025
空間に広がる映像――それは一千年前、魔導の技術が最盛期を極めていた時代の、とある大国の王都だった。
画面が切り替わるように、一人の王子の姿が映し出される。
「この方…」
クラリスの視線は、人間離れした美しさを感じるアスタの顔と、精気溢れる若き王太子の顔を往復する。
「うむ、私の本体の姿では、貴様の精神が持たないからな。私が形どっている姿は、こやつの姿を模したものだ。」
クラリスの視界に広がる、凄惨な「過去の景色」はこうだった。
かつて、その国の王太子は己の立場も弁えず、人里離れた深山に隠れ住む一族の娘と偶然に出会い、激しい恋に落ちた。
王太子は周りの反対や制止に耳を貸さず、奪い去るように彼女を王都の奥宮へと連れ帰り、溢れんばかりの愛を注ぎ続けた。
やがて老王が崩御し、王太子の即位が決まった頃――娘の腹には、新たな生命が宿っていた。
だが、悲劇はある日、何の前触れもなく訪れる。
愛する娘の元へと足を運んだ王子が目にしたのは、見るも無残に引き裂かれた部屋の惨状だった。
人間の悪意の局地を目にしたクラリスは、腹から込み上げるものを必死に堪える。
「……ぁ、あ……あああぁぁぁ……ッ!?」
王子の慟哭が、何重にも重なって空間を激しく揺らぐ。
その日を境に、新王となった彼の正気は完全に潰えた。
周囲の重臣や貴族たちは、王が狂気へと落ちたことを意に介さなかった。
かつて王の婚約者にも関わらず、遠ざけられていた令嬢の父は、都合良く正気を失った王を傀儡とし、外戚として思うがままに権勢を振るった。
即位と同時に王妃の座に就いた婚約者も、邪魔な「薄汚い娘」を処刑できたことに満足し、抜け殻となった王に冷ややかな視線を送るばかりだった。
だが、狂王の心は死んでなどいなかった。
彼の歪んだ執着は、暗く深い地下室の闇の中、保存液に浸された我が子の胎児へと注がれていた。
「生き返らせる……神の領域へ手を伸ばし、完全な『人造生命』として、お前をこの手で創り直してやる……!」
血統貴族として生命力を操る最高峰の魔術才能を持っていた狂王は、正気を引き換えに人造生命の研究へと没頭した。
しかし、神の領域である「命の創造」の壁は厚い。幾年もの月日が流れ、研究が行き詰まりを見せた時――狂王は最後の、そして最悪の決断を下した。
王都一都市の全住民、数万人。
彼らの命、肉体、そして魂全てを「生贄」として捧げる大術式。
都市全体が真っ赤な血の光に包まれ、数万人の悲鳴が一瞬で途絶えたその惨劇の渦中、空間が裂けた。
黄金と紫黒の神氣を纏い、降臨したのは――『知』の魔神、アスタロスだった。
「……なんて、むごい……」
惨劇の光景に、クラリスは胸を押し潰されるような吐き気を覚える。
都市ひとつが丸ごと干上がった死の都市で、魔神は狂王を見下ろしていた。
「神の被造物のくせに、自らが創造主となろうとするか」
魔神は、血と狂気に塗れた王を見つめ、どこか感心したようだ。
「己の愛した女と子を失った絶望から、神の領域へ手を伸ばすその無謀、その果てしない『傲慢』……くくっ、面白い。泥人形にしては、上出来な身の程知らずだ。
……いいだろう。神の領域に挑む狂王よ、貴様に『知』を授けてやる。……魂とエーテル、それを留めるマテリアル体という『箱』の真理をな」
狂王は貪るようにして、アスタロスから授けられた膨大な真理を解読していった。
だが、どれほど優れた魔導の天才であっても、神の領域である「完全な人造生命」の肉体をいきなり練り上げることは叶わない。
そこで狂王は、得た知識を検証するための「試作品」に取りかかった。
魂を安全かつ確実に閉じ込め、定着させるための小さな構造物――いわば、小さな肉体を模した実験用の檻。
狂王が血と正気を削りながら組み上げたその精密な箱は、エーテルを散逸させることなく内部へ完全に封じ込める、見事な仕上がりを見せた。
「……ほう」
その出来栄えを目にした魔神は、退屈しのぎの戯れに目を細めた。
神の手によらず、泥人形が組み上げた小さな檻。
その精巧な作りに気良くしたアスタロスは、自らの膨大なエーテルの中から、ほんのささやかな「欠片」を切り取ると、楽しげにその箱の中へと滑り込ませたのだ。
「我が権能の残響を、貴様の作った小さな檻に預けてやろう。……これがうまく機能するならば、いずれ貴様が作り出す人形も、少しは遊べる玩具になるやもしれん」
こうして、狂王の実験室で誕生した試作品のエーテル封印機構――それこそが、後に巡り巡ってクラリスの手に渡る『正一二面の連鎖手箱』であり、箱の中に眠る『アスタ』という存在の始まりだった。
「――理解したか? 貴様が弄んだ『箱』とは、狂王が愛し子を蘇らせるために作った、ただの出来損ないの『お試し用の檻』に過ぎん」
アスタの声とともに過去の惨劇の光景は露と消える。
アスタは冷淡な瞳でクラリスを見下ろす。
「そして我は、その箱の中に放り込まれた戯れの欠片……『アスタロスの残響』だ。
狂王は結局、真のホムンクルスを完成させる前に破滅したがな。……さて、クラリス。貴様はその狂気の副産物を解き放ったのだ。その意味が、これで少しは分かったか?」
狂王の凄惨な過去と、血塗られた街の余韻が消え失せ、周囲は再び澄み渡った無音の星海へと戻っていた。
クラリスは、自分の両手をじっと見つめていた。自分が何気なく触れ、仕掛けを解き明かしたあの『連鎖手箱』。あれは、亡き子を蘇らせようとした狂王が「魂を閉じ込める肉体の檻」を再現するために作った、血と執着の試作品だった。そして目の前にいるアスタは、その精巧さに感心した魔神アスタロスが、ただの戯れで投げ入れた「欠片」――。
「……どうした、小娘。言葉も出んか?」
アスタは滑らかな手つきでアヴェンタドールのステアリングに手を戻し、冷徹な黄金の瞳でクラリスを覗き込んだ。
「貴様が手にしたのは、数万の命を血生贄にして得られた知識の、ほんの『搾りかす』だ。
そして我という存在は、魔神のきまぐれで生み出された毒に過ぎん。……そのおぞましさに、今更になって足がすくんだか?」
あざけるようなアスタの問い。しかし、クラリスの口から漏れたのは、恐怖の悲鳴でも、過去の狂王への嫌悪でもなかった。
「……いいえ」
クラリスはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、怯えではなく、静かな、けれど決して揺らぐことのない光が宿っていた。
「王様のしたことは……決して許されることではありません。数万の人々の命を奪い、自分の欲望のために世界を狂わせたのですから。……けれど」
「ほう?」
「あの方は……ただ、愛していたのですね。たとえそれがどれほど歪んでいて、世界を敵に回す狂気だったとしても……奪われた我が子を、一度だけでも抱きしめたかった」
クラリスは胸の前で強く両手を握りしめた。
「箱に込められていたのは、ただのおぞましい呪いではありません。命を創り出そうとした激しい執着と……そして、アスタ様。貴方がその発想を認め、面白がって吹き込んだ『真理の欠片』です。なら……私はその過去を恐れて逃げたりしません」
アスタの眉が微かに跳ねる。
「貴方は言いました。『過剰な保護は死と同じだ』と。……私は今まで、誰かに守られるだけの、箱庭の人形でした。でも、この箱を開けたのが私の意志であるなら……その箱に秘められた狂気も、貴方の『知』も、全て背負って前に進みます」
星空の光がクラリスの横顔を照らす。かつて貴族の館で泣いていた少女の面影はどこにもなかった。
己の意志で「知る者」としての覚悟を決めた姿がそこにあった。
車内に、低い低音が響いた。
エンジン音ではない。アスタが喉を鳴らして笑う音だ。
「……くハハッ! ハハハハハハッ!!」
アスタは腹を抱え、心底愉快そうに嘲笑を……いや、愉悦の声を上げた。
「素晴らしい! 狂王の生贄の惨劇を聞いてなお、そこに『愛』と『真理』を見出すか!貴様は期待以上の愚者で、そして期待以上の狂者だな、クラリス!」
アスタの瞳が、狂暴なまでに輝きを増す。
「良いぞ。狂王が遺した試作品の箱、そして我が気まぐれで授けた『知』……それらをただの呪いで終わらせるか、破滅を覆す『鍵』とするか、貴様自身の足で証明してみせよ!」
――ガアアアンッ!!
アヴェンタドールのエンジンが爆発的な咆哮を上げる。
暗鬱だった星空の空間がひび割れ、まばゆい現実の光が隙間から溢れ出してきた。
「試練の終わりだ。現世へ戻り、貴様のその『覚悟』を、迫り来る現実にぶつけてみせるがいい!」




