第1章:5話【出会いと魔法の歌】
レカが咥えて戻ってきたのは木の実…ではなく、ぐったりとした人間の男性だった。
「なんでよ!?誰!?生きてるの!?」
「行き倒れにゃ」
口を開け、男性をぼとっ…と地面に落とす。
「扱いが雑―――!!」
落とされた男性が微かにうめいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「うう…水…」
「こここ、これ、ゆっくり飲んで」
水筒のコップに持参したルイボスティーを注いで男性に差し出す。男性は凍えているのか、震える手でそれを受け取り口元に運んだ。
ゴクッ…ゴクッ…
「ぷはぁ!ああ…ありがとう…」
男性が顔を上げてひまりを見る。意外と若い。歳はひまりより少し上くらいだろうか。
「あ、あの…だ、大丈夫ですか…?」
「いやぁ、昨日の昼にちょっとキノコを採ろうと森に入ったら迷っちゃってね…。暗くなっちゃうし、もうダメだーって思ったよ。こんな朝早くに人が来てくれるなんて、ラッキーだなぁ」
「き、昨日の昼から!?」
「うん、水もなくなっちゃってお腹もすいて、夜は冷えるし動けなかったんだ」
その青年は薄手のベージュの長袖シャツに茶色のスラックスという出で立ちで、確かに秋の夜を森の中で過ごすには寒かっただろう。
顔色が良くないことに気付いたひまりはお弁当箱の中から卵タルタルのサンドイッチを取り出し、青年に渡した。
「あの、もしよかったらこれ、食べますか?」
「え!?いいの!?うわぁ、美味しそう!いただきます!」
よほどお腹が空いていたのか、青年はサンドイッチをばくばくっと二口で平らげてしまった。
途端に青年の身体が内側からパァァ…!と光り、青白かった顔に血色が戻る。青年は驚いたように目をきらきらさせながらひまりに言った。
「んー!!何これ!!すっごく美味しい!それに…なんだか急に身体がぽかぽかしてきた!卵の中に入ってる、このプチプチしたのはなんだろ?」
「それはらっきょうですね。みじん切りにしてゆで卵と和えると、食感も良くなるし酸味でさっぱりするんです」
「初めて聞く食材だなぁ。僕これ大好き!君、料理上手なんだねぇ!」
細かいことは気にしない性格なのか、青年はさっき自分の身体が光っていたことよりも初めての食べ物との出会いに感動しているようだ。
「ヒマリ、私もツナのやつ食べたいにゃ」
「あ、そうだよね。はい、レカ」
「え?レカ?」
青年はその時やっと、自分の後ろにいたレカの存在に気付いて振り向いた。
「レカ!なんだぁ、僕を運んでくれたのレカだったのか!僕はてっきり、熊の巣穴に連れていかれるのかと…」
「誰が熊にゃ!まったく…」
「森で迷っちゃったからレカを探したのに、いつもの場所にいないんだもん。昨日はどこ行ってたの?」
「人間界にゃ」
「え?どういうこと?」
青年は不思議そうにひまりとレカを交互に見る。
「レカ、知り合いなの?」
今度はひまりが青年とレカを交互に見た。
「こいつはハンスにゃ。【歌魔法】の使い手にゃよ」
レカがツナマヨのサンドイッチをむぐむぐしながら答える。昨日のように身体までは光らなかったが、胸元の赤い宝石がじんわりと光って消えた。
「ツナうまいにゃ」
人懐こそうな子犬顔の青年、ハンスがひまりに向かって微笑んだ。オレンジがかった明るい髪に陽が当たってキラキラしている。
「僕はハンス・ペーター。よろしくね。歌魔法のペーター一族の当主だよ。て言っても、この間母さんから引き継いだばっかりでまだまだ半人前なんだけどね」
「歌魔法…!って、レカが言ってた七大魔法のひとつだよね?」
「そうにゃ」
「あれ、もしかして君、魔法のことあまり知らないの?」
「あ…えっと…私、人間界で育ったから…。魔法界に来るの今日が初めてなの」
「え!?ほんと!?じゃあレカ、この子ってもしかして…」
「そうにゃ。ケンベルトの孫のヒマリにゃよ。人間界から連れてきたにゃ」
「ええ―――!!??じゃあ料理魔法使いってこと!?」
ハンスはぐいっとひまりに近づき、キラキラの子犬顔で見つめた。ひまりがたじろぐのも気にせず両手でひまりの手を握り、まるでしっぽのように嬉しそうにぶんぶんと振った。
「すごい!!そっか、だからさっき身体がぽかぽかして…僕、本当に死にそうだったのに君の料理魔法が助けてくれたんだね!」
「そ、そんな…ただのサンドイッチですから」
レカは戸惑うひまりの横顔を見つめた。確かにさっきまでハンスの身体は冷え切っていたし、サンドイッチの一切れくらいで回復するような状態ではなかったはずだ。昨日ひまりの作ったニャポリタンを食べた時の感覚を思い出す。
(ヒマリのサンドイッチが冷え切ったハンスの身体を温めた…?じゃあ昨日のあれは…ケンベルトを失った悲しみでぽっかり空いた私の心を、ヒマリの料理が温めてくれたにゃか…?)
ハンスはひとしきりひまりを褒めたあと、はっ…としたような顔でレカに向き合った。
「じゃあレカ…レカがずっと待ってたケンベルトさんは…」
「向こうで死んだそうにゃ」
「……そっか。それは残念だったね…。僕も会ってみたかったなぁ。でも、孫のヒマリが来てくれるなんて!嬉しいなぁ。料理魔法使いが25年ぶりに現れたんだから、みんなもきっと喜ぶよ」
「25年ぶり?」
「ケンベルトは50年前に人間界に行ったっきり帰って来なくなって、ケンベルトの父、ヒマリの曽祖父にあたる方も25年前に亡くなったにゃ。ケンベルトには兄弟もいなかったから、料理魔法使いは失われて久しいとされていたにゃ」
「そうだったんだ…ひいおじいちゃん、そんな前に…」
「でも、これからはヒマリがいてくれるからもう大丈夫だね!」
「えと…でも私…魔法のことなんにも…」
「そんなことないよ!こんなに美味しいもの僕に食べさせてくれて、助けてくれたじゃないか。ヒマリ、僕ら七大魔法使いが神様から与えられた使命を知ってる?」
「七大魔法使いの使命…?」
「そう。それは『人を幸せにすること』さ」
「人を、幸せに…?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そうさ。じいちゃんの魔法はな、人を幸せにする魔法だ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「僕ら七大魔法使いは、魔法界でとても大きな力を持っているんだ。でもそれは、争いごとに使ったり国を大きくするための力じゃない。この国の民の心を豊かにして、ひとりひとりが明日を生きる力を得るために僕らはいる」
「明日を…生きる力…」
「そう。ヒマリ、見てて!」
ハンスが立ち上がり、腰のベルトに着けていた小さな白い箱を開いた。オレンジ色の宝石が散りばめられた、美しい音の流れるオルゴールだ。決して大きな音ではないはずなのに、森の空気や木々の葉っぱのひとつひとつまで沁み渡るように音が広がっていく。
「ヒマリが料理で僕に生きる力をくれたみたいに、僕もヒマリに力をあげる!」
ハンスはすぅ…と深く息を吸い、目を閉じて小さく唱えた。
『心に癒しを。この歌声に祝福を
――セレームス』
ハンスの足元から地面をつたうようにオレンジ色の光が伸び、時計回りに円を描くようにして魔法陣が現れた。光はハンスの全身を包み、空中に舞ってきらきらとはじけている。
――遠い遠い
――遥か彼方へ
――旅立つものよ
――優しき心の持ち主よ
歌声に合わせて森の小鳥たちが集まってきた。ハンスを覆うオレンジ色の光と混ざり合い、楽しそうにくるくると飛びかっている。その羽が起こす小さな風がさらに森中に歌声を広げていく。
――長い長い
――旅の果て
――友の帰りを待つものよ
――強き心の持ち主よ
――大きな大きな
――まだ見ぬ土地へ
――己の意思で踏み出すものよ
――澄んだ心の持ち主よ
ハンスの歌声の光がひまりの身体を包み、胸の奥に沁み込んでいく。
ひまりが初めて作った料理を褒めてくれたじいちゃんの顔、友達と遊んで帰りが遅くなったひまりを怒った時の顔、料理に向き合う時の真剣な眼差し…。
じいちゃんと一緒に過ごした幸せな日々が身体を駆け抜けて、心の中の悲しみの種にそっと温かい風を吹き込んだ。そこに芽吹いたのはじいちゃんが死んだ悲しみではなく、レカが美味しそうにニャポリタンを頬張っている昨日の光景だ。
――迷うことなく心のままに
――そなたの幸せ
――願うものはここにあり
――在りし日の約束を
――果たすときまでここにあり……
ハンスが歌い終わると魔法陣は少しずつ消え、森に残ったオレンジ色の光の粒が葉っぱや地面に吸い込まれていった。
パチパチパチパチ…
ひまりは立ち上がって手を叩く。
「すごい…!すっごくきれいな歌声…!これが…魔法?」
まだ淡い光を帯びている自分の身体を見て、ひまりは感動した。
「そうだよ、ヒマリ。君がおじいさんとの思い出をたくさん持って、レカと一緒に前へ進めますようにって『祈り』を込めたんだ。僕からの贈り物だよ」
「ありがとう、ハンス…!魔法ってすごいね、まるで天使が歌ってるみたいだった!」
「天使…!?いやぁ…そんなに褒められると照れるなぁ…」
ハンスが頬を赤くして嬉しそうに微笑む。
「レカは?僕の歌どうだった?」
「ふん…まぁまぁにゃね。先代のお前の母ちゃんにはまだまだ及ばないにゃ」
「ぐっ…わぁかってるよ…」
ハンスは悔しそうに口を尖らせる。その顔が妙に子供っぽくて、ひまりは笑ってしまった。
―――アオ――ン………
その時、森の中にどこからともなく遠吠えが響いた。近くに犬でもいるのだろうかとキョロキョロと森の中を見渡していると、地鳴りのような音とともに大きな動物がこちらへ突進してくるのが見えた。
「坊ちゃん!坊ちゃん―――!!!」
「ひぃっ!お、オオカミ!?」
ひまりは慌ててレカの後ろに隠れたが、レカとハンスは動じる様子もない。どしん!どしん!と大きな足音と木々を揺らすほどの振動とともに、レカに負けないくらい大きなオオカミが目の前に現れた。
真っ白でふさふさとした体毛は毛先に向かうにつれてオレンジがかっており、胸には琥珀のような宝石が付いている。
「坊ちゃん!!」
「あ、サン!来てくれたんだね~」
ハンスはにこにこしながらオオカミに近づき、大きな額を優しく撫でた。
「何を呑気な!一晩も行方不明で、サンは生きた心地がしませんでしたよ!」
ハンスと白オオカミのやり取りを恐々と見つめていたひまりに向かって、ハンスが微笑む。
「ヒマリ、大丈夫。この子はうちの魔獣のサンだよ」
「坊ちゃん、こちらの方は?」
サンは身をかがめてひまりの方へ乗り出す。鼻を近づけくんくんと匂いを嗅がれたひまりはたじろぎながら挨拶した。
「は、はじめまして…」
「この子はヒマリだよ!料理魔法使いケンベルトさんのお孫さんなんだって」
「なんと!料理魔法使いが帰ってきたのですね?」
「僕が森で行き倒れていたところを、ヒマリとレカが助けてくれたんだ」
「それはそれは…え?行き倒れていた?」
「ヒマリのサンドイッチで生き返ったよ~」
落し物を拾ってもらったんだ、という程度の話でもしているかのようにハンスは軽い口調で経緯を説明した。
「…なぜもっと早く歌わなかったのです?サンの耳はソール(太陽神)の耳、坊ちゃんが歌さえ歌ってくれましたら100マイル先でも馳せ参じますのに」
「あ!そうか!歌えば迎えにきてもらえたのか!あはは、自分が歌魔法使いだって忘れてたよ♪」
サンは地面にうずくまり、ため息を覆い隠すように両前脚で頭を抱えた。
「サン…お前も苦労するにゃ…」
「レカ…お心づかい痛み入りますわ…」
レカが前脚をあげてサンの身体をぽんぽんと優しく叩いた。二匹の魔獣の様子から察するに、どうやらハンスは天然なようだ。
「ヒマリ、レカ。ふたりはケンベルトさんの家に行くんだろ?じゃあここでお別れだね」
迎えに来たサンの大きな背に跨り、ハンスが言った。
「お茶とサンドイッチをありがとう!また食べさせてね、ヒマリ」
「あ、うん!こちらこそ綺麗な歌をありがとう!」
「じゃあ、まったね~」
ハンスが手を振り、サンが勢いよく駆け出す。森の木々が揺らぐほどの突風が起こったと思ったら、あっという間にふたりの姿は見えなくなってしまった。残されたひまりはレカに向かってぽつんと呟く。
「なんだか、すごい人だったね…」
「魔法使いも魔獣も色々にゃ。歌魔法使いは特に、代々天然で奔放な奴が多いにゃね…」
空っぽになったお弁当箱を片づけながら、肌に触れる森の空気を感じる。ハンスの魔法でオレンジ色の光に満ちた森は、さっきより暖かくなったように思えた。見渡すと草木はツヤツヤと輝き、小鳥たちも嬉しそうに囀り合っている。
「歌魔法使いって、普段は何をしてるの?」
「王族が取り仕切る季節行事や、貴族たちの晩餐会で歌を披露するのが主な仕事にゃ」
「お、王族に貴族?もしかして、ハンスって位の高い人…?」
「七大魔法使いは位としては平民と変わらないにゃ。ただ、王族にも貴族にも七大魔法は使えないから独立した力を持っていると言えるにゃね。民のために新しいものを生み出し、流行を作ることができる特別な存在にゃ」
「魔法界のインフルエンサー的な?」
「いんふるえんさ?なんにゃそれ」
レカに人間界の流行を作る人々の説明をしながら、ひまりはリュックを肩にかけた。歩き始めると、さっきよりずっと身体が軽いことに気付く。
横に立つ木の葉っぱから滑り落ちたオレンジ色の魔法のかけらが一粒、ひまりの手の平にふわりと着地して吸い込まれていった。初めて見た魔法は想像していたよりずっと綺麗で、自分が魔法界に来たことを実感させた。
「さ、ケンベルトの家までもう少し歩くにゃよ」
「ねぇ…もしかしてレカも私を背中に乗せて走れたり…なんて…」
「…ハンスのやつ、余計なことをしてくれたにゃ…」
―第5話 完―
6話は11月1日(日)7:20~投稿します。
歌えば迎えに来てくれる魔獣、なんて素敵…!今後も七代魔法それぞれの魔獣の登場をお楽しみに。




