃げられないし」
アリアの物騒な言葉に、小夜は不穏な未来を描いて滅入る。
船は思ったほど揺れないが、かといって居心地良くもない。ベッドも固いし。窓のひとつでもあれば気分も違うだろうに、それもない。
昼には着くようだが、どうでもいいから早く出て、要件を済ませたいと小夜は思う。
「……ねえ、アリア。予定より早くなっちゃったんだけどさ、考えていたんだ。バルカローレに一度戻って、きちんとカノンさんたちとも挨拶をしたら、また旅に出ない?」
活気ある海の街は、おおらかに小夜たちを迎え入れてくれた。けれども目的へ向けての通過点でもあった。小夜は元の世界に帰る方法を、アリアは自分の記憶を見つけるために。
アリアは小夜をきょとんと見て、それから嬉しげに頬を緩ませた。
「さよ、次はどこに行こうか」
尋ねられて、小夜はうーんと木目の天井を仰ぐ。
「どこだろうね。でもとりあえず、王都っていうくらいだから広いだろうし、しばらくは情報収集して……あ、地図。そうだ地図を買おうと思ってたんだー。色々見たかったの」
傾いた気持ちを前向きに切り替える。
未来のことを考えよう。元の世界への手掛かりも改めて探そう。
「さよのおねがいが、元のセカイにかえることなら――…」
「うん?」
「ううん。たのしみ」
アリアは枕を抱いて、頬杖をつく。見上げる碧色は絵本の続きをせがむ子供のようだ。
こういうのあるかな、こういうのが見てみたいなんて想像を膨らませる小夜の話を、アリアは柔らかく蒼色を細め、聞いていた。
◆
「さよ、おきて」
揺り起こされて、小夜は枕に伏せていた頭を上げる。
「くっ……横になっていたのに逆に疲れているだと……」
勉強も集中が切れ、娯楽のない退屈な部屋に飽き、小夜はついに何もしない状態までなった。こんなことなら起きていればよかったと後悔するほど、身体ががちがちである。なんて寝苦しく固いベッドだ。
「着くの?」
「ん。だからさよに、おまじないをかけるね」
「おまじない?」
「ねんのため」
アリアが真面目な顔をしているので、小夜もすこし緊張して居住いを正した。
「さよはたぶん、すっごくイヤがると思うんだけど、いい?」
「なにそれ、すっごく痛いってこと?」
「いたくはないよ。だからガマンして」
アリアはそう言うと、小夜の顎に手を添えて、口を開かせる。
蒼海の瞳が近付いて、同じくその赤い唇が開き、
「っっっ、!!!?」
小夜は声にならない悲鳴を上げる。アリアの咽喉から、黒く蠢めくおぞましい何かが現れ、小夜の咽喉へと侵入していったのだ。
「吐いちゃダメ」
「んー! んー!!」
反射でえずきそうになる小夜の口に、アリアは掌を押し付ける。
――気持ち悪いキモい何か出た! 私の中になんか入ってった!!
なにしやがんだと小夜は涙目でアリアに抗議する。
「おちついて。具合わるくなったりしていないでしょ? 外からかけるまほうだと、バレちゃうといみがないから。内がわだとかくしやすいの」
フーフーと荒く息を吐く小夜に、アリアは悪びれず説明する。
言われてみれば、吐き気や不快感は視覚的なもので、身体に変化はない。小夜が落ち着いたのを確認して、アリアも掌を外した。
「な、……に、今の」
「さよを守るように作ってあるまほうだから、だいじょうぶ。アニマも使いやすくなってるはずだよ」
「いや、うん、なんか、黒くてうぞうぞしてたもののことなんだけど」
「ん」
アリアは口を開いて、舌を出す。
その上をぞろりと這い出て来たものは、黒くて長く、真っ青な脚がいくつも生え揃うムカデのようなものだった。
「……」
小夜は屑篭を抱えて背を丸めた。しかし吐き気もなくすこぶる絶好調だ。小夜は今すぐ船酔いしたい。
「形だけだから、生きてるわけじゃないよ」
ほら、とアリアは摘まんだムカデを光の粒にする。きらりきらりと青い光が綺麗だ。元ムカデだが。
「形だけなら、断然別のものにすればいいだろ」
「ナメクジよりはすっきりしていると思うんだけど」
「どっちにしろ嫌過ぎる」
あれか、あれが私の中にいるのか。小夜は喉やお腹をさする。何か胃で動いた気がする。病は気からだ。
「さよ、ムカデきらい?」
「好きなわけないでしょ」
「そうなの? じゃあどうしたらすきになれそう?」
「まず見た目から難易度高い。全てにおいて上級者向け。無理」
アリアは何が悪いのだろうと首を傾げ、ムカデを出して一人遊びを始める。なんとなく小夜は居心地が悪い。
「……心配してくれてるのはわかった。ありがとう」
ムカデのことはさておき、小夜が礼を言うと、アリアはちいさくはにかんだ。




