16. 生まれるモノ
小夜は椅子に座り、両手を固く握り締めていた。その傍ら、血の気の引いた表情で、落ち着かなく廊下をうろつくのはディールだ。
独特の薬品の匂いに、曇りのない白い廊下はすこし不安を誘う。隣に座るアリアだけがどこ吹く風で、構ってほしそうに小夜の服をつつく。大人しくしておれと無言で膝枕をして撫でてやると、アリアは満足そうに眠り始めた。マイペースにも程がある。
特に変わりない朝だった。
カノンはいつものように「おはよう!」と明るく声を掛けてくれたが、そろそろ昼時という頃、小夜は蹲る彼女を見つけた。今日はお腹が張る、とは言っていたが、出産予定日まで一月は余裕があるはずだ。
太陽のよう、という言葉の似合う人が、ぐったりと力なく横たわる姿は小夜も動揺してしまった。妹の出産は深夜だったから、小夜は生まれてから病院へ向かったし、父や祖父母も和やかな空気だったと記憶している。
だから普段の冷静さを落っことしたディールは意外で、そんな彼の様子に小夜はだんだん普段通りになれてきている。後でカノンに教えてあげようとこっそりほくそ笑む。
「……ん。おわったみたい」
アリアが瞼を開き、小夜に告げる。魔力の気配でも探っていたのだろうか。眠ったと思っていた。
程なくしてアリアの予告通り扉が開き、ディールが呼ばれる。
「安産だったみたいだね、よかった」
ここは夫婦の時間だろうと、小夜は待つ選択をしてほっと息をつく。
「〝生まれた〟?」
「そうだよ。カノンさんのお腹にいた子が産まれたの。わあ、なんだかわくわくしてきた」
まだ見ぬちいさな命に小夜は想いを馳せる。アリアはよく理解できていないのか黙っていた。
◆
「ええっと、おめでとうございますお疲れ様です」
「ありがとう。そうかしこまらないで。それからごめんなさいね、ビックリさせちゃったでしょう。掃除も任せちゃったし」
「気にしないでください」
顔を合わせたカノンは、疲れてはいたが表情には清々しさと慈愛に満ちている。腕にはちいさくも力強い命が抱かれていた。
「予定より早いから、こっちはどうしようどうしようって状態だったのに、この子ったら健康体そのものと先生に笑われたのよ」
小夜は「ほあぁ…」と謎の擬音を吐いた後、スゴイカワイイチッチャイスゴイしか言葉を発しなくなった。
お包みされぐっすりと眠るやわらかい生き物は、まだ肌があかくて出来たてふやふやだ。その瞼の奥で、どんな瞳の色をしているだろう。
「アリアは赤ちゃんを見るの初めてかしら? こんにちは」
カノンは赤子の顔が見えやすいように、すこし腕を上げてくれる。
「アリア、そう警戒しなくてもこの子は何もしない」
けれどアリアは小夜の後ろに隠れるように抱きつく。微かにいやいやする姿は警戒というより、困惑といった方が正しいかもしれないと小夜は考える。
「まあそのうちね。もうちょっと大きくなったら良かったら遊んであげて」
大らかに笑ってくれるカノンに内心頭を下げつつ、小夜はアリアの様子が気になった。
「ふうー……それにしても繁盛期なのに悪いわね。私、あの忙しさは腕が鳴るんだけど」
「繁盛期ですか?」
「ほら、花祭りだから。バルカローレの花祭りも、王都ほどじゃないけれど観光に訪れる人も多いのよ」
今日のことですっかり頭から抜けていた。
花祭りは、毎年この世界共通で祝われる伝統行事だ。小夜も地球にいた頃、夢で見たことがある。
のどかな農村での祭りだったが、村中を花で飾り立て、老人も子供も、皆笑顔で手を取って踊り、楽しげな催しだった。
「気にしないで。僕はあなたと、そしてこの子が元気に生まれてきてくれたことを、とても幸せに思う。ありがとう」
ディールは赤い鼻を啜って、赤くなった目を優しく細めて言った。
それにカノンも微笑んで、ふたりは喜びを抱きしめ合い、ディールは妻の頬にそっとキスを贈った。
初恋のような、でもずっとお互いを支え合ってきたふたりの、信頼の証だと分かるキスだった。
――ああ、なんだか、いいなあこういうの……
微笑ましさに胸をあたたかくする小夜の横顔を、アリアは静かに見つめていた。
◆
クラヴィール夫妻の両親も、その後面会に訪れて一通り喜び、それから経営の話になった。
祭りの当日は忙しいため、現在の滞在客以外は新規のお客を招かず、食事処共に休業とのこと。これはカノンの体調も考え、前々から決まっていたそうだ。
しかし食事処まで休むほど忙しいのか、働く気だった小夜が尋ねると「その日の記憶が丸々無くなる」と聞かされる。どんな地獄なのだ。腕が鳴ると言っていたカノンの商魂逞しさはよほどらしい。小夜は遠慮なく休日を頂いた。
「はあー……それにしても今日はびっくりしたなあ。カノンさんも赤ちゃんも元気で良かった」
小夜は銃を夜空に向けつつ念じる。しかし何も起こらなかった。
月の形が変わっている。この世界でも月は満ち欠けを繰り返すのに、おなじ空の下に家族はどこにもいない。望郷は溜息で包んで外に追い出す。窓を閉め、ベッドに寝そべる。
「アリア、なにか悩みでもあるの」
口数の少ない相棒に声を掛けると、ぼんやりと蒼海が小夜をとらえた。ほのかなランプの灯にその色は揺らめき、波立たせているように見える。
「さよはありあをこわがらないね」
「……? まあ、ずっといっしょにいるし。怖がらせたいの?」
「ん。そうじゃなくて」
アリアは小夜の腕を抱き寄せて枕にする。小夜が寝返りが打てないから嫌だと言うとむくれたが、眠たいので放って背中を向けた。
「ありあは人間じゃないから、そのうちさよは食べられちゃうかもね」
「食べるなよ。そん時は撃つ。私生きたい死ぬの嫌」
「使えないのに」
「才能がまだ寝ぼけてるんだ、その内覚醒したらスゴイ」
「へえ」
あ、こやつめまったく信用してないなと振り向くと、アリアと目が合って小夜はすこしぎくりとした。
「まってる」
そう言ってアリアはほほ笑んだ。穏やかなようで、試すようで、不可解にさせる笑みだ。
こんな笑い方をする奴だったろうか。アリアは最近小夜が知らない表情をする。
「ありあが〝生まれた〟ときのこと、おぼえていると言ったら、しんじる?」
「えっ、何かわかったんだ?」
「ぜんぜん?」
思わず小夜の声が弾んだが、アリアはくすっと悪戯ぽく笑ってみせる。なんだ思わせぶりだなと小夜は小生意気な頬をつまんだ。
「まっくろだったよ」
くすくすとくすぐったそうにして、アリアはその手に自分の手を重ねる。
「まっくろだったんだ。息のくるしいその中で、光が見えたから目を開いた。それからうたがきこえて、さがしたらさよがいた」
小夜はまばたきを何度かして「森で溺れてたか何かしてたのか」と怪訝に尋ねた。「そうかもね」とアリアは笑った。
「うたって さよ」
「えー……」
「おちつくんだ、あれ。よくねむれて」
「いつでもどこでもいかなる状況でも眠っているじゃない」
「さよ、こまかい。いつものおおざっぱはどこへいったの?」
「よけいなお世話だっ」
「今日だってお皿をわりそうだったのをありあがふせいだ。おとついもセンタクのとき、」
「悪かったよ助かりましたよ!」
アリアはころころとよく笑う。小夜はお礼を催促する小賢しい子供になってしまったものだと嘆息する。
「……ランプ点けとく?」
「消していいよ。ありあは暗くてもヘイキ。さよにもありあがいる」
ばれていたか、と小夜はちょっと恥ずかしい。
部屋は森の中ほど暗くはないが、暗闇が怖くなった。かといって明るくても眠れない。アリアがいてくれるのは、実は有難かったりするのである。
「……――――」
灯りを消して、おやすみを言い合ったあとのすこしの静けさ。小夜は歌う。知らない言葉を織る歌詞に、意味はあるのかなと考えながら、眠りへと誘われていった。
「……」
アリアは起き上がり、碧い光を零す瞳に、すうすうと寝息をたてる小夜を映す。
「生まれる。生命。命があるモノ」
アリアは赫い髪を撫でながら、独り言を紡ぐ。眠る少女は何も答えない。
「おわりがあるモノ。いつかつきるモノ。――さよは、ありあをおいて死ぬモノ」
少女の首筋に唇を寄せて、その歯を立てる寸前で止める。
「……笑って、おこって、泣いたりする、生きているさよがいいなぁ」
アリアは小夜の心臓に耳をあて抱きしめる。まるで繭の中でひとつに溶け合うことを望むように。
少女の鼓動と、時計の音が刻まれるのを聴きながら、アリアは世界を閉じた。
◆
『逃げなさいって、どういうこと?』
あなたはなんだか苦しそう。だから、どうしたの?ってゆった。
『……今ね、世界ではたくさんの人達が戦って、傷付いているの』
『知ってる。戦争ってゆうの。いっぱいいっぱい、ずうっと見てきたよ』
『そう……大変だったね』
人間はよく戦争をしているのに、でも戦争が好きじゃないみたい。たくさん痛いからかな。
痛いのはキライ。やめてってゆっても、みんな追いかけてきて、きったりたたいたりするもの。
『ここも、すぐそこまで争いが迫っていて、もしかしたら森も焼けてしまうかもしれない。だから今のうちに、できるだけ遠くへ逃げて』
『あなたは行かないの?』
『村には逃げられない人も多い。万が一に備えても、残らなければ』
『あなたが残るなら、付いていく』
『それは……だめ。よく聞いて。あなたの姿は怖がってしまう人もいるの。どんなにあなたが優しくとも、それを知らない人のほうが多いの。みんな不安な中で何か起こってしまった時、あなたを守りきれるかわからない。ごめんなさい』
そっか。あなたは怖がらずにお話ししてくれるから、忘れちゃってた。
竜のみんなみたいに、ばあーって火を吹いたり、びゅううって風を作ったりできたら、よかったのかな?
『わかった。あなたを困らせたくない』
『……ごめんね。ごめんなさい』
『うん。またこもりうたを歌ってね』
『……ええ。次のお話も考えておきましょう』
あなたが手を伸ばすから、頭を草の上に置いた。ちいさな人のちいさな手はとってもすごい。きもちがよくて、眠くないのにうとうとするの。いつもだったら、歌や、物語を聞かせてくれるのだけど。
『……あなたに名前をあげる。コール。古い言葉で、心という意味よ』
『こぉる。こころ』
長くてとってもながい時間、探していたの。
生まれたのには理由があるって、精霊がゆったから、どうして生まれたのか探していたの。
『うん。コールは心の竜だから、ぴったり』
まだ見つからないけれど、でも、なんだか新しい心を見つけたみたいな気持ち。
両手をいっぱい広げて、あなたがぎゅうってする。不思議ね。人間ってちいさいのに、ひだまりの下みたいにあったかいの。
『コール。人は生き物だから、間違うこともある。それがあなたを傷付けることもあるでしょう。でもね、コール。誰もあなたの美しい心まで汚せない。あなたの心はあなただけのもの。気高く生きて』
あなたがはなれて、風が冷たいものなんだって、はじめて知った。今日はなんだかたくさん知らないことをおぼえたの。
『……さあ、いいこだから、ここを離れて。〝お願い〟よコール』
いつもみたいに振り返らずに、ちいさなあなたの背中はぐんぐん遠くなって、木に隠れちゃった。
次はいつ会えるのかな。
あさってかな。
しあさってかな。
青い葉っぱの季節が過ぎたらかな。
コールでも入れる洞窟で、雨つぶが落ちたり、月の形が変わるのを眺めていたら、向こうの森で黒いもくもくが上がるのが見えた。あれは燃えているものがある時の煙。
きっと、あのひとも煙のところにいる。
コールは火が吹けないけれど、大きいから、通せんぼくらいならできないかな。逃げなさいってゆわれたのに、約束守らないのは、あなたは怒る?
怒られてもね、でもね、コールはあなたに会いたいな。




