15. 死にゆくモノ
「アリア。仕入れに行くけど、どうする?」
すっかり自室となった従業員部屋を開けて、小夜は尋ねる。
アリアは寝台の上で薄く瞼を開き、また閉じた。これは付いて来ないな、と小夜は「いってくる」とだけ告げて静かに扉を閉めた。
最近、アリアの眠る時間が多くなった。
体調が悪いのかと小夜が問い掛けても「なにもない」と言って、また眠りに落ちる。その寝顔は安らかで、特に顔色も悪くないし、起きている時は簡単な宿の手伝いもできる。
――……私も、なんだかスッキリしないんだよなあ……
この世界へ来てから、夢の現実味が日に日に増していく。夢だと気付けないまま、朝を迎えることもある。
それは小夜にとって、恐ろしいことでもあった。
実際には怪我をしていなくとも、怪我をすれば痛み、寒い場所なら凍えそうで、空腹であれば過酷な思いをする。
起きた瞬間の安堵を得ても、胸を叩く心臓が静まってくれず、頭がはっきりするまで時間が掛かってしまう。
ぐっすり眠れてないのかなあ、と小夜はこめかみを押さえる。粉挽きの娘に、流行りのリラックス法でも聞いてみようか。アロマとか、お茶とか。
「あれ?」
買い出しから戻り、荷物を貯蔵庫へ運ぼうとして、アリアを見つけた。
建物の間に座り込み、じっと何かを見つめているので、また〝男爵〟がいるのかなと歩みを進めて、止まる。
「……」
アリアが手を伸ばし、それを掴む。
しっぽを持ち上げられた白黒のブチは、一切の反応もなく無抵抗だった。
「ダンシャク、起きないね」
ただただ不思議そうなアリアに、小夜は戸惑う。
「……眠っているんじゃなくて、死んでしまったんだよ。もう起きない」
「しんだ」
じっと男爵を観察して「ああ」とアリアは納得したように呟く。
「死んだのか。そうだね、これが死ぬこと」
そうして、ぽいっと、本当に何気なく。紙くずをゴミ箱に放るみたいな自然さで、アリアはその亡骸を捨てた。
小夜は考える時間もなく、反射的にアリアを突き飛ばしていた。
落ちた買い物袋からがしゃんと音がする。硝子瓶が入っていたのだった。割れたのかもしれない。そのうちのいくつかが転がった。
時計の針はそれらの中に潜むように動いた。
「……さよ?」
こてっと尻もちを着いたアリアが、丸く見開いた目で小夜を映す。
ああ、わからないのだ。わかっていないのだ。小夜もまた、どうしてこんなに苛立ちが沸き上がって、感情が踏み荒らされるのか不思議だった。
「なんで平気な顔できるの、何度か男爵の話して来たのに、友達だったんでしょ、なんで? なんで何も、何もわかんないの?」
小夜は今の自分がどうしようもなく醜いと思った。八つ当たりだと思った。これは、小夜の考えだと理解している。自分の考えを押し付けないつもりだったのに。
それから、ぐちゃぐちゃに胸を苦しめるこれは、怒りではなく悔しさなのだと気が付いた。
「なんでわかんないんだよ……っ」
悔しさに視界が滲む。
出会った時、アリアは小夜に「しぬの」かと問い掛けた。それがどんな意味かも知らず、無邪気に。
「なんで」
ぽつりとアリアは呟いた。珍しく困惑の窺える表情をして、泣きそうな小夜を前にうろたえている。
「死ぬのは、ダメなことなの?」
「違う、違くて……死ぬことを、男爵が死んだことを、何とも思ってないの? アリアは悲しいとか、淋しいとか、そういう気持ちはないの?」
アリアは亡骸に振り返って、言葉を探す様子で小夜に向き直る。
「……わからない。さよは死がイヤなの? アリアはマモノをころした。それもイヤだった?」
小夜は言葉を失う。
脅威に遭遇する度にアリアが戦ったから、小夜はここまで辿り着けた。アリアの身を案じはしても、魔物を悼むこともなかった。殺されかけたのだから。
それに、小夜だって殺した。そうしなければ生きられないと思ったから殺した。後悔はしていない。
ブチ猫は小夜もアリアも何度か顔を合わせ、男爵と呼び名を付ける程度には親しみを覚えた。
「……アリアの質問は、正直、すごく難しい。男爵はダメで、魔物はいいって考えはエゴだ。私たちは生き物も食べる。可哀想って言ってたら生きていけない。私は命は平等だなんて綺麗なこと言える人間じゃない。でもさ、少なくとも男爵は私たち、知ってた。死んだことを悲しいと思った。私はそれをダメなことだと思わないし、これからも優先順位を付けていくんだ。知っている存在の死は嫌だ。……それだけ」
アリアは小夜の言葉を一字一句取り零さないよう、神経を澄ましているみたいだった。理解は、できていないだろうけれど。
「……お昼休みに、男爵のお墓を作りに行く」
「おはか」
「そう。男爵を土に埋めて、お別れをするの。一緒に行く?」
食材を袋に詰め直しながら小夜は尋ねる。アリアは頷いた。
「さよ、ごめんね」
仕事に戻る小夜の背に、アリアは言った。
「私も突き飛ばしてごめん」
小夜が見えなくなる間際にも、もう一度「ごめんね」と聴こえた。この言葉の意味も、アリアはきっと知らない。教えていないからだ。
けれど込められたものは、小夜も受け取ることができた。
小夜が昼休みに入るまで、アリアは男爵の傍にいたようだ。
教会で男爵をお祈りのために預け、戻ってきたちいさな棺を受け取る。共同墓地の穴へ、アリアはその棺をいれた。今度は捨てるようにはしなかった。
◆
男爵が死んでしまってから、小夜とアリアの間に必要な時以外の会話は減っていた。
眠る時は変わらずアリアは一緒に寝たがるものの、透明な膜にお互い包まれているように一定の距離がある。そもそも、今までが密着され過ぎて寝苦しかったとすら小夜は思う。
「先に起きてるから」
着替えを終えて小夜は声を掛けるが、とうとうアリアはその朝起きなかった。
無視かこんにゃろと不貞腐れ、小夜は掃除に洗濯にと仕事に打ち込む。
「サヨ、アリアはまだ寝ているの? ご飯も食べてないんじゃない?」
とカノンが呼び止めて、アリアが起きていないことを知る。もう昼過ぎだというのに、さすがにおかしいと小夜は部屋に向かった。
「アリア、もうお昼休みの時間だよ、寝過ぎ」
掛け布団を剥ぐ。反応なし。ほっぺたをつまむ。すべすべ柔らかい。
「……アリア?」
ついアリアの胸に手を当てて、心音を確かめてしまう。とくとくと鼓動はあるというのに、呼び掛けても睫毛が震えることすらない。
目に入った時計の針は、気付けば二時にあたるくらいに進んでいた。
「アリア、悪戯ならやめてよ」
冗談だろ、と小夜はぐるぐると最悪の事態を考え始める。
――お医者さん、人間の病院でいいの? アリアは人間じゃない疑惑があるけどヒューマンなドクターでいいの?
「ディ、ディールさんっ!」
誰でもいいので助けてくれと、目眩を起こしそうになりながら立ち上がる。
『さよの血おいしい』
なぜその言葉が過ったのか。ドアノブに掛けた手が動かない。
まさかだろう。バルカローレに来て二週間。アリアは小夜と同じ食事をほんのすこし口にする生活をしている。人間ですらそれで足りているのか訝しむ、小動物並みの量だ。
アリアはそれらを食べて「おいしい」と言葉にしたことはない。
――え、えいようしっちょうか!?
イモリの血を吸うグロい様子を再生しそうになり、小夜は頭を振った。
確信はないし、とっても嫌だったが、小夜はペンケースからカッターを取り出す。人指し指の先をすこし刺して、ぷくりと出来上がった水玉をアリアに向ける。
薄く開かれた赤い唇に、それよりも赤い雫が伝い、消えていく。血色に濡れるその場所に、小夜は何とも言い難い居た堪れなさに苛まれる。
私は頭がおかしくなったのだろうか。今誰かに見られたら窓から飛び降りよう。運が悪くてもぎりぎり足を捻るくらいで済む高さだ。
「ん……」
ふる、と黒い睫毛が揺れて、蒼海の色が煌めいた。
「起きたっ」
良かった無意味な変態行為にならなくて!
小夜は安堵の溜息を吐き出して、ぺたりと床に座った。
「……よかったぁ……」
起きなかったらどうしよう、と今だ焦りに早鐘を打つ胸に手を当てる。
アリアはそんな小夜に首を傾げ、その顔に手を伸ばした。
「さよ、泣いているの」
「泣いてない」
指先が目尻に触れて、そっとなぞる。それが意外なほど優しい仕草だったので、小夜は強張った。
「泣いてる」
「泣いてない、セーフだ、ちょっと滲んだ程度」
居心地悪い気持ちでアリアの手をのける。
――いつかのハムスターはどこに脱走したんだ調子狂うな
舐めないだろうな、と若干身構えた小夜だがその様子もない。
「なんで泣いているの」
「……」
この世界に来てから、ずっとアリアは小夜と過ごして来たのだ。その存在に支えられて来た部分も大きい。
「……アリアが起きなかったのが悪い」
突然それが失われるかもしれないと思うと恐ろしくなった。
「ありあが? ……ああ、アニマが多くて、さいきんはずっとちょうせいしていたの」
一人で納得するアリアに、小夜は眉根を寄せる。
話がさっぱりだし、調整なんて難しい言葉をアリアが使うだろうか。
「ヘイキだよ。さよが血をくれたし」
アリアが小夜の手を取って、己の唇を寄せる。そしてその人差し指を甘噛みするように口に含んだ。
「いっ、」
指先から熱が駆け巡る。脈に合わせてぢくぢくと打つ痛みに歯を食い縛っていると、名残惜しそうに口付けて、唇は離れた。傷はなくなっている。
「やっぱりさよはおいしい」
指を絡めてうっとりとアリアはほほ笑む。
悪寒が小夜の背を走った。目、光ってる。おっかない。
「あのね、アニマのちょうせいがね、うまくいかなかったんだ」
逃げる算段をめまぐるしく考えていた小夜だが、アリアの話に一旦我に返る。
「どうしてかはわからないけれど、さよが血をくれたらおちついた。ありあのアニマはすごく多い。でもありあがそれを使えるだけの力がないから、ちょっとくるしかったの。だから、さよのおかげ。ありがとう」
やわらかなそして嬉しそうな笑顔に、この数日小夜が積み上げ、崩すこともできなかったわだかまりが解けてしまった。
「……ご飯今からなんだよね、食べよっか」
なんだか悩んでいたのもバカみたいで、小夜も笑って応えることができた。久しぶりに呼吸を思い出した感覚だ。
「食べていいの?」
「え。うん。何が食べたい?」
「さよの血がいい」
「嫌に決まってるだろ」
ちょっと感動的になってしまったのを、小夜は早速後悔した。
「お腹空いてるなら、お店開ける前に降りてきなよ。まだご飯もあったかいから」
甘える瞳を呆れ顔で見つめ返し、すげなく手を払って小夜は部屋を出て行った。
「食べたらもっとおいしいんだろうなあ」
ベッドに寝転び直して、アリアはくふふと笑みをこぼす。
「……食べたら……、」
枕を抱えて、ふむとアリアは思案する。
「さよはどこにも行かない?」
味を思い出すように唇を舐めて、花が開くように口を開ける。
その隙間から、蠢めく黒いものが顔を出し、顎から喉へと伝う。
「そう。こういう使い方もできるのか」
くすくすと笑いながら、アリアはそれを右腕に這わせる。
背骨か鎧を思わせる黒い体躯は長く、いくつもの脚が生え揃う。尾にあたる部位は碧い光をもった角とも棘とも見える突起があった。
ムカデによく似たそれは、アリアの指先に辿り着くと、青白い光の粒になって弾ける。
アリアは煌めきが消えた後も、じっと眺め続けていた。時計の針が進むことにも気付かずに。




