30.可能な限り受け入れる
ホテルの大広間を貸し切った。
高い天井。
磨かれた床。
無駄に広い空間。
長いテーブルの向こうで、猫耳の女が小さな胸を張っている。
忍者装束に猫耳。
腰には短刀。
尻尾は落ち着きなく揺れている。
名はミケコ。
低レアの忍者キャラであり、語尾に「にゃ」をつける、お調子者の小柄な体型の猫獣人だった。
「というわけで、一般領民の順応状況について報告するにゃ」
ミケコはやけに得意げだった。
マキトは椅子に背を預け、つまらなそうにそれを聞いていた。
大広間を借りたのは、ただ部屋が広かったからだ。
会議のためというより、領主らしく見える場所がここくらいしかなかった。
隣ではシエルが真剣な顔で座っている。
反対側ではメルシーが肘をつき、完全に飽きた顔をしていた。
「公園に転送された一般人は、最初かなり混乱していたらしいにゃ。けど、お店で食料を買い、ポイント決済を覚え、宿を探し始めたにゃ。まだ不安は大きいみたいだけど、最低限の生活は始められているにゃ」
「よかったです」
シエルが胸に手を当てる。
「皆さま、少しずつでも前に進んでいるのですね」
「そうにゃ。人間、案外たくましいにゃ」
ミケコはそこで、なぜか尻尾をぴんと立てた。
「ちなみにミケコの旦那さまは、ミケコが帰ると毎回すっごく心配してくれるにゃ。愛され忍者は大変にゃ」
「それ、今いるか?」
マキトが言うと、ミケコはにやにやした。
「大事な情報にゃ。夫婦仲は精神安定に関わるにゃ」
シエルが少し羨ましそうにミケコを見る。
メルシーは聞いていないふりをしていたが、その話題のときだけ一瞬だけ耳が動いた。
マキトはため息をつき、窓の外へ視線を向けた。
綺麗な街だった。
崩壊した現実とは違う。
道路は整い、建物は傷ひとつなく、夜でも明かりが灯っている。
報酬として与えられた領域。
だが、どうしてこうなったのか。
思い返せば、始まりは三日前の零時だった。
ビルの屋上に、夜風が吹いていた。
空には月がある。
下の街はもう、元の日本ではなくなっていた。
迷宮化した建物。
出現するモンスター。
逃げ惑う人々。
壊れた道路。
そんな世界の上で、マキトはスマートフォンを握っていた。
ランキング一位。
その確定通知が届いたのは、日付が変わった直後だった。
《報酬を配布します》
《順位報酬:領域》
《領域生成に必要な項目を設定してください》
画面には、いくつかの項目が並んでいた。
場所。
領域の特色。
収容人数の希望。
「領域ねえ」
マキトはつぶやく。
何か大きな報酬が来るとは思っていた。
だが、いきなり街を持てと言われても困る。
最初に表示されたのは、収容人数の希望だった。
選択肢はいくつかある。
誰も受け入れない。
少人数。
中規模。
大規模。
可能な限り受け入れる。
シエルは画面を見つめていた。
その表情を見れば、何を選びたいのかは分かった。
以前から、シエルは可能なら多くの人を助けたいと思っていた。
目の前で見捨てることが苦手な女だった。
マキトは少しだけ息を吐き、画面を押す。
《可能な限り受け入れる》
「旦那さま……」
「希望だったんだろ」
「ありがとうございます」
シエルは静かに頭を下げた。
メルシーは横から画面を覗き込み、楽しげに笑っている。
「クズ亭主がどんな意地悪をするのか、今から楽しみね」
「虐めねえよ」
マキトは短く返した。
運営は詳しい説明をしなかった。
可能な限り受け入れる、という選択が何を意味するのか。
何人来るのか。
どれだけの責任が発生するのか。
詳細は何も書いてなかった。
次は場所だった。
《領域の場所は、順位順に選択できます》
《一位から順に優先権が与えられます》
「一位特典ってやつか」
マキトは地図を眺める。
どうせなら大都市がある場所がいい。
人も物も集まりやすい。
便利そうだ。
一位なのに、わざわざ不便な場所を選ぶ理由もない。
ただし、画面には注意書きがあった。
《どの場所を選択しても、領域化後は選択内容に応じた領域特色へ変更されます》
マキトは眉を寄せた。
「領域特色?」
場所を選んでいるはずなのに、聞き慣れない単語が出てきた。
元の街がそのまま残るわけではない。
選んだ場所を元に、何か別の形へ作り替えられるらしい。
「つまり、場所だけじゃ決まらないってことか」
マキトがそう呟いた直後、画面が切り替わる。
次に表示されたのは、領域の特色を選ぶ項目だった。
場所を決めると、最後に領域の特色を選ぶ画面が開いた。
そこには、想像以上に多くの候補が並んでいた。
候補を開くと、かなり幅広かった。
どうやら安い順に並んでいるらしい。
そして、ポイントが低いものほど辺鄙だった。
まず表示されたのは、開拓村。
木柵に囲まれた小さな村で、周囲には畑と森しかない。
家も少なく、店らしい店もほとんどない。
その分、必要ポイントはかなり低かった。
次に、森の集落。
大きな木々の間に家が点在している。
自然は豊かだが、道は細く、外との行き来は不便そうだった。
その次に、墓地のように静かな領域。
灰色の石畳。
古い墓標。
霧のかかった道。
人が暮らす場所というより、死者が眠る場所に見える。
「誰が選ぶんだ、これ」
マキトが言うと、メルシーが少しだけ楽しそうに画面を覗き込んだ。
「アンデッド系の嫁がいる人なら、喜んで選ぶんじゃない?」
「俺は絶対選ばねえ」
マキトは即答し、さっさと次の項目へ送った。
次に表示されたのは、港町だった。
海沿いに倉庫や市場が並び、船着き場もある。
交易には向いていそうだが、街の規模はそこまで大きくない。
続いて、地下都市。
石造りの通路と広場が地下に広がっている。
水晶が街灯の代わりとして淡い光で照らしているが、空が見えない。
生活するには少し息苦しそうだった。
次に、城塞都市。
高い壁に囲まれ、門と塔がある。
守りは固そうだが、街並みは質素で、娯楽や商業施設は少なく見える。
次に、神殿都市。
白い石造りの建物が並び、中央には大きな神殿がある。
清潔で整っているが、どこか厳かすぎて、普通に暮らすには肩が凝りそうだった。
さらに上には、ファンタジー風の街。
石畳の通り。
赤い屋根の家々。
広場には噴水があり、店や宿も並んでいる。
いかにもゲームの街らしい景色だった。
その次が、商業に向いた街。
大通りには店が並び、倉庫や市場も多い。
金の流れはよさそうだが、生活より商売を優先した作りに見える。
他にもいろいろあった。
そして、最後に表示されたのが、綺麗な現代日本の街だった。
整った道路。
高層ビル。
コンビニ。
ホテル。
商業施設。
公園。
駅前のような広場。
見慣れた街に近い。
それでいて、現実よりもずっと綺麗で、壊れたところがない。
必要ポイントは、候補の中で一番高かった。
下には説明が添えられていた。
《領域の種類に関わらず、水道・ガス・電気は保障されます》
《領域の特色ごとに、発生するクエスト内容が変化します》
《特色によって税収が変動します》
マキトはそこで眉を寄せた。
「税収?」
領域をもらう前から、もう税の話が出ている。
だが、詳しい説明はやはりなかった。
シエルが画面を覗き込む。
「旦那さま、これはもう少し考えた方がよろしいのでは」
メルシーも珍しく同意した。
「さすがにその場のノリで選ぶものじゃないでしょ、クズ亭主」
「そう言われてもな」
マキトには、どれが正解なのか分からなかった。
ファンタジー風の街はそれっぽい。
城塞都市は安全そうに見える。
商業都市は稼げそうだ。
神殿都市はシエルに合いそうで、城塞のような領域はメルシーが少し楽しそうに見ていた。
だが、一番高いのは現代日本の街だった。
必要ポイントは、他の候補より明らかに高い。
今持っているポイントの大半を支払えば、どうにか選べる。
だが、そんなことをすれば手持ちは一気に減る。
領域を手に入れた後、何が必要になるのか分からない。
施設の追加。
領民への対応。
緊急時の支出。
何にポイントを使うことになるのかも分からない状態で、大半を失うのは怖かった。
マキトはしばらく画面を眺め、商業に向いた街を選ぼうとした。
税収が変動するなら、商業系の方が無難そうだ。
必要ポイントも、現代日本の街ほど高くない。
手元に余裕を残しながら、稼げる領域を作れる。
その方が堅実だった。
マキトの指が、商業に向いた街の項目へ伸びる。
だが、押す直前に止まった。
画面の上部には、先ほど選んだ項目が残っている。
《収容人数の希望:可能な限り受け入れる》
何人が来るのかは分からない。
数百人かもしれない。
数千人かもしれない。
それ以上かもしれない。
そんな人間を開拓村や、商売だけに特化した街へ放り込めば、生活の仕組みを一から作る必要がある。
だが、現代日本の街なら違う。
コンビニがある。
ホテルがある。
商業施設も公園もある。
見慣れた街なら、何も分からない人間でも、最低限どう動けばいいのかは想像できる。
何より、マキト自身も、これ以上不便な場所で暮らしたくなかった。
現実の街は、もう壊れている。
道路も建物も迷宮に飲まれ、まともに眠れる場所すら簡単には見つからない。
せっかく領域を選べるのに、ポイントを惜しんで似たような不便を抱え込む意味があるのか。
マキトはもう一度、現代日本の街に必要なポイントを見る。
高い。
今持っているポイントの大半が消える。
それでも、手が届かないわけではなかった。
ポイントを残しても、使う場所そのものが不便なら意味がない。
それに、ポイントはまた稼げる。
だが、最初に選んだ領域の特色を、後から簡単に変えられる保証はなかった。
シエルが心配そうに声をかける。
「旦那さま、本当によろしいのですか?」
「ああ」
マキトは短く答えた。
「特色は後から買い直せるか分からない。なら、最初から一番ましなのを選ぶ」
メルシーが少し意外そうに目を細める。
「ずいぶん思い切るじゃない。ほとんどなくなるわよ?」
「残して後悔するよりいいだろ」
マキトは現代日本の街を選択した。
すぐに確認画面が開く。
《領域特色:現代日本の街》
《選択には所持ポイントの大半を消費します》
《一度確定した領域特色は変更できません》
最後の一文を見て、マキトは迷いを捨てた。
「やっぱり都会が一番だろ」
その一言で、領域の特色は決まった。
シエルは少し不安そうだったが、反対はしなかった。
メルシーも肩をすくめる。
「まあ、クズ亭主が払うんだから好きにすれば?」
マキトは確定を押した。
一瞬で、所持ポイントの大半が消える。
数字が急激に減っていくのを見て、さすがに胸が冷えた。
それでも、取り消そうとは思わなかった。
《設定を受理しました》
《領域特色の購入が完了しました》
《領域を生成します》
《残り時間07時間59分》
その下にも、細かな項目が並んでいた。
領域管理。
領民受け入れ。
税。
領主権限。
クエスト。
維持効率。
読むべきだったのかもしれない。
だが、そのときのマキトはもう限界だった。
一位が確定した。
今日まで張り詰めていた緊張が、急に切れた。
近くでは、メルシーがソファーに寝転がっていた。
屋上に置くには明らかに場違いな家具だったが、そんなことを気にする余裕はない。
マキトはそれを見て、素直に思った。
いいな。
そのままメルシーの横に入り、抱きしめるようにして寝転がる。
「ちょっと、狭いんだけど」
メルシーが文句を言った。
だが、突き飛ばしはしなかった。
むしろ一瞬だけ体を固くして、視線をそらす。
「……なによ。急に」
声はいつものように尖っていた。
けれど、耳の先がほんの少し赤い。
「クズ亭主、ここ外よ?」
マキトは目を閉じながら思う。
部屋の中ならいいのか。
口に出せば殴られそうだったので、黙った。
メルシーはしばらく不満そうにしていたが、結局それ以上は何も言わなかった。
ただ、誤魔化すように小さく息を吐いて、マキトに背を向ける。
逃げようと思えば逃げられた。
それでも、離れようとはしなかった。
シエルはその様子を横目で見ていた。
少しだけ羨ましそうに。
けれど、彼女は眠らなかった。
いつモンスターが襲ってくるか分からない。
だから剣を手元に置き、夜明けまで警戒を続けていた。
そして八時間後。
マキトはシエルに起こされた。
「旦那さま」
目を開ける。
最初に見えたのは、空ではなかった。
広い天井。
高い壁。
磨かれた床。
どこか省庁を思わせる、巨大で整った建物。
マキトは壇上の上にいた。
昨日までいたはずのビルの屋上ではない。
「……どこだ、ここ」
体を起こす。
周囲には、プレイヤーらしき人間たちが集まっていた。
驚いている者。
呆れている者。
恐怖を抱いている者。
様子をうかがっている者。
マキトはすぐに頭を回した。
領域に転送された。
自分は領主として、ここに現れた。
そして周囲は、壇上に現れた領主を見ている。
ただし、その領主は完全に寝起きだった。
説明を求めても無駄だろう、という空気が漂っている。
マキトは抱きしめていたはずのメルシーを探した。
いない。
既に影に逃げていた。
それを理解して、舌打ちする。
本人にとっては、逃げやがった、程度の舌打ちだった。
だが、周囲にはそう見えなかった。
領主が不機嫌になった。
そう受け取られた。
空気が凍る。
理由は、ただ怖いからだけではない。
プレイヤーたちは、すでに通知を見ていた。
《領主権限により、領民登録の解除が行われる場合があります》
領民登録の解除。
つまり、この領域から追放される可能性がある。
外は地獄だ。
領域の外へ出されることは、ほとんど死を意味する。
だから、マキトの舌打ち一つで周囲は怯えた。
誰が話しかけるかで、ざわめきが起きる。
その中から、気の弱そうな若い男が一歩前に出た。
傍には、猫耳の忍者獣人がぴったりと抱きついている。
警戒しているようでいて、好奇心も隠せていない。
男が恐る恐る言った。
「あなたが、領主でいいんですよね?」
マキトは短く答える。
「ああ。そうだ。マキトだ。よろしく」
男は少しだけほっとしたように頭を下げる。
「私はミナトと言います。よろしくお願いいたします」
それだけで、周囲の緊張が少しだけ緩んだ。
いきなり追放するような領主ではなさそうだ。
少なくとも、会話はできる。
マキトはそこで、自分が思っている以上に恐れられていることを理解し始めた。
すると、別のプレイヤーが遠慮がちに声を上げる。
「あの、生活はどうすればいいんですか?」
マキトは少し黙った。
正直、何も知らない。
領域をもらった。
場所を選んだ。
特色を選んだ。
収容人数も選んだ。
だが、その後にどう生活するのか。
領民は何をすればいいのか。
領主は何をするべきなのか。
運営はまともに説明していない。
だから、マキトは素直に答えた。
「俺も何も聞かされてない。どういうシステムになってるのか、まだ分からない」
周囲がざわつく。
だが、それはマキトへの失望ではなかった。
領主であるマキトにすら、運営は何も知らせていない。
その事実が、プレイヤーたちの不信を運営へ向けた。
別の声が続く。
「これから、この領域をどうしていくつもりですか?」
「何か、方針やビジョンはありますか?」
マキトは内心で困った。
マキトはただの新卒会社員だった。
昨日までは、どうやってポイントを奪うかしか考えていなかった。
街をどう運営するかなど、考えたこともない。
けれど、ここで何も言わなければ舐められる。
若い。
寝起き。
説明もできない。
方針もない。
そう見られれば、領主として軽く扱われる。
だからマキトは、表情を変えずに言った。
「まずは領域を成長させる。生活できる場所にして、稼げる仕組みを作る。それだけだ」
具体性はない。
だが、断言はした。
周囲はそれ以上、すぐには踏み込めなかった。
そこで、さらに重い質問が出た。
「追放権限について、聞いてもいいですか」
空気が変わる。
「もし追放することがある場合、どんなことをしたら追放になりますか?」
マキトはそこで詰まった。
それだけは、まだ決めていない。
軽く答えれば危険だ。
厳しく言いすぎれば怯えさせる。
甘く言えば舐められる。
だから答えられなかった。
少しの沈黙のあと、マキトは言う。
「それはまだ決めてない」
重い沈黙が落ちた。
マキトは話を切る。
「とりあえず、各自ばらばらに生活してくれ。必要なことは、分かり次第伝える」
それが、領主として最初に出した指示だった。
壇上を降り、建物の外へ出る。
目の前に広がっていたのは、綺麗すぎる現代日本の街だった。
整った道路と高層ビル、清潔な歩道に公園、コンビニ、ホテル、商業施設までそろった街が広がっていた。
昨日までの現実とはまるで違う。
ここだけが、文明を取り戻しているように見えた。
シエルもメルシーも、その景色には素直に驚いていた。
マキトは歩きながら考える。
生活基盤をどこに置くか。
最初は普通に拠点を探そうとした。
だが、すぐに気づく。
自分は領主だ。
なら、どこでも住めるのではないか。
候補はすぐに決まった。
高級ホテル。
理由は単純だった。
前の拠点として使っていて、かなり気に入っている。
部屋は広い。
安全そう。
ベッドもある。
料理も頼める。
今まで通りサービスが使えるなら、生活拠点としてはホテル一択だった。
何より、タダなら高い場所を取りたい。
シエルも、少し遠慮しながらも乗り気だった。
メルシーはむしろ当然のように笑った。
「タダなら一番いい部屋でしょ」
「だよな」
三人の方針は一致した。
ホテルへ向かう途中、公園に大量の一般人が転送されているのが見えた。
家族連れ。
会社員らしき者。
学生。
老人。
泣いている子供。
マキトは直接関わらない。
少し離れた場所から見るだけだった。
一般人たちは、近くのコンビニへ向かっていた。
店内には、コンビニの制服を着た店員がいる。
だが、顔がなかった。
目も鼻も口もない。
のっぺらぼうだった。
ただ、まっすぐ立っている。
誰かが声をかけた。
「すみません、これどうやって買うんですか?」
返事はない。
別の男が財布を取り出し、レジ前に現金を置いた。
「金は払うからな」
男はそう言って、商品を袋に詰めると、そのまま店の外へ向かう。
次の瞬間、男のスマートフォンから大きなブザーが鳴った。
周囲が一斉に男を見る。
男は慌てて画面を確認した。
その顔が、見る見る青くなる。
「万引き……?」
誰かが覗き込み、声を上げる。
「罰則ポイントって書いてあるぞ!」
男が叫んだ。
「待てよ! 金は置いただろ! 払ったじゃねえか!」
だが、のっぺらぼうは何も言わない。
警察も来ない。
誰かが事情を聞くこともない。
ただ、アプリが判定し、ポイントが引かれた。
その場にいた人々の空気が変わる。
この街では、現金が通用しない。
そして、ルールに反したと判定されれば、問答無用でポイントが引かれる。
警告もない。
説明もない。
次の人が、震える手でスマートフォンを操作し始めた。
「たぶん、アプリだ。これで支払いができる」
ラグオダ2の中に、決済の項目があったらしい。
マキトはそれを遠くから見て、顔をしかめる。
「……やっぱ現金、使えないのか」
シエルは不安そうにする。
メルシーは面白そうに見ていた。
そこで、マキトは別の疑問を持つ。
では、自分たちはどうなるのか。
ホテルも、料理も、部屋も、全部ポイントが必要なのか。
領主なのに、タダで住めるわけではないのか。
その瞬間、スマートフォンに通知が出た。
《領域内の基本施設は、領主の所有物として扱われます》
《領主による基本サービスの利用に、ポイントは消費されません》
《領主による犯罪行為に、罰則はありません》
マキトは黙った。
便利すぎる。
強すぎる。
そして、気持ち悪い。
「……領主権限、やべえな」
すごすぎて、逆にドン引きした。
シエルはすぐに釘を刺す。
「旦那さま。悪いことはしないでください」
メルシーは逆に楽しそうにスマートフォンを覗き込んだ。
「それ、妻であるあたしも当然なしよね?」
通知は反応しない。
メルシーの眉がぴくりと動く。
「何とか言いなさいよ」
それでも通知は来なかった。
ホテルに着くと、受付にいたのも同じだった。
コンビニと同じような、のっぺらぼう。
この街の店員や従業員は、基本的にこういう存在なのだとマキトは理解した。
コンビニ。
ホテル。
店。
施設。
人間の代わりに、顔のない管理員がサービスを動かしている。
マキトは気味悪がる。
「どこでもこれかよ」
シエルは少し身を固くする。
「何を考えているのか、分からないのが怖いですね……」
メルシーは平然としていた。
「便利ならいいじゃない」
受付ののっぺらぼうは、何も言わない。
ただ棒立ちのまま、ホテルの鍵を差し出した。
説明もない。
笑顔もない。
会釈もない。
マキトは鍵を受け取り、顔をしかめる。
「本当にただのシステム係なのか」
それでも、ホテルのサービスは使えた。
料理は頼める。
必要なものも運ばれてくる。
部屋も使える。
マキトは領主権限で、最上階のスイートルームを確保した。
広い部屋。
豪華なベッド。
大きな窓。
街を見下ろせる景色。
前の拠点としてホテルを使っていた経験もあり、三人ともすぐに落ち着いた。
マキトは思う。
やっぱりホテルで正解だった。
スイートルームで、マキトは改めてスマートフォンを確認した。
領主用の項目が増えている。
領域管理。
領主クエスト。
領民情報。
税収予定。
雇用。
施設管理。
マキトは面倒そうに画面を眺める。
その中に、新しい通知もあった。
《領域内において、プレイヤーと伴侶キャラクターの距離制限は解除されます》
《ただし、領域外では通常通り距離制限が発生します》
《領域外へ移動する場合はご注意ください》
マキトは目を細める。
「領域内なら、離れてもいいのか」
シエルが確認するように言う。
「つまり、この街の中であれば、旦那さまと離れて行動しても問題ないということですね」
メルシーは少し楽しそうに笑った。
「へえ。じゃあ、あたしも好きに動けるってこと?」
「領域内ならな。外に出たら、今まで通りってことだろ」
通知はそれ以上反応しない。
領域内なら、キャラが単独で動ける。
それは大きかった。
だが、問題はすぐに別の形で出てきた。
マキトがポイントを確認する。
現代日本の街を選んだ時点で、大半を支払った。
それは分かっていた。
自分で選び、自分で確定した支出だ。
それでも、確定直後には、まだ多少の余裕が残っていたはずだった。
だが、今表示されている残高は、そのときよりもさらに少ない。
元の額と比べれば、一割にも満たなかった。
マキト、シエル、メルシーが一斉に固まる。
「は?」
履歴を確認すると、二つの通知が残っていた。
《領域特色「現代日本の街」の購入費用を支払いました》
《領民に初期生活ポイントを配布しました》
《配布ポイントは後日、税として領主へ還元されます》
マキトは理解した。
街を選ぶために使ったポイントは、自分で支払った。
だが、その後に残ったポイントまで、領民の初期生活費として自動的に配られている。
初期投資。
理屈は分かる。
だが、こちらは聞いていない。
「なんで俺のポイントを勝手に配ってんだよ」
現代日本の街を選んだ以上、手持ちが減ることは覚悟していた。
それでも、最低限の予備は残したつもりだった。
これから施設の追加や領民への対応、緊急時の支出など、何にポイントが必要になるのかも分からない。
そのために残した分まで勝手に使われたのだから、納得できるはずがなかった。
「これ、自由に使える分がほとんど残ってねえぞ」
ただし、領主は基本施設をポイント消費なしで利用できる。
ホテル暮らしは成立する。
食事も、部屋も、最低限のサービスも使える。
だからすぐに詰むわけではない。
それでも、動かせるポイントが少ないのは致命的だった。
領民が生活を始めなければ、税も返ってこない。
領民が破綻すれば、領域も回らない。
暴動が起きれば面倒になる。
クエストや税収にも影響するかもしれない。
マキトは、領民の生活が気になり始めた。
善意だけではない。
自分の利益にも関わるからだ。
だが、自分で見に行くのは目立つ。
シエルも目立つ。
メルシーは影に隠れられる。
隠密行動だけならできる。
ただし、領民に話を聞いたり、生活の流れを追ったり、自然に情報を集めたりする役には向いていない。
そもそも本人が興味を持っていない。
報告も雑になりそうだった。
マキトは思い出す。
他のキャラクターを指揮下に入れられると、以前説明されていた。
アプリを開く。
領域内にいるキャラクターを雇用できる項目があった。
マキトはそこで、少しだけ眉を寄せた。
「領主だからって、好きに命令できるわけじゃないんだな」
画面には、雇用条件が表示されている。
キャラクターを動かすには、正式に雇用する必要がある。
そして雇用にはポイントがかかる。
当然のように、レア度が高いキャラほど高額だった。
高レアは、今のマキトには手が出ない。
候補の中に、ミケコがいた。
低レア。
忍者。
偵察向き。
雇用費も比較的安い。
性格欄には、不安な情報が並んでいる。
口が軽い。
お調子者。
金に弱い。
褒められると調子に乗る。
マキトは少し迷った。
だが、安い。
忍者。
領民の中に紛れて動ける。
そこで、マキトは思い出した。
ミケコは、さっき名乗ったミナトの伴侶だ。
それなら、領主側の命令として動かすだけではなく、一般プレイヤー側の空気も拾えるかもしれない。
「……まあ、調査くらいならできるだろ」
こうしてミケコを雇った。
初対面の挨拶は、ひどいものだった。
ミケコはシエルを見るなり、ぱっと表情を明るくした。
「おお、女神陣営の方にゃ! よかったにゃ。話が通じそうで安心したにゃ」
シエルは少しだけ困ったように微笑む。
「よろしくお願いいたします、ミケコさん」
「こちらこそにゃ。いやあ、邪神陣営の連中がいる場所に放り込まれたらどうしようかと思ってたにゃ。あいつら、すぐ裏切るし、性格悪いし、だいたい目つきが悪いにゃ。できれば関わりたくないにゃ」
ミケコは胸を張ったまま、べらべら喋った。
「まあ、ミケコは忍者だから平気にゃけど。低レアでも誇り高き女神陣営にゃ。邪神陣営の雑魚共とは格が違うにゃ」
その瞬間、床の影が揺れた。
「へえ」
冷たい声がした。
ミケコの尻尾が、ぴんと固まる。
影の中から、メルシーがゆっくりと顔を出した。
「誰が目つき悪くて、性格悪い邪神陣営の雑魚ですって?」
「にゃっ」
ミケコは一瞬で青ざめた。
さっきまで張っていた小さな胸が、みるみるしぼむ。
「す、すみませんでしたにゃ!」
次の瞬間、ミケコは床に両手と額をつけていた。
見事な土下座だった。
「ミケコ、調子に乗りましたにゃ! 命だけは助けてくださいにゃ! ミナトにもまだ恩返ししてないにゃ!」
メルシーはしばらく見下ろしていた。
だが、すぐにつまらなそうに鼻を鳴らす。
「なにそれ。意気地なしのねこちゃん。張り合いないわね」
「にゃ……?」
「もういい。つまんない」
メルシーは興味をなくしたように影へ戻っていった。
ミケコはしばらく床に額をつけたままだったが、攻撃されないと分かると、そろそろと顔を上げた。
そして何事もなかったように尻尾を揺らす。
「いやあ、危なかったにゃ。ミケコの判断力が光ったにゃ」
マキトはドン引きした顔で見ていた。
「すげえなお前」
「それほどでもないにゃ」
「いや、褒めてねえよ」
「照れなくていいにゃ」
マキトは、この猫を雇った判断が正しかったのか、少しだけ不安になった。
だが、安い。
それに、こういう相手の方が、領民の中に紛れるには向いているのかもしれない。
そして現在。
ミケコはホテルの大広間で、得意げに報告を続けていた。
マキトは相変わらずつまらなそうにしていた。
だが、聞いていないわけではない。
ミケコは尻尾を揺らし、最後に少しだけ声の調子を変えた。
「それと、領民たちは領主さまからの声を待っているにゃ」
マキトは黙った。
つまらなそうに聞いていた顔から、少しだけ表情が消える。
領域は報酬だった。
だが実際には、街と領民と税と生活をまとめて押しつけられたようなものだった。
窓の外には、綺麗な現代日本の街が広がっている。
その中で、領民たちは少しずつ生活を始めていた。
そして彼らは、領主の言葉を待っている。
マキトは肘掛けに指を置いたまま、しばらく何も言わなかった。




