33.追放の条件
翌日。
マキトは、ポコミがまとめた資料を一人で眺めていた。
領民クエストへの参加状況。
全体のポイントの残高。
労働実績。
治安トラブル。
注意を受けた回数。
周囲への迷惑行為。
数字と短い報告が、画面の上に整然と並んでいる。
領域に入った人間の大半は、与えられた環境の中で何とか生活を立て直そうとしていた。
慣れない仕事に参加し、少ない日当を稼ぎ、そこから宿泊費や食費を支払っている。
子供を学校へ通わせる者もいれば、夫婦で別々の仕事を探し、少しでも収入を増やそうとしている者もいる。
だが、全員がそうではなかった。
初めに渡されたポイントを消費するだけで、働こうとしない者たちがいる。
ただ怯えて動けない者や、怪我をしている者のことではない。
働ける状態にありながら何もしようとせず、注意されれば逆上し、真面目に働いている領民へ絡む。
そうした者が、全体の二割近くを占めていた。
マキトは、画面に表示された数字を指でなぞる。
その脳裏には、昨日見た光景が残っていた。
領域の外。
崩れた街。
モンスターの気配に怯えながら、それでも避難所で暮らしていた人間たち。
領域の入口まで誘導した。
だが、入れることはできなかった。
目の前まで来ていたにもかかわらず、見えない壁に弾かれた。
領域の中には、与えられた安全を浪費している者がいる。
その外には、安全を求めながら入ることすらできない者がいる。
マキトは資料を睨みつけ、動けなかった。
やがて資料を閉じ、スマートフォンを手に取る。
画面には、一度も使用してこなかった領主権限が表示されていた。
マキトはその中から、領域内のプレイヤーと伴侶に対する招集を選ぶ。
招集場所はホテルではない。
領域へ移された直後、プレイヤーたちが最初に集められた行政施設の大会議室。
ホテルはマキトたちが寝泊まりする場所だ。
そこで領域全体の話をしても、個人的な集まりにしか見えない。
今からするのは、領主としての話だった。
操作を終えたマキトの手元を、すぐ隣にいたシエルがそっと覗き込む。
画面に表示された通知を見て、不安そうにマキトを見上げた。
「旦那さま。始まる前に、何をお話しになるのか教えていただけませんか?」
「今は言えない」
「ですが……」
シエルは言葉を止めた。
マキトの表情から、すでに何を言っても答えないと察したのだろう。
隣の椅子で退屈そうにしていたメルシーも、二人の様子に気づき、マキトの手元へ視線を向けた。
「なに企んでるのよ、クズ亭主」
「すぐ分かる」
「ペ天使にも内緒なわけ?」
「今回は俺が決める」
メルシーは一瞬だけ目を丸くした。
その後、口元を歪める。
「ふうん。そこまで言うなら、楽しみにしてあげる」
マキトは返事をせず、立ち上がった。
二人に背中を押されてから決めるつもりはなかった。
今回だけは、自分の意志で決めなければならない。
行政施設の大会議室には、すでに多くのプレイヤーと伴侶が集まっていた。
長机が並ぶ広い部屋のあちこちから、苛立った声が聞こえる。
これからクエストへ向かう予定だった者。
伴侶と休暇を過ごすつもりだった者。
突然の招集に、何か重大な問題が起きたのではないかと警戒する者。
呼び出された理由を知らされていないため、不機嫌になるのも当然だった。
マキトが前方へ向かうと、いくつもの視線が集まる。
好意的な目は少ない。
領主権限を使えば、集めること自体は簡単だった。
だが、集まった者たちの顔を見て、マキトは自分の考えが甘かったことを知る。
権限を使えば、黙って話を聞くだろう。
逆らえないのだから、呼び出してしまえば何とかなる。
どこかで、そう思っていた。
だが、ここにいるのは駒ではない。
座らせることができても、納得させることはできない。
命令で何かをさせることはできても、嫌々従う者たちがまともに動くとは思えない。
マキトは壇上へ上がる。
その背後には、大型のスクリーンが設置されていた。
ポコミは端に用意された机へ座り、緊張した様子で端末を抱えている。
ミケコも落ち着きなく尻尾を動かしていた。
マキトはスマートフォンを操作する。
同時に、領域内のすべての端末へ通知が送られた。
《領主通達》
《これより、領域運営に関する重要会議を中継します》
仕事へ向かおうとしていた者が足を止める。
食堂で食事を取っていた者が、箸を置く。
借りた部屋で家族と休んでいた者が、同じ画面を囲む。
路地裏に座り込んでいた者や、公園で酒を飲んでいた者もスマートフォンを見る。
画面に映ったのは、やり手の政治家でも、威厳のある年長者でもなかった。
黒に近い深緑の髪と、眠たげな緑の瞳をした若い男だった。
これまで領域内では、領主は人間ではなく、行政施設にいるモーブらしいという噂が広まっていた。
プレイヤーたちは、そのモーブの指示に従って動いている。
そう信じていた者も少なくない。
「こいつが領主なのか?」
「モーブじゃなかったのか?」
「プレイヤーたちは、こいつの指示で動いてたってことか?」
「こんな若い奴だったのかよ」
領域内のあちこちで困惑の声が上がる。
一般領民の多くは、マキトの顔を初めて見た。
若い。
頼りなく見える。
そのうえ、自分たちが領域へ移ってから一度も姿を見せなかった。
そんな男が、突然領主として画面に現れた。
好意的に受け取られる理由はなかった。
マキトは、会議室を見渡した。
正面には不満げな態度のプレイヤーたち。
スマートフォンの向こうには、自分がどんな人間なのかも知らない領民たちがいる。
逃げたくなる。
だが、そのために今日ここへ来たわけではなかった。
「今日の議題は、領域外のことだ」
言った瞬間、会議室がざわついた。
マキトは続ける。
「俺は昨日、外へ――」
「外のことまで面倒を見る余裕があるのか?」
途中で声が飛んだ。
別の男も立て続けに口を開く。
「そんな余裕があるなら、もっとこっちにポイントを回してくれ」
「こっちだって暇じゃないんだぞ」
「助けに行くつもりか? 助けて何になる」
「もう領域に入れたんだから、外の連中は関係ないだろ」
声はすぐに広がった。
中継を見ている領民たちも、似たことを思っているのだろう。
自分たちは、ようやく外から逃げてきた。
安全な場所へ入ったばかりなのに、なぜ再び危険へ関わらなければならないのか。
マキトは眉間に皺を寄せる。
話す順番を間違えた。
自分の中では、昨日見たことも、資料の内容も、これから出す結論もすべてつながっている。
だが、聞く側は何も知らない。
突然呼び出され、いきなり領域外の話をされた。
余計な危険を押しつけられると思われて当然だった。
次にどう切り出せばいい。
焦りが、マキトの思考を埋め尽くしていく。
その時、壇上の横でミケコが立ち上がった。
「お願いしますにゃ!」
大声に、近くのプレイヤーたちが振り向く。
「最後まで聞いてほしいにゃ! その後なら、文句でも反対でも何でも言っていいから、今だけは聞いてほしいにゃ!」
ミケコは必死に頭を下げた。
忍者であるはずなのに、こういう時ほど黙っていられない。
少し離れた席では、ポコミも隣にいる陰鬱な雰囲気の男へ何かを頼み込んでいた。
声は小さく聞き取れない。
それでも、話を聞いてほしいと訴えているのは分かった。
二人は、雇われているのもあるがマキトのために動いた。
ここで引けば、二人まで巻き込んだまま終わる。
それ以上に、このまま話すことすらできない領主だと思われれば、今後何を言っても届かない。
マキトは机へ手をついた。
「いいから黙って聞け!」
怒声が会議室に響いた。
ざわめきが止まる。
「文句はあとで全部聞く。反対も好きにしろ」
マキトは、一人ずつ顔を見るように視線を動かした。
「だから、まず最後まで話させろ」
しばらく誰も口を開かなかった。
マキトは息を整える。
「ここに来てから、領域の外に出たことがある奴はいるか?」
誰も手を挙げない。
互いに周囲を見回す者はいたが、名乗り出る者はいなかった。
「そうか」
マキトは短く答える。
「なら、今日集まってもらった理由を話す」
少し間を置く。
「前に、追放の条件をどうするのか聞かれた」
その言葉が出た途端、空気が変わった。
領域の外へ出される。
それが何を意味するか、誰もが分かっている。
先ほどまで不満を口にしていた者たちも黙る。
「今日は、その答えを持ってきた」
マキトがポコミを見る。
ポコミは小さく頷き、端末を操作した。
背後のスクリーンに資料が映し出される。
領民クエストへの参加状況。
初期ポイントの消費。
労働実績。
治安トラブル。
注意を受けた回数。
迷惑行為の記録。
そこには、領域内で生活する者たちの現状が数字として示されていた。
働いていない人間を、まとめて責める内容ではない。
恐怖で外へ出られない者。
怪我や体調の問題を抱える者。
家族を失い、まだ立ち直れずにいる者。
そうした人間は別に分けられている。
問題として表示されたのは、働ける状態でありながら何もせず、そのうえ他人へ迷惑をかけている者たちだった。
続いて、画面が切り替わる。
ミケコが撮影した写真が表示された。
路地裏にたむろする者。
昼間から酒を飲み、仕事へ向かう領民へ絡む者。
注意した相手を威嚇する者。
初期ポイントを使い切りかけているにもかかわらず、公園で寝転がっている者。
中継を見ていた領民たちが息を潜める。
これから何が言われるのか、誰もが理解した。
この領域は、役に立たない者を切る。
問題を起こしている二割を追放する。
少なくとも、そうとしか見えなかった。
公園では、写真に映された男たちが酒の缶を片手に画面を見ていた。
一人が、自分の姿を確認して乾いた声で笑う。
「とうとう追い出されるらしいぞ」
隣の男は答えなかった。
酒を飲み、空になりかけた缶を眺める。
驚いている様子はなかった。
いずれそうなると思っていたような顔だった。
資料の表示が終わる。
マキトは再び会議室へ向き直った。
「もう一度言う」
今度は誰も遮らなかった。
「俺は昨日、領域の外へ出た」
外には、まだ人間が生きていた。
崩れた街の中に避難所が残り、安全とは呼べない環境で、人々がどうにか暮らしていた。
マキトは彼らを、この領域へ連れてこようとした。
だが、入口で弾かれた。
「俺は、領域を報酬として受け取る時、領民を可能な限り受け入れる設定を選んだ」
その言葉に、一部の人たちが反応する。
「結果、この領域はもう新しい人間を受け入れられない」
「入口まで連れてきても、入れなかった」
会議室にいる者たちは、マキトの結論を確信した。
中の二割を外へ出す。
空いた分だけ、外の人間を受け入れる。
それなら話はつながる。
顔を青ざめさせる者がいる。
自分は働いている。
だが、怪我をすればどうなる。
稼ぎが減れば、次は自分が切られるのではないか。
一方で、仕方がないと考える者もいた。
全員を助けられないなら、より役に立つ者を残す。
それが生き残るための現実だと。
マキトは、そんな空気を見渡した。
そして告げる。
「俺は、その二割を見捨てない」
会議室が止まった。
誰も意味を理解できず、声すら出ない。
話の流れから考えれば、追放を発表するはずだった。
だが、マキトは終わらない。
「外にいる人間も見捨てない」
今度こそ、ざわめきが広がった。
中の問題を起こす者を切らない。
領域へ入れない外の人間も諦めない。
そんな都合のいいことができるのか。
公園では、酒を口元へ運びかけていた男の手が止まった。
「……なんでだよ」
隣の男も、画面から目を離せない。
「俺たちなんか、切った方が楽だろ」
見捨てられることを予想していた。
だからこそ、見捨てないと言われても、どう反応すればいいのか分からない。
マキトは、会議室のざわめきを切るように言った。
「勘違いするな」
声が再び収まっていく。
「見捨てないことと、今までどおり好きにさせることは別だ」
働けない事情がある者には、事情に合わせた支援を考える。
恐怖で動けない者を、すぐに怠け者として扱うつもりはない。
だが、働けるのに何もせず、周囲へ迷惑をかける者には、これまでと同じ生活を続けさせない。
迷惑行為や暴力には処分を設ける。
初期ポイントを使い切ったからといって、無条件で追加のポイントを配り続けることもしない。
「追放はしない」
マキトは言い切る。
「だが、放置もしない。真面目に働いてる奴だけが損をする領域にはしない」
その言葉に、働いている領民たちの緊張がわずかに緩む。
問題を起こす者を無条件で養い続けるという話ではない。
だが、それでも疑問は残る。
外の人間をどうするつもりなのか。
マキトは、そこで本当の計画を明かした。
「領域周辺に残っている避難所を、一箇所に集める」
会議室が静かになる。
「そこを、この領域の外部拠点にする」
「プレイヤーと伴侶たちで、交代しながら守る」
領域の中へ入れられないなら、外に守れる場所を作る。
点在する避難所をそのままにせず、防衛しやすい場所へ人員と物資を集める。
モンスターが現れた場合には、領域側の戦力が組織的に迎撃する。
避難所の人間を、守り切れる保証はない。
それでも、ばらばらに残しておくより生存率は上がる。
「救助だけが目的じゃない」
マキトは続ける。
「外部拠点があれば、周辺で何が起きているのか早く分かる」
運営は、領域内へモンスターが侵入することはないと説明している。
だが、その言葉がいつまで有効なのかは分からない。
昨日まで安全だった場所が、今日も同じとは限らない。
「運営の説明を、いつまでも信用するつもりはない」
危険が近づいた時に初めて知るのでは遅い。
外部拠点があれば、領域の周囲を監視できる。
探索や物資回収に向かう際の足場にもなる。
外の人間を守ることが、結果として領域の防衛にもつながる。
「報酬は?」
会議室の中から声が上がった。
今度は反発だけではない。
計画を現実のものとして考え始めた者の質問だった。
「危険だけ押しつけるつもりじゃないだろうな」
「外で死んだらどうする」
マキトは逃げずに答える。
「報酬はある」
「領域内で日当を稼ぐより、外でモンスターを倒した方がポイントを稼げるのは、全員知ってるはずだ」
プレイヤーの何人かが黙って頷く。
「個人で出れば危険だ。だから組織として動く」
防衛。
探索。
物資輸送。
参加者は役割ごとに分ける。
同じ者だけに負担を集中させず、交代制にする。
危険が大きすぎる場合は撤退する。
絶対に安全だとは言わない。
全員が生きて帰れるとも約束しない。
それでも、個人が勝手に外へ出るよりは生存率を上げられる。
外の人間を助ける。
参加者はポイントを稼ぐ。
領域は周辺の情報と防衛線を得る。
善意だけに頼った計画ではなかった。
計画の説明を終えた後も、マキトは壇上を降りなかった。
これで終わりではない。
むしろ、ここからが一番言いたくなかったことだった。
マキトは会議室ではなく、正面の撮影端末を見る。
その向こうにいる、領域内のすべての人間へ向けて口を開く。
「俺は、今まで領民の前に出てこなかった」
画面を見ていた領民たちの表情が変わる。
「領主だと知られたくなかったからだ」
マキトは、言葉を飾らなかった。
「頼られるのも、恨まれるのも、責任を求められるのも面倒だった」
「何か起きるたびに俺のところへ来られるのも嫌だった」
会議室にも険しい顔をする者が現れる。
スマートフォンの向こうでは、今さら何を言っているのかと怒る者もいた。
マキトは、その反応を予想していた。
だからといって、言わずに済ませるつもりはなかった。
「領主なんて、正直やりたくなかった」
「モーブが領主だって噂も、俺には都合がよかったから放っておいた」
自分たちの命を預かっていた人間が、責任を避けるために正体を隠していた。
怒られて当然の告白だった。
マキトは言い訳しない。
立派な理由があったふりもしない。
ただ、自分が逃げていたことを認める。
「それに、俺は命が全部平等だとも思ってない」
さらに空気が重くなる。
「助けられる命と、助けられない命はある」
「優先順位を間違えれば、助ける側まで死ぬ。それも分かってる」
マキトは、一度視線を落とした。
「外の人間を見捨てる理由なら、いくらでも考えた」
「領域の中で問題を起こしてる二割を外へ出して、その分だけ外の人間を入れることも考えた」
公園の男たちが息を止める。
先ほど否定されたはずの追放を、マキト自身も検討していた。
「理屈だけなら、それが一番分かりやすかった」
一プレイヤーとして生き残るだけなら、それでよかった。
シエルとメルシーを守り、ランキング百位圏内を目指す。
それ以外の人間を抱える理由などなかった。
「前にパートナーにも言った」
マキトは、会議室の端に立つシエルを見る。
「助けられないものまで抱えたら、自分たちまで死ぬ」
「優先順位を間違えるなって」
シエルは何も言わなかった。
ただ、まっすぐにマキトを見つめている。
「一プレイヤーなら、それで済んだ」
マキトは再び正面を向く。
「でも、俺は領主になった」
「領域を持った」
「領民を抱えた」
「そのうえで、外から弾かれる人間を見た」
もう知らなかった頃には戻れない。
領域の外に人がいることを見た。
中には、与えられた安全を持て余している人間もいる。
全員を救えるとは思っていない。
全員に感謝されるとも思っていない。
助けた結果、余計な恨みを買うこともあるだろう。
それでも、ここで何もしなければ、マキトは自分が一番嫌っていたものと同じになる。
弱い者に責任を押しつけ、安全な場所から正論だけを吐く人間。
そうなるくらいなら、まだ地獄を選んだ方がましだった。
「俺は、領主権限でお前たちを動かすこともできるのかもしれない」
マキトは、会議室にいるプレイヤーたちを見渡した。
「でも、それで外へ出た奴が、誰かを守れるとは思わない」
命令されて嫌々動く者に、避難所の人間を預けることはできない。
逃げ道ばかり探す者に、背中を任せることもできない。
だから、マキトは一度息を吸った。
「これは命令じゃない」
言葉にするのが、ひどく重かった。
「お願いだ」
「力を貸してほしい」
誰も声を出さなかった。
マキトはそのまま続ける。
「怖いのは分かる」
「外に出たくない奴がいるのも分かる」
「俺だって、できるなら関わりたくなかった」
それでも、戦える者が全員逃げれば、最初に死ぬのは戦えない人間だ。
外の状況を放置すれば、いずれ危険が領域まで届くかもしれない。
だから、戦えるプレイヤーと伴侶には、防衛や探索に参加してほしい。
だが、戦えない者に何もできないと言うつもりもなかった。
「外に出て戦うことだけが協力じゃない」
食事を用意する者。
物資を運ぶ者。
怪我人の手当てをする者。
避難所の人員を管理する者。
必要な物資や人数を記録する者。
外部拠点を清掃し、修繕する者。
戦う力がなくても、できる仕事はある。
守られる側だから、何もしなくていいわけではない。
「全員、力を貸してくれ」
マキトは最後に言った。
「俺は、誰かを最初から切り捨てるために、報酬を受け取ったわけじゃない」
言葉が終わる。
大会議室に拍手は起きなかった。
当然だった。
提案されたのは、領域の外へ出て命を懸ける計画だ。
たった一度の演説で、全員が納得できるはずがない。
「無茶だろ」
誰かが小さく呟く。
「余計な問題を持ち込みやがって」
吐き捨てる者もいる。
しかし伴侶と顔を寄せ、報酬を計算し始める者が出始める。
外部拠点をどこに作るのかと尋ねる者も現れる。
何人ずつ外へ出すのか。
交代は何日ごとか。
負傷した場合の補償はあるのか。
質問が少しずつ上がり始める。
全員が賛成したわけではない。
だが、最初のように、外のことなど関係ないと拒絶するだけの空気でもなかった。
中継を見ていた領民たちの反応もばらばらだった。
若すぎる。
これまで隠れていたことは許せない。
無謀なことを始めようとしている。
そう思う者も多い。
一方で、自分の逃げを隠さなかったことだけは評価する者もいる。
自分にも運べる物資があるかもしれないと考える者もいる。
頼りになる領主かどうかは、まだ分からない。
ただ、安全な場所から偉そうに命令しているだけの男ではなかった。
公園では、寝転がっていた男の一人が上半身を起こした。
酒の缶は、まだ手に持っている。
すぐに改心したわけではない。
仕事を探しに立ち上がったわけでもない。
それでも、先ほどまでのように笑いながら中継を見ることはできなくなっていた。
やがて、大会議室の一人が口を開いた。
「……それで」
重い空気の中で、その声だけが響く。
「いつから始めるつもりだ?」
賛成したわけではない。
協力すると約束したわけでもない。
それでも、話題は変わった。
外へ関わる必要があるのかではなく、どうすれば実行できるのか。
怒り。
困惑。
恐怖。
打算。
期待。
それらが混ざったまま、領域全体で初めて議論が始まる。
マキトは、まだ領主として認められたわけではない。
それでもこの日、初めて領主として人々の前に立った。




