34.プライド
大会議室を出ても、しばらく三人は何も話さなかった。
扉の向こうからは、まだプレイヤーたちの声が聞こえている。
外部拠点の場所。
必要な人数。
報酬。
負傷した場合の扱い。
会議は終わったはずなのに、話し合いは続いていた。
マキトは廊下を歩きながら、ようやく息を吐いた。
平静を保っていたつもりだった。
だが、背後で扉が閉まり、もう他人の視線がないと気づいた途端、張り詰めていた肩から力が抜ける。
「……失敗したな」
誰に向けたわけでもなく呟く。
全員を納得させられたわけではない。
反発も残っている。
これから実際に外へ出るとなれば、さらに揉めるだろう。
話は聞いてもらえたがマキトの頭に残っているのは、自分が言葉に詰まり、途中で怒鳴り、ミケコやポコミに助けられたことばかりだった。
シエルが、落ち込んだ様子のマキトに何かを言おうとして、僅かに唇を開く。
しかし、その言葉を一度飲み込んだ。
シエルにも、思うところはあった。
マキトが何をしようとしているのか、最後まで教えてもらえなかった。
ポコミとミケコは資料の準備を手伝わせていたのに、自分とメルシーには何も話さなかった。
信頼されていないのではないか。
一瞬だけ、そう思った。
けれど、壇上に立つマキトを見ていた。
怒鳴られても、責められても、自分の醜い本音を晒しても、最後まで逃げなかった。
一人で立ち続けた彼を、少しでも支えたいと思った。
シエルはマキトの前へ回り込んだ。
「旦那さま」
マキトは顔を上げない。
「……なんだ」
返事には、壇上で声を張り上げていた力など残っていなかった。
「先ほどの会議は、失敗などではありません」
指先が僅かに動く。
それでも、マキトは答えなかった。
「全員を納得させることはできなかったかもしれません。ですが、旦那さまの言葉を聞き、残って話し合っている方々がいます」
「……そうだな」
硬い声だった。
シエルへ怒っているわけではない。ただ、これ以上踏み込まれたくなかった。
「それは、旦那さまがご自分の言葉で伝えたからです。誰かに言わされた言葉では、あの方々も足を止めなかったと思います」
「……何が言いたい」
マキトは睨みつけたがシエルは目を逸らさなかった。
「旦那さまは、私に頼まれたからではなく、ご自分であの道を選ばれました」
マキトの表情が強張る。
「誰にも相談をしなかったのは、誰かに責任の一端を押し付けたくなかったからですよね」
否定の言葉は出なかった。
自分で決めたかった。
失敗しても、シエルやメルシーのせいにはしたくなかった。
誰にも見せるつもりのなかったプライドを、正確に言い当てられている。
気分が悪かった。
「違っていたでしょうか」
「……違わない」
絞り出せたのは、それだけだった。
「でしたら、何も恥じることはありません」
シエルは穏やかに続ける。
「旦那さま」
苛立ちを含んだ視線を、シエルは真正面から受け止めた。
「今日の旦那さまは、決して綺麗なことだけをおっしゃったわけではありませんでした」
マキトの目が細くなる。
「領主になりたくなかったことも、頼られるのが嫌だったことも、領民の方々を切り捨てようと考えたことも、すべて明かされました」
自分で口にしたこととはいえ、改めて並べられると胸の奥が重くなる。
「ですが、それはご自分を飾るための言葉ではありません」
シエルの声に慰めはなかった。
ただ、揺るがない確信があった。
「ご自分の弱さも、醜さも隠さず、それでも逃げないと決められた。私は、それが何よりも立派なことだと思います」
「……やめろ、慰めなんていらない」
「慰めているのではありません」
シエルは静かに首を横へ振った。
「私が見たものを、そのままお伝えしているだけです」
逃げ道を塞ぐような言葉ではなかった。
それでもマキトには、自分が必死に隠している弱さを一つずつ拾い上げられているように感じられた。
シエルの優しさを受け入れてしまえば、今まで保っていたものまで崩れてしまいそうだった。
「私は今日、旦那さまを選んだことを、初めて誇らしく思いました」
マキトは僅かに目を見開いた。
張り詰めていた表情が、そこで初めて僅かに緩んだ。
「……初めてかよ」
「はい」
マキトの口元に、疲れた苦笑が浮かんだ。
「正直だな」
「ですが、旦那さまを選んだあの日の選択は正しかったのだと、今なら胸を張って言えます」
褒められることに耐えきれず、マキトは視線を逸らした。
「顔で決めたって言ってただろ。今さらいい話にまとめんな。それに俺は、そんな立派な男じゃ――」
最後まで言わせず、シエルが唇を重ねた。
あまりにも突然で、マキトは動けなかった。
触れた時間は長くない。
色気を誘うようなものでもなかった。
それでも、シエルが冗談や勢いでそうしたのではないことだけは伝わった。
唇を離した後も、シエルは顔を赤らめながら目を逸らさなかった。
「たとえ誰が何と言っても」
シエルは、真っ直ぐにマキトを見る。
「旦那さまのことを馬鹿にする方がいたとしても、私だけはずっと味方です」
「……おい」
「ですから、もっと私を頼ってください」
マキトは、すぐに返事ができなかった。
そんな二人を、影の中から見つめている者がいた。
メルシーだった。
会議室を出たマキトが落ち込んでいたため、しばらく姿を現さずに様子を見ていた。
シエルが話しかけた時も、黙っていた。
二人の会話を邪魔するほど無粋ではない。
少なくとも、そのつもりだった。
だが、目の前でシエルがマキトへ口づけた瞬間、メルシーの思考は一瞬だけ止まった。
「……は?」
影の中で、間の抜けた声が漏れる。
うそでしょ。
人がいないからといって、あたしの目の前でそんなことをするのか。
しかもシエルは、まだ終わりではないとでもいうように、マキトの胸へ抱きつこうとしている。
「ちょっと待ちなさいよ!」
足元の影が大きく揺れた。
飛び出したメルシーは、そのままシエルの横へ割り込み、肩で押し退ける。
「メルシー?」
「邪魔よ」
「何を――」
シエルが抗議するよりも早く、メルシーはマキトの胸ぐらを掴んだ。
乱暴に引き寄せたまま、じっとマキトの顔を見上げる。
いつものように、からかう笑みは浮かんでいない。
勝ち誇った顔でもない。
ただ、真剣だった。
「ねえ、クズ亭主」
「……なんだよ」
「逃げ続けてた方が、ずっと楽だったのにね」
マキトは少しだけ目を細めた。
「ああ」
「領主だってことを隠したまま、外の連中なんか知らないふりして、面倒な奴らを追い出せばよかったのに」
「そうだな」
「自分とあたしたちのことだけ考えてればよかったのよ」
メルシーの手から、少しずつ力が抜けていく。
それでも、胸ぐらを掴んだ指は離れなかった。
「それなのに、わざわざ一番面倒な道を選ぶなんて、本当に馬鹿だわ」
「……悪かったな」
「褒めてんのよ」
「はあ?」
マキトが僅かに目を見開く。
メルシーに何かを褒められた記憶はほとんどなかった。
顔を合わせるたびに、クズだの最低だのと罵られている。
だからこそ、すぐには意味が分からなかった。
「少しだけ、顔以外も格好いいと思ったわ」
「少しだけ……ねえ?」
「調子に乗らないで」
メルシーは、いつもの調子で言い返す。
それでも、目だけは逸らさなかった。
「あたしは、あんたが善人になったなんて思ってないから」
「ああ、勿論なってない」
「即答すんな」
「事実だろ」
「少しくらい迷いなさいよ」
メルシーが呆れたように息を吐く。
けれど、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
人を見下す時の笑いではない。
悪戯を思いついた時のものでもない。
余計なものが何も混じっていない、綺麗な笑みだった。
「でも、今日の馬鹿なあんたは格好よかった」
メルシーは、マキトの服を掴む手にもう一度だけ力を込める。
「そういう馬鹿は、嫌いじゃないわ」
マキトは何も答えなかった。
答えられなかった。
その沈黙をどう受け取ったのか、メルシーはふっと視線を逸らす。
「だから」
小さく呟いて、背伸びをし短い口づけをした。
先ほどシエルがしたものとは違う。
不器用で、照れ隠しだらけで、それでもメルシーなりに精一杯の肯定だった。
唇を離したメルシーは、すぐにマキトから手を放す。
「勘違いしないでよ。今のは、特別に褒めてあげただけだから」
「……褒め方が下手すぎるだろ」
「うっさいわね。受け取りなさいよ」
マキトは何も答えなかった。
右には、まだ少し頬を赤くしたシエルがいる。
左には、照れを隠すようにそっぽを向いたメルシーがいる。
二人とも、励まし方が上手いとは言えない。
片方は、考えていることを勝手に言い当てる。
もう片方は、人を馬鹿と罵りながら褒めてくる。
それでも、先ほどまで胸にのしかかっていた重さは、少しだけ軽くなっていた。
会議は上手くいかなかった。
決めなければならないことは山ほど残っている。
マキトは壁から背中を離した。
「戻るぞ」
「はい」
シエルが頷く。
「今度は何を企んでるのよ」
メルシーが尋ねた。
「まだ何も決めてない」
「嘘ね。もう顔が面倒なことを考えてるわ」
「なら聞くな」
マキトは二人より先に歩き始めた。
失敗したのなら、次は少しでもましにすればいい。
すべてを一人で決める必要はない。
頼ってもいいこと、頼ってほしいことを、たった今、教えられたばかりだった。
後ろから二人分の足音がついてくる。
振り返らなくても分かる。
シエルもメルシーも、当然のようにマキトの後を歩いていた。




