17.逃げるなよ?
マキトは、子供のころから逃げるのが得意だった。
足が速かったわけではない。
運動神経が飛び抜けていたわけでもない。
体力があり余っていたわけでもない。
ただ、逃げ道を見つけるのが上手かった。
鬼ごっこをすれば、誰がどの方向から追ってくるのかを見ていた。
かくれんぼをすれば、相手が最初に探す場所と、最後まで見ようとしない場所を考えていた。
校庭の遊具の陰。
体育倉庫の裏。
植え込みの奥。
校舎の非常階段の下。
ほとんどの子供は、分かりやすい場所に隠れる。
机の下や、カーテンの裏や、大きな木の陰。
マキトはそういう場所を選ばなかった。
人が隠れそうな場所は、人が探す場所でもある。
なら、人が嫌がる場所。
ジメジメしている場所。
入りにくい場所。
面倒くさくて、どうせいないだろうと決めつける場所。
そこに潜れば、だいたい見つからなかった。
隠れている間、マキトはじっと息を潜めているのが苦ではなかった。
むしろ、好きだった。
近くを足音が通る。
誰かが名前を呼ぶ。
探している子供が、すぐそばまで来て、結局気づかずに去っていく。
その瞬間が、一番面白かった。
相手が見ている。
でも、見えていない。
そこにいるのに、気づかれていない。
子供のころのマキトにとって、それは勝利だった。
ある日、マキトは家に帰るなり、父にそれを自慢した。
「俺、今日も最後まで見つからなかった」
ランドセルを置くのもそこそこに、誇らしげに言った。
その日も、マキトは最後まで見つからなかった。
鬼役の子たちは校庭を走り回り、教室を覗き、体育館の裏まで探しに行った。
けれど、誰もマキトの隠れ場所には気づかなかった。
最後に教師が呼びに来るまで、マキトはずっと勝ち続けていた。
褒めてもらえると思っていた。
父は普段から優しい人だった。
マキトのくだらない話にも笑ってくれる。
学校であったことを聞いてくれる。
失敗しても、まずは理由を聞いてくれる。
だからその時も、すごいな、と言ってくれると思った。
けれど、父は少し困った顔をした。
怒ったわけではない。
呆れたわけでもない。
ただ、何かを思い出したような、何とも言えない顔だった。
「マキト……遊びであれば、いくらでも逃げていいが……責任からは逃げるなよ?」
マキトは首を傾げた。
父は言った直後、自分でもおかしいと思ったのか、視線を少し上に逃がした。
「いや、遊びでも……いや、小学生に何言ってんだ俺は」
そう言って、苦笑する。
けれど、その目はマキトを見ていなかった。
もっと遠くを見ていた。
マキトではない誰かを見ているようだった。
その時のマキトには、父が何を考えていたのか分からなかった。
ただ、褒めてもらえると思っていたのに、妙に真面目なことを言われたのが少し不満だった。
責任。
そんなものは、自分には関係ない。
捕まらなければ勝ち。
見つからなければ勝ち。
逃げ切れば勝ち。
それで十分だった。
だから今も、ゴミ捨て場を見つけた時点で、マキトは勝ちを確信していた。
平穏が壊れてから、一度も収集されていないゴミの山。
破れた袋。
腐った生ゴミ。
汚水。
鼻が曲がりそうな臭い。
普通の人間なら近づきたくもない。
まして、その中に潜むなど考えない。
だからこそ、最高の隠れ場所だった。
タクヤは警戒していた。
背後を疑った。
物陰を確認した。
スマホのアラームが囮だと気づいた。
それでも、ゴミ袋の山の中までは見なかった。
人間がそんな場所にいるはずがない。
そう思った時点で、タクヤはマキトを見失っていた。
そして、見失った時点で負けていた。
現在。
タクヤは、地面に這いつくばっていた。
片腕を押さえ、荒い息を吐いている。
額には脂汗が浮かび、制服の汚れがさらにひどくなっていた。
死んではいない。
だが、すぐに立ち上がれる状態でもない。
マキトの片手には、奪った拳銃が握られている。
扱い慣れているわけではない。
構えも正しいとは言えない。
けれど、銃口がどこを向いているかだけは分かる。
もう片方の手には、杖があった。
杖の先には、ゴミ袋の汚れとタクヤの血がこびりついている。
マキトはその杖を肩に軽く乗せ、少し息を切らしながら前を見る。
シエルとメルシーが、マキトの前に立っていた。
その先には、金髪の女がいる。
甘い笑顔は消えていた。
あざとい仕草もない。
片手剣を握る指に力がこもり、視線は倒れたタクヤへ向いている。
シエルとメルシーも無傷ではない。
体ではなく、武器の方が限界に近かった。
シエルの大剣には細かなひびが走っている。
メルシーのハルバートも、柄に嫌な歪みが出ていた。
二人掛かりでも、ミオミオを押し切れなかった。
マキトはそれを見て、口元を歪める。
「助けに来てもらうつもりだったんだけどな。どっちかっていうと、助けが必要なのはお前らの方だったか?」
メルシーが即座に振り向いた。
「うっさい! 武器がまともなら確実に処理できたわよ!」
怒鳴り返す声には、悔しさが混じっていた。
シエルも大剣を構えたまま、低く呟く。
「……言い訳になりますが、もう少し、いえ……何でもありません」
その一言で、ミオミオの目が動いた。
ほんのわずかだった。
だが、マキトは見逃さない。
シエルとメルシーの武器は限界。
二人ともタクヤを気にしている。
マキトは銃を奪っているが、扱いに慣れている様子はない。
今なら、何とか二人を抜いてタクヤを回収できるかもしれない。
ミオミオの重心が、ほんの少し沈む。
マキトは笑った。
「おいおい」
その声に、ミオミオの動きが止まる。
マキトは拳銃を持ち上げ、地面に転がるタクヤの頭へ銃口を向けた。
「少しでも変な動きしてみろ。こいつの頭、吹き飛ばすぞ」
完全な悪人顔だった。
シエルが息を呑む。
メルシーでさえ、一瞬だけ黙った。
倒れているタクヤの目が見開かれる。
マキトは、脅しを脅しらしく使っている。
正義感もない。
躊躇もない。
相手の大切なものを押さえたら、それを使う。
そういう顔だった。
「まず武器を捨てろ」
ミオミオは片手剣を握る指に力を込めた。
捨てたくない。
それは当然だった。
武器を捨てれば、戦う手段を失う。
タクヤを守れなくなる。
自分の価値まで奪われる。
けれど、タクヤの頭には銃口が向いている。
ミオミオは唇を噛んだ。
そして、ゆっくりと片手剣を地面に落とす。
金属音が、路地に響いた。
マキトはシエルへ視線を向ける。
「拾え」
シエルは頷き、ミオミオの片手剣へ手を伸ばした。
だが、指先が触れようとした瞬間、見えない膜のようなものに弾かれる。
白い指がわずかに跳ねた。
シエルは眉を寄せる。
「……持てません」
地面に這いつくばったまま、タクヤが笑った。
「そんなことも知らないのかよ。初心者かよ、お前」
声は掠れていた。
痛みもある。
銃も奪われた。
自分の彼女は武器を捨てさせられている。
それでも、タクヤは強がった。
マキトはタクヤを見る。
「……何か知ってるな、吐けよ」
タクヤは苦しげに息を吐き、それでも嘲るように口角を上げた。
「所有権があるんだよ。倒した相手の武器を奪えたら、誰も課金なんてしないだろ?」
マキトは軽く返す。
「なら、譲渡しろよ」
タクヤは鼻で笑った。
「交換や譲渡なんて、リアルマネートレード対策でできるわけないだろ」
それはゲーム時代の常識だった。
リアルマネートレード。
ゲーム運営を通さず、プレイヤー同士が現実の金でアイテムやアカウントを売買する行為。
運営が認めるはずもない。
ラグオダでも、アイテムの交換や譲渡はシステム的に厳しく制限されていた。
強力な装備。
限定アイテム。
イベント報酬。
育成素材。
それらを自由にやり取りできれば、ゲームのバランスは壊れる。
課金導線も崩れる。
外部で売買する者が出る。
だから交換も譲渡もできない。
ガチ勢はもちろん、一般プレイヤーでも知っている内容だった。
タクヤは、マキトを見下した。
ゲームの常識も知らない素人。
何も分かっていない初心者。
だが、次の瞬間。
タクヤのスマートフォンが震えた。
画面に表示が出る。
《所有権を譲渡しますか?》
タクヤの表情が固まった。
マキトが横から画面を覗き込む。
「できるじゃん」
タクヤは言葉を失う。
ありえない。
ゲーム時代なら、ありえなかった。
けれど、今動いているのは、かつてのラグオダではない。
現実を侵食した、ラグオダ2だった。
ミオミオの顔から、さらに血の気が引いた。
ここでタクヤが拒否すれば、マキトは本当に撃つかもしれない。
マキトが約束を守る保証はない。
それでも、今は縋るしかなかった。
ミオミオは片手剣を捨てたまま、ゆっくりと頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
甘い声ではなかった。
あざとさもない。
媚びでもない。
ただ、必死だった。
「こんなことをしておいて、虫がよすぎるって分かってる。でも、武器あげるから……許してくれない?」
シエルの表情が険しくなる。
「身勝手すぎます」
ミオミオは言い返せなかった。
シエルは倒れているタクヤを見る。
「この方が何人の市民を傷つけ、殺してきたかも分かりません。自分たちだけ助かりたいなど、あまりにも身勝手です」
それは正論だった。
ミオミオも分かっている。
自分たちは狩る側だった。
脅した。
奪った。
勝てる相手を選び、タクヤの銃と自分の力で追い詰めてきた。
だから今さら、命だけ助けてほしいなど、許されるはずがない。
けれど、マキトは軽く言った。
「いいよ?」
シエルが目を見開く。
メルシーも顔をしかめる。
タクヤは一瞬、意味を理解できなかった。
ミオミオが小さく顔を上げる。
マキトは笑う。
「武器の譲渡をしたらな」
タクヤは歯を食いしばった。
武器を渡さなければ、このまま殺されるかもしれない。
だが、渡さずに死ねば、マキトへの嫌がらせにはなる。
少なくとも、自分が金と時間をかけた装備を奪われずに済む。
この男が約束を守る保証もない。
譲渡した瞬間に撃つかもしれない。
奪うだけ奪って、笑いながら殺すかもしれない。
なら、渡さずに死んだ方がましではないか。
そんな思考が、タクヤの中をよぎる。
けれど、その横でミオミオが息を呑んだ。
「本当……? ありがとう……」
心の底から安堵しかけた声だった。
タクヤの胸が痛む。
ミオミオは、自分のために頭を下げた。
プライドを捨てた。
敵に謝った。
許されるはずがないと分かっていて、それでも縋った。
自分の意地のために、この子まで一緒に殺されていいのか。
タクヤの指が震える。
マキトが銃口を少し下げ、タクヤの額へ近づけた。
「早くしろ」
タクヤは、譲渡のボタンを押した。
スマートフォンに表示が出る。
《所有権が譲渡されました》
マキトはシエルを見る。
「シエル、もう一回だ」
シエルは、ミオミオの片手剣へ手を伸ばした。
今度は弾かれない。
剣が、シエルの手に収まる。
シエルは数度、重さを確かめるように握り直した。
「扱えます。ですが……私の力とは、少し噛み合いません」
ミオ用に調整された専用の装備だからだろう。
武器そのものは強い。
折れかけた大剣よりは、はるかにましだ。
けれど、シエルに完全適合しているわけではない。
マキトは短く返す。
「今だけ我慢しろ」
謝りはしない。
けれど、今回の原因は理解していた。
二人掛かりでも押し切れなかった。
その一因は装備差だ。
装備を強化すればいい。
そう考えていた。
だからこそ迷宮踏破報酬を全て強化に回した。
だから大丈夫だと思った。
だが、実際には限界が来ている。
シエルもメルシーも、レベルを上げたので力では互角以上に押していた。
それでも決定打を入れられなかったのは、ミオミオの技量とスキルだけの問題ではない。
装備を軽く見ていた。
なら、次から変える。
それだけだった。
タクヤは荒い息を吐きながら言う。
「もう……これでいいだろ」
マキトは首を傾げた。
「何言ってんだ?」
タクヤの顔が強張る。
マキトは当然のように続けた。
「俺は武器をよこせって言ったんだ。一本だけで済むなんて言ってない」
「な……」
「倉庫の中も全部だ」
タクヤの表情が、初めて大きく崩れた。
倉庫。
そこには、タクヤがラグオダで集めてきたものが詰まっている。
武器。
強化素材。
アクセサリ。
消耗品。
限定イベントで集めたもの。
復刻で掘ったもの。
いつか使うつもりで残していたもの。
課金したものもある。
時間をかけたものもある。
もう手に入らないものもある。
それはただのデータではなかった。
タクヤがラグオダに注ぎ込んだ時間の結晶だった。
失えば戻らない。
もう一度集めようにも、元のゲームは終わっている。
タクヤは唇を震わせる。
「ふざけんな……」
マキトは笑った。
「ふざけてない。命は残してやるって言ってんだ。安いだろ」
メルシーが楽しそうに目を細める。
「じゃあ私は装飾品がいいわ。あの赤いやつ、なんか綺麗じゃない」
メルシーが指したのは、ミオミオの腕についている赤い腕輪だった。
ミオミオの顔色が変わる。
それはただの飾りではない。
タクヤが与えてくれた大切な贈り物だった。
腕輪へ伸びる視線に、ミオミオの指が反射的に触れた。
しかし、マキトは急かす。
「ほら、早くしろ。ここまでやったら同じだろ」
タクヤは画面を見る。
譲渡する。
全部奪われる。
拒否する。
ミオミオごと殺されるかもしれない。
選択肢など、最初からなかった。
タクヤは震える指で、倉庫内の譲渡操作を進める。
ミオミオは歯を食いしばり、腕輪を外した。
メルシーがそれを受け取る。
「ふうん。悪くないじゃない」
その言葉に、ミオミオの肩が震えた。
マキトのスマートフォンに、大量の通知が流れ込む。
《所有権が譲渡されました》
《所有権が譲渡されました》
《所有権が譲渡されました》
文字が多すぎて、すぐには把握できない。
武器名。
素材名。
アクセサリ名。
消耗品。
知らない単語がいくつも並んでいる。
マキトは画面を軽く流し見る。
「多いな。あとで確認するか」
タクヤは地面に伏したまま、絞り出すように言う。
「これで……終わりだろ……」
マキトは思い出したように返した。
「ああ、降伏も押しとけ」
タクヤの顔が歪む。
負けを認める。
ポイントごと、はっきりと敗北を刻む。
それは、タクヤにとって最後の屈辱だった。
だが、もう逆らえない。
ミオが見ている。
自分のために頭を下げた女が、今も隣にいる。
拒めば、またマキトの銃口が動く。
タクヤはスマートフォンの画面に指を伸ばした。
《降伏しますか?》
指が止まる。
マキトが笑う。
「押してよ?」
最初にタクヤが言った言葉を、そのまま返す。
タクヤの顔が怒りと屈辱に歪んだ。
それでも、押すしかなかった。
《降伏が承認されました》
《バトルが終了しました》
戦闘が終わる。
ポイントも、装備も、倉庫の中身も、プライドも。
タクヤはすべてを奪われた。
それでも、まだ息は残っている。
タクヤは地面に伏したまま、荒い呼吸を繰り返していた。
ミオミオはその横で、何もできずに膝をついている。
終わった。
少なくとも、彼らはそう思った。
マキトは奪った拳銃を軽く眺める。
鉄の塊。
扱い慣れているわけではない。
構えが正しいかどうかも分からない。
けれど、銃口がどこを向いているかだけは分かる。
マキトは無造作にそれを持ち上げた。
銃口が、タクヤへ向く。
タクヤの呼吸が止まった。
ミオミオの顔から血の気が引く。
「……え?」
シエルも、一瞬反応できなかった。
「旦那、さま……?」
マキトはタクヤを見下ろしたまま、何でもないことのように言う。
「初めに言ったよな?」
タクヤの喉が、小さく鳴った。
マキトは笑わない。
ただ、銃口をわずかに下げる。
タクヤの胸元へ。
「“どっちかが死ぬまでやり合おうぜ”って」
タクヤの顔から、血の気が引いていく。
「なら、途中で降りるなよ」
空気が凍った。
ミオミオが身を乗り出す。
「や、やめ――」
けれど、その声は最後まで出なかった。
タクヤの胸元に向いた銃口。
引き金にかかったマキトの指。
その二つを見た瞬間、ミオミオの身体は動かなくなった。
シエルは唖然としていた。
先ほどまで、敵を見逃すように話を進めていたはずだった。
武器を奪い、倉庫を奪い、降伏まで押させた。
そこまでしておいて、最後に殺す。
あまりにも筋が通っていない。
いや、筋が通っていないからこそ、止める言葉が遅れた。
「旦那さま、それは――」
シエルが声を出しかける。
その横で、メルシーだけが目を輝かせた。
「やっちゃえ!」
楽しそうな声だった。
「いいじゃない。それでこそ私の選んだクズ亭主よ!」
マキトは、タクヤを見下ろしたまま言った。
「死ね」
タクヤは、銃口から目を逸らせない。
全身が震えていた。
撃たれる。
本当に撃たれる。
その確信が、タクヤの顔を歪ませていく。
マキトはしばらく、その顔を眺めていた。
怯え。
後悔。
屈辱。
怒り。
それでも何もできない無力感。
全部が混ざった顔。
マキトは、それを見て満足そうに笑った。
「――なーんてな!」
軽い声だった。
凍りついていた空気が、そこでようやく割れる。
タクヤは意味を理解できず、ただ呆然とマキトを見上げた。
ミオミオも、目を見開いたまま固まっている。
シエルは息を呑んだまま、言葉を失っていた。
メルシーだけが、不満そうに眉を吊り上げる。
「はあ!?」
マキトは拳銃を下ろし、肩をすくめた。
「今の俺は気分がいい」
奪った。
勝った。
相手の絶望した顔も見た。
なら、それで十分だった。
マキトは銃を片手で弄びながら、歩き出そうとした。
メルシーが声を荒げた。
「ちょっと。本当に殺さなくていいの?」
マキトは振り返る。
メルシーは納得していない顔だった。
「因縁つけられて、また来るかもしれないじゃない!」
シエルも、表情を硬くしたまま口を開く。
「旦那さま。先ほどの行為には、問題があったと思います」
シエルは迷うように一度だけ視線を伏せた。
それでも、言葉は続けた。
「ですが、あの方をそのまま放置するのは危険です」
シエルの言葉は、感情ではなく判断だった。
タクヤは人を撃つ。
プレイヤーを狩る。
負けてもなお、何かを仕掛ける可能性がある。
ここで止めを刺すべきだ。
それが、最も安全な選択に見える。
だが、マキトは本気で不思議そうな顔をした。
「何言ってんだ、お前ら」
そして、平然と言う。
「殺したら、また遊べないだろ」
シエルが固まる。
メルシーも一瞬、言葉を失った。
二人が考えていたのは、安全か危険かだった。
相手を生かせば、後で面倒になるかもしれない。
だから、始末した方がいい。
だが、マキトの判断基準は違う。
タクヤは危険だから殺す。
約束をしたから見逃す。
そのどちらでもない。
面白いから残す。
また来るかもしれないから、生かす。
マキトは、もと来た道へ歩き出す。
そして、倒れたままのタクヤと、彼を抱き起こそうとするミオミオへ向けて振り返った。
顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいる。
「いつでも殺しに来いよ!」
声が、壊れた歓楽街に響く。
「待ってるから!」
マキトにとっては、遊びの延長だった。
楽しかった。
またやりたい。
だから、笑顔で誘っている。
シエルは何も言えなかった。
メルシーも、さすがに一瞬だけ引いた顔をする。
ミオミオはタクヤを抱えたまま、マキトを睨む。
タクヤは地面に伏し、唇を噛みながら、何も返せない。
マキトは満足そうに背を向ける。
奪った装備。
奪った倉庫。
奪った勝利。
そして、次に遊ぶ理由。
それだけを持って、マキトは壊れた道を歩き出した。
背後から、タクヤとミオミオの声は追ってこなかった。
誰もすぐには口を開かなかった。
しばらくして、シエルが静かに声をかけた。
「旦那さま」
「なんだよ」
「本当に責任を取らないおつもりですか?」
マキトは振り返った。
本気で意味が分からない、という顔だった。
「なんで俺が責任取らなきゃいけないんだよ?」
シエルは言葉を失った。
メルシーが、呆れたように笑う。
「ほんと、救いようがないわね。クズ亭主」
「褒めんな」
「褒めてないわよ」
マキトはそれだけ言って、また歩き出した。
子供のころと同じだった。
捕まらなければ勝ち。
見つからなければ勝ち。
逃げ切れば勝ち。
責任から逃げるなと、父は言った。
けれどマキトは、今もまだ思っている。
逃げ切れたなら、それは勝ちだ、と。
マキトは笑った。
腐臭をまとったまま、壊れた道を歩いていった。




