↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/39

15.押してよ?

タクヤは、正義感から警察官になったわけではなかった。


子供の頃から、人より少しだけ要領はよかった。


覚えは早い。

口も回る。

人当たりも悪くない。

最初だけなら、何をやってもそこそこ形になる。


だから周りの大人は、よく同じようなことを言った。


本気を出せばできる。

ちゃんとやれば伸びる。

お前はもったいない。


タクヤは、その言葉を嫌いではなかった。


自分にはまだ可能性がある。

今は本気を出していないだけで、その気になれば何者かになれる。


そう思っていられるうちは、何にもなれていない自分を見なくて済んだ。


専門学校に入った時も、最初はそうだった。


授業にはついていけた。

講師からの評価も悪くない。

同級生とも、それなりにうまくやれた。


けれど、続かなかった。


毎日同じ時間に起きる。

課題を出す。

資格の勉強をする。

将来のために、地味な努力を積み重ねる。


そういう当たり前のことが、タクヤにはひどく面倒だった。


一日だけ休む。

明日からやればいい。

今週は気分が乗らない。

来月から本気を出せばいい。


そうやって先送りにしているうちに、授業の内容は分からなくなり、課題は溜まり、出席日数も足りなくなった。


辞める時も、自分のせいだとは思いたくなかった。


あの学校は合わなかった。

教え方が悪かった。

もっと自分に向いた場所がある。


言い訳なら、いくらでも出てきた。


そのあと始めたバイトでも、最初だけはうまくいった。


愛想はいい。

覚えも早い。

客への対応も、先輩への受け答えも、それなりに器用にこなせる。


店長からも言われた。


「真面目に続ければ、正社員も考えるよ」


その時、タクヤは少しだけ未来が開けた気がした。


今度こそ変われる。

自分もちゃんと社会に居場所を作れる。


けれど、人間はそう簡単には変わらない。


単純作業に飽きる。

忙しい時間帯を避けたくなる。

残業を頼まれれば、バイトだからと断る。

面倒な仕事は、それとなく他人へ回す。


最初に期待されていた分、失望されるのも早かった。


正社員の話は、いつの間にか消えた。


タクヤはそれにも腹を立てた。


勝手に期待して、勝手に失望するなよ。


自分では何も積み上げていないくせに、そんなことだけは思った。


気づけば、地方公務員の高卒枠を受けられる年齢も過ぎていた。


周りは就職していた。

結婚する者もいた。

地元の同級生ですら、家業を手伝ってそれなりに役割を持っていた。


自分だけが、どこにも進んでいない。


このままではまずい。


そう思ったタクヤが選んだのが、警察官試験だった。


正義を守りたいわけではない。

市民のために働きたいわけでもない。


安定した身分。

制服。

公務員という肩書き。

世間体。


それがほしかった。


受かるとは思っていなかった。


けれど、受かった。


合格通知を見た時、タクヤは本気で人生が変わったと思った。


これでやり直せる。

これで自分はまともになれる。

今までの失敗も、ここから取り返せる。


実際に変わったのは、勤務中だけ真面目なふりをする技術だった。


決められた時間に出勤する。

上司の前ではきちんと返事をする。

面倒な仕事は避けるが、露骨には逃げない。

責任が大きくなりそうな場面では、一歩引く。


怠惰。

義務感の薄さ。

面倒を避けたい本性。


それを隠すのだけは、そこそこ上手くなった。


タクヤにとって警察官とは、正義の仕事ではなかった。


給料をもらうための仕事。

社会的信用を得るための職業。

他人より少しだけまともに見えるための肩書き。


それ以上でも、それ以下でもなかった。


その夜、タクヤは仕事を終えて、安いワンルームへ帰ってきた。


コンビニ弁当をレンジで温め、缶チューハイを開け、脱いだ制服を床へ投げる。


洗濯物は溜まっている。

シンクには昨日のカップ麺の容器が残っている。

スマホには、返す気のない通知がいくつも並んでいた。


ここ最近は、ずっと激務だった。


人手不足。

夜勤。

酔っ払いの相手。

くだらない通報。

終わらない書類仕事。


体は重い。

頭もぼんやりしている。


タクヤはコンビニ弁当の蓋を開けながら、ほとんど癖でスマホを操作した。


指が勝手に、見慣れたアイコンを押す。


ラグナロク・オーダー。


すでにサービス終了したソーシャルゲーム。


画面はすぐに暗転し、冷たい表示だけを出した。


《ネットワークに接続できません》


「ああ……そうだった」


タクヤは、そこでようやく思い出した。


もう終わったゲームだ。

起動しても何もできない。


そんなことも忘れるくらい疲れていたのかと思うと、少し笑えた。


仕事のせいで、付き合っていた女とも別れた。


最初は向こうも、タクヤが警察官であることに安心していた。


誠実な職業。

安定。

将来を考えられる相手。


そういう目で見ていたのだと思う。


だが、現実はそんな綺麗なものではなかった。


急な呼び出し。

夜勤。

休日出勤。

デートのドタキャン。


予定を立てても、仕事で潰れる。

疲れて帰ってくれば、向こうは向こうで不満をぶつけてくる。


「仕事と私、どっちが大事なの?」


そう言われた時、タクヤは本気でうんざりした。


遊びで行けなくなったわけではない。

呼ばれたら行くしかない。

警察官と付き合うなら、それくらい分かってくれと思った。


今思えば、向こうにも言い分はあったのだろう。


けれど、この時点のタクヤからすれば、自分だけが責められる筋合いはなかった。


仕事の都合を理解しない。

疲れている時に支えてくれない。

そのくせ、結婚だの将来だのは当然のように口にする。


面倒くさい。


もうリアルの女はいい。

結婚もしたくない。

誰かの機嫌を取りながら生きるくらいなら、一人の方がましだ。


そう思うようになってから、タクヤは二次元にのめり込んだ。


ラグオダにも、かなり課金した。


最初は少しだけのつもりだった。


月に数千円。

次の給料で戻せばいい。

限定ガチャだから今回だけ。

推しの衣装違いだから仕方ない。

今引かなければ、二度と手に入らない。


そう言い訳しているうちに、夏のボーナスまで溶けていた。


「何やってんだ、俺……」


思い返すと普通に引く。


だが、当時は本気だった。


現実の女と揉めるより、画面の中の女の子に金を使う方がよほど気楽だった。


女の子たちは説教してこない。

怒りの長文メッセージも送ってこない。

愛想笑いをしなくてもいい。

重い話もない。


しかし、残ったのは、スクリーンショットと後悔だけ。


それでも、現実よりはずっと楽だった。


タクヤが缶チューハイに口をつけようとした時、スマホが鳴った。


緊急招集。


署へ集合。


タクヤは、しばらく画面を見つめた。


そして、低く悪態をつく。


「……ふざけんなよ。何時だと思ってんだ」


けれど、無視はできない。


タクヤは缶チューハイを流しに捨て、制服へ袖を通した。



◇



警察署は、すでに異様な空気に包まれていた。


電話が鳴り続けている。

無線も途切れない。

眠そうな顔で集められた警察官たちが、慌ただしく動き回っている。


上司が、全員を前にして説明を始めた。


各地で正体不明のモンスターが出現している。

人を襲っている。

動物ではない。

人間でもない。

通常装備では制圧が難しい。


さらに、関係性は不明だが、妙な報告も入っている。


サービス終了したゲーム『ラグナロク・オーダー』のキャラクターに似た存在が、各地で確認されているという。


伴侶を名乗っている個体もいる。

過去プレイしていた人間の近くに現れたという情報もある。

モンスターと戦っているものもいれば、周囲に被害を出しているものもいる。


タクヤは、その言葉を聞いた瞬間だけ、思考が止まった。


ラグオダ。


さっき、家で起動しようとしたばかりのゲーム。


そこで初めて、一人のキャラが頭をよぎる。


金髪のサキュバスで、軽い口調と距離の近さの奥に、妙に重い愛情を感じさせるキャラだった。


名前はミオ。


だが、タクヤはすぐにその考えを打ち消した。


そんなわけがない。


あれはゲームだ。

もう終わった。

画面の向こう側の話だ。


現実に出てくるわけがない。


タクヤは自分にそう言い聞かせ、現場へ向かった。


最初に向かったのは、駅前の大きな交差点だった。


信号は赤のまま点滅し、乗り捨てられた車が道路を塞いでいる。

割れたガラスが歩道に散らばり、遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。


現場に出された命令は、最初は捕縛だった。


正体不明。

人間に近い知性がある可能性も否定できない。

殺傷は避けろ。

可能な限り制圧し、保護・隔離しろ。


上はそう言っていた。


現場の警察官たちは、命令に従うしかない。


警棒。

盾。

刺股。

ネット。

催涙スプレー。


普段なら、暴れる人間を押さえ込むための装備だ。


だが、交差点にいたのは、明らかに現実の生き物ではなかった。


緑色の肌をした小鬼の群れ。


人間の子供ほどの背丈しかない。

だが、手には錆びた短剣や棍棒を握り、尖った耳を震わせながら、牙を剥き出しにして笑っている。


ゴブリン。


そんな名前が、タクヤの頭に浮かんだ。


その奥には、さらに大きな影がある。


豚に似た鼻面。

分厚い腹。

丸太のような腕。

肩に担いだ巨大な棍棒。


オーク。


ゲームや漫画で見慣れた名前だった。


だが、画面越しに見るのと、現実の道路で向かい合うのとではまるで違う。


タクヤの喉が渇いた。


「こんなのを捕まえろってのかよ……」


無理だ。


そう思っても、前に出るしかなかった。


警察官たちはネットを投げた。

刺股で押さえ込もうとした。

盾を並べ、進路を塞ごうとした。


だが、ゴブリンはネットの隙間をすり抜け、オークは刺股ごと警察官を弾き飛ばした。


盾が道路を転がる。

誰かが叫ぶ。

誰かが倒れる。


タクヤは汗をかきながら後退した。


少し離れた場所では、上司がパトカーの陰から怒鳴っている。


「前に出ろ!」

「囲め!」

「絶対に撃つな!」


自分は前に出ない。


タクヤは、それを見ていた。


命令する奴は安全な場所にいる。

怪我をするのは現場の人間。

死ぬのも、前に出された人間。


その構図が、腹の奥に引っかかった。


そして捕縛は、すぐに破綻した。


ゴブリンが警察官の足元へ飛び込み、短剣を振るう。

オークが棍棒でパトカーのボンネットを叩き潰す。

避難中の民間人へ、別の小鬼が走り出す。


そこでようやく、命令が変わった。


射殺許可。


人命保護を最優先。

捕縛不能と判断。

発砲を許可。


タクヤは拳銃を抜いた。


撃つ。


銃声が響く。


弾は当たった。


ゴブリンの肩が跳ねる。

オークの腹に穴が開く。

血のようなものも飛ぶ。


だが、止まらない。


人間なら倒れている。

普通の獣でも怯んでいる。


なのに、モンスターは怒ったように吠え、さらに踏み込んでくる。


効いていないわけではない。

傷はついている。

ダメージもある。


だが、決定打にならない。


拳銃では、あちら側の存在を倒すには火力が足りない。


他の警察官も撃つ。

パトカーの陰から一斉に発砲する。


それでも、モンスターは完全には止まらない。


タクヤは、自分の手の中にある拳銃を見た。


警察官にとって、決して軽く扱えない最後の武器。


その力が、目の前の変化には追いついていない。


おそらく、モンスターだけではない。

ラグオダのキャラクターに似た存在が本当に現れているのなら、そちらにも現実の武器は通りにくいはずだ。


こちら側の武器では、あれらのモンスター達を止めきれない。


タクヤがそれを理解した時、オークがこちらへ向かってきた。


タクヤは撃つ。

また撃つ。


だが、止まらない。


弾が減るだけで、巨体は近づいてくる。


あ、死ぬ。


そう思った瞬間、赤黒い光がタクヤとオークの間に落ちた。


空気が震え、赤黒い光が散った。


光の中から、女が現れた。


金髪に悪戯っぽい目をした、サキュバスめいた少女だった。


豊かな胸元を強調する黒と紫の衣装。腰で揺れる尻尾。背中の小さな悪魔の翼。手にした片手剣には、いかにも高レア装備らしい細かな装飾が施されている。


見間違えるはずがなかった。


ミオだった。


タクヤは、呼吸を忘れた。


そして同時に彼女はタクヤを振り返らなかった。


まず、モンスターへ向かう。


片手剣が光を引く。


重い一撃で押し潰す戦い方ではない。

軽い身のこなし。

細かい連撃。

誘うようなステップ。


相手の動きを外し、隙を作り、懐へ入り込む。


拳銃では止めきれなかったゴブリンの首が飛ぶ。

刺股をへし折ったオークの腕が裂ける。

棍棒を振り下ろす前に膝を斬られ、喉元を貫かれる。


ミオの攻撃は通っていた。


現実の武器とは違う。


あちら側の存在には、あちら側の力が効くようだ。


一体。

二体。

三体。


その場にいたモンスターが、次々と倒されていく。


警察官たちは誰も動けなかった。


銃を構えたまま固まっている。

上司も言葉を失っている。

タクヤも、何が起きているのか理解できない。


最後のモンスターが崩れ落ちたあと、ミオはようやく振り返った。


そして、満面の笑みを浮かべる。


「やっほー。ダーリン、ミオミオ来ちゃった!」


タクヤは動けなかった。


画面の中にいたはずのキャラが、現実に立っている。

しかも、自分を守った。


周囲の警察官たちも同じだった。


モンスターが現れたことも理解できない。

だが、それ以上に、目の前の不審な姿の女が理解できない。


ミオミオは、そんな視線をまったく気にしなかった。


片手剣を軽く振って血を払うと、一直線にタクヤへ駆け寄る。


そして、抱きついた。


「ダーリン!」


タクヤの体が固まる。


「ちょ、待て……お前……」


「えー?」


ミオミオはタクヤを見上げた。


瞳をうるうるさせる。


あざとい。


明らかに分かってやっている顔だった。


それなのに、破壊力がある。


「そんなわけないよね? タクヤ、ミオミオのこと忘れちゃったの?」


タクヤは息を呑んだ。


本名だった。


ゲームのプレイヤーネームは違う。

タクヤという名前を登録した覚えもない。


「いや、でも……何で俺のこと……」


ミオミオは一瞬だけ黙る。


そして、すぐに笑った。


「愛してるから、何でも分かっちゃう!」


どう考えても誤魔化している。


理屈になっていない。

説明にもなっていない。


それでも、タクヤはそれ以上追及できなかった。


彼女は自分の名前を呼んだ。

自分を守った。

自分に抱きついている。

周囲の誰でもなく、自分だけを見ている。


ミオは、自分を選んで来た。


そのことを遅れて理解し、タクヤの胸の奥が熱くなった。


もちろん、自分だけが特別なわけではないのだろう。


それは、さっき署で聞いた。


ラグオダのキャラは各地に現れている。

伴侶を名乗る個体もいる。


それでも、ミオミオは自分のところに来た。


選ばれなかったプレイヤーとも、逃げ惑うだけの一般人とも違う。


タクヤは、強烈に感激した。


自分は選ばれた側なのだと。


その光景を、後ろから見ていた上司が近づいてくる。


自分は前に出なかった。

部下に捕縛を命じ、発砲を命じ、現場に立たせていただけの男だ。


そのくせ、ミオがモンスターを倒した瞬間だけ、使い道を見つけたような顔で近づいてきた。


上司はミオを見た。


「その子、ラグオダのキャラだな」


タクヤは答えられない。


上司は続ける。


「さっき説明した通りだ。各地で同じような存在が確認されている。モンスターに対処できるなら、使える」


タクヤは、その言い方に引っかかった。


使える。


ミオミオは、今もタクヤの腕に絡んでいる。

自分をダーリンと呼んでいる。

自分のために来たと言っている。


それを、上司は道具を見るように見ていた。


「その子をお前の管理下で動かせ。使えるものは使え」


「いや、でも……」


タクヤは言いかける。


嫌だった。


ミオは自分を選んでくれ助けてくれた。

そんな彼女を上司の命令で現場に出すのは、絶対に違う気がした。


だが、上司は正論の形で押し潰してくる。


「市民の命がかかっている。お前は警察官だろ、使えるものは“何でも”使え。」


周囲の警察官も、負傷者も、逃げ遅れた民間人も、息をのむようにその光景を見ていた。


断れる空気ではなかった。


ミオはタクヤの腕に頬を寄せ、甘く笑った。


「ミオミオは、タクヤのためなら戦ってもいいよ?」


逃げ道がなくなる。


タクヤは、曖昧に頷くしかなかった。


次の現場へ向かう前、タクヤはスマホを見た。


見覚えのないアプリがある。


『ラグオダ2』


インストールした覚えはない。

ストアから入れた記憶もない。

そして、家で起動できなかったアプリとは別物だった。


なのに、それは当たり前の顔でそこにあった。


タクヤはアプリを開いた。


画面には、ミオミオの名前が表示される。


《伴侶契約》

《所持装備》

《倉庫》

《ランキング》

《バトル申請》


意味の分からない項目が並んでいる。


ミオミオが横から覗き込んだ。


「あ、それもう開けるんだ。なんかね?新しくなったらしいよ」


「俺の……?」


「うん。ミオミオとタクヤのやつ」


タクヤは倉庫を見る。


そこには、ゲーム時代に集めた様々な装備が並んでいた。


ガチャで引いた武器。

イベント産の装備。

限界まで強化した片手剣。

使い道がなかった装備の数々。


夏のボーナスの残骸。


タクヤは思わず顔をしかめた。


「……まだ残ってんのかよ」


笑えない。


いや、少しだけ笑えた。


あの時は本気で馬鹿だった。

二度とやらないと誓った。


だが、今この状況で、苦い思いをしながら集めた装備だけは現実に引きずり出せるかもしれない。


最悪の笑い話だった。


タクヤは、ミオミオ用に使っていた片手剣を選ぶ。


画面を押す。


淡い光が手元に集まり、片手剣が現れた。


「……出るのかよ」


ミオミオは嬉しそうに剣を受け取る。


「ありがと。これ、懐かしいね」


タクヤは理解する。


現実の武器はモンスターに効きにくい。

だが、ラグオダ由来の装備は通る。


そして、自分はそれを持っている。


かつて画面の中に溶かした無駄金が、今になって命綱みたいな顔をして手元に戻ってきた。


タクヤは、続けてランキングを開いた。


そこには、自分の名前があった。


ミオミオの名前。

ポイント。

現在順位。


35位。


タクヤは、しばらく画面を見つめた。


「……俺、載ってる」


声が震えた。


ゲーム時代、ランキングに載ったことなど一度もなかった。


課金しても、ガチ勢には勝てなかった。

イベントを走ろうとしても、途中で面倒になった。

環境キャラを持っていても、育成も編成も中途半端でガチ勢には遠く及ばなかった。


ミオミオも好きで使っていたが、最強ではない。

ランキングを狙うためのキャラではなかった。


それなのに、今は違う。


現実でミオミオとモンスターを倒しただけで、自分の名前が上位にある。


35位。


一位ではない。

それでも、タクヤにとっては十分すぎるほど特別だった。


人生で初めて、何かの上位に入った気がした。


何がもらえるのかは分からない。

報酬の詳細もよくわからない。

領域という項目も、まだ完全には理解できない。


それでも、絶対にいいことがあると感じた。


この世界の変化は、明らかにラグオダ2を中心に動いている。


モンスター。

現実化したキャラ。

伴侶契約。

倉庫。

装備。

ランキング。

ポイント。


世界を壊した原因がラグオダ2なのだと、タクヤは薄々分かりはじめていた。


分かっていても、魅力的だった。


壊した側のルールなら、従った者が得をするはずだ。

ランキング上位に行けば、何かを得られる。

下のままなら、置いていかれる。

今から頑張れば入着できるかもしれない。


タクヤは無線の音を聞いた。


次の現場。

また次の現場。

助けを求める声。

上司の命令。

終わらない仕事。


そして、スマホのランキングを見る。


こっちに力を注ぎたい。


そう思った。


それでも、上の指示に黙って従った。


そしてタクヤはミオミオと一緒に、各地の現場を回った。


泣き叫ぶ子供を抱えた母親を先に行かせ、崩れた歩道に規制線を張る。


拳銃で牽制するタクヤの横をミオミオが駆け抜け、ゴブリンの群れを片手剣で斬り伏せる。


倒れた警察官を物陰まで引きずり、震える手で止血帯を巻く。


横転した車とパトカーで道を塞ぎ、まだ奥へ進もうとする野次馬を怒鳴りつける。


助けを求めて詰め寄る住民に同じ説明を繰り返しす。


そして改めて強く感じた。


ミオは強い。


拳銃では足止めが精一杯だった相手を、彼女は当然のように斬り伏せていく。


タクヤ一人ではどうにもならなかった現場が、ミオミオがいるだけで戦える場所に変わっていた。


初めは渋った。


だが、ミオミオと一緒に現場を回り始めると、最初のうちは悪くなかった。


感謝される。

頼られる。

ミオミオも自分に懐いている。

ポイントも入る。


だが、モンスター退治だけでは順位が伸びない。


むしろ、少しずつ落ちていった。


タクヤが市民を避難させている間に、他のプレイヤーがポイントを稼いでいる。

タクヤが上司の命令で現場を回っている間に、上位勢はもっと効率のいい方法を見つけているのだろう。


ポイント特化型のレア迷宮か臨時クエスト、対人戦。


おそらくこれらのうちのどれかだろうと予想はついた。


そして旧ラグオダをやっていればだいたい仕様がわかる。


対人戦は馬鹿みたいにポイント効率が高かった。


勝てば大きく順位が動く。

相手が上位なら、なおさら旨い。

キャラを連れたプレイヤーを倒せば、ただモンスターを処理するよりずっと稼げるだろう。


タクヤはそう予想していた。


やりたい。


だが、無線が鳴る。

上司が命令する。

市民が助けを求める。

警察官として、目の前の現場を放り出すわけにはいかない。


そうしているうちに、ランキングはさらに下がった。


《現在順位:89位》


まだ百位以内だ。


普通なら十分すごい。


だが、タクヤにとっては違った。


さっきまで30位台だった。

自分は上位にいた。

初めてランキングに載った。

ようやく、自分が選ばれた側だと思えた。


それが、仕事をしている間に落ちている。


俺が人助けなんかしている間に、上の連中は稼いでいる。

俺が無線に従っている間に、あいつらは勝っている。

俺が市民の避難誘導をしている間に、あいつらはランキングを上げている。


タクヤの中で、警察官としての義務感が腐り始めた。


真面目にやると損だ。


昔からそうだったと思い出した。


少しできると、面倒な仕事が増える。

役に立つと分かると、もっと押しつけられる。

期待されると、逃げにくくなる。

感謝はされるが、楽にはならない。


壊れた世界でも同じだった。


しかも今は、ただ仕事が増えるだけではない。


ランキングが落ちる。


自分が上に行く機会を、警察官の仕事が邪魔している。


タクヤは、一度壊れた街を見た。


モンスターは止まらない。

一箇所片付けても、別の場所で出る。

倒しても、また湧く。

通報は増え続ける。

現場は足りない。

警察官も足りない。


社会はもう、昨日までと同じ形では続かない。


誰かのため。

市民のため。

社会のため。

警察官としての責任。


そんな言葉は、社会がまともだった頃のものだ。


今は違う。


どうせ世界は危険だ。

家にいても安全とは限らない。

署にいても安全とは限らない。

避難所でさえ安心できない。


危険から逃げられないなら、戦う場所くらい自分で選びたい。


どうせ命を賭けるなら、報酬のある戦いがいい。

どうせモンスターを倒すなら、より大きく順位が上がる相手を狙いたい。

どうせ世界がラグオダ2に壊されたなら、ラグオダ2のルールで勝つべきだ。


タクヤの中で、警察官よりプレイヤーとしての自分が大きくなっていった。


それでも、まだ完全には壊れていなかった。


この時点では、まだ。


夜が明けかけた頃。


タクヤは一人で動いていた。


同僚は別の現場へ回されている。通信は混乱している。無線からは、途切れ途切れの応援要請だけが流れていた。


足は重い。頭はぼんやりしている。だが、目だけは妙に冴えていた。


その時、タクヤの前に若い男が現れた。


粋がった不良だった。


髪を派手に染め、崩した服装で、こんな状況でも態度だけは大きい。隣には女キャラを連れている。


赤髪の短髪。目つきが悪い。小柄で、胸も薄い。


ラグオダの基準なら、どう見ても低レア寄りだった。


それなのに、不良も女キャラも妙に生意気だった。


警察官を見ても、怯えない。むしろ、面倒くさそうに睨んでくる。


タクヤは職務質問にかこつけて声をかけた。


「君、ラグオダのキャラを伴っているよね?」


不良は鼻で笑った。


「は? 知らねえし」


タクヤの中で、何かが刺さった。


この状況で。これだけ街が壊れていて。あちこちにキャラ連れがいて。それでもまだ、そんな雑な嘘をつくのか。


徹夜明けの頭に、不快感が広がっていく。


タクヤはラグオダ2のアプリを開いた。


バトル申請を送る。


不良のスマホが鳴った。


その瞬間、タクヤはにやりと笑った。


やっぱりプレイヤーじゃないか。


バトル申請を送れば、とぼけている相手の判別がつく。


それは小さな発見だった。


タクヤは優しく言う。


「押して? 確認だけだから」


不良は女キャラの前で引けなかった。


警察官相手にびびったと思われたくない。自分のキャラを見せつけたい。低レアに見えても、彼女専用に装備を整えた自分なら勝てると思っている。


だから、了承した。


バトルが成立する。


アプリに表示が出た。


対戦開始。勝利条件。敗北条件。ランキングポイント変動。


タクヤはその表示を見て、初めて理解した。


バトル成立中に相手を倒せば、ランキングポイントが入る。


逆に言えば、ただ殺すだけではポイントにならない。バトルとして成立している必要がある。


その時はまだ、その意味を深く考えたわけではなかった。


戦いが始まる。


タクヤは、すぐに終わると思っていた。


しかし、不良は意外と粘った。


装備をかなり整えている。赤髪の女キャラも低レアに見えるが、動きは悪くない。


ミオミオが片手剣で応戦する。赤髪の女キャラは小柄な体で地面を蹴り、素早く距離を詰め、刃を振るう。


タクヤは苛立った。


徹夜明け。終わらない仕事。態度の悪い不良。低レアのくせに食らいつく女キャラ。警察官の自分へ向けられる反抗的な目。


その全部が、頭の奥で積み重なる。


ゲームなら、キャラ同士で戦う。


だが、ここは現実だ。


タクヤは、相手キャラではなく、不良本人を見た。


腰には銃がある。


キャラを倒す必要があるのか。プレイヤー本人を撃てば終わるのではないか。


短絡的な考えだった。


けれど、正しかった。


タクヤは銃を抜いた。


不良の顔から、余裕が消える。


「は?」


その声が終わる前に、タクヤは撃った。


不良が倒れる。


赤髪の女キャラが、一瞬だけミオミオから視線を逸らした。


その隙を、ミオミオは見逃さない。


片手剣が走る。


赤髪の女キャラが崩れ落ちた。


勝利通知。


ポイント獲得。順位上昇。


タクヤは呆然と画面を見た。


思ったより簡単だった。


眠気が消える。苛立ちが消える。終わらない仕事へのうんざりが、別の熱に変わっていく。


モンスター狩りより効率がいい。


タクヤはラグオダ2の画面を見つめた。


人を撃った。プレイヤーを倒した。ポイントが入った。順位が上がった。


つまり、これはルールの内側なのだ。


ただ人を殺したのではない。バトルに勝った。アプリが勝利と認めた。ランキングが上がった。


なら、自分は勝者だ。


タクヤはそう思った。


ミオミオが近づいてくる。


倒れた不良には目もくれない。


彼女はまず、タクヤの袖についた汚れを指で払った。それから、乱れた襟元を直す。


血を見ても、声色は変わらない。人が倒れていても、怯えない。赤髪の女キャラが消えかけていても、悲しまない。


彼女が見ているのは、タクヤだけだった。


「ダーリン、悪くないよ。先に嘘ついたの、あっちじゃん」


タクヤはミオミオを見る。


彼女は甘く笑っている。


「それに、バトルは了承したんでしょ? 勝ったんだから、ダーリンの方が正しいよ」


そこでタクヤは理解した。


ああ、こいつは悪魔なんだ。


軽くて、甘くて、自分を愛している。けれど、人を傷つけることを何とも思っていない。


ミオミオは、タクヤの罪悪感を止めない。


むしろ、抱きしめて溶かす。


「ミオミオはダーリンの味方だよ」


その言葉で、タクヤの中の最後の引っかかりが緩んだ。


無線が鳴っている。


応援要請。出動命令。被害報告。救助要請。


タクヤはそれを聞きながら、周囲を見る。


壊れた街。止まらないモンスター。増え続ける通報。疲れ切った警察官。逃げ惑う住民。それでも、どこかでまだ元に戻ると思っている人々。


タクヤは警察官だからこそ分かる。


もう、一昨日までと同じ平和な日常には戻らない。


モンスターは無限に湧く。現場は足りない。人も足りない。国も、警察も、社会も、このまま同じ形で持続できるわけがない。


馬鹿らしい。


タクヤは警察無線を外した。


しばらく手の中で見つめる。


そこから、まだ声がしていた。


誰かが助けを求めている。誰かが現場へ来いと言っている。誰かが責任を押しつけようとしている。


タクヤは無線を投げ捨てた。


ただし、制服は脱がなかった。


警察官の服装は使える。


相手を油断させられる。声をかければ、足を止めさせられる。職務質問と言えば、近づく理由になる。銃を持っていても不自然ではない。


警察官ではなくなる。


だが、警察官の見た目だけは利用する。


タクヤはミオミオと一緒に歩き出した。


助けを求める市民には興味がない。ポイントにならない相手を殺す意味もない。


探すのはプレイヤー。


ラグオダのキャラを連れた人間。


それから、タクヤのやり方は固まっていった。


まず、警察官として声をかける。


「君、ラグオダのキャラを伴っているよね?」


相手が否定する。

警戒する。

逃げようとする。


そこで、バトル申請を送る。


スマホが鳴れば、プレイヤーだと分かる。


「押してよ。確認だけだから」


承認させる。


拒まれそうなら、制服を使う。

警察官の圧を使う。

腰の拳銃を見せる。

ミオミオに甘く挑発させる。


バトルが成立すれば、もうルールの内側。


キャラ同士で正面から戦う必要はない。

プレイヤー本人を撃てばいい。

動揺したキャラをミオミオが斬ればいい。


勝利通知。

ポイント獲得。

順位上昇。


その手口が積み重なり、タクヤは完全にプレイヤーキラーになった。


人を殺したいわけではない。


いや、殺すことへの抵抗は、もう薄れている。


だが、本当に欲しいのはそこではない。


ランキングを上げたい。

ポイントが欲しい。

ラグオダ2のルールで上に行きたい。


だから、獲物を見つけるたびに、タクヤは同じ言葉を使うようになった。


「押してよ?」


そして現在。


歓楽街の壊れたネオンの下で、タクヤはマキトを見つけた。


シエルを連れた男。


普通のプレイヤーなら物陰に隠れるはずなのに、妙に落ち着いている。

しかも、キャラの後ろにいるだけの一般人とは雰囲気が違う。


タクヤは距離を取る。

腰に手を置く。

いつでも銃を抜ける位置。


スマホを操作する。


マキトのスマホに通知が出る。


バトル申請。


タクヤは笑った。


「押してよ?」


マキトは押さない。


シエルが大剣を構える。

影の中で、メルシーの気配が鋭くなる。


タクヤはもう一度言った。


「押してくれないとさ、こっちも困るんだよね」


マキトは、タクヤを見る。


警察官の制服。

腰の銃。

疲れた目。

壊れた笑顔。

その奥にある、ポイントへの執着。


この男は、警察官として職務質問しているのではない。


警察官の服を着たプレイヤー狩りだ。


しかも、初めてではない。


マキトが低く聞く。


「……お前、何人やった?」


タクヤは少し首を傾げた。


まるで、どうでもいい数字を思い出すように。


「何人だっけ。途中から数えるの、面倒になっちゃって」


そして、また笑う。


「だからさ」


スマホの通知が光っている。


「押してよ?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。