10. 元のセカイ
空がたそがれ色に染まる頃、馬車はちいさな農村に停まった。日が落ちると活動的な魔物も多くなり、危険らしい。
移動を再開するのは昼からとのことで、それまで小夜たちは自由時間だ。
「あれなんだろう? 掲示板かな?」
村の中央に設置された掲示板には、商店の広告の他に、依頼情報もあった。
腰を痛めた主人の代わりに動物の世話を。隣の村までおつかいに。お祭りに向けて針子募集中。
「あらお嬢さんたち」
「あ、どうも」
「夕食を探しているなら、向こうの食堂の羊肉のミルク煮をおすすめするよ」
「へえ、おいしそう。狩人さんたちは、こんな風に色々な場所に行っているんですか?」
「そうだね、この仕事を始めて五年くらいかな。仲間はその時々だったりするけど、旅は好きだから悪くない生活」
にこやかな弓使いに、小夜もすこし元気付けられる。女性でもこうして旅をしている人もいるのだ。
「ちょっといいかい、あんた狩人の人かね?」
今度は切羽詰まった様子の男性が、弓使いに話し掛ける。片足を怪我しており、杖を付いている。
「ええ。何か」
「悪いんだが、手を貸しちゃくれんか。ここ最近、畑を荒らす魔物が増えててね、怪我人も出てるんだ」
「そのようで。魔物の増加で、騎士団も休みなく動き回っているとか」
「なら話が早い。報酬は弾むよ、十万クラウンでどうだい?」
十万クラウン。未知の領域に、小夜はごくりと喉を鳴らした。
「仲間と相談しても? こちらも少数かつ護衛で動いているので、人数は割けませんが」
「いいやいいや助かるよ」
弓使いと別れを告げて、小夜は溜息混じりに羊肉のミルク煮を想像する。財布に十万クラウンが入っていたら、食べてみたかったものだ。
「さよ。ありあも行けば、ほうしゅうもらえる?」
それまで黙っていたアリアが、小夜のつんつん服を引っ張った。
「アリアは行かなくていいよ」
「ありあはできる。たおせばいい」
「……用心棒さんたちが行ってくれたから、大丈夫だよ」
小夜を映す瞳は、人形に嵌め込まれた硝子玉に似ている。真意を量るようなその視線はやや居心地が悪かったが、特に疑問は言われなかった。そのことに小夜はほっとする。
乗客は村の出身が多く、ここで目的地だった人がほとんどらしい。村唯一の宿を取るか迷ったが、小夜とアリアは馬車で眠ることにした。懐の事情である。
商人と用心棒たちは、元々見張りも兼ねて馬車の傍におり、宿を取らない客も稀にいるので問題ないとのこと。非常食を分け合い、小夜とアリアは静かに夜を迎えた。
◆
鉱物カンテラの七色の灯りの下で、小夜は〝それ〟と睨めっこしていた。
美しい装飾こそ芸術性を見出せるけれど、少女が手にするには重く物騒な銃だ。商人から礼も兼ねて、それから小夜の身なりを見てかもしれない。年代物なのでさした額にならないそうだが、護身用にはなるだろうと譲ってくれたものだ。
使用者の魔力を込めて魔法を撃ち出す武器らしく、魔法の使い方が分からない小夜には丁度良い気がした。
とはいえ、まったくもってどう扱うのか、魔力とは何なのかも謎であったが。
「アニマをね、ゆびからソレにつなぐかんじ」
「起きていたの」
小夜の肩にもたれながら、アリアが手を伸ばす。その手に銃を渡すと、装飾の歯車が仄かに光り、不思議と廻り始めた。
「ここをおせばいいの」
「たぶん」
カーテン状の物見を開き、アリアは夜空に向けて引き金を引く。満天の輝きの中を、放たれた光は空へと還るように翔けていき、静かに散った。
「綺麗……流れ星みたい」
「ながれぼし?」
ほうっと零れ落ちた言葉にアリアは首を傾げる。
「うん。星がね、あんな風に流れることがあるの。珍しいし綺麗だから、三回お願い事すると叶うなんて言われるくらい」
煌めく運河。大きな月の近さ。数え切れないほどの輝きを、そっと一粒胸の宝箱に仕舞うように小夜は夜を眺める。
住んでいた場所では、あまり星は見えなかったし、夜空を見上げることすらしなかった。
帰ったら、時々空を見ようと小夜は思った。こんな風にたくさんの星は見えないとしても。
「……」
見惚れる小夜に、アリアも空を仰いだ。「おねがいごと」の形に動いた唇は、声にはしなかった。
「ん」
暫くふたりでそうして、アリアが銃を渡す。そうだった。
魔力、魔力、指から繋ぐ感じ。小夜はぶつぶつ念じながら集中するが、一向に変化はない。
「さよ、ヘタだね」
「うるさいな早く寝ろっ」
くふふと愉快そうな笑い声を、瞼を閉じて遮断する。
「……眠れないの?」
耐え兼ねて尋ねる。暇なのか、アリアは小夜の赫い髪を撫でたり指を通して遊ぶ。
「さよもねむらない」
「んー、うん。環境とか……まあ、慣れると思う。アリアは眠れそう? 大丈夫?」
「ヘイキ」
寄り添う形で寝転んで、アリアは小夜の手を握ると満足そうにする。
このひっつき虫は何らかの接触部分があると落ち着くらしい。
「さよは、元のセカイにかえるほうほうを、さがしているんだよね?」
ふいに尋ねられて、小夜はわずかに驚いた。
「その話、信じてくれてたんだ」
「ウソつくひつようも、ないでしょ?」
碧い瞳が見つめる。それは信頼や純真とはすこし違う気がした。嘘を知らないような色をして、でも人が嘘をつくことを知っている。
「さよの話をしてよ」
「私のって……特に変わったことはないんだけど。例えば?」
「なんでもいいよ。さよの話が聞きたい」
なんでもいいが一番困ったりするのだが、小夜は思い付いたものを適当に並べていく。
「えーっと、私がいた世界では、地球という星にみんな住んでた。環境はここと同じ、太陽と月が廻って、四つの季節がある。私は四人家族で、両親と妹がいて、それから大きな犬を飼っているよ。学校では勉強の他に、部活というのがあって……」
バス通学をしていて、バスという乗り物とは。といった、自己紹介なのか地球紹介なのかよくわからない話になっていく。
大して面白くもない内容を、アリアは何も言わず聞いていた。
「……面白い?」
「うん」
あくびをするアリアが疑わしい。ただ眠たくはなれたらしく、うとうとと目を擦っている。
「さよは、元のセカイにかえりたいの?」
「もちろん。帰って、そんな普通の日常をまた送るんだ」
友達が多い方でもないし、毎日変化がある日々でもないけれど、そういう平穏で良いと小夜は思う。そういう平穏が、今はとても遠い。
「ありあを、おいていく?」
小夜は応えなかった。いつか別れる日は、どの道来るのだ。
とろんと落ちていく瞼に、おやすみと言うと、おやすみと返してアリアは眠った。
◆
『びっくりした。こんな所で眠っている先客がいたなんて。起こしちゃった?』
ちいさな人は言った。いいや、こちらが大きいのだ。周囲の木々と同じくらいの高さがある頭を、その人の声が届くよう屈める。
彼女は炎のように真っ赤で、ルビーのように透き通る髪をした、年若い娘だった。
『こわがらないの?』
それがとても不思議だったので、こちらは尋ねた。
『怖がるって?』
『みんな逃げたり、怒ったりするもの』
『ああ、あなた、随分とおっかない姿だもんねぇ』
娘はこちらを見上げながら、からからと笑った。地面の中に埋もれていたせいで、彼女は気付かずその上で薬草を採取していたようだ。
こちらに武器を向けないニンゲンもいるんだなあと、不思議で奇妙な心地でいっぱいになる。確か、ここはもっと地面が平たくて、雑草が点々と生えている程度だった。
眠っていた間にこんな森ができていたように、また少し時代が〝変わった〟みたいだ。
『人と話しをするのは、はじめて』
『私も先生の昔話を聞かせてもらったくらい。すごいのね、本当に大きい』
娘は育て親でもある師と共に、この森に住み、薬の作り方を学んでいるという。
薬草を探しに出る度にこちらへ通う娘と、よきトモダチとなるのに、そう時間は掛からないのだった。
「んむ……、」
背中が暖かく、そして身動きがし難いので、小夜は瞼を開けた。
周囲を判断できはするが、薄暗くまだ早朝だろう。違和感に視線を下げる。模様の描かれた白い腕が、小夜のお腹に巻き付いていた。
「いたた……なんでくっつきたがるかな」
身体が軋んで、早くもふかふか布団が恋しい。馬車を降り、寝袋でまだぐっすり眠る商人たちの横を通り過ぎながら、小夜は村を散策する。
朝陽は昇る前だが、農村とあって早起きが多いようだ。食堂の看板がもう出ているし、荷車から採れたてだろう野菜を店に並べる人もいる。藁を運ぶ牛らしき生き物が、動きがのんびりとしていて可愛らしい。
それらをぼうっと眺めていたことに気付いて、小夜は頬をぺちぺち叩く。
頭を起こそうと、朝食を考える。外で何か獲ろうかとも考えた。
もはや熊や爬虫類なら、小夜は抵抗なく頂けた。サソリやカエルもなんとかいけそうな気もする。虫は最後の手段だ。切り札というジョーカーだ。できれば一生引きたくないカードである。
――安全なら、の話だなあ……
森を抜けてから町に着くまでに、魔物に襲われなかったことが幸運だったのだ。節約のためなら野宿だって我慢したのに。
「うぴゃっ!?」
背後から突然抱きつかれて、小夜は奇声を上げる。見れば黒い毛むくじゃらがいた。
「なんだアリアか、びっくりするでしょ」
「さよ、どこに行くの」
「ご飯を考えようとしていただけだよ」
「本当に?」
碧い色が見つめる。
探るようなそれに、小夜はふと気付く。
『ありあを、おいていく?』
やたらぺとぺとくっつくのは甘えているんじゃなくて、小夜がアリアを残して行くことを恐れているとしたら。
「……本当だよ」
すくなくとも、今はまだアリアと共にいる。
小夜が頭を撫でると、アリアは安心するように目を細めた。地平線から昇り始めた太陽が、碧いその色をきらきらと彩っている。
「おいで、髪結んであげるから」
毎朝アリアの髪を梳き、三つ編みやポニーテールにしてやるのが小夜の日課である。
ゆるやかに波打つ髪は腰まであるが、ストレートにするともっと長いだろう。見ていて邪魔そうであるが、本人は気にしていないし、柔らかいのに不思議と絡まずなめらかで、非常に手触りが良いので結構堪能している。小夜は愛犬のブラッシングに拘るタイプだった。
「その後、ちゃんとしたご飯を食べよう。夜はリンゴだったしね」
身体の基礎は食事だ。陸上部の大会前は、母も食べ物に気を遣ってくれたものだと思い直す。
栄養も摂らねばな、と財布の事情はひとまず忘れ、小夜はひとり頷いた。お腹に飼っている虫がニワトリよろしく鳴いた。




