第1章:6話【じいちゃんの想い】
「きゃー!レカ!速い!もう少しスピード落としてー!」
「贅沢なやつにゃ…」
レカの背中に乗ったひまりは、今まで経験したことのない速度で移動していた。容赦なく吹き付ける風が身体を後ろへ押し戻そうとする。必死でレカの首にしがみつき、風切り音に負けないように叫んだ。
「なんで最初っから乗せてくれなかったのー!?」
「私を馬扱いされたら敵わんからにゃ…いつでも乗れると思うにゃよ」
不本意を表すかのようにレカはますますスピードを上げた。
「きゃー!!だから速いってーー!!」
レカのスピードなら森を出るまで5分とかからなかったが、その背中を降りたひまりは青ざめた顔でぐったりと地面に手をついた。
「はぁ…はぁ…なんか逆に疲れた…身体が痛い…」
「だから馬とは違うにゃって。サンならともかく、私の身体は柔らかいから乗るのには向かないにゃよ」
「それ先に言ってぇ…」
森を抜けた先にあったのは美しい農村地帯だった。目の前には緑色に輝く牧草地が広がり、さらにその先には野菜や果物を育てている畑も見える。ふたりは牧草地を抜けて、いくつかの民家がある街のはずれまで歩いた。
「ここにゃよ」
レカの声にひまりが顔を上げると、そこには見慣れた建物が建っていた。赤いレンガの壁に白い窓枠、緑色の瓦でできた三角屋根。
「え?ここって…」
「ケンベルトの家にゃ。そして、ケンベルトが喫茶店を開こうとしていた場所でもあるにゃよ」
「喫茶店…?」
「お前の家もそうだったにゃろ?1階が喫茶店で2階が家。ケンベルトは昔からずっと、そういう小さい店がやりたいって言ってたからにゃ」
「そうだったんだ…」
レカは家の前に置いてある植木鉢を鼻先でどかすと、その下にあった家の鍵を咥えてひまりに渡した。
「ほれ、開けるにゃ」
古びた小さな鍵を受け取り、家の扉の前に立つ。住み慣れた家に帰ってきたような、不思議な感覚になった。
ガチャッ
ひまりが扉を開けると、そこには――生まれ育った【喫茶レカ】と同じ空間が広がっていた。
「……じいちゃん」
「…私も人間界のお前の家に入った時は驚いたにゃ。こことほとんど同じ作りだったからにゃ…。唯一違うのは、ヒマリの部屋があったことにゃね」
5人掛けのカウンターに4人掛けテーブルが1つ、2人掛けテーブルが2つ。木製の椅子、ステンドグラスの照明、ガラス戸の食器棚…ひまりはひとつひとつを確認するようにゆっくりと店内を歩いた。
「レカ…ケンじいちゃんは…ここでお店をやっていたの?」
「正確にいうと、やろうとしてた、にゃね。ここで店を開くためにたくさん準備してたけど、もうすぐ開店という矢先にケンベルトは人間界へ行ってしまったにゃ」
「どうして…」
「それは…お前の母さんが産まれたからにゃ」
「お母さん…?」
「若い頃のケンベルトはしょっちゅう、新しい食材を探しにあの扉をくぐって人間界へ行っていたにゃ。そこで好きな人ができた。お前のばあちゃんにゃ」
レカは少し俯き、懐かしいような悲しいような顔をして続けた。
「当時、魔法使いと人間の結婚は前例がなくてにゃ…ケンベルトは王宮に呼び出されて、生まれた娘だけを魔法界へ連れてきて王宮の厨房で働くように命じられたにゃ。先代、ケンベルトの父ちゃんは王宮の料理長だったからそれを継がせようという話もあってにゃ」
「そんな…ケンじいちゃんとおばあちゃんを離れ離れにしようとしたの?」
「そうにゃ。でもケンベルトは反発して…人間界へ行き、妻と娘と暮らす道を選んだ。あの扉に鍵をかけたのはケンベルト自身にゃ」
「そっか…だからパントリーの方に鍵穴があったんだ…でも、おばあちゃんとお母さんは死んで…なんでじいちゃんは魔法界に戻らなかったの…?」
「…お前のためにゃろ、ヒマリ」
「……!」
「昨日お前に会ってわかったにゃ。ケンベルトには、妻と娘が死んでも、人間界に居続ける理由があったにゃね」
ひまりの頭の中で、小さい頃に聞いたじいちゃんの言葉が蘇る。
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「あそこには鍵がかかっていて、今は開けることができない。いつかひまりが大きくなったら一緒に開けよう」
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「私が…大人になるのを待っててくれた…?」
「…ケンベルトだって、七大魔法使いのひとりにゃ。自分の立場も、料理魔法使いの持つ責任もちゃんとわかってたにゃ。でもきっと、お前に決めさせたかったにゃよ。魔法界に行くのか、人間界で生きるのか…。血筋じゃなく、ヒマリが本当に幸せだと思える道を大人になったヒマリに選んでほしかったにゃ。自分がそうしたように…」
「……じいちゃん…ケンじいちゃん…!」
ひまりは床に膝をつき、大声で泣いた。パントリーの奥、あの小さな扉の前でじいちゃんはどんな気持ちでいたんだろう。
帰るべき故郷には鍵を差し込んで回すだけで帰れた。扉の先には親友が待っているとわかっていた。それでも帰らなかった。ひまりのために。
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「お前がじいちゃんの料理を愛してくれていたら…その時、ふたりで開けような」
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「わあぁぁぁぁあん!!!!」
泣き崩れるひまりの横に、レカはそっと寄り添って座った。大きくてふわふわの身体がひまりを包む。
(ケンベルト…お前が故郷を捨ててでも守りたかったもの…これからは私が守るにゃ。だから…安心していくにゃ)
早朝の魔法界に着いてから数時間は経っただろうか。陽の高さからしてもうすぐ昼になる頃だが、昼夜の逆転している人間界から来たひまりにとっては夜だ。
レカの温かさに包まれたひまりは、泣き疲れて次第にウトウトし始めた。すぅ…と静かな寝息を感じたレカは、ひまりを包んだままそっと目を閉じた。
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――ひまりは住み慣れた家の自室で目を覚ます。寝ぼけ眼で赤毛のセミロングをひとつにまとめながら、とんとんと階段を下りていく。
一階に漂う、淹れたてのコーヒーと香ばしいトーストの匂い。そうだ。専門学校を卒業して、今日からじいちゃんと一緒に店に立つんだっけ。カウンター越しに厨房を覗く。子供の頃から何度も見てきた、仕込みをするじいちゃんの後ろ姿。
カウンターに座ったひまりの膝に、ぴょんっとレカが乗ってきた。ふわふわの頭を撫でていると、ゴツゴツした細い手が湯気の立つコーヒーカップをひまりの前に置いた。顔を上げると、じいちゃんが笑っている。
「ひまり、お前はもう一人前だ」
「何言ってんのじいちゃん。学校も卒業したんだから当たり前じゃん」
「そうじゃない。ひまり、お前は知っているだろう。うまいもんを食った人たちの幸せそうな顔を。誰かのために料理を作ることの意味を。なぁ、お前もそう思うだろ、レカ。俺の孫はなかなかやるぞ」
膝の上のレカがじいちゃんの言葉に応えるようににゃあ、と鳴いてひまりを見つめた。
「大丈夫だ。お前ならできる。【喫茶レカ】を――…頼んだぞ」
「じいちゃん?ケンじいちゃん―…」
じいちゃんはひまりに背を向けて厨房の奥へと歩いていく。追いかけなきゃ。立ち上がろうとするが、膝の上のレカがひまりを見つめたまま動こうとしない。じいちゃんがパントリーの手前で立ち止まり、こちらに振り向いた。
「ありがとな、レカ」
視界が白っぽく霞がかってよく見えない。じいちゃんがどこかへ行ってしまう――…
「じいちゃん!!」
「ケンベルト!!」
ふたりは同時に叫んで目を覚ました。お互いに顔を見合わせるが、頭が混乱していてなかなか言葉が出てこない。しばらくしてひまりがぽつりと呟いた。
「…じいちゃんの…夢を見てた」
「…私もにゃ…」
秋の高い日差しが窓から差し込み、古いテーブルやカウンターを暖かく照らしている。舞っている埃さえもキラキラと輝いていて、ひまりにはとても優しい場所に思えた。
ここはじいちゃんの家、じいちゃんがやりたかった店。たくさんのお客さんの笑顔が溢れるはずだった場所―…。
「ねぇ、レカ…」
「なんにゃ?」
「私がここを…継いでもいいのかな」
「……」
「私…魔法界のこと何にも知らないけど…ここを、お客さんでいっぱいにしたい。たくさんの『美味しい』で溢れる場所にしたい。だから――」
「いいに決まってるにゃろ」
「え?」
「ケンベルトが言ってたにゃろ。ヒマリはもう一人前だって。喫茶レカを頼むって」
「レカ…」
「それでいいにゃよ、ヒマリ。私がついてるにゃ」
「…うん!」
じいちゃんの言葉が夢なのか現実なのか、はたまた妄想や願望なのかはわからない。それでもひまりとレカが前に進むには十分だった。
「さ、立つにゃヒマリ。そうと決まったらさっそく確認したいことがあるにゃ」
「確認したいこと?」
床から立ち上がったひまりを、レカは真剣な目で見つめる。
「ヒマリの魔法についてにゃ」
「私の魔法って…昨日も言ったけど私は魔法なんて使えないよ?」
「んにゃ。私が思うに、ヒマリの作った料理には魔法がかかってるにゃ」
「え!?そうなの!?」
「正確に言うと『魔法っぽい何か』にゃね。未完成なのに魔力だけは籠っているというか…ケンベルトから、料理の時に何か特別なこと教わらなかったにゃか?」
「特別なこと?うーん…あ、『おまじない』のこと?」
「おまじない?」
「じいちゃんがいつも唱えてた『料理が美味しくなるおまじない』だよ。子供の頃から料理する前にいつも唱えてるんだけど…そういえば、じいちゃんの包丁を握って唱えたら不思議なことが起きたの」
ひまりはニャポリタンとサンドイッチを作った時に見たじいちゃんの手元と、聞こえた声について話した。
「なるほど…魔道具には歴代魔法使いたちの記憶や使用した魔法が宿ると言われているにゃ。ヒマリは【万断の包丁】を通してケンベルトの記憶を見たのかもしれないにゃね」
「やっぱりあれは、じいちゃんの記憶だったんだ…」
じいちゃんがレカや子供たちのために料理を作っていた時の記憶。ひまりが知らない魔法界でのじいちゃんの思い出。嬉しくなったひまりはリュックに大切にしまっていた【万断の包丁】を取り出し、握って唱えた。
『生きる糧を。この一皿に祝福を――』
シ――ン…
「あ、あれ?なんにも起きないな…」
「ヒマリ、そこまでしか教わってないにゃか?」
「え?」
「それは『祈りの言葉』といって、七大魔法それぞれの呪文みたいなものにゃ。ほら、森でハンスも歌う前に唱えてたにゃろ?」
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『心に癒しを。この歌声に祝福を――セレームス』
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「あ、そういえば似たようなことを…」
「料理魔法の呪文は『生きる糧を。この一皿に祝福を――ファビルス』にゃよ。『繋がり』という意味にゃ」
「繋がり?」
「食べるということは生きるということにゃ。他の生き物の命をいただき、自分の命を繋ぐ。そして他者と共に生き、また新しい命が繋がれいく。『食べて、また明日も生きてほしい。』初代料理魔法使いの願いが込められているにゃよ」
「食べるということは、生きるということ…」
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「うまいもん食って、笑って、また明日も頑張ろうってな。人をそんな気持ちにさせる、料理の魔法だ」
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ひまりは手に握られたままの【万断の包丁】をじっと見つめた。夢の中でじいちゃんは言った。「お前は知っているだろう」と。そっと目を瞑ると、人間界の【喫茶レカ】の店内が思い浮かぶ。
じいちゃんの料理を幸せそうに頬張るお客さんたちの笑顔。
それを嬉しそうに眺めるじいちゃんの顔。
子供の頃から眺め続けた、大好きな光景――…。
包丁の柄についた赤い宝石が微かにポゥ…と光りを帯びる。ひまりは目を瞑ったまま唱えた。
『…生きる糧を。この一皿に祝福を
――ファビルス』
宝石からまばゆい光が放たれる。真っ赤な光はひまりの腕をつたって頭からつま先まで駆け巡り、床へ一筋の閃光を走らせた。
そこから時計回りにゆっくりと、少しずつ魔法陣が描かれ始める。その様子をレカが息を呑んで見守っている。
(これは…なんて強い魔力にゃ…!どうしてヒマリの中にこんな力が…)
ひまりが目を開けると、パチパチと火の粉が爆ぜるような音とともに魔法陣から無数の赤い光のカケラが天井まで舞い上がった。熱いほどの空気が部屋の中へ広がる。
(これが…私の魔法?)
まるで身体ごと暖かい暖炉の中にいるようだ。空中を舞っている魔法のカケラを親指と人差し指でそっと掴む。ぱちんっ!としゃぼん玉が弾けるような音とともにカケラは消え、魔法陣の光もゆっくりと消失していった。
「ヒマリ!すごいにゃ!」
レカが嬉しそうに目をキラキラさせて駆け寄ってこようとする。
「…でき…た?私の…魔法…」
途端に全身から血の気が引いて、頭がふらふらする。レカの元へ一歩踏み出そうとした瞬間、ひまりは包丁を握ったまま床に倒れ込んだ。
「ヒマリ!!!」
「あれ…なんか…気持ち悪い…ぐるぐるする…」
床で目を回しているひまりの周りをレカが心配そうにぐるぐると歩きまわる。
「ヒマリ、しっかりするにゃ~…」
その時、コンコン!と扉をノックする音が響いた。扉の向こうで男性の声がする。
「おーい、レカ?いるのか?」
ガチャッ
「おいおい…どんな状況だ、こりゃ?」
―第六話 完―
7話は11月1日(日)20:40~投稿します。
ついにひまりが魔法を…!これからどんな料理魔法が登場するのでしょうか?お楽しみに!




