18. 花弁に紛れた心
青空と海の街に、花弁の雨が降り注ぐ。
人々は歌い、踊り、所狭しと笑い声が満ちあふれている。
「わあー、本当に大きなお祭りなんだね」
バルカローレの台所である大通りは、いつもたくさんの客で賑わっているが、祭りの当日はそれを遥かに上回っていた。
旅行者も多いようで、繊細な刺繍のマントを羽織った人や、宗教的なものか半面で顔を隠す人など、異国の衣装も多く見られる。
「ん。きれいだね。みんな笑ってる」
小夜はすこし驚いてアリアに振り返った。色とりどりの雨や、行き交う群像をきょろきょろと映す碧い瞳は、好奇心を表していて。
ああそうだ。星空にも、海にも、こんな表情をしていたのだ。
「行こ。さよ」
触れるアリアの掌を、小夜もしっかりと繋いだ。
「うん! 綺麗なものも、楽しそうなものも、いっぱい見て回ろう!」
なんだかくすぐったいような嬉しさが、小夜の胸をいっぱいにした。
◆
海の街を代表する場所はいくつかあるが、そのひとつである大広場も、目新しい露店が立ち並び、大道芸が披露されていたりと違った表情を見せている。
家々の窓や屋根は彩り豊かな花でおめかしされ、至る所で鈴蘭に似た、白いベル型の花のリースが飾られている。
いくつかの大きな戦争を経て、各国が和平を結んだ際、鈴蘭の花を贈った国があったそうだ。
以来、この世界では鈴蘭の花は平和のシンボルとして、人々にとても身近な存在となった。
そして、昔々で始まる英雄の物語もまた、後の平和の祭りの欠かせない主役となる。
鈴蘭と並んで至る所に飾られたタペストリーには、赫い髪の乙女が描かれていた。
「良い一日を」
教会の人間だろう。朗らかに笑む修道女が、鈴蘭のリースを小夜とアリアに贈る。シンプルだがリボンがいっしょに編み込まれた可愛らしい作りに、小夜もほころんだ。
「さよ」
アリアは背伸びをして、小夜の頭にリースを添えた。
「かわいいよ」
無邪気にほほ笑むアリアに、小夜もえへへとちいさくはにかんで、アリアにも同じように花飾りを添える。
小夜の赫髪に、白い花の冠はよく映えた。
「響け、響け、この祈り。乙女の涙の慰めに」
伸びやかな美しい声が小夜の足を止める。
目を向ければ、絃楽器を手に弾き語る男性がいて「あ、吟遊詩人だ」と小夜はちょっとわくわくした。
吟遊詩人が謳うのは、偉人の乙女への鎮魂歌らしい。
この世界には、世界を滅ぼそうとした悪しき竜がいた。竜の力は星を喰らうような凄まじさで、多くの国と命が失われていく。そんな中、勇敢にも竜に挑む一人の乙女が現れた。
乙女は不思議な力をもって竜の心を鎮め、封じることに成功し、その身を竜とともにひっそりと眠りにつかせた。
どうか乙女の眠りが安らかであるように。優しき乙女の願った平和が続きますように。
そんな祈りの謳だった。
――竜に〝コール〟と名前をあげた女の人は、友達になっていた。あの人も、赤い髪だったけれど……
同じ色だと言われた髪に、風の櫛が通り、揺らぐ。
世界の英雄であり、女神であり、平和の象徴だという赫髪の乙女。小夜の見る夢の主役は、職業も、おそらくは時代もばらばらだ。彼女は既に伝説となった後か、それより以前のことで、伝え聞き以上の情報はない。
どんな人だったのだろうかと、小夜は初めて彼女を知りたいと思った。英雄でも女神でもない、ひとりの人間である彼女のことを。
「つがいってなあに」
アリアは急にそんなことを尋ねた。
「つがい?」
「竜のつがいは、血をわけあって? いっしょになります? ってむこうで言ってる」
疑問符だらけのアリアの指差す方向には、ちびっこの集まりがあった。
人形劇か紙芝居だろう、ちいさな舞台らしきものも見える。どこの世界でも、子供は怪獣やドラゴンといった存在が好きなようだ。
「ああ、番ね。人間だと結婚がそうかな。ディールさんとカノンさんみたいに、夫婦になって、いっしょに頑張って生きていくことだよ」
アリアが首を傾げる。夫婦という間柄も、彼には難解だ。
「竜かー、一度は見ておきたいよねぇ」
危なくないやつで、と付け足しておく。ちびっこたちに混ざってみようか気になる程度には、小夜も興味はある。
「竜の生きのこりなんて、どれくらいいるのかな」
「そんなに少ないの?」
「ぜつめつはしていないと思う。でも、ゆうこうな時もあったみたいだけど、竜は薬やそざいになるから、竜がりも起こる。だから人間ぎらいが多くて、人がさがせるような場所にはいない」
小夜は夢の中で、平穏な人々の暮らしも、厳しい戦いも見ている。相手は魔物であったり、竜であったり、時には人間でもあった。
領土を広げるため。故郷を守るため。食べるため。高級な素材を得るため。戦いの理由は様々だったが、いずれも生きることへ繋がっていた。
そんな回想をして、アリアの知識に違和感を覚える。いつの間にそんなことを知っていたのか。
「アリアいつの間にそんなこと知ったの?」
「そう言ってる」
「なぁんだ。記憶が戻ったのかと思ったよ」
苦笑が漏れつつ、相変わらずの聴覚に感心もしてしまう。
「さよのセカイは竜いないの?」
「竜はいないなあ、トカゲならいるけど。魔法もないよ」
「ふべんじゃない?」
「んー、機械が代わりに発達しているね。ほら、私が持ってた黒くて四角いやつとか。あれは遠くの人と喋ることができたり、手紙を時間掛けずにすぐに届けることができたり……」
アリアが不可解な表情をするので、小夜はすこしばかり得意な気分になった。
そういえば、地球のことを話したのは久しぶりのことだ。誰かに信じてもらえる気がしないし、話して淋しくなるのも御免だった。
アリアも話半分かもしれないが、小夜が別の世界から来たことを、疑わず受け容れてくれる。
「あ、パレードそろそろかな?」
遠くの方で歓声が聴こえて、小夜たちは街の大通りへと移動した。
◆
通りに出たものの、既に人の分厚い壁が出来上がっていた。
父親に肩車される子供や、のんびりとバルコニーや屋根に登って見物する人々もいて、そうした特等席の様子も小夜は楽しくなる。
歓声と音楽が近付いて、パレードの様子も見えてきた。中々大きな舞台のようで、これなら問題なく観られそうだ。
アリアも空らしい木箱にひょいと飛び乗って、周囲を興味深そうに見渡している。
「綺麗……」
双子のアコーディオン弾きがカラクリ式のメロディを奏で、妖精のような踊り子たちが花弁と舞う。
大きなオウムガイ型とタツノオトシゴ型の生き物が引く、滑車の付いた舞台は魔法が掛かっていて、大輪のブーケから花が零れてはまた開く。
その花たちの中心には、乙女の赫髪を表したのだろう、真紅のヴェールを被った少女が指先から魔法を紡いでいる。
ひらりと煌めく蝶が生まれたかと思えば、空に羽ばたいた水の鳥が弾け、虹を架ける。
幻想的な光景に、すっかり夢中になる小夜の横顔に触れるものがあった。
はっと現実に戻って振り向いた先で、蒼海の色が小夜の心をとらえる。
驚くほど近い距離なのに、小夜はなぜか動くことができない。大粒の碧い瞳の中に映る、花冠をした赫い髪の少女との距離が近付く。
彩りの雨はひどくゆっくりと落下して、あれほど賑やかだった音が思い出せない。
頬にあてられたやわらかさは、ほんの一瞬だったのかもしれない。
だけど、ぼやけた周囲の中で、小夜はどうしてかその場所だけは鮮明に記憶された。
「な、んなの」
かろうじて唇が震えた。
花弁の秒速は戻って、聴覚は音を取り戻す。
それでも小夜の鼓動を掻き消してはくれなかった。
「……なんなの」
耳がじりじりと熱くて、目尻はちりちりする。
「さよは、よろこばない?」
碧い瞳が問い掛ける。やや身構えるような、叱られないか不安がっているような、そんな様子が窺えた。
「クラヴィールサンたちが、うれしそうにこうしていたから。さよはちがう? イヤだった?」
小夜はなんとなく理解できた。それからすこしだけ傷付いたみたいな気持ちになった。
悪意のない、むしろ幸せそうなクラヴィール夫妻を真似て、小夜を喜ばせたかっただけだとしても。
「……そういうのは、簡単にしちゃいけないの。クラヴィールさんたちは、夫婦だから許されるんだよ。たいせつな人にだけするものだから」
アリアは首を傾げる。
「ありあはさよがたいせつだよ」
何の問題があるのだ、とでも言いたげなアリアに、小夜は思った。
――めんどくせえ
とにかくダメだと言い聞かせると、アリアは納得しない顔で木箱から降りる。小夜よりも背の低く、あどけない、いつもの少年だ。
なぜ、その時大人びて見えたのか不思議なくらいに。
――イヤじゃ、なかった
それからも街を巡ったものの、小夜は街に出た時のドキドキと、今のドキドキはまったく別のものに変わってしまって、楽しむことができなかった。




