第1章:4話【いざ魔法界】
ニャポリタンでお腹いっぱいになったひまりとレカは、そのまま2階のじいちゃんのベッドでぐっすりと眠ってしまった。ひまりは大の字になって深い寝息を立て、レカはひまりの脇にすっぽりと収まって丸くなっている。こんなに安心して眠りにつくことは、ふたりとも久しぶりだった。
部屋の南窓に付いたカーテンの隙間から差し込む光が、ひまりを目覚めさせた。
「うう…ん…」
ぼやける視界の中で時間を確認しようと、手探りで時計を探す。右手にふわっ…とした何かが触れた。
「んん…?猫…?あ…レカぁ…おはよう…」
「…んにゃあ…」
昨日、店のパントリーの奥にある【開かずの勝手口】から飛び出してきた喋る猫。いや、本当は猫じゃないんだっけ?まぁどっちでもいっかぁ…。なんて考えながらひまりは時計を見る。
「わ!レカ、もう12時だよ!?いくらなんでも寝過ぎ…」
「ふわぁぁ…」
レカは呑気にあくびをしながら前脚を伸ばし、背中をのび~っとさせた。
「うーん…大丈夫にゃ…こっちが昼の12時ってことはあっちは今夜中の12時にゃから」
「え、そうなの?」
「人間界と魔法界では昼と夜が逆転してるにゃよ。だから今日の夕方に出発すれば、早朝の魔法界に行けるにゃ」
「へー、なるほどね。そっか、だから昨日の夜、扉の向こう側の景色が明るかったんだ」
「ひまり、夕方までに支度するにゃよ。ケンベルトの包丁だけは忘れないようににゃ」
レカはベッドからぴょんっと飛び降りて、もう一度背中をのび~っとさせた。
ベッドから降りたひまりはひとまずお風呂場へ向かい、シャワーを浴びる。
「ふう、さっぱり♪」
洗いたてのセミロングの髪をドライヤーで乾かし、少し高めの位置でひとつに結ぶ。じいちゃん譲りの赤毛は子供の頃はからかわれて嫌だったが、今となっては自分とじいちゃんを繋ぐ証のように思える。着替えを取りに自分の部屋へ向かったが、ずっとじいちゃんの部屋で過ごしていたせいか自分の部屋なのに一瞬懐かしい気持ちになった。
「さてと…何を持っていけばいいんだろ?」
魔法界がどんなところかわからないが、備えあれば憂いなし。旅行用の大きめのリュックを取り出し、必要なものを床に並べていく。
「まずは着替えでしょ。下着に靴下にTシャツに…動きやすいパンツに羽織れるシャツ。えーとあとは…絆創膏と消毒液…湿布?一応救急箱にいれとくか」
「なんにゃそれ」
足音もなくレカが現れ、ひまりは「ひっ!!」と声をあげた。
「レカ、びっくりさせないでよ!」
「なんかゴソゴソしてるから見に来たにゃよ。なんにゃ、その白いの」
「え、これ?ただの湿布だよ」
湿布をレカの前に差し出すと、レカは確かめるようにくんくんくん…と湿布の匂いを嗅いだ。
がぁ―――ん………。
レカは目と口を大きく開けたまま固まってしまった。
「ぶふっ…ちょっ…レカ!?大丈夫!?フレーメン反応ってやつ?」
猫ではないと言いつつも、猫の独特な反応を見せるレカにひまりは思わず吹き出してしまう。
「ご、50年ぶりの匂いにゃ…昔ケンベルトが貼ってたやつと同じにゃ…」
「あははははっ!!レカ、湿布の匂い嫌いなの?料理人は腕や肩を痛めやすいから、私もじいちゃんもよく使ってるよ」
「に、苦手というか…なんか処理できない匂いにゃ…でもまた嗅いでしまうのにゃ…」
くんくんくん……がぁ―――ん………。
「あははははっ!!その顔やめて――」
昨日ふたりでたくさん泣いたおかげなのか、ケンじいちゃんの話題が出ても笑って話せるようになっている。ひまりはじいちゃんとの些細な思い出をレカと共有できることが嬉しかった。
荷造りや部屋の片づけを終えると、時刻は夕方4時になろうとしていた。
「ヒマリ、準備はいいにゃか?」
「うん!あ、でも待って、大事なこと忘れてた」
「にゃ?」
ひまりはおもむろに厨房へ向かい、材料を探した。
「やっぱお出かけにはお弁当がないとね♪サンドイッチ作ろうっと」
「はぁー?ヒマリ、ピクニックじゃないにゃよ!」
「えー、でもお腹空くかもよ?レカは食べたくないの?せっかくツナ入りのサンドイッチも作ろうと思ったのに」
「にゃ…ツナにゃか…」
「そうそう♪サンドイッチにはツナマヨがないとね!」
「たっぷりはさむにゃ」
ひまりは笑いながら小鍋に水を入れて火にかけた。お湯が沸くまでの間にサンドイッチの具材を切ろうとじいちゃんの包丁を握り、また目をつぶって【おまじない】の言葉を唱える。
「生きる糧を。この一皿に祝福を――」
柄に付いた赤い宝石が微かに光る。
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ひまりが目を開けると、またゴツゴツとした細い手が見えた。その手は包丁で手際よく具材を切り、パンに挟んでいく。
「ケンベルト様ー!サンドイッチまだー!?」
「今できるよ!ったく、朝っぱらから人を叩き起こしといて『ピクニックに行くから弁当作れ』だぁ?ガキども、俺を誰だと思ってやがる」
「天才料理魔法使い!」
「おう、その通りだ!」
きゃははははは、と子供たちの元気な笑い声が聞こえ、サンドイッチの詰まったバスケットを渡す手が見える。
「レカに森まで送ってもらえ。あんまり奥に行くんじゃないぞ」
「はーい!」
「気をつけていって来いよー!」
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はっ!と自分の意識を取り戻す。これは、昨日レカにニャポリタンを作った時と同じ…?見慣れたじいちゃんの手元と、楽しそうな笑い声…。ひまりは自分の手に握られた包丁を見つめるが、柄についた赤い宝石はもう光を灯してはいない。
(私、じいちゃんを想うあまりに幻でも見るようになったのかな…)
知らない光景が見えるのは不思議な感覚ではあるが、例え幻であってもじいちゃんの声が聴けるのは嬉しかった。
ひまりは気を取り直して食材に向き合う。みじん切りにした玉ねぎは塩もみしてからしっかりと水を絞り、ボウルに入れる。そこにツナ缶とマヨネーズ、粗挽きのブラックペッパーとほんの少しの醤油を加えてよく混ぜる。
きゅうりは斜めに薄くスライスし、トマトは輪切りに。レタスをちぎってハムも用意する。小鍋のお湯が沸騰したら卵を入れ、9分茹でてから氷水にさらす。ゆで卵は殻をむいてフォークでつぶし、マヨネーズとみじん切りにしたらっきょう、塩胡椒を加えて混ぜる。
6枚切りの食パンを並べ、表面にマーガリンを塗る。レタス→ハム→きゅうり→トマト→きゅうり→ハム→レタスの順で重ねたら食パンでサンド。ツナマヨと卵タルタルもそれぞれ食パンでサンドする。
「これを半分に切って、と。よし、完成♪バスケットに詰めたら…ピクニックサンドイッチ、お待たせ!」
「にゃー♪それじゃ出発にゃー!」
「いざ、魔法界へ!」
ひまりは最後にケンじいちゃんの【なんでも切れる包丁】を大切にリュックにしまい、厨房を出た。
時刻は夕方5時。魔法界は朝の5時だ。ふたりはパントリーの奥にある扉の前に立つ。ひまりは少し緊張しながら取っ手に手をかけた。
「ねぇレカ、本当に私がこの扉の向こうに行って大丈夫?」
「大丈夫にゃ。お前はケンベルトの孫なんにゃろ。堂々とするにゃ。それに、私がついてるにゃ」
「うん…そうだね。よし、じゃあ…」
見慣れたパントリー、厨房、客席――…思い出の詰まった【喫茶のレカ】の店内をしっかりと目に焼き付け、ひまりは取っ手を握る手に力を込める。
「じいちゃん、いってきます――」
ギィィ……
重たい木の扉の向こうには、爽やかな森の朝が広がっていた。
見渡す限り一面に背の高い木々が生えている。枝の隙間から陽がこぼれ、朝露でしめった濃い緑色の葉っぱがきらきらと輝いていた。太い木の幹を這う黄金のつる、足元に咲く草花は虹のように美しい七色で、穏やかに吹く風に揺られている。ひまりが子供の頃に見た絵本の挿絵のようだった。
「すごい…こんなに綺麗な森、初めて見た…」
ひまりは目の前の光景に自分の胸が高鳴るのを感じながら、深呼吸して一歩踏み出す。
「ねぇ、レカ…」
ふと、足元にいるはずのレカを見るが、いない。
「あれ?レカ?」
「なんにゃ」
声は上から聞こえてくる。
「え?」
ひまりが上を向くと、そこには――…
「わあぁぁぁあ!!!化け猫!!??」
「誰が化け猫にゃ!」
「レカなの!!??でっっっか!!」
そこにはなんと、180cmはあろうかという巨大なレカが座っていた。
「ああ、これが私の本当の大きさにゃ」
「え、ちょ、え!?今までのは!?」
「人間界は空気中に【魔素】がないからにゃ。私たち【魔獣】の身体のほとんどは【魔素】でできているから、人間界に行くと小さくなってしまうようにゃ」
「ま、まじゅう?まそ?」
聞き慣れない言葉の応酬にひまりは困惑する。
「こっちでは七大魔法使いのパートナーは【魔獣】と呼ばれているにゃ。そして魔法界の空気中に存在する、魔法を形にするエネルギーみたいなものが【魔素】にゃ」
「レカ、本当にただの猫じゃなかったんだね…」
「だからずっとそう言ってるにゃろ!」
「はぇー…扉から踏み出して一歩目で魔法界の洗礼を浴びた…」
まさかレカがこんなに大きな化け猫…じゃない、魔獣だったなんて。
「あれ?じゃあもしかして、昨日扉を開けた時に見た黒くてふさふさしたのって…」
「私にゃ。扉の鍵が開く気配がしたから、ケンベルトだと思って扉に張り付いて待ってたにゃよ」
「な、なるほど…それで人間界に入った瞬間にちっちゃくなったのね」
「にゃ」
予想外すぎるレカの姿にまだ心臓がバクバクしていたが、一呼吸ついてから改めて森を見渡す。
「ねぇレカ、ここってどこなの?」
「ここは魔法界の西側に位置する【スムークの森】の奥にゃ。この森は広いからはぐれて迷子にならないようににゃ」
「スムークの森かぁ…まさかうちの勝手口がこんなにきれいなところに繋がってたなんて。もっと早く来たかったなぁ。これからどこに向かうの?」
「この森を東に進むと街はずれに出るにゃ。そこにケンベルトが住んでいた家があるにゃよ。まずはそこを目指すとするにゃ」
ふたりは早朝のスムークの森を進んでいった。途中、見たこともない色のキノコや不思議な形の木の実を見つけてひまりは大はしゃぎした。
「ねぇ見てレカ!紫と黄色のキノコがあるよ!あれ絶対食べれないよね」
「あれはピカピカ茸にゃ。夜になると黄色の斑点が光ってきれいにゃ。味もなかなかにゃ」
「食べれるんだ…」
「消化するまでお腹がピカピカ光るにゃ」
「なんかやだぁ…」
道中ではいわゆる【魔物】に遭遇することもあった。うさぎのような可愛らしい生き物に一角獣の角が生えていたり、大きなネズミに羽が生えていたり。
どれもレカの姿を見るなり一目散に逃げ出していた。この辺りの魔物は比較的穏やかで攻撃的なやつは少ない、とレカは言ったが、巨大な化け猫がのしのしと歩いていたら大概の生き物は逃げ出すのでは…とひまりは思った。
1時間ほど歩いたところでレカがピタッと歩みを止める。
「レカ?どうしたの?」
「お腹すいたにゃ」
「ほらやっぱり。お弁当持ってきて正解だったでしょ?」
「にゃ。休憩にゃ。ヒマリはここでお弁当の用意してにゃ。私は食べられる木の実でも取ってきてやるにゃ」
「はーい」
レカは大きい身体でも身軽そうに森の中を走っていった。ひまりは近くに適当な切り株を見つけ、その上にハンカチを広げてお弁当を出した。一緒に持ってきた水筒には温かいルイボスティーが淹れてある。
「ただいまにゃ」
「レカ、おかえ…」
「ギャ――――!!!!何それ!!??死体!!??」
「拾ったにゃ」
レカが咥えて戻ってきたのは木の実…ではなく、ぐったりとした人間の男性だった。
―第4話 完―
5話は10月31日(土)20:40~投稿します。
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