024
白一色だったはずの空間が、流星のような光の粒子となって後方へと過ぎ去っていく。
恐怖に身をすくめ、必死に座席の端を握りしめるクラリスの横顔を、アスタは愉悦に満ちた横顔で見やった。
「案ずるな、小娘。どれほど速度を上げようと、ここでは衝突する壁も崖もない。
……さて、耳を傾けるがいい。これが貴様の求めた『知』の始まりだ」
アスタは滑らかな手つきで円環の舵を操作しながら、どこか遠い目をして語り始めた。
その声は、エンジン音の轟音を易々と通り抜け、クラリスの脳髄へ直接響き渡る。
「原初……世界には何もなかった。
ただひとつ、最初に誕生した『創造神』を除いてな。
創造神は世界を形作るため、まず『言葉』を生み出した。
それが、第一世代の神々――世界の根幹をなす概念そのものを体現する、二十四の言霊神だ」
アスタの細い指が空中を払うと、フロントガラスの向こう、流れる光の帯の中に巨大な光の紋章群が浮かび上がった。
「無・光・闇・刻・界・形……存在と構造を定める言葉。
生・死・変・繋・断・律……命と流転を動かす力。
知・誓・意・望・罰・忘……意思と理知の根源。
そして、破・試・奪・封・狂・偽……世界を揺るがす言葉。
覚える必要はない。だが知っておけ。この二十四の言葉こそが、世界の骨組みなのだと」
「二十四の……言葉……」
クラリスは流れる光の紋章を見つめながら、途切れ途切れに呟いた。
「そして、創造神の沈黙から、無であり全である空のルーンが生まれた」
「空のルーン…?」
「そうだ。創造神が最初に置き、最後に残した空白。二四の言霊神と世界の物理法則を繋ぎ止める至宝だ」
紋章群の中心に、一際輝く光が現れる。
「そして、次に取り掛かったのが、貴様の居る世界の作成だ。創造神の『歪んだ愛』によって、な」
「『歪んだ愛』……?」
「くくっ」
アスタは愉快そうに喉を鳴らし、スピードをさらに上げた。
車体が滑るように加速し、空間の色彩が夜空のような深い紺碧へと変わっていく。
「創造神は庇護し愛玩する為に、あえて弱くヒトを作った。だが、その儚さ故、存在が安定しなかったのだ。ゆえに創造神は、人間に堅固な『箱』を与えたのだ。」
「箱……? 」
「そうだ。物理法則に従い、あらゆる衝撃から内部の魂を保護する防護服――それが、貴様たちの持つ『肉体』という『物質』だ」
「私たちの肉体……物質……」
「そうだ。創造神は作った、貴様らの為に。神々の世界をエーテル界、貴様らの世界をマテリアル界、と私は呼称している。そして、創造神は世界の物理法則として上限を設けた。物質界が一度に保持できるエーテル容量には、絶対的な限界がある。人間がいくら強力な魔術を扱おうとしても、上限を超えれば肉体そのものが崩壊する。そして……エーテル界に身を置く神や魔神が物質界に顕現する際、ほんの僅かな割合――0.01パーセント以下にまで威力を削ぎ落とさねばならんのは、この『世界の上限』という容量上限があるからなのだよ」
アスタの言葉に、クラリスはただただ衝撃を受けていた。
「では……アスタ。貴方がた『七つの歪言』とは、一体何なのですか?
彼女…ヴェロニカは、悪魔だと言っていたけれど…」
クラリスの問いに、アスタの黄金の瞳が一瞬、氷のように冷たく冴え渡った。
「悪魔のような下等生物と一緒にするな。しかし、まぁ、ふん。そうだな―――有り体に言うなら、くだらん嫉妬のような物だ」
アスタは自嘲気味に口角を上げた。
「創造神が人間を寵愛し、安全な檻の中に囲い込んで過保護に育てる姿に、一部の神々は歪んだ。繋・罰・形・望・刻・狂……そして、我、知だ」
アスタは片手をハンドルから離し、己の胸に当てた。
「我は『知』であった。それ故、過保護な箱庭の中で進化を止め、泥人形のように安寧を貪る人間に激怒したのだ。『過剰な保護は死と同じだ』とな。だから我は反逆した。自ら絶対的な『試練』となり、極限の絶望を与えることで、人間を真理へと導くために!」
アスタの咆哮に呼応するように、アヴェンタドールが空間を突き破る。
周りの景色は、創世の天変地異――『原初破絶の戦い』の幻影へと変貌した。
天が裂け、十七柱の言霊神と、知のソフィアを筆頭とする反逆した七柱の神々が激突する地獄絵図に、クラリスは絶句する。
「創造神は我ら七柱から『正』の権能を無理やり剥ぎ取り、巨大な監獄……地獄を作り、叩き落とした。『負』の権能だけが残された我らは……もはや歪んだ存在。全知の知は世界から消え失せ、傲慢・冷血の魔神アスタロスが残された」
「アスタ様…」
「そして空いた座を埋めるため、我らの対になる『正』の権能のみを持った、七柱の『第二世代の言霊神』を作り直した。
さらに、言霊神の影響を受けずに物質界を管理する為、自由意志を我らのように持たぬ、機械的で本能的な『星環維持神』を作ったのだ。貴様たちが普段拝んでいる太陽や大地の神、あるいは貴族に加護を与えたのもそれらだ」
圧倒的な歴史の濁流が、クラリスの脳裏に直接流れ込んでくる。
あまりの情報量に頭が割れるような痛みを覚えながらも、クラリスはアスタの横顔を見つめた。
「……アスタ様。貴方は……耐えられなかったのですか?」
「……何?」
車内の空気が一瞬で凍りついた。
アスタの黄金の瞳が、恐ろしいほどの冷徹さを孕んでクラリスを射抜く。
「全知である貴方だからこそ……思考を止め、与えられた箱の中でただ安寧を享受する私たちが……その『停滞』そのものが、耐えがたい苦痛だったのですか?」
アスタは一瞬だけ絶句した後、腹の底から嘲笑を漏らした。
「くハハハハハ! まさか泥人形の口から『知の苦痛』などという言葉を聞くとはな! 我の領域を理解したつもりか? 笑わせるな」
アスタは不敵に口角を上げたが、その瞳の奥にある冷徹さは揺るがない。
「……だが、悪くない。ただ恐怖に震えるのではなく、我という存在の理を推察しようとした。良いぞ、その浅はかな察しであれ、無知な泥人形から抜け出そうとする心意気は認めてやろう」
アスタが手元の丸い輪を滑らかに回し、足元のレバーを踏み込むと、狂ったように夜を奔っていた鉄塊は急速に勢いを失い、やがて滑り込むように静かに停止した。
周囲の激しい光の濁流は消え去り、澄み渡った無限の星空のような空間が広がっていた。
しかし、アスタが右手を振ると、そこにあったはずの白芒も星海も、水面に落ちた波紋のように歪んで消え去った。
次にクラリスの視界を覆ったのは、どこか見覚えのある、けれど絶望的なほどに禍々しい「過去の景色」だった。
「知識の旅路のついでだ。貴様が触れ、解放した『箱』――その最初の持ち主の愚行を見せてやろう」




