第1章:7話【青空と花火】
魔法を使って目を回し倒れてしまったひまりと、それを心配そうにぐるぐると動き回るレカ。そんなふたりの腹の底に響くような太くて低い声が部屋に響いた。
「この家が急に赤く光ったと思って来てみれば…レカ、一体何があったんだ?」
「ヘンリック」
レカが声の主の元まで近づく。まだ視界がぐるぐるとして視点が定まらないひまりは床に横たわっていることしかできなかった。
「ヒマリがひどい魔力酔いを起こしているにゃ…」
「魔力酔いだぁ?ちっせぇガキでもあるまいし、なんでまた…ちょっと邪魔するぞ」
声の主は手に持っていた巨大な何かをどんっ!と玄関へ置き、のしのしと家へ上がった。ひまりの横に膝をつき、大きくて分厚い手をひまりの額へかざす。
『大地と水の女神グフィオンよ…この者の傷を癒したもう…』
頭がひんやりとした空気で包まれる。子供の頃、熱を出して寝込んだひまりにじいちゃんが作ってくれた水枕を思い出した。数十秒ほどそうしていただろうか、ぐるぐると回っていたひまりの視界は次第に落ち着き、額にかざされた分厚い手の持ち主の顔がはっきりと見えてきた。
真っ黒に日焼けした大男。後ろでひとつに結ばれた髪も、もじゃもじゃと生えた長い髭も金髪だ。大男のまっすぐで強いまなざしにひまりは一瞬たじろいだが、その顔はすぐにニカッ!っと明るい笑顔に変わった。
「どうだ、そろそろ具合良くなったか?」
「は、はい…」
身体を起こそうとすると大男が背中を支えてくれた。ゆっくりと立ち上がり、促されるまま椅子に腰を掛ける。大男もひまりに向かい合って座った。
「そんでレカ、この嬢ちゃんは?」
「ケンベルトの孫のヒマリにゃ。人間界から連れてきたにゃよ」
レカの言葉に大男は目を丸くして驚いた。
「なぁんと!ケンベルトさんのお孫さんだってぇ!?」
「は、はい。ひまりと申します。助けていただきありがとうございました」
「あっはっは!レカ、よくもまぁ見つけてきたもんだ!」
「にゃ」
大男は愉快そうに笑い、改めてひまりに向かい合った。
「俺はヘンリックだ!ヘンリック・ハンセン!【鍛冶魔法】ってのを生業にしとる。ヒマリ、よろしくな!」
「か、鍛冶魔法…!」
ひまりは玄関先に目をやり、先ほどヘンリックが置いた巨大な物体がなんだったのかを理解した。金槌だ。黄金に輝いているうえに、人間界でよく見る金槌の5倍はあろうかという大きさだ。もしかしてあれが鍛冶魔法の魔道具なのかな、と考える。
「じゃああれか、さっきの赤い光はヒマリの魔法か?鉱石を採るために森に向かってたんだが、ケンベルトさんが帰ってきたのかと思ってたまげたぞ」
「そうにゃ。ヒマリは人間界で育ったから、さっき初めて魔法を使ったにゃよ」
「なるほどな、それで魔力酔いか」
「あの、魔力酔いって?」
「魔力の調整が下手なやつが無理に魔法を使うとな、身体が耐え切れなくて拒否反応を起こしちまうんだよ。魔法を習い始めの子供なんかがよくなるやつだな」
「こ、子供…!」
たしか魔法学校に通い始めるのは6歳からだとレカが言っていた。魔法初心者という意味ではその子たちとなんら変わりはないのだが、今年20歳になったひまりはなんとなくショックを受ける。
「家の窓やら扉の隙間からバーっと盛大に赤い光が漏れててな、一目で強大な魔力だと分かったぞ。いくら七大魔法使いの血を引いてるとはいえ、初めて魔法を使うやつにそんなことできるもんか?普通は小石を動かすのが関の山だぞ」
「…ヒマリは人間界で料理をした時も無自覚に『魔法まがい』なことができていたにゃよ。確証はないけど、何か特別な力があるのかもしれないにゃ」
「人間界で!?魔素もないのにどうやって…」
ヘンリックは顎にたくわえた金髪の髭を撫でながら難しい顔で考え込んでいる。自分がよくないことをしてしまった気がして、ひまりは居心地が悪そうに肩を竦めた。その様子に気づいたレカがひまりに鼻を近づけ、頬のあたりを優しくくすぐる。
「大丈夫にゃよヒマリ。わからないことが多いだけで、ヒマリは何にも悪くないにゃ」
「おお、そうだな。こういうのは【書物魔法使い】の姉ちゃんにでも聞くといい。似たような事例が書かれた書物があるかもしれんから、落ち着いたら王立図書館に行くんだな」
自覚のない強大な魔力、魔素のない人間界での『魔法まがい』…。魔力酔いからは醒めているはずなのに、今日一日で自分の身に起きた出来事が頭の中で処理しきれずにぐるぐると巡っている。激しい運動のあとのように、身体が重怠く感じる。
「とりあえず今日はここで休むといい。レカ、2階のケンベルトさんの部屋は使えるんだろ?」
「にゃ。街の人たちがたまに掃除してくれてたからにゃ」
ヘンリックは立ち上がって玄関へ向かう。筋骨隆々の腕で巨大な黄金の金槌を「よっこらせ」と軽々持ち上げ、肩にどんっと乗せた。
「ヘンリック、助かったにゃ。明日ヒマリを街へ連れて行くつもりにゃから、鍛冶屋に寄るにゃよ」
「おお、いつでも来い。じゃあなヒマリ、ゆっくり休めよ」
「ヘンリックさん、ありがとうございました」
頭を下げてヘンリックを見送る。扉が閉まると、レカが申し訳なさそうに小さく呟いた。
「ヒマリ、ごめんにゃ…私がヒマリの魔法を確認するなんて言ったばっかりに…」
「え!?なんで謝るの。レカのせいじゃないでしょ?」
レカはうつむいて耳をしゅんとさせている。ひまりは両手を伸ばし、レカの首元あたりをわしゃわしゃと撫でた。
「そりゃびっくりしたけど、でも大丈夫。私にはレカがついててくれるから」
「…にゃ」
レカはひまりの頭の上に自分の顎をポフっと乗せ、ゴロゴロと喉をならした。
家の2階には寝室と物置部屋があった。寝室にはシングルサイズのベッドと木製のクローゼット、小さな机とランプが置いてあるだけだったが、それがまたじいちゃんらしいとひまりは思った。人間界で過ごしていた部屋も似たようなもので、じいちゃんは一日のほとんどを厨房で過ごすのでそれ以上の家具は必要ないらしい。
レカは身体が大きいせいで狭い階段を登るのは好きではないらしく、一階の床や日当たりのいい庭で寝ていることが多いそうだ。階段下でおやすみを言い、ひまりはひとりで寝室に入った。
ボフッ!と倒れ込んだベッドは少し埃っぽい感じがしたが、カビ臭くはない。誰かが掃除のついでに干してくれていたんだろう、あとでお礼を言わなきゃ…などと考えているうちに眠りに落ちた。
魔法界はまだ夕方というにも早い時間だったが、ひまりは翌朝までぐっすりと眠った。
「んん…まぶし…」
カーテンのついていない寝室の窓から秋晴れの朝の陽射しが差し込んでいる。今は何時だろう…と思いながら布団の中で伸びをして、ゆっくりと起き上がる。階段を下りて一階に行くと、レカも背中をのび~っとさせながら欠伸をしていた。
「おはよー、レカ」
「ふぁぁ…おはようにゃ。よく休めたにゃか?」
「うん、ぐっすりだった。今何時?」
「まだ朝の5時過ぎにゃ。もう少し寝ててもいいにゃよ」
「猫は一日20時間とか寝るんだっけ」
「だから私は猫じゃないにゃ」
お決まりになってきたやり取りをしつつ、ひまりは身支度をする。
「今日は街に行くって言ってたよね?」
「そうにゃ。この家は街の人たちがずっと管理していてくれたからにゃ。きちんとご挨拶するにゃ」
「50年も空き家だったのに?」
「いつかケンベルトが戻ってきた時のためにって、街の老人たちがにゃ。何度かやらなくていいって言ったんにゃけど聞かなくてにゃ」
「…じいちゃん、愛されてたんだね」
リュックを背負い、扉を開ける。少し肌寒い風が頬をかすめたが、雲ひとつない空に太陽が輝いて清々しい。ふたりはケンじいちゃんの家がある農村地帯から街へ向かう街道をのんびりと20分ほど歩いた。畑や牧草地ばかりだった景色にも少しずつ家や人の姿が増えてく。
大きな橋を渡ってふたりが足を踏み入れたのは、カラフルなレンガ造りの壁と三角屋根の背の高い建物が立ち並ぶ運河の町だった。見渡すと河には木造の橋がいくつもかかり、色鮮やかな小舟がゆっくりと揺れている。河沿いの通りには露店が立ち並び、見たこともない野菜や果物、巨大な魚が並んでいた。
「うわぁ…!すっごく素敵な街だね、レカ!」
心を浮き浮きさせながら街の中心と思われる石畳の広場へ向かう。広場を囲むように小さな店がいくつも並んでおり、スープやパンなどすぐに食べられるものが売られているようだ。ジュウゥ…といい音を立てて焼けているソーセージの香りがひまりの鼻孔をくすぐった。
「ここはオープテッド広場にゃ。どこの店も朝早くからやっていて、いつもお腹がすく匂いがするにゃ」
目の前では握りこぶしほどある大きなミートボールのようなものが売られている。大鍋に入った赤いスープで煮込まれていて、買い物客が持参した容器や鍋に直接入れてくれるようだ。
「トマトとローズマリーの香り…!こっちにも似たような食材があるのかなぁ…」
嗅いだことのある食材の香りにひまりは嬉しくなったが、ざっと見渡す限り野菜や果物は人間界のものと色や形が異なっている。
肉の見た目は大差ないが、近くの商人から「今日はロックバードの骨付きモモ肉がおすすめだよ!」とファンタジーな単語が聞こえたのでおそらくひまりの知る肉ではない。
「レカ!こっちまで来るの珍しいねぇ」
「おお、レカ!今日もでかいな!」
広場の店の商人たちから元気のいい声が上がる。商人も買い物客もほとんどが皆、シャツやワンピースの上に黒や紺、茶色などの落ち着いた色合いのローブを身に着けている。子供たちは赤や緑などカラフルなローブの子もいる。やっぱり魔法使いの普段着といえばローブなのかな、とひまりは考える。
「レカー!!遊んで遊んで!!」
レカは人気者なのか、その大きな姿に驚くこともなく子供たちが寄ってきた。中には小さな手で風の魔法を作り、紙飛行機を浮かせている子もいる。
「またあとでにゃ。今日は大事な用事があるにゃ」
「レカー、このひとだぁれ?」
小さな男の子がひまりを指さしている。
「この人はヒマリにゃ。私のパートナーにゃよ」
「レカのぱーとなー?」
子供たちの大きな声に、街全体がざわざわし始めた。
――レカがパートナーを連れてきたって?
――ケンベルト様が帰ってきたの?
――ねぇ、あの赤髪の女の子って…
広場中の視線がひまりに注がれる。ひまりは気後れしてたじたじとレカの後ろに隠れようとしたが、レカがひまりの首根っこを咥えてみんなの前に引きずり出してしまった。
「こいつはヒマリ。ケンベルトの孫にゃ」
レカの言葉に「わあぁぁあ!!!」と街中から歓声が上がる。至るところから住民が駆け寄ってきて、ひまりとレカを囲んだ。
「レカ、ほんとにその方が新しい料理魔法使いなの!?」
「ヒマリ様ですって、ケンベルト様のお孫さん」
「先代がお亡くなりになって、25年ぶり?」
「ケンベルト様と同じ、赤い髪が可愛らしいわぁ…」
レカに咥えられたまま、あちこちから同時に話しかけられてひまりは頭がくらくらする。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん料理魔法使いなの!?」
「え、ええっと…そうなるのかな…」
「すっげー!ほんとにいたんだ!ねぇ料理の魔法見せて!」
子供たちはキラキラした瞳でひまりを見ているが、昨日の有様を思い出すと自分が人前で魔法を扱えるとは到底思えない。ひまりはとりあえずニコニコしつつ、レカに目で訴える。
(ちょっとレカー!どうすんのよ!私魔法のひとつも使えないのに…)
咥えていたひまりの襟首を放し、レカが子供たちに向かって言った。
「今日はみんなに挨拶に来ただけにゃから、魔法はまた今度にゃ」
「ねぇ、レカってホントに魔獣だったのー!?でっかい猫だと思ってた!」
「誰がでかい猫にゃ!」
「あはははははっ!!」
騒がしい人混みをかき分けて、灰色のローブを身にまとった年配の男性がふたりに歩み寄った。
「はいはい、ちょっとそこを通してくださいよっと…。レカ、よく来たね」
「ラース長老」
レカに長老と呼ばれた男性はケンじいちゃんと同じくらいの歳だろうか、腰が曲がって小柄に見えるが年齢のわりに首や腕はがっしりとしていて聡明な顔つきだ。柔らかい笑みを浮かべてひまりを見ている。
「こちらのお嬢さんが…」
「ケンベルトの孫のヒマリにゃ。ケンベルトは向こうで事故にあって亡くなったそうにゃ。ヒマリがひとりぼっちでいたから、私がこっちに連れてきたにゃよ」
「事故…そうか…。こちらに帰ることなく逝ってしまわれたか…」
ラース長老は目を閉じてうつむいた。先ほどまでひまりの来訪を喜んでいた街の人たちも、ケンじいちゃんの悲報を聞いて皆悲しそうな顔で黙っている。
「…ヒマリ様、よく来てくださった。わしはこの街の長を務めております、ラースと申します。ケンベルト様とは同級でしてな、昔はこの街でよく一緒に悪さをしたもんです。なぁ、みんな」
「何十年前の話ですか、長老!」
「誰も知りませんって!」
街の若い人たちがわぁわぁと笑いながら突っ込みを入れている。どうやらラース長老はみんなから慕われている存在のようだ。笑い声を収めるように、レカが一歩前に出て真剣な声で話し始める。
「長老、みんな。ヒマリが街はずれのケンベルトの家で暮らすことを許してほしいにゃ。ヒマリは人間界で育ったから、魔法についてまだ知らないことも多いにゃ。でもいつかきっと…ケンベルトに負けない、立派な料理魔法使いになるにゃ」
「レカ…」
レカの真剣な眼差しと言葉に胸が熱くなる。ひまりも一歩前に出てレカと並び、深く頭を下げた。
「た、橘ひまりと申します…!人間界でずっとケンじいちゃんとふたりで暮らしていました。レカが来るまでじいちゃんが魔法使いだったことすら知らなかったふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします!」
広場が一瞬しーん…と静まった。何か変なことを言ってしまったのかと、ひまりは背筋が冷たくなる。途端にどっ!笑い声が広まった。
「ええー!?ケンベルト様、自分が魔法使いだって孫に隠してたの!?」
「『ケンじいちゃん』だって、可愛らしい呼び方されちゃって」
「それでよくこっちに来たなぁ、ケンベルト様に似て大胆なんだな!」
予想外の反応にぽかーんとしていると、ラース長老が咳払いをしてみんなを静めた。
「…レカ、そしてヒマリ様。許すだなんてとんでもない。あなたの赤髪、そして強くまっすぐな眼差し…ケンベルト様にそっくりだ。レカが認めて連れてきたあなたのことを、誰が否定できましょう。どうかこの国のため、民のため…そしてケンベルト様のため、立派な料理魔法使いにお成りください」
「…ありがとうございます!」
「…ありがとうにゃ」
広場の全体からわぁぁ!と歓声が上がる。商人も買い物客も、大人から子供までみんなが手を叩き、嬉しそうに笑い合っている。
「そうと決まれば、さぁみんな!お祝いだ!」
ラース長老の大きな掛け声で広場にいる魔法使いたちが全員腕を上げ、空に向かって人差し指を掲げた。一体何が起こるのかとひまりは口をぽかんとさせて空を見上げる。
『『愛と火の女神フレイヤよ!』』
魔法使いたちが一斉に唱える。それぞれが掲げた指先の上に、空気を巻き取るようにしてできた小さな渦が集まって光の玉を作る。
「新たなる魔法使いの誕生を祝いたもーう!」
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンドンッ!
ラース長老の声を合図に、無数の光の玉が上空へ打ち上げられて弾けた。晴天の空でも七色に輝く花火だ。人間界で夜に見る花火よりもっと色濃く、まるで大輪の花で青空を装飾しているかのようだった。
まだ魔法のおぼつかない子供たちも真似して人差し指を掲げ、指先からこぼれる小さな火花をひまりとレカに見せてくれる。
「すごい!すごいね、レカ!」
「この国の連中はお祭り好きにゃ。祝い事にはこうしてみんなで参加するのが当たり前にゃよ」
「私も使ってみたい!花火の魔法!」
「ヒ、ヒマリはまず…小石を動かすところからにゃね…」
「…そ、そんなぁ…」
次々と空に咲いてはゆっくりと消えていく大輪の花の下で、ひまりとレカは笑いあった。
―第7話 完―
7話までお読みいただきありがとうございました!第1章の前半はここまでになります。後半は11月5日(木)以降の投稿を予定しておりますのでしばしお待ちください。ラース長老のようなおじいちゃんキャラを書くのが楽しいです。「新たなる魔法使いの誕生を祝いたもーう!」




