17. 姉弟じゃない
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。
誰かが言う。
慈しむように「さよ」を呼び、髪を撫でる誰かの。
そうすると、不思議と小夜は小夜であることを思い出し、ゆっくりと髪を撫でるその仕草と同じように、夢の揺り籠から目を醒すのだった。
◆
花祭りを明日に控え、市場通りは多くの人々で賑わい、様々な花に彩られた街は美しい。
しかし小夜はそんな街にはしゃぐことなく、ぼんやりと荷車を押していた。
原因はやはり、夢のことだ。
小夜はもう傍観者として夢を見ることはできなくなった。夢の中で小夜は〝彼ら〟として生きている。食べた物の味も匂いも食感も〝彼ら〟としてすべて経験する。
いつか。
夢から目醒めないまま、別人になったまま、死ぬのではないか。小夜は、いつか自分が自分でなくなってしまう気がしてならない。
けれども、そんな恐ろしい考えに取り憑かれそうになる度に、誰かが「だいじょうぶ」と言うのだ。
小夜の意識を呼び起こすその声が、今日も小夜を繋ぎ止めている。あの声は、いったい誰のものなのか。大人か、子供か、低いか高いのかも、瞼を開けると消えてしまって、思い出せないけれど。
「やあサヨさん、アリアくん」
「あ……シャルルさんこんにちは」
馴染みの声にハッとして、小夜は笑顔を取り繕った。いつものように警戒心を隠そうともしないアリアが、子指を絡める。
シャルルの背後では、騎士達が各々に道を別れて行くので、今から休憩時間なのかもしれない。
「……大丈夫かい? なんだか疲れているように見えるが」
「それはシャルルさんのほうでしょう。お仕事が大変なのは分かるんですけど」
変わらず穏やかなシャルルだが、顔色からは疲労が拭いきれておらず、髪もやや乱れている。苦笑する小夜に、彼も困ったように目を細めた。
「そう指摘されてね、明日はまさかの休暇を提案されてしまったよ」
「いいじゃないですか。ちょうどお祭りですし、きっと気分転換にもなりますよ」
「うん、見習いの頃なら一番忙しい日に休めるなんて、と喜べたかもしれないが。時期が時期で、部下を差し置いて休むのはどうにも、気持ちの方が落ち着かないものでね」
「ああ、なるほど……悪いなって思っちゃいますよね。よく分かります」
陸上部の大会を控えた時に、足を故障した際の居た堪れなさが蘇り、小夜の古傷が痛む。みんな嫌味のひとつも言わず、心配してくれることが逆に辛いものだった。気合いで治して大会に出たが。
暗い話題で終えるのもよろしくないな、と小夜はグッドなニュースも伝える。
「そうだ、クラヴィールさん達の赤ちゃんが生まれたんですよ」
「お子さんが! それはお祝いを届けなくてはね」
自分のことのように喜びが表れた笑顔に、善い人だなと小夜は素直に感心した。アリアはなぜこうも嫌うのだろう。
「そうか、クラヴィールご夫妻にとって、今年は思い出深い花祭りになりそうだね」
「思い出深い?」
「ああ、花祭りは平和祭とも言われるけれど、家族や恋人、たいせつな人との時間を尊むものでもあるから……まるでかけがえない始まりを祝福するようだ」
「へえー……結構ロマンチックなところもあるんですね」
ざっくりとクリスマスをイメージする。丸一日夜通し行われるその日は、この世界ではとても特別なイベントのようだ。
「……なんだか初めて聞いたような台詞だね?」
小夜の口角がぎぎぎと不自然に上がり続ける。しまった。やばい。だってこの世界の住人じゃないもの!
「あ、えっと、私たちそれはもうすっごく大変辺ぴな田舎に住んでいたので! 花祭りもこう、家で厳かに過ごすみたいな感じで、こんな大規模なお祭りもあるんだってびっくりしてるくらいです! いやあ世界って広い!」
手を繋いでいるアリアが「さよ、手アセすごい」とぼそりと呟いた。黙っていてくれと念を送る。
「そうか、ではふたりにとっても新鮮な体験になりそうだね。バルカローレの祭りは本当に盛大で、賑やかだよ。ぜひ楽しんでほしい」
シャルルは疑いもせず頷いてくれる。師匠…ッ!小夜は心の中で今日も拝んだ。アリアは帰りたそうに小夜の手をつんつん引いている。
「もしよろしければ、この暇を持て余した男が街を案内できますが、いかがでしょう。貴女ともっと話をしてみたいという下心もありますが、用心棒としてもお役に立てますよ」
突然の甘やかな誘い文句に、小夜はぱちりと目を二、三まばたき、脳内で辞書を引く。豆やソーセージなんかに使われると、なんだかおいしそうに聞こえる言葉。いやこれは粗挽きか。
「それは、つまり、逢引きてきなそれでございましょうか」
奏 小夜、人生で初めて異性からのデートの誘いである。
思わずヒットマンな仕事でもしようかという、緊張感走る面持ちの小夜に、シャルルはたまらず噴き出した。彼が日頃相手にする女性は上品だろうから当然だ。
「失礼。そこまで身構えずとも、友人と遊ぶくらいの感覚で、気兼ねなくいてもらえると嬉しい」
シャルルは咳払いしつつ気さくに言って「どうだろう? ちいさな騎士殿」と、小夜よりも低い眼差しに視線を移す。
「なんでありあに聞くの? さよがきめることだ」
むっと機嫌を損ねて、アリアは顔を背ける。
失礼な態度にもシャルルは気分を害すどころか微笑ましそうだ。小夜はまた拝んでおいた。そろそろ下げた頭が地面につくかもしれない。
「ごめんなさい、騎士の人が怖いみたいで」
「構わないとも。僕にも姉がいるのだけど、幼い頃は姉が他の子と遊んでいると、拗ねることもあった。姉弟仲が良いんだね」
小夜とアリアは姉弟ということで通している。やむを得ないとはいえ、騙しているのは少々良心が咎めた。
アリアは繋いだ手を解くと、先に帰り始めてしまう。
「すみませんシャルルさん、時間とか、アリアの態度だとか……悪い子じゃないんですが」
「お気になさらず。子供がのびのびと過ごせるのは、バルカローレが平和な証拠だよ。誇らしいことだ」
片目を瞑るシャルルに小夜もつられて笑顔になるが、きちんとする。
「それから、お祭りのことも」
「そうか」
「ごめんなさい」
「いいや、謝らなければならないのはこちらだ。実を言うと、休む理由が欲しかったところもある。有り難く仕事をさせてもらうさ」
「そうですか……でも無理はしないでくださいね」
「お気遣いありがとう。誤解のないように言うと、親しくなりたいと思ったのは本当だよ。貴女はとても魅力的な人だから。これに呆れず、今後も世間話に付き合ってくれると嬉しい」
「ありがとう。こちらこそです。それじゃあ、また!」
さっぱりと気負いないシャルルの笑みに見送られ、小夜はアリアに追いつくべく走った。
◆
「あのね、私、気が長い方じゃないから。言いたいことがあるなら言えばいい」
荷物を直すなり、さっさと部屋に戻って行くアリアに、小夜は扉の前で深呼吸してからドアノブを回した。
アリアはベッドに寝そべっており、小夜を一瞥すると背を向けた。腹が立つが、ここで怒れば負けだと小夜は堪える。
「何が気に入らないの。私? それともシャルルさん? 黙ったままだと何も解決しないじゃない」
「あのくるくるとかるるるとかいうキシは、イヤだけどどうでもいい」
「じゃあ私の何が嫌なの」
「いろいろある」
「ほう」
そりゃあ初耳だ。こちらだって日頃の不満を羅列してやれるぞ、さあ来るがいい。小夜の闘争心がメラリと燃え始めた。
「さよとありあは、きょうだいじゃない」
燃えたそれが、あっけなく鎮火されるくらい、ぽつんとアリアは呟いた。心細くなる、寂しい気持ちにさせる声だ。
「こっち向きなよ」
「……」
アリアは枕を頭に被せて知らんぷりした。実に子供らしくて馬鹿馬鹿しくなる。
「無視するなよ」
「…………」
「アリア」
枕の下でうつ伏せになり、やがて開いた隙間から、ちらりと蒼海の瞳が覗いた。貝類か。
「……つまり、私と姉弟に思われたくないんだね?」
小夜は寝台の前に腰を降ろし、目線を近くする。アリアは複雑そうに眉を寄せた。
「さよは、さよで、ありあはありあ。カノンサンとディールサンみたいに〝ふうふ〟じゃないし〝かぞく〟もちがう。さよは、ありあは……、」
アリアは自分の知識の中から、適切な言葉を探している。その姿が妹と重なった。大人しい響は、自分の考えを口にすることが苦手だったから。
――ああ、そうか。無視していたんじゃなくて、言葉が追い付かないのが歯痒いんだ
気付いたことで、小夜も落ち着いて待つことができた。だけどアリアにはまだ難しく、もどかしそうに唇を噛むしかできない。
「とりあえず、嫌だっていうのはわかった。今度からは姉弟って言うのはやめるよ」
「イヤじゃなくて、……」
アリアは考えて、でも言葉が見つからなかったのか小夜に手を伸ばす。反射的に小夜も手を差し出すと、ぎゅっと握られた。
「……やっぱり、イヤ。さよが、キシとおまつりに行くのもイヤ」
難しいから、アリアは浮かんだ気持ちを声にする。
「行かないで。ありあをさみしくしないで」
そういう奴なのだ。いつだってアリアの言葉は素直で、ただの拗ねた子供になったアリアに小夜は苦笑した。
「行かないよ。というか、断ったよ」
「……どうして?」
「んー、理解できなくてもいいんだけど、なんか、ああいうこと言われちゃうと気にするなと言われても、やっぱり意識するよ。で、その気持ちを知りながら簡単にじゃあデー……一緒に見て回りましょうっていうの、不誠実な気がして。シャルルさんは良い人だと思うし、だからこそ思わせぶりになりたくないというか」
小夜は自分でも気持ちを整理するように話した。アリアに内容が理解できるかはあまり気にせず、なんとなく伝わればいい程度に済ませる。
「じゃあ、ありあがさよとおまつり見たいっていっても、ダメなんだ」
ますますアリアはむくれる。
小夜は意外な発言に目を丸くしたが、その様子にあははと声を出して笑った。
「私もアリアを誘うつもりでいたよ」
アリアは小夜のたいせつな相棒である。
血の繋がりがなくても、そう思える存在だと思う。
――アリアがいたから、私、頑張れているんだ。よくわからん相手で、イラッとくる時もあるけど。それ以上に折れそうになる度、支えられてる。落ち込んでいられないって前を向ける。……出会ってなかったら確実に森で死んでたしな!
小夜の言葉に今度はアリアがきょとんとして、拗ねていたのが嘘のように、嬉しそうに表情をほどいた。
「……さよ、ごめんね。いっしょにおまつり見ようね」
可憐なほど愛らしくはにかむアリアに、小夜も頬が緩む。小夜はちょっと絆されているなと自覚した。




