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29/40

29.ポイント

次に目を開けた時、セイジは外に立っていた。


最初に感じたのは、風だった。


血の匂いがしない。

煙の匂いもしない。

腐ったものの匂いもしない。


ただ、乾いた風だけが頬を撫でていた。


セイジは反射的に周囲を見回す。


高いビルが並んでいる。

舗装された道路があり、信号があり、街灯があり、コンビニの看板がある。

少し先にはスーパーらしき建物も、ホテルのような建物も見えた。


一見すると、普通の都会だった。


けれど、すぐに違和感に気づく。


車がない。


道路は広い。

白線も引かれている。

それなのに、走っている車が一台もない。

路上駐車も、自転車も、バイクもない。


それだけではなかった。


道路にはゴミひとつ落ちていない。

植え込みは綺麗に刈られ、ビルの窓ガラスには曇りもない。

コンビニの入口前に、吸い殻も、空き缶も、誰かが落としたレシートもなかった。


普通の都会に似ている。


だが、人間が暮らしていた匂いが薄かった。


「セイジ」


声がして、セイジは振り向いた。


アツコがいた。

その隣には、マモルもいる。


二人とも無事だった。


セイジは駆け寄り、マモルの肩を抱く。


「大丈夫か」


「うん」


マモルは少し青ざめていたが、怪我はないようだった。

アツコも顔色は悪いが、立っている。


セイジは大きく息を吐いた。


それだけで、膝から力が抜けそうになる。


三人で来られた。

途中で引き離されなかった。

それだけで、胸が詰まるほど安心した。


マモルが周囲を見回し、ぽつりと言う。


「今の、アニメに出てくるワープみたいだった」


久しぶりに、少しだけ明るい声を聞いた気がした。


その息子が、ほんの少しでも子供らしい反応を見せた。


それだけで、セイジは泣きそうになった。


だが、すぐに周囲のざわめきが耳に入ってくる。


広場には、人が溢れていた。


家族連れ。

老人。

衣服が汚れている男。

大きな荷物を抱えた女。

泣いている子供。

呆然と立ち尽くす人々。


数百人ではない。


見渡す限り、人がいる。

おそらく、数万人規模。


誰もが同じように転移してきたのだろう。

助かったような顔をしている人もいれば、まだ何も信じられないという顔をしている人もいる。


「ここ、どこなんだ」


「本当に安全なのか?」


「領域って何だよ」


「誰か説明してくれ!」


あちこちで声が上がっていた。


セイジにも分からない。


ここがどこなのか。

なぜ普通の都会のような場所なのか。

領主とは誰なのか。


何ひとつ分からなかった。


その時だった。


周囲で一斉に通知音が鳴った。


広場中のあちこちで、スマートフォンが震え、電子音が重なっていく。


セイジのスマートフォンも震えた。

アツコのスマートフォンも鳴っている。


セイジは慌てて画面を見た。


そこには、見慣れない表示が出ていた。


ラグオダ2。

領民バージョンをインストールします。


「なんだ、これ」


セイジは画面を触った。


止まらない。


キャンセルの表示もない。

電源を落とそうとしても反応しない。


周囲からも同じような声が上がる。


「勝手に入ってるぞ」


「止められないのか?」


「ラグオダってことは、ついに俺もプレイヤーになれるのか?」


「領民バージョンって何だよ」


インストールは、こちらの意思など関係なく進んでいった。


やがて画面が切り替わる。


表示されたのは、ひどく簡素な画面だった。


所持ポイント:200,000


セイジは眉を寄せた。


「なんだよ、このポイントって」


現金なのか。

ゲームの点数なのか。

それとも、命の残量のようなものなのか。


説明はない。


アツコも自分の画面を見ていた。


「私も同じ。二十万ポイントって出てる」


その時、マモルが声を上げた。


「あれ? いつの間に」


セイジとアツコは同時にマモルを見た。


マモルの手に、スマートフォンがあった。


家から持ってきたものではない。

そもそも、マモルにはまだスマートフォンを持たせていなかった。


中学生になったら買ってやる。

そう約束していた。


マモルは不安よりも嬉しさが勝ったようで、目を少し輝かせている。


「これ、僕持ってていいの?」


セイジは答えられなかった。


誰が渡したのか。

いつ握らされたのか。

なぜ子供の分まで用意されているのか。


分からない。


覗き込むと、マモルの画面にも同じ表示があった。


所持ポイント:200,000


子供にも、同じだけのポイントがある。


一見すれば親切に思える。

家族の人数分、何に使うのかも分からないポイントが与えられている。


けれど、セイジには嫌なものに見えた。


この街では、マモルも一人の領民として数えられている。


子供だから例外ではない。

保護者にまとめられているわけでもない。


一人ずつ、ポイントで管理されている。


インストールが終わっても、それ以上の説明はなかった。


案内人はいない。

受付もない。

誘導もない。

住む場所の指定もない。


そして、通知に書かれていた領主も姿を見せない。


ただ、街がある。

スマートフォンがある。

ポイントがある。


それだけだった。


人々は、少しずつ街へ散っていった。


じっと立っていても何も起きない。

誰かが説明してくれる気配もない。


なら、同じように動くしかなかった。


セイジはマモルの手を握り、アツコと並んで歩き出す。


最初は誰もが周囲を警戒していた。


本当にモンスターはいないのか。

建物の陰から何か出てこないか。

空から襲われないか。


だが、何も出てこなかった。


悲鳴もない。

血の匂いもない。

何かが壊れる音もない。


ただ、整った街が続いている。


「綺麗すぎるな」


セイジが呟くと、アツコも小さく頷いた。


便利そうな場所なのに、誰かが暮らしていた感じがしない。

まるで、人間を入れるために用意された箱のようだった。


セイジは、まずコンビニへ向かうことにした。


通知には、食料を購入できると書かれていた。

なら、本当に買えるのか確かめる必要がある。


コンビニには、すでに多くの人が押し寄せていた。


店内には商品が並んでいる。


おにぎり。

弁当。

パン。

飲み物。

菓子。

日用品。


食料を切り詰めていたセイジたちにとって、それは現実離れした光景だった。


マモルがパンの棚を見て、少しだけ目を輝かせる。


「お父さん、これ買えるの?」


「たぶんな」


セイジはそう答えながら、店内を見回した。


商品を取る人がいる。

弁当を抱える人がいる。

飲み物を何本も手にする人がいる。


だが、棚は空にならない。


誰かが商品を取ったはずなのに、気がつくと同じ場所にまた商品が並んでいる。


補充されている。


いつ、誰がやっているのか分からない。


便利だ。


便利すぎる。


レジには店員らしきものが立っていた。


コンビニの制服を着ている。


だが、顔がなかった。


目も鼻も口もない。

のっぺらぼうだった。


ただ、まっすぐ立っている。


誰かが声をかけた。


「すみません、これどうやって買うんですか?」


返事はない。


別の男が財布を取り出し、レジ前に現金を置いた。


「金は払うからな」


男はそう言って、商品を袋に詰めると、そのまま店の外へ向かう。


次の瞬間、男のスマートフォンから大きなブザーが鳴った。


周囲が一斉に男を見る。


男は慌てて画面を確認した。

その顔が、見る見る青くなる。


「万引き……?」


誰かが覗き込み、声を上げた。


「罰則ポイントって書いてあるぞ!」


男が叫ぶ。


「待てよ! 金は置いただろ! 払ったじゃねえか!」


だが、のっぺらぼうは何も言わない。

警察も来ない。

誰かが事情を聞くこともない。


ただ、アプリが判定し、ポイントが引かれた。


その場にいた人々の空気が変わった。


この街では、現金が通用しない。

そして、ルールに反したと判定されれば、問答無用でポイントが引かれる。


警告もない。

説明もない。


次の人が、震える手でスマートフォンを操作し始めた。


「たぶん、アプリだ。これで支払いができる」


ラグオダ2の中に、決済の項目があったらしい。


レジでアプリを開くと、持っている商品の明細が表示される。

少し弄ると画面に購入完了と表示された。


それを見た周囲の人々が、その人に詰め寄る。


「どうやったんですか?」


「どこ押せばいいんですか?」


「早く教えてくれよ!」


声が荒くなる者もいた。


皆、助かったばかりだ。

だが、余裕はない。


ポイントが何なのか分からない。

減るのが怖い。

間違えたくない。


モンスターはいない。


けれど、人間の焦りはここにもあった。


セイジはアツコとマモルを庇うように立ち、長い列に並んだ。


やがてセイジたちの番になる。


セイジは見よう見まねでアプリを開き、明細を確認した。


おにぎり。

水。

弁当。

マモル用のパン。


それから、少しだけ菓子。


マモルが、その棚をちらちらと見ていた。


セイジは少し迷ったが、買うことにした。


数日間、暗い顔ばかりしていた息子が、久しぶりに子供らしい目をしていた。


そのくらいは、買ってやりたかった。


決済する。


ポイントが減る。


おにぎりは百数十ポイント。

弁当は数百ポイント。

水も百ポイントほど。


感覚としては、普段使っていた金に近い。


だが、このポイントをどうやって増やすのかは分からない。


二十万ポイントは多く見える。

けれど、家族三人で食べて、暮らすなら、すぐに減るかもしれない。


購入を済ませたセイジは、アツコとマモルを連れて一度広場に戻った。


広場では、多くの人が同じように不安そうにしていた。


食料を抱えている人。

スマートフォンを見つめている人。

誰かと言い争っている人。

子供をなだめている母親。


セイジは買った水をマモルに渡し、アツコと小声で話した。


「金、持ってきたけど……使えないらしい」


アツコは自分の財布を見た。


「全部、このポイントで払うってこと?」


「たぶん」


セイジは、さっきの男の顔を思い出す。


「それに、何かまずいことをすると、すぐポイントが引かれるみたいだ」


「まずいことって?」


「分からない。少なくとも、アプリを通さずに商品を持ち出したら万引き扱いだった」


アツコの顔が曇る。


「間違えただけでも?」


「こっちの事情は見てくれないんだと思う」


そこが怖かった。


この街にはルールがある。

だが、説明はない。


破れば、その場で罰則だけが来る。


では、ポイントがゼロになったらどうなるのか。


食料が買えなくなるのか。

ホテルに泊まれなくなるのか。

領民登録を解除されるのか。


セイジは考えたくなかった。


アツコが周囲を見回した。


「今日はどこで寝る?」


その問いに、セイジは言葉を詰まらせる。


住む場所がない。


街にはマンションも家もある。

けれど、勝手に入っていいとは思えない。


さっきのコンビニの件がある。

空き家に入れば、不法侵入としてポイントを引かれるかもしれない。


「ホテルに行こう」


セイジは言った。


「ホテルなら、泊まるための場所だ。ポイントで払えるなら、そこが一番安全だと思う」


アツコは頷いた。


マモルはパンを食べながら、二人を見ている。

久しぶりに腹に食べ物が入ったせいか、少しだけ顔色が戻っていた。


ホテルの受付にも、のっぺらぼうがいた。


制服を着て、カウンターの向こうに立っている。

顔はない。

言葉もない。


チェックインは、やはりアプリで行うらしい。


部屋の種類と料金が表示された。


スタンダードルーム。

ツインルーム。

ファミリールーム。

追加寝具。

朝食付き。

夕食別料金。


セイジは料金を見て、胸が重くなった。


泊まれる。


だが、高い。


ポイント残が気になった。


それでも、今日は泊まるしかなかった。


セイジは家族三人で泊まれる部屋を選び、決済した。


部屋に入ると、電気がついた。


ベッドがある。

水道が使える。

トイレが流れる。

風呂がある。


ただそれだけのことなのに、アツコは口元を押さえた。


泣きそうな顔だった。


マモルはベッドを見て、少しはしゃいだ。


「ここ、泊まるの?」


「今日はな」


セイジはそう答えた。


今日は。


明日からどうなるかは分からない。


それでも、今日だけは安全な部屋で眠れる。

その事実は、セイジの体から少しだけ力を抜かせた。


夜、セイジは試しにルームサービスを頼んでみた。


注文もアプリ。

支払いもポイント。


しばらくして、呼び鈴が鳴った。


セイジは警戒しながらドアを開ける。


廊下には誰もいない。


ただ、部屋の前にカートが置かれていた。


その上には、温かい料理が並んでいる。

湯気が立っている。

匂いも普通においしそうだった。


便利だ。


だが、人の気配がない。


アツコは少し怯えたようにカートを見て料理を部屋へ運んだ。


マモルは料理を見て、嬉しそうに声を上げる。


「すごい。あったかい」


久しぶりの温かい食事だった。


セイジも警戒しながら口に運ぶ。


普通においしかった。


そのことが、逆に不思議だった。


悪いことばかりではない。


少なくとも、今夜は腹いっぱい食べられる。

水が飲める。

風呂に入れる。

清潔なベッドで眠れる。


外から化け物の足音は聞こえない。


マモルは食べながら、何度も料理を見ていた。


「これ、本当に食べていいんだよね?」


「ああ、大丈夫なはずだ」


セイジが言うと、マモルは安心したように頷いた。


食事の後、三人はホテルの部屋で話した。


マモルは、自分のスマートフォンを大事そうに抱えている。


「これ、本当に使っていいの?」


「……使っていいよ」


セイジはそう言うしかなかった。


本当は、子供にこんなものを持たせたくなかった。


だが、この街ではスマートフォンが命綱だった。

決済も、通知も、ポイントも、すべてここにある。


マモルだけ持たせないわけにもいかない。


アツコが残高を見ながら言った。


「明日から、どうする?」


セイジも自分の画面を見た。


コンビニ。

ホテル。

夕食。


ポイントは確実に減っている。


「ポイントを増やす方法を探すしかない」


「仕事みたいなものがあるのかな」


「あると思う。なかったら、全員すぐ詰む」


言いながら、セイジ自身も不安だった。


領主は出てこない。

説明も足りない。

だが、街は動いている。


自分たちは、その仕組みに従わなければ生きられない。


「領主って、結局誰なんだろう」


アツコが呟く。


セイジは首を振った。


「分からない。少なくとも、まだ顔も見せない」


「この街を作った人なのかな」


「人ならいいけどな」


言ってから、セイジは自分の言葉に嫌なものを感じた。


領主が人間とは限らない。


そもそも、この街自体が普通ではない。

のっぺらぼうが店に立ち、商品は勝手に補充され、現金は通用しない。


人間の常識で考えていいのかも分からなかった。


アツコはマモルを見た。


「マモルは……同じ年の子たちといられる場所があるといいんだけど」


「学校か」


セイジは眉を寄せた。


こんな場所の学校。


考えるだけで不安になる。


だが、今日マモルが少し笑ったのも事実だった。


ワープみたいだったと言った。

スマートフォンを見て喜んだ。

温かい食事を食べて、少し表情が戻った。


家で息を潜めていた時よりは、ずっと人間らしい顔をしている。


「怖いけど」


アツコは静かに言った。


「ずっと私たちのそばで怯えているよりは、少しでも普通に近い方がいいと思う」


セイジは何も言えなかった。


普通。


この街にあるのは、普通に似た何かだ。


だが、マモルにとっては、それでも必要なのかもしれない。


その時、スマートフォンに通知が来た。


明日より、領民クエストを実施します。

クエスト達成によりポイントを獲得できます。


セイジは画面を見つめた。


ポイントを増やす方法はある。


だが、それがどんなものなのかは、まだ分からなかった。


翌朝。


セイジは、ラグオダ2を開いた。


新しい項目が追加されている。


領民クエスト。


そこには、いくつもの仕事が並んでいた。


高難易度ほど報酬が高い。

だが、セイジが選べるのは低難易度だけだった。


領民ランク:E。

選択可能クエスト:低難易度のみ。


低難易度のクエストには、現実的な仕事が並んでいた。


コンビニ勤務。

商品陳列。

ホテル清掃。

飲食店ホール補助。

倉庫整理。

公園清掃。

ゴミ回収補助。


アツコの画面にも、似たようなクエストが表示されている。


アツコは少し迷った末に、スーパーのレジ補助を選んだ。


「これなら、私にもできそうだから」


セイジはコンビニ勤務を選ぶ。


特別な資格はいらない。

危険そうでもない。

会社員として接客めいたことなら多少はしてきた。


問題は、マモルだった。


セイジはマモルの画面を覗き込む。


そこには、大人たちのような仕事の一覧はなかった。


表示されていたクエストは、一つだけだった。


学校に行く。


報酬も表示されている。


セイジは顔をしかめた。


「学校に行くのもクエストなのか」


仕事ではない。


だが、この街ではそれもポイントを得る行動として扱われているらしい。


子供まで、生活をポイントで管理されている。


それが嫌だった。


ただ、選択肢が他にないことには少しだけ安堵もあった。


マモルの画面には、コンビニ勤務も、清掃も、倉庫整理もない。

大人と同じ労働を選ばされるわけではない。


子供として扱われている。


そう思いたかった。


「学校、あるの?」


マモルは少し不安そうに、けれど少しだけ興味もある顔で聞いた。


アツコが優しく言う。


「行ってみようか。怖いことがあったら、すぐ電話して」


セイジも念を押した。


「知らない人についていくな。何か変な通知が来たら、すぐ俺たちに連絡しろ。困ったら電話だ。絶対に一人で判断するな」


マモルは真剣に頷いた。


三人はホテルを出て、それぞれの目的地へ向かった。


マモルの学校は、アプリの地図に表示されている。

同じ方向へ向かう子供たちも何人かいた。


その姿を見て、セイジは少しだけ安心した。


マモルだけではない。


同じように、この街に来た子供がいる。


セイジは何度も振り返るマモルに手を振り、コンビニ勤務へ向かった。


アプリの地図に従って歩く。


道中、セイジは改めて街の広さを感じた。


ビルは多い。

店も多い。

マンションもホテルもいくつもある。


だが、人が少ない。


広場には数万人いた。

それでも、この都市全体を埋めるには足りない。


街の規模に対して、領民が少なすぎる。


それに、ポイントを増やしたい人間は多いはずだ。

なら、コンビニ勤務のような低難易度の仕事には人が殺到するのではないか。


そう思いながら指定された店舗に着くと、店内に他の人間はいなかった。


「……俺だけか」


セイジは呟く。


バックヤードに入るよう、アプリが指示する。


そこにはロッカーがあった。


セイジの名前が表示されている。

中にはコンビニの制服が入っていた。


サイズはぴったりだった。


気味が悪い。


だが、着替えるしかなかった。


制服を着ると、端末に新しい指示が表示される。


商品を陳列してください。


セイジは棚に商品を並べた。


弁当。

おにぎり。

飲み物。

菓子。


店内に客はいない。


人がいないのに、並べて意味があるのか。


そう思ったところで、次の指示が出た。


レジに立ってください。


セイジはレジに入った。


その瞬間、目の前に客が並んでいた。


のっぺらぼうだった。


さっきまで誰もいなかった。

気配もなかった。


なのに、当たり前のように列を作っている。


最初の客が弁当を差し出してきた。


何も言わない。


だが、セイジには不思議と分かった。


温めてほしいのだ。


レンジに入れる。

温める。

袋に入れる。

箸をつける。


次の客は番号札のようなものを見せてきた。


タバコらしい。


セイジは戸惑いながらも、棚から該当するものを取る。


のっぺらぼうは喋らない。

表情もない。


だが、何を求めているのかは分かる。


それが一番不気味だった。


まるで、頭の中に接客の答えだけが流し込まれているようだった。


何時間も、その繰り返しだった。


弁当を温める。

袋に入れる。

決済処理をする。

飲み物を渡す。

タバコを取る。

箸をつける。

温めるかどうかを判断する。


のっぺらぼうは無言のまま、次々と商品を差し出してくる。


セイジは途中から、自分が本当に客を相手にしているのか分からなくなった。


これは仕事なのか。

訓練なのか。

ただの作業なのか。


やがて端末に表示が出る。


お疲れさまでした。

クエストクリアです。

報酬:5,500ポイント。


セイジは画面を見つめた。


五千五百ポイント。


数時間のコンビニ勤務として考えれば、現実の時給に近い。


ここで、セイジはようやく理解し始めた。


ポイントは、だいたい円と同じ感覚で使われている。


だが、円ではない。


この街でしか通用しない。

この街に管理された金だ。


クエストが終わり、セイジはレジを離れた。


すると、さっきまで並んでいたのっぺらぼうたちが見えなくなった。


代わりに、自分が立っていたレジの場所に、制服を着たのっぺらぼうが立っている。


棒立ちのまま、店内を見ていた。


セイジは理解した。


人間がいなくても、この街は回る。


コンビニも、ホテルも、スーパーも、最低限はのっぺらぼうで動いている。

人間が働けば、その役割を一時的に受け持つ。


働けばポイントが入る。

働かなくても街は動く。


つまり、自分たちは街を維持するために必要とされているわけではない。


ポイントを得るために、仕事を与えられているだけなのかもしれない。


「俺たちがいなくても、回るのか」


セイジは呟いた。


なら、自分たちは何なのか。


救われた領民なのか。

管理される資源なのか。

それとも、領主の所有物なのか。


答えは出なかった。


夜。


セイジがホテルの部屋に戻ると、アツコとマモルも戻っていた。


アツコは疲れた顔をしていたが、大きな問題はなかったらしい。


「スーパーも、似たような感じだった」


アツコはベッドに腰を下ろして言った。


「最初は誰もいなかったのに、レジに立ったら急にお客さんが並んで。みんな、のっぺらぼうだった」


「喋らないのに、何がしたいか分かった?」


「うん。それが一番変だった」


セイジは頷いた。


自分だけではなかった。


あの奇妙な感覚は、この街の仕事全体に共通しているらしい。


そして、マモルが待ちきれないように話し始めた。


「学校、子供いたよ」


その声は、昨日より少し明るかった。


「同じクラスに、僕と同じくらいの子がいた。みんな、ここに来たばっかりなんだって」


セイジとアツコは顔を見合わせた。


「怖がってる子もいたけど、ちょっと話した。名前、ユウタって言ってた」


「友達、できそうか?」


セイジが聞くと、マモルは少し照れたように頷いた。


「分かんない。でも、また明日もいると思う」


それだけで、セイジは胸の奥が少し温かくなった。


マモルはさらに話す。


「授業もあった。でも先生、のっぺらぼうだった」


セイジの表情が固まる。


アツコも黙った。


「教壇に立ってるんだけど、喋らないの。でも、何を言ってるのか分かるんだ。黒板にも書いてないのに、頭の中に入ってくる感じ」


セイジはぞっとした。


「それでね、最初は空いてる席がいっぱいあったんだけど、授業が始まったら、急に子供が増えた」


「増えた?」


「うん。のっぺらぼうの子供たち。気づいたら席に座ってた。いっぱい」


マモルは少し怖そうに言った。


「でも、何もしないんだ。普通に座って、授業を受けてるだけ。休み時間になると、いなくなったり、またいたりする」


セイジは言葉を失った。


大人の職場だけではない。


学校も同じだ。


教師ものっぺらぼう。

足りない生徒ものっぺらぼう。


街の空白を、顔のない何かが埋めている。


普通の学校。

普通の店。

普通のホテル。

普通の街。


ただし、その普通の足りない部分には、必ずのっぺらぼうが立っている。


アツコはマモルの頭を撫でた。


「怖くなかった?」


「ちょっと怖かった。でも、ユウタもいたし、他の子もいたから」


マモルはそう言って、少し笑った。


その笑顔を見て、セイジは何も言えなくなった。


怖い。


不気味だ。


子供までこの仕組みに組み込まれているのは嫌だった。


だが、マモルは今日、同じ年の子供と話した。

明日も会いたいと思っている。


それを奪っていいのか、セイジには分からなかった。


三人は、ホテルの部屋で改めて話し合った。


今日分かったことは、いくつかある。


ポイントは、だいたい円と同じように使われている。

働けば増える。

食料や宿泊で減る。

ルール違反をすれば罰則で減る。


ただし、ゼロになったらどうなるのかは分からない。


アツコが不安そうに言った。


「ゼロになったら、どうなるんだろう」


セイジは答えられない。


「分からない。でも、試すわけにはいかない」


前の通知には、領民登録の解除と書かれていた。


その言葉が、ずっと頭に残っている。


ポイントが尽きること。

ルールを破ること。

領主に不要と判断されること。


それらが、どこかで繋がっているような気がした。


「マモルにもポイントがあるの、やっぱり嫌だね」


アツコが言う。


セイジも頷いた。


学校に行くことすらクエストになっている。

出席すれば報酬が入る。


教育ではなく、管理に見える。


だが、マモルは今日、少し笑った。


同じ年の子供がいた。

授業があった。

怖いのっぺらぼうもいたが、それでも家で怯えていた時よりは、ずっと子供らしい顔をしている。


セイジはそこに救われてもいた。


「明日も学校、行けそうか?」


セイジが聞くと、マモルは少し考えてから頷いた。


「うん。ユウタとまた話したい」


アツコは柔らかく笑った。


セイジも、少しだけ息を吐く。


悪いことばかりではない。


そう思いたかった。


だが、ホテル暮らしは高い。

このままではポイントが減っていく。


「明日、不動産屋に行こう」


セイジは言った。


アツコが頷く。


「家、借りられるかな」


「コンビニもホテルもアプリで払えた。たぶん、家も同じだと思う」


セイジはそう言いながら、スマートフォンを見た。


この街では、何かを使う時にはアプリを通す。

食べ物を買う時も、ホテルに泊まる時もそうだった。


なら、住む場所も同じなのだろう。


不動産屋で手続きをして、正式に借りる。

それが、この街での正しい順番なのだと、セイジはもう理解し始めていた。


まだ二日目だ。


それなのに、自分たちは少しずつ、この街のやり方に合わせて動き始めている。


そのことに気づいて、セイジは小さく息を吐いた。


それから、セイジはスマートフォンを見る。


領主からの説明は、相変わらずない。


この街は安全だ。

便利だ。

暮らせるようにできている。


なのに、肝心なことは何も教えてくれない。


誰がこの街を管理しているのか。

何のために自分たちを集めたのか。

ポイントがゼロになったらどうなるのか。

領民登録を解除されたらどうなるのか。


何も分からない。


セイジは低く呟いた。


「説明くらいしろよ……」


怒りは小さかった。


だが、確かにあった。


翌日、セイジとアツコは不動産屋へ向かった。


マモルは学校へ行った。


不動産屋にも、やはりのっぺらぼうがいた。


スーツを着て、カウンターの向こうに立っている。


会話はない。


アプリに物件一覧が表示された。


ワンルーム。

一LDK。

二DK。

二LDK。

家具付き。

家族向け。

月額ポイント。

初期費用。


ここで、ようやく住む場所が用意されていることが分かった。


だが、やはり無料ではない。


家族三人で暮らすなら、それなりのポイントが必要になる。


セイジとアツコは画面を見ながら悩んだ。


マモルの部屋を用意してやりたい。

できれば、学校に通いやすい場所がいい。


だが、広い部屋は高い。

駅に近い場所も高い。

家具付きも便利だが、その分ポイントがかかる。


セイジとアツコの分を合わせれば、まだ四十万ポイント近くある。

マモルの分まで含めれば、家族全体では六十万ポイント近い。


数字だけ見れば、すぐに困る額ではない。


だが、これから何にポイントが必要になるのか分からなかった。


食費。

住居費。

学校で必要になるもの。

生活用品。

病気や怪我をした時の費用。

まだ表示されていない別の支払い。


そう考えると、六十万ポイントという数字も、急に頼りなく見えてくる。


それに、昨日のクエスト報酬は五千五百ポイントだった。


生活はできる。

だが、余裕があるとは言えない。


「贅沢はできないな」


セイジが言うと、アツコは頷いた。


「うん。まずは、毎日ちゃんと稼げるようにならないと」


「領民ランクも上げたい。今のままだと、選べる仕事が少なすぎる」


セイジは画面に表示された物件一覧を見ながら、低く言った。


「住む場所は必要だ。でも、ここで使いすぎるわけにはいかない」


「でも、三人で寝られる場所は必要だよ」


最終的に、少し狭いが家族三人で暮らせる2DKを選んだ。


家具付きではない。

中央からも少し離れている。

だが、学校と低難易度クエストの多い区域には、そこまで遠くない。


セイジは決済ボタンを押す。


画面に表示が出た。


居住登録が完了しました。

ようこそ、新しい生活へ。


セイジはその文字を見つめた。


カウンターの向こうで、のっぺらぼうが鍵を差し出す。


セイジはそれを受け取った。


新しい生活。


確かに、モンスターはいない。


電気もある。

水もある。

食料も買える。

仕事もある。

学校もある。

住む場所も借りられる。


それは、失ったはずの普通に似ていた。


けれど、その普通はすべてポイントで動いている。


食べるにもポイント。

泊まるにもポイント。

住むにもポイント。

学校に行くことすらポイント。


間違えれば、問答無用で差し引かれる。

ゼロになったらどうなるのかは分からない。

そして領主は、まだ一度も姿を見せていない。


セイジはスマートフォンを握りしめた。


助かった。


それは間違いない。


だが、ここで生きるには、この街のルールを覚えなければならない。


ルールを知らない者から、静かに削られていく。


そんな街なのだと、セイジはようやく理解し始めていた。


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