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023

「――我こそは、『七つの歪言(わいげん)』が一柱、魔神アスタロスの残響(ざんきょう)。

原初の『知』にして、停滞した世界に真理の火を破滅ごと投げ渡した反逆の記憶だ」


アスタは唇の端を吊り上げ、クラリスの魂の奥底を試すように目を細めた。


「思考を放棄した泥人形のまま朽ちるか、それとも限界を超えて真理に手を伸ばすか。……『知』を司りし我の試練に、その脆弱な魂で合格してみせよ。さすれば……貴様の望む知恵と力を、授けてやる」


世界そのものが揺らぐような言葉の重圧に、クラリスの思考は激しく混濁する。

だが、その苛烈な神氣の奔流の中で、彼女の混迷した脳裏にただ一つ、たしかに届いた事実があった。


「試練……に合格したら、助けてくれるのね?」


「クラリス嬢!」


息をするのも容易ではない圧迫感に晒されながらも、その腕は決して彼女を離そうとはしない。

その瞳には、何があっても彼女を守り抜くという鬼気迫る覚悟が宿っていた。


「いけません、あまりに危険だ……!

頼む、その試練とやらなら私が受ける! だから……クラリス嬢には手を出すな!」


魔神を名乗る圧倒的な存在の圧に晒されながらも、レオンハルトは命をなげうつ覚悟でクラリスを遮るように庇い立てる。

だが、アスタはその決死の叫びを、一瞥すら与えずに切り捨てた。


「愚問だ」


吐き捨てられた言葉の冷たさは、まるで凍てつく氷の刃だった。

アスタの黄金の瞳が、嘲笑を孕んでクラリスだけを射抜く。


「どうする、小娘。『箱』を開けたのは貴様だ。選ぶがよい。我はどちらでも一向に構わん」


「やります……やらせてください。レオンハルト様……私でも、誰かの役に立てるというのなら」


「クラリス嬢――!!」


激しく震える膝を気力だけで叱咤し、クラリスは自らの足で地面を蹴った。

引き止めようとするレオンハルトの腕をそっと解き、彼の胸元に小さな手を重ねる。

伝わってくる彼の温もりと激しい鼓動に、静かに、けれど揺るぎない覚悟を込めて告げた。


「もし私が失敗したら……公都の民を、一人でも多く救ってくださまし」


「そんな……待つんだ、クラリス嬢!」


胸元から手を離し、クラリスは引き返すことなくアスタの前へと歩み寄る。

絶対者の見下ろす瞳をまっすぐに見返し、クラリスは乞う。


「お願い……アスタ様。私に、試練を」


「ふん。何、そう身構えるな。……刹那で終わる」


アスタは酷薄な笑みを唇に浮かべると、緩慢な動作で右手を差し伸ばした。

黄金と紫黒の神氣を纏ったその細長い指先――中指の腹が、クラリスの白い額へ、吸い寄せられるように静かに触れる。


◇


浮遊感すら覚える一瞬の目眩。死の影が漂う先ほどの部屋も、必死に手を伸ばしていたレオンハルトの姿も、泡のように消え去っていた。


「ここは……?」


見渡す限り、果てのない白。

足元すら曖昧な透明な世界に立っているのは、クラリスと、あいも変わらず泰然としたアスタのふたりだけだった。


「慌てるな。ここは深く果てなきお前の魂の揺り籠……時が淀み、刹那が永遠へと伸び広がる世界だ。

外界の砂時計がひと粒の砂を落とす間にも、我らはここで幾多の星の巡りを語り明かすことができる。寛いでいくといい」


アスタは芝居がかった手つきで肩をすくめ、嘲るような笑みを浮かべた。

その声音には、先ほどの重々しい威圧感とは異なる、人を喰ったような軽妙さが戻っていた。


「試練、とおっしゃいましたけれど……私は、何をすればよろしいのですか?」


「何、身構えるな。肉を削ぎ骨を砕くような、野蛮な苦痛を強いるつもりはない。言ったはずだ、我は『知』を司る者……世界に知恵をもたらす存在だと」


アスタの黄金の瞳が、面白がるように妖しく揺れる。


「貴様は知る必要があるのだ。この世を裏打ちする万物の理、その深淵をな。そうでなくては、たとえ一部であれ我が力を行使することなど叶わん」


そう言って、アスタが短く指を鳴らした。


パチン、と乾いた音が響いた瞬間。

何もない真っ白な空間に、突如として異質な“物体”が顕現した。


「……っ!?」


クラリスは思わず息を呑み、一歩後ずさった。


それは、彼女の知るどんな調度品や乗物とも酷似していなかった。


強いて表現するならば――貴族が乗る豪華な馬車の客室部(キャリッジ)を、巨人の手で上下から押し潰して平たく引き伸ばしたかのような、禍々しくも美しい金属の塊。


滑らかな曲線を帯びた外殻は深みのある艶を放ち、屋根はなく、馬を繋ぐための曳き綱も棒も見当たらない。


まるで猛獣が地にはいつくばり、獲物を狙って身を潜めているかのような不気味な異物感を放っていた。


「アヴェンタドール LP770-4 SVJ ロードスターだ」


アスタは軽やかな足取りでその低い金属の塊へと歩み寄ると、身を躍らせるようにしてその内部――細細とした円環の取っ手がある席へと腰を下ろした。


「あべ……?」


聞き覚えのない複雑な音の連なりに、クラリスは困惑して首をかしげる。


「何、貴様が意味を解する必要はない。『馬のいない馬車』とでも思っておけ。とっとと横の仕切りに座るがいい」


「あ、はい……」


促されるまま、クラリスはおそるおそるその平たい構造物へと近づき、空いている隣の席へ身体を滑り込ませた。


――その瞬間、小さな悲鳴が漏れそうになる。


今まで仕立てのよい貴族家の椅子に幾度となく座ってきたが、これほど不思議な感覚は初めてだった。


硬い革の質感でありながら、まるで生き物に抱きすくめられたかのように、身体の輪郭に沿ってすっぽりと沈み込み、深く包み込まれる。


「……なんという、お椅子……」


動転するクラリスを横目に、アスタは薄く口角を上げた。


「さて。これから向かうは、知識の旅路だ」


アスタが席の前方に配置された、見たこともない複雑な板や光る突起、小さな丸い車輪のようなものを手際よく操作する。


直後――


――ガァアア昂、と!!


耳を劈(つんざ)くような腹の底に響く轟音が白の世界を揺るがした。

馬のいななきなど比較にならない、目覚めた巨獣の咆哮(ほうこう)のような地鳴り。


背中が強烈に椅子へ押し付けられた瞬間、流れる景色はもはや色の帯と化していた。

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