11. 選択
――えっと、これがお宿で、これが定食屋さんで……
膝にノートを乗せ、小夜はメモを取った単語を復習する。
町で見た中には知らない言葉もあったが〝夢〟が助けとなり、基礎は身に付いているらしかった。英語やひらがなのように、音を繋げて単語を作っていることも幸いだ。それぞれに固有の文字が充てられていたら、小夜のやる気はとっくに逃亡していた。
「……暇なら、アリアにもノートあげようか? 何か書いてもいいよ」
「さよの見てる」
アリアは座る小夜の傍らに寄り添い、ノートをまじまじ眺める。眺めるだけで、興味があるのか無いのか、いまいち分からない。
「お客さん、動かしますよ」
「! はい。よろしくお願いします」
商人に返事をすると、馬車が揺れる。陽も高くなり、海沿いの街を目指して進み始めたのだ。
農村で降りた乗客がほとんどで、空いたスペースの積荷も入れ替わったり、増えたりしていた。
――……ああやだなあ。勉強はいいけど、出席日数が足りるか気になってしまうぞ……
学生鞄を開くと、憂鬱な気持ちも広がる。家に帰れても、勉強に追い付けなくては困るし、出席日数が足りないでは目も当てられない。まだ半年も高校生活を満喫していないのに、もう先行きを危惧することになるなんて。
友達は元気だろうか。みんなと約束をしていたカフェは、もう行ってみただろうか。ふわふかパンケーキ食べたい。なんならダイブして埋もれたい。なんでもいい。小夜は地球の、日の本の、たわいない話に飢えていた。お腹も少々空いている。
――……いかんいかん。ホームシックなんてなってられない。大きな街で情報収集すれば、アリアのことも、元の世界のことも、手掛かりはきっと見つかる
憂鬱を振り払って、小夜は掴んだ教科書をめくった。
「……っなに?」
叫び声が聞こえた気がして、外を見る。
収穫を控えた青々とした畑に、数名の農夫の姿があった。そのうちの一人の様子がおかしい。鍬を振り回し、何かを追い払おうとしている。
「誰か襲われてる!」
思わず身を乗り出す小夜だが、外にいた魔法使いの青年は、特に驚いた様子もないようだった。
「昨晩のあれで、まだ一部だったのか」
「どうする?」
「とは言ってもな……こっちも仕事中だし」
冷静に話す用心棒たちに、小夜は困惑する。
「あ、あの人はどうすれば……」
「私たちも慈善事業じゃないからね、依頼人……商人のおやっさんに危険があると判断すれば動くよ」
厳しいかもしれないが、彼らも命懸けの仕事をしている。責められるはずがないし、非難したい訳でもない。それでも小夜は、言い難い歯痒さを覚えた。
「さよ?」
アリアはきっと不思議そうな表情をしている。
ああ、ついに鍬を落として、倒れてしまう。心臓がばくばくと胸を押し上げ、落ち着かなくて、気持ちが悪い。罪悪感だ。
「やめておきなさい」
弓使いが言った。力付くでもなく、静かな声だったが小夜はびくりと肩を揺らした。
鞄に入れた指先は銃に伸びているのに、掴む覚悟はなくて震えている。汗ばかり滲んで、呼吸が浅い。
この人達が動かない理由がまだある。
下手にあれを刺激して、こちらに向かって来る危険を避けるためだ。理解しているから、戦いの術がない小夜は引き金をひけない。
「助けて、助けてください! 父が!」
逃げ延びてきた農夫が、馬車へ向かいながら叫んだ。
「……狩人さん方、手を貸してやってください」
「では、安全な場所で待機を」
「これ十万クラウンに含まれてる? 残業やだな」
商人の許可が出たことで、魔法使いと剣士がが救助に向かう姿勢を見せ、小夜はほっと息をつく。
「そっちじゃないよ」
「え?」
「ヨウジンボじゃ、かてないよ」
アリアが片耳をこすりながら、不愉快げに言った。妖精の声がするようだ。
小夜は血の気が引く。頼みの用心棒たちが勝てないほど、強い魔物では。
「そんな……いっ!?」
馬車が止まる。阻まれたような揺れに小夜はちょっと舌を噛んだ。
「ここにも沸いたぞ!」
「お前は救助に!」
剣士が農夫の元へ向かい、短刀に持ち替えた弓使いが、馬車の後輪で杖を振り下ろす魔法使いに加勢する。
「おじさん! 何か武器になりそうなものある!?」
「短刀と棍棒ならあるが、護身用で殺傷力は……」
「いいです! 貸してください!」
手綱を握る商人に、小夜はたまらず尋ねた。
「さよも行くの?」
首を傾げるアリアには、危機感が微塵もないらしい。
「アリアはここにいて」
「さよがいたらいいよ。ありあのほうが強いから、ありあが行く」
「……あのね、アリア。聞いて」
アリアの頬を包み、小夜は視線を合わせた。透き通るような碧に小夜が映る。
「私は、確かに魔法も使えないし、武術とかも習ってない。ただの高校生で、戦い方なんて知らない。でも、できればあなたに戦わせたくない。だってあなたは、まだ子供なんだよ」
どんなに力があるとしても、小夜の目の前にいるのは子供だった。「どうして?」と不思議を聞きたがる、こんなにも、ただの子供なのだ。
「……だけど、」
アリアは、小夜の言葉をよく飲み込めないようだった。
「だめだ! 一度離れて――…ああっ!!」
しかしアリアの疑問は、絶叫に遮られた。小夜が声の方へ振り向いた時にはもう、アリアは馬車の外へ飛び出していた。
魔法使いが、口の発達したちいさく珍妙な生物を、腕から引き剥がすのが見える。服に染みる赤い血。
停車しているはずの車体がぐらぐら揺れた。車体というより、地面だ、と気付いて、小夜に嫌な悪寒が走った。
「アリアっ!!」
まるで蜂の巣をつついてしまったみたいだ。アリアの立った地面が盛り上がり、恐ろしい数と速度で噴出した魔物が、アリアを覆い隠してしまった。数の暴力が異常な団子を作る。
小夜は馬車の床を蹴った。計算なんか頭になかった。しかし小夜が土に足を着ける寸前。
「見つけた」
突如アリアに集っていた魔物が、パンッと雫が弾けるように離れ、ぼろぼろと焼け落ちていった。
アリアはそれらに目もくれず、畑と反対の泥地帯へ向け、一筋の光の剣を放った。
垂直に降りたそれが泥を突き刺し、再び上がる。切先には、仔牛に相当する巨大蛭が掛かっていた。すると、用心棒たちに纏わり付いていた魔物も力尽きていく。
「……っアリア、」
唖然としていた意識を戻して、小夜はおびただしい魔物の中心にいるアリアに駆け寄る。
「だいじょうぶだったでしょ?」
得意げにする顔から、青い液体が垂れた。腕や、足からも。
最初、魔物の体液かと思った小夜だが、違うと理解する。用心棒たちの血は赤かったが、アリアは。
「……大丈夫じゃない」
小夜は柔らかい頬にハンカチを充てる。離すと、そこに傷痕はもうなかった。
「あなたのお蔭で助かった。それは事実。でも、怪我をして大丈夫なことなんかないよ」
アリアがいたから危機は去った。アリアがいなければ無事だったかも分からない。
しかし小夜は、今日はありがとうは言う気になれなかった。
「さよも、どこかケガしたの?」
あたたかい指が小夜の頬を撫でる。労わるような、優しく添えるだけの仕草だった。
「いたいの? ありあがなおすよ」
怪我をしているわけじゃない、と小夜は首を振った。怪我はないが、胸の奥がきりきりする。
「無事かな?」
「あ……腕は大丈夫ですか?」
「ああ。小型なのが幸いだ。大型のドロクイだと、骨もぽっきりやられるからね」
からからと笑って魔法使いは袖を捲る。くっきりとした噛み痕にヒェ…と小夜は震えた。すぐに弓使いが魔法を詠唱し、治療を試みる。傷口は塞がるも、綺麗さっぱりとはいかず、痕は自然治癒を待ちそうだ。
「おう。元気そうだな」
「そっちも」
剣士たちも戻り、弓使いに農夫の治療を任せる。彼らも噛まれてはいるが、幸い命に別状はない。
「あれはシカバネクリか……おっかねえな、この数を操っていたなんて」
「この付近での目撃報告は滅多にないんだけどね」
「湿原のオオクチヌマもだな」
「ドロクイの異常な数といい、最近どうなってるんだか」
「祭りも近いっていうのに、今年は仕事三昧かもねぇ」
用心棒たちが物騒な話をしている。
ハラハラドキドキなんて、空想だから安心して観ることができるものだ。小夜はこんな世界に来たいなどと、すこしでも思ったことを後悔していた。
「あの、報酬のことなのですが……」
助けを求めてきた農夫が、申し訳なさげに窺う。
「ああ……でも十万クラウンは協会から受け取ってるから」
「全滅しきれてなかったわけだし」
「そうだね。お嬢さん、坊や。謝礼金はこちらが払うよ」
急に話を振られて、小夜は面食らう。
「え。いや、でも私たち、お仕事を受けた? わけじゃないですし」
「命が助かったのはこっちも同じ。魔法も弓も使えないじゃ状況が不利過ぎたし、シカバネクリにも気付けていなかった」
「それにお金、余裕ないんでしょ?」
寂しい懐をつつかれては言い返せず、実際にお財布は重たいに越したことはない。
ほとんどをくれようとするので、最終的に「一人二万!二万で!」と小夜たちは四万クラウンを受け取ることとなった。
後のことは農夫らに任せ、馬車は改めて車輪を回す。
「ところでキミ、湿原でもすごかったよね。それに複属性の素質があると見える。いくつ契約を結んでいるのかな? 出身は? どちらの師の下で学んだんだ?」
魔法使いの青年がアリアに尋ねる。押しが強い。
「悪いな、こいつは魔法馬鹿なんだよ」
「みたいですね……」
剣士が首根っこを掴んで引き剥がしてくれたので、小夜は苦笑いする。当のアリアはそんな騒ぎに我関せず、ころんと昼寝の続きに向かった。
――……響と重ねて、守らなきゃって、思ってた。でも守られてばかりだ。……このままじゃよくない気がする。でも、どうやって?
最初に、帰らずの森の崖を落ちそうになった時、確かに誰かが助けてくれたのではないか。それがアリアではないかと、薄々覚え始めた違和感が、確信に変わりつつある。
小夜の服を握る、あどけない寝顔に残る、すこしの青。小夜は静かにそれを拭い、またノートを広げ直した。




